風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

横浜港湾見学会

2020年10月19日 | 徒然に日々のことを
横浜港港湾施設見学会

市民に準ずる扱いをしていただいて、参加してきました。
ウグイス吟詠のお手伝いをしている関係者として、指方先生とその仲間の方からお誘いを頂きました。
おかげさまで、めったに経験できない港湾の見学をしてきました。

午前中は、船で、港を一周。
自由にランチを楽しんだ後で、バスに乗り換えて、港湾施設を海と船が大好きなボランティアガイドさんの案内で、見学です。

大桟橋ふ頭を出発して、横浜港のふ頭の何時もは、入れないところまで行きました。

一番ガイドさんが喜んだのは、めったに遭遇しない線路の赤信号。バスが止まって、貨物列車が過ぎるのを眺めるというなんてことはない、孫なら喜びそうなこと。
話を聞くと、神奈川臨海鉄道は、本牧から根岸駅まで一日に一回運行されるそうで、その、赤信号にかかって、バスが止まるのが、とても幸運で、めったにないことなのだそうです。
その赤信号に、遭遇して、バスの車窓から、貨物列車を見送ることができました。
あまりに、可愛くガイドさんが、喜ぶので、一緒に喜ぶことにしました。

そして、もう一つ記憶に残ったのは、ファンネルマーク。

煙突に描かれたマークのことで、この写真は、郵船のマーク。そして、この船は、氷川丸。
その他、商船三井、Kラインが主なもので、煙突のマークで、どこの船かわかるのだそうです。

横浜ベイブリッジの建設当時、50メートルの高さの客船は、無かったので、その高さで建設をされたのだが、今ではどんどん客船が大きくなって、ベイブリッジをくぐって大桟橋まで、航行できない船も出てきたとのこと。
そのため、産業用ふ頭の大黒ふ頭に、大型客船が停泊したこともあったそうです。
今では、南本牧ふ頭に、大型客船専用のふ頭建設が進み、コロナの終息を願って、大型客船が来横し、お客様の横浜誘致を心から願っているそうです。

斜めで、聞いていたガイドさんの言葉です。目を輝かせて聞き入っていた、殿方とは、興味の度合いが違っていました。今になって、ガイドさんの心から港が好き、船が好きと言っていた一つ一つの様子が思い浮かべられて、もう少し熱心に話を聞いたら良かったと、反省。

と、書きつつ、駅へ向かうバスの車窓からのこの自転車に興味が動く。果たして、隠れたの?それとも、隠してるの? そして、歩道橋の装飾が港湾の街の横浜らしいね。

話の種に、一回こっきりでいいなと思ったけど、一日経って、又誘われたら、行ってもいいなと思い始めました。

そうそう、ガントリークレーンのニックネームがキリンだったし、一隻の船に、車が8階建てで6千台も積まれるんだって!そして,一台ずつ人間が運転しての積み込みで、車と車の間は、握りこぶし一つ分だとか!
もっと、驚いて聞いてあげればよかったなぁ。 


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趣味

2020年10月18日 | ことば
スマホ情報で、 「趣味」を表すロシア語は、直訳すると「魂のために」となるそうだ。

う~~~ん。奥深い。

そこから連想したことは、オルティンドーを習っていた時の経験です。

10年以上前の情報で、しかも再登場で恐縮ですが、ウランバートルで、日本語科の生徒さんに「趣味」の意味を説明することができなかったことがありました。

お金を払って、何かを習うということは、それを生業とするための先行投資であって、何倍にもなって、戻ってくるものでなくてはならないのです。
その時、意気揚々と「趣味ってた」私と、彼女との意識の差はどれほどだったのか。

習っている時に、オルティンドーの先生(プロの舞台歌手)の友人が訪ねてきたことがある。
その友人もプロの女性オルティンドー歌手でしたが、最後に放った言葉が、「この年では歌手になれない」であった。
私としては、大笑いだったのだが、その歌手は、どんな気持ちだったのだろう。
大真面目に、むしろ心配してくれた言葉っだったかなと、思います。
そして、私に教えてくださっていた、プロの歌手は、日々、どういう思いで、私に教えていたのだろう。
無駄にお金を使ってるけど、私は、収入になればよいのよ。だろうか。。。

その時の気持ちのギャップは、年と共に広がっています。

その中に含まれるたくさんの意識の違いは、文化の違いと総称されるのでしょう。

プロがプロを養成する⇒プロがプロにならない人も教える⇒プロにならなかった人が興味のある人に教える⇒素人があるいは、プロが、ボランティアで教える

高度な技術を支えるためのお金を当然のこととして、お支払する時代から始まって、有償で得た技術を無償で、伝えるというところまでには、社会の成熟が欠かせない。

いや、待てよ、高度な伝統技術を教え伝えていくためには、徒弟制度というものもあったね。ここには、どういう形で、お金がかかわっていたのだろうか。
弟子は、「家」にかかわるすべての仕事から雑事まで無償で提供する時代もあり、その時は、技を盗んでいたわけで、そこには、お金は、介在していないね。
それをボランティアという?

