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アルジェリア人質事件に見る日本の国際的立場

2013-02-13 21:31:54 | 阿修羅

アルジェリア人質事件に見る日本の国際的立場
http://www.asyura2.com/13/senkyo143/msg/787.html
投稿者 taked4700 日時 2013 年 2 月 13 日 05:26:06: 9XFNe/BiX575U


アルジェリア人質事件に見る日本の国際的立場

 2013年1月16日に起こったアルジェリア人質事件は日本の国際的な立場を典型的に垣間見せてくれるものだった。

 下に挙げてあるリンクにある記事「やっぱりあった軍のキャンプ、アルジェリア人質事件のガスプラントの警備」にあるように、事件が起こったガス採掘サイトは居住区とプラントに分かれ、その間を約3キロの道路が結んでいる。そして、この道路を挟んで、警備担当者のためのキャンプ(security camp)と軍のキャンプ(military camp)があったのだ。それぞれのキャンプの大きさからして、かなりの人数がいたはずだが、はっきりしない。兵士は数百人いたという報道がある。軍が周辺地域の警戒に当たり、警備がサイト内の見張りを担当していたという。警備は武器を携帯していなかったという話だ。

 サイト内に内通者がいて、そのため、テロリストに簡単に居住区とプラントを占拠されてしまったということだが、これは大変に疑わしい。いくら午前5時の急襲だと言っても砂漠の何もない場所にある施設であり、かなり遠くにいても軍の警備にかからないはずがないからだ。急襲時に携帯電話をテロリストが一切使わなかったというような報道がされているが、携帯電話の電波を検知するシステムがあったのなら水平レーダーがそもそも機能していたはずだし、目視による見張りでも十分に分かる。このことは、兵士の犠牲者が一切報道に上がっていないこと、つまり、実際に兵士の犠牲者がいなかったと思え、警備陣に関してもゲートを守っていた人が犠牲になっただけとされていることから十分に推測できる。ともかく、テロリストがどうやってサイトへ近づいたのか、軍と警備陣はどう対応したのか、それらは一切分かっていない。単に銃撃戦があったというだけだ。だから、これはテロに対する秘密保持というよりも事件全体が西欧諸国とアルジェリア政府とが組んで仕組んだ事件だと見ることが自然だ。実際、サイトへのアクセスはコントロールされていたとの報道がある。

 事件当初、テロリストから外部への発言を許されたのが日本人の木内さんのみだったことから今回の事件が安倍政権に対する脅しとして起こされたのはほぼ確実だ。では、具体的に安倍政権の何をどうしようとしたのか。やはり、脱原発の動きを止めたいということだろう。ベトナムへの安倍首相の訪問の直前に発生したことから見てもそう推測するのは根拠のないことではない。

 戦後から一貫して日本は工業化の道を歩んできた。しかし、それはある意味そう育てられたと言ってもいいものだった。トヨタやソニーはアメリカ企業での技術研修を受け、その結果戦後の復興と発展が可能になった面もあるからだ。工業化とともに電力需要が大きくなり、1970年代の電源三法成立とともに、原発が全国にできていった。1979年3月28日にスリーマイル島原発事故が起こるが、この時点で、日本国内では18基の原子炉が運転開始をしていた。この中には九州の玄海原発1号機、四国の伊方原発1号機、島根県の島根原発1号機、福井県の高浜原発1・2号機、同じく美浜原発1・2・3号機、大飯原発1号機などがあったのだから、ほぼ北の方を除いて日本全国をカバーしていた。また、1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起こるが、それまでの間に13の原子炉が運転開始をしている。そして、チェルノブイリ原発事故後も24の原子炉が運転開始をしているのだ。

 このことは、日本でいかに原発の安全神話が信じられてきたかを雄弁に物語っていると言っていい。少なくとも、日本と同じように地震が多いアメリカ西部の原発が次に述べるように比較的早期に廃炉になって行った。日本は活断層に関する規制も甘い。更に、住民投票自体が行政によって拒否されてしまっているのは自治体が既に原発マネーに依存してしまっていて、原発からの税収や交付金なしには成立しえなくなっていることをよく表している。

