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日航123便と軽井沢の首相<本澤二郎の「日本の風景」

2019-08-14 09:43:34 | 日本の風景


日航123便と軽井沢の首相<本澤二郎の「日本の風景」(3403)
<在京政治部長会とのゴルフを止めて上京した中曽根康弘>
古いメモが見つかった。1985年8月13日、在京政治部長会と中曽根康弘首相との軽井沢ゴルフコンペ中止とある。勘違いしていた。予定通りゴルフに興じていれば、大変なことになっていたろう。
 日航123便が群馬県御巣鷹山の尾根に墜落した時間は、報道によると、8月12日午後6時56分。そのころ各社政治部長は、軽井沢のホテル、多分西武経営のホテルについて、風呂で汗を流して中曽根懇談をしていたころである。官房長官も同行していたろうから、藤波孝生か後藤田正晴ということになろう。乗客・乗務員520人という飛行機事故としては大惨事の最中、政治部長と首相官房長官が懇談会を開いていたことになる。

 翌日のゴルフコンペのため、午後9時ごろにはお開きになったろうから、それまでに123便墜落の報は届いていなかった?届いても大惨事という場面をだれも想像さえできなかったことになる。

<犯人は自衛隊機との接触か?>
 墜落原因は飛行機の最後部の垂直尾翼の破損である。事故調査委員会はメーカーのボーイング社の工事ミスでごまかしてしまったようだが、多くの関係者は疑問を抱いている。
 ミサイルの誤射という説もあるようだが、これは無理があろう。自衛隊の訓練機の異常接近による接触事故であろう。事故の1年後に自衛隊員の自殺が絶えない。自責の念に耐えられず自害したものか。

 事故原因に自衛隊機を結び付けないと、なかなか説明がつかない。

<真相を知る人物は今も生きて100歳>
 不思議なことは、事故当日の夜、首相は軽井沢のホテルに滞在していた。単純な航空機による大惨事だけなら、ヘリコプターで御巣鷹山に急行して、人命救助に奔走するところであるが、それがなかった。

 ホテルからあれこれと指示していたのかもしれない。それはできる限り時間稼ぎをして、現場に関係者を接近させないようにしていた?

 8月12日深夜から翌13日にかけての、各方面の行動に不可解な点が少なくない。自衛隊隠しと捉え兼ねられない。当時の首相は中曽根である。まだ元気だという。真相を知る人物である。


<自衛隊機との接触の可能性が高い>
 米機によるミサイル誤射、同じく自衛隊機によるミサイル誤射もゼロではないだろうが、まずありえないことである。
 自衛隊機が猫がじゃれつくように民間機に接近し、123便の垂直尾翼を破損させた可能性が高い。他方、123便の機長は振り切ろうとして左右に旋回、接触したものか。むろん、非は自衛隊機である。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=339374

<横田ー羽田大増便ー成田ーオスプレイは大丈夫か>
 余談になるが、来年3月から羽田空港の発着便が大幅に増えることになる。東京五輪向けというのだが、極端に羽田に集中するため、成田は貨物航空専用になりかねない。

 米軍横田基地の空域が大手を振っているため、狭い都心の空域に民間機が集中することになる。空の渋滞地区である。
 大騒音によって都心の生活環境は、著しく悪化する。住宅の資産価値も大きく減ることになる。住みにくい物価高の東京は、空の渋滞と騒音で住みにくくなる。沖縄の普天間へと落下するだろう。

 ともかく横田の米軍機と木更津のオスプレイと成田、そして狭い空域になれない外国の民間機の東京の上空は、とても安全とは言えない。
 日航123便の教訓は生かされてはいない!
2019年8月13日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)







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