そもそも、ボランティアって、何?

その頃のウランバートルでは、「ボランティア」という言葉も、おそらく理解されなかったことでしょう。
けれど、過酷な気候の中で、相互扶助というのは、驚くほど行われていましたが、そこには、「命」がかかわっていました。

それは、私のイメージするボランティアという言葉では、太刀打ちできない深い包容力と強いパワーを持つ営みがありました。



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「初めの一歩」独立記念日 (書き直し)

2020年10月17日 | 詩吟
須藤先生の「素読を楽しむ会」当初は、北千住の学びピアを教室として論語講座が続いていました。そこから生まれた『はじめの一歩』が、本日令和2年10月15日須藤先生のもとから、飛び立ちました。独立した一つの講座として、新たな出発をします。

     「はじめの一歩」のあゆみ

 ★2014年4月17日(木)第1回

「偶成」朱熹作。実は、「読み人知らず」かもしれないの解説から始まって、もう、6年となりました。

当初は、素読の会のメンバー全員が参加のつもりで、須藤先生の主催する一つの教室というとらえ方だったのですが、須藤先生を敬愛し、須藤先生の講義だけを聞きたい方には、不評でした。

それで、何回目か後には、お好きな方だけ残ってどうぞという形に移行して、縮小され休憩時間を挟んで、行われることになりました。
私の教えやすい人数になって、却ってよい具合になりました。
これが、須藤先生命名の「初めの一歩」のはじまり、はじまりぃ

芦孝会から、須藤先生の講義を聞きに来ていた会員さんは、当然のように、詩吟の会にも参加され、バックアップしてくださって、それはそれは、楽しい会となりました。

月に1回たった1時間でしたが、継続は力なりの言葉通り、続けていくことで、私自身予想していなかったほどの効果がありました。

やがて、学びピアの会場では、詩吟の声が大きいと言われ、クレームになる前に、さっさと会場変更をしました。
この時の先生は、素早かった!

 ★2016年4月21日 会場は、越ケ谷コミュニティセンタ―に移りました。
   須藤先生の住所地の会場のため、会場予約は、先生にお任せすることになりました。   

 ★2017年11月16日 「ようこそ素読と詩吟の世界へ」 古民家レストランたるふじにて
須藤先生主導の会に詩吟チーム賛助という形で、芦孝会メンバーも大活躍しました。

以下の部分に訂正箇所多し、書き直しました。(’20・10・17)

 ★2018年10月 「ようこそ素読と詩吟の世界へ」第二回を計画するも、須藤先生の事情で、断念。
先生の休止期間には、須藤先生の講座の同じ場所と時間をすべて頂いて、詩吟だけで活動をすることとなり、4時間を自由に使えるようになる。
夢中で、お留守を守る感じでした。今考えると、そのころから、少しずつ自立した教室への道をたどることとなっていたと、感じました。

その手始めとして、たっぷりの時間を当てて、合吟の練習をするに至ります。


はじめの一歩メンバーのお一人が、もっと練習をしたいとのご希望で、関西吟詩文化協会の会員登録をして、夢松風の一員となりました。

それに力を得て、一人では舞台に上がれないというその新入会員さんと一歩メンバー二人、それに、芦孝会女性先輩会員の助っ人を得て、四人の合吟で、出吟を認めていただき、晴れて壇上へ。

 ★ 2019年9月 東京芦孝会の20周年記念大会 一歩のメンバーであり、夢松風の会員でもあるY さんももちろん出席。


 ★2019年9月須藤先生復帰


 ★2020年1月 三回シリーズで「長恨歌」開催 2016年に行った時よりも、吟詠部分を厚くして、実施。
最後の七行の、吟詠練習もあります。
最初に、須藤先生の思い描いた、素読の会と吟詠の会のドッキングの形です。
吟詠チームは、鉄壁のサメ[ト体制のもとに、吟詠指導と独吟部分とで、構成されています。これは、一歩だけの力では、できるものではなく、いつもの芦孝会メンバーの男性会員三人の参加のおかげです。


 ★2020年3月 「長恨歌』最終回 コロナ禍のため会場使用不可となり、延期となりました。

 ★2020年4月 はじめの一歩の男性メンバーがさらに一人、関西吟詩文化協会会員登録、同じく夢松風のメンバーとなる。
もともと夢松風にいて、「初めの一歩」に参加なさった方とで、関吟の会員は3人目となりました。

 ★2020年6月 三密を回避してその部屋の使用ができるのは、5人の少数構成員の「はじめの一歩」です。ここでも、熱心なメンバーに押されて、単独で詩吟だけの再開となりました。

 ★2020年9月 須藤先生より、「素読の会」と「はじめの一歩」を切り離しましょうとの提案をいただきました。

さっそく、夢松風の練習後「一歩」のメンバーの三人と話し合い、喜んで、独立をお受けすることになりました。

先生からの提案とは別に、須藤先生復帰まで、4人で、支えられる使用料の会場をと、探していました。ちょうど来年1月の新年をもって、新しく会場の手当ができることとなりました。
新人の男性メンバーが、さっさと動いてくださったおかげです。

素読の会は、4月から3月の1年の会期の講座で、参加者の希望で、1年ずつ更新しながらという形式でしたから、本来は、3月まで、素読の会付属のはじめの一歩としての、責任が続くはずです。

早々と、きょうを「独立記念日」とするのは、良く無いのですが、もうすっかりその気分になってしまいました。

それは、素読の会と須藤先生との良いご縁を結んだままで、送りだしていただけたということで、単純に素直に心から喜んでいます。
須藤先生の講座が復活なさる時に、練習日が重ならないように、第二木曜日へと変更したのもメンバーの賛同と協力のおかげです。

(尚、11月、12月は、すでに会場予約をしており、キャンセルはできないので、第三木曜日に行います。)

物事の変化、独立などという大きな変革は、なかなかスムーズには行われないものですが、こんなに、いいかたちで、行われるとは、なんて幸せなことかと、喜びをかみしめました。

母体の講座が都合でお休みになっても、詩吟だけは続けてくださいという熱心なメンバーのおかげで、細々と続けられました。人数が減っていく中、新規参加をなさる方もいて、先生の復帰を心待ちにしていました。

先生の体調が戻るのを待つべきなのか、悩むところでしたが、ご縁がなくなるわけではないので、発展的解消と考えて、独立の提案をお受けしました。
これを機に、メンバーの思いも知ることができ、先への望みが膨らみます。
須藤先生も、きっと、寂しがりながら、喜んでくださっていると思います。

ひとえに須藤先生のおかげです。本当にありがとうございます。これからも、ご縁が末永く続きますことを心から願っています。

良き区切りで、「初めの一歩」が、新しく生まれます。


どうかよろしくお願いいたします。

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告知「長恨歌の世界へどうぞ」

2020年10月14日 | 論語と
  告知
「長恨歌の世界へどうぞ」第三回目について

今年度内の「長恨歌の世界へどうぞ」第三回(最終回)は、延期となりました。
世情が落ち着いたら、完結編を実施いたします。
最終回の実施が決まりましたら、速やかにお知らせいたします。
それまで、どうかお待ちくださるようお願いいたします。   
漢文学窓『里仁』 素読を楽しむ会 須藤明実


三回シリーズの「長恨歌の世界へどうぞ」は、1月2月と順調に進みましたが、コロナ発生のため3月は、会場の使用禁止という憂き目にあい、最終回の第三回は、7月に延期されました。
その、7月実施も見送りとなり、その後の開催について、多くのみなさんが心待ちにしています。須藤先生のもとには、期待に満ちたメールやことばが届いていたそうです。

生徒のみなさんの期待には、全面的に添ってきた須藤先生です。
今まで、その期待を裏切ること無く、期待以上の学びを下さっていました。
それがたとえ、コロナであろうと、自分のことはさておき開催したいと強く願っていらっしゃいます。

7月の予定を延期した時も、断腸の思いだったはずです。

そして、また、11月に延期したものの、最終決定の期限が迫りました。
どう考えても、たくさんの人が集まることには、大きな予測不可能の危険が、あります。

先生の、電話のお声は、元気そうです。相手がいる時と、素の自分に戻られたときの、ギャップは、かなりのものと、伺っています。
今日の声の元気さを考えると、十分に対応できるようになって来ているとは、感じます。
お元気になれば、余計に、一刻も早く、最後の締めをしたいのは人情。
しかし、ご自身の体、ご家族のこと、そして、会場などの先生ご自身に付随する外の問題は、どれも無理は禁物です。

残念で、残念で、残念でたまらないことでしょうが、「11月及び今年度の開催は、致しません。」と、断腸の思いで、明言されました。

心中お察し申し上げます。

私の担当の、幾人かの方には、その獅イ案内をいたします。

オリンピックが無事開催される頃には、講演会、発表会なども、平気で行えるようになるはずです。
それまで、小休止をして、心身を落ち着かせて、さらに、英気を養っていてくださいませ。


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風を切る

2020年10月13日 | 徒然に日々のことを
自転車って、こんなに気持ちの良いものだった?

今日の気温は、23度 薄曇り 

勢いよく漕ぎだして、あっ まずい!  サドルが高すぎる。

この高さにサドルがあると、ペダルの踏み込みが良くて、同じ自転車でもよく走る。

車に気を付けながら、東へ向けて、構わず走る。

あ~、きもちいいなぁ~。



帽子も、眼鏡も、マスクもきにならない。

風を切るって、こんな