 Humboldt Bayは1963年から1976年の稼働。未発見の活断層があるということで運転停止がされ、その後のスリーマイル島原発事故により閉鎖が決定された。Rancho Secoは1975年から1989年の稼働。2008年までの運転許可があったが1989年に住民投票で閉鎖が決定された。この背景には1978年に起こった軽微な事故が事故の展開によっては深刻なものになるものであったと規制当局に評価されたことがあったようだ。Trojanはオレゴン州に立地する唯一の商業用原発で、1976年から1992年の稼働。たびたび運転停止の住民投票がされたがすべて否決された。しかし、結局放射能漏れをきっかけとした安全性の問題で事業者自身が閉鎖を決定した。

 戦後の日本への原発導入は原子力の平和利用を掲げてのものだった。実際、日本の工業化に役立ったと言っていい。しかし、その陰で安全規制はおざなりだった。アメリカがスリーマイル島原発事故で規制強化をした後も、日本の原発は殆ど規制強化されることなく建設が続けられた。

 1985年のプラザ合意により円高になり、輸出依存体質から内需依存体質への転換が言われたが、その前提となるエネルギー自立は原子力によるものが主力であり、本来日本が最も向いている地熱開発はあまり取り上げられなかった。

 アメリカでは1975年に再処理を中止しているのに、日本では原子力資源の再資源化ということで未だに再処理をしようとしているが、既に何兆円もつぎ込んでもうまく行っていない。

 世界中の原発保有国で高レベル核廃棄物の処分方法が決まっていない。地震国である日本は地震が起こらない国よりも積極的に最終処分地を早く決める必要があった。核燃料保管プールはほとんど放射能漏れを防ぐ機能がないからだ。更に、再処理をしても高レベル核廃棄物は出てくるわけで、その意味でも日本は地層処分地を準備しなければいけなかったがそうはしてきていない。それどころか、世界のほとんどの国で最終処分地が決まらないことに歩調を合わせて、地層処分地を決めることに消極的であった。地層処分をするよりも原子炉建屋内の保管プールにためておいた方が原発震災時に放射能漏れが大規模で起こる。ある意味、日本はこの面でも大規模な放射能汚染で国土を放棄するように仕向けられてきたと言ってもいい。

 スリーマイル島原発事故でも、チェルノブイリ原発事故でも日本の原発政策は変わらず、新規建設が続けられてきた。2011年に福島第一原発事故が起こり、日本中の多くの原発が停止をしても未だに脱原発と言う国家意思は決定できず、反対に世界の発展途上国、それも地震がかなり起こる地域への原発輸出をさせられようとしている。

 脅しと飴玉。支配のやり方の基本はこれだ。脅しはアルジェリアの人質事件が典型だ。飴玉は日本国内での階層化による特権階級待遇だろう。税収よりも新規発行国債の額のほうが多く、既にGDP比では200%に達している。アメリカはその半分の100%程度だ。健康保険制度や年金制度も持つわけがないのにその影響がほとんど話題に上らない。そういった制度の根幹である財政そのものの危機が迫っているのに、未だに税制の抜本的な改正はできずにいるし、そもそも財政危機であるということ自体がほとんど自覚さえされていない。

 今までの円高は人工的なものだ。決して需要と供給によって決まっているわけではなく、当事者の値付けの問題があるからだ。このことはプラザ合意後日本の内需が増加したのにも拘らず円高に振れたことからも分かる。

 ソ連が崩壊し、原爆の必要性がほぼ無くなってしまった現在、ちょうど世界中の原子力発電所が一気に廃炉の時期を迎えている。今後、世界の先進国は脱原発を進めていくだろう。それも急速にだ。世界は高レベル核廃棄物の処分場を求めている。日本は、次の原発震災を避け、高レベル核廃棄物の安全な処分方法を確立しなければいけない。そのための第一歩はやはり原発の廃炉決定であり、乾式キャスクでの保存を国家レベルで推進することしかないのではないだろうか。そしてそのためには、事実をちゃんと国民へ知らせることしかないのではないだろうか。

 アルジェリア人質事件という脅しにひるみ、シェールガス供与と言う飴玉に乗せられるとその後は福島第一原発事故どころではない災難が待っていることは確実だ。アルジェリア人質事件で分かることは、日本が脅しに屈する国であり、その場その場の利益誘導に乗る国だと見られているということだ。しかし、こと原発問題に限って言えば、そういった対応の仕方は国土そのものを失うことにつながってしまう。戦後ずっと続いていた日本を工業化させて原発を作らせるという西側の戦略からどう脱却するか、それがいま問われている。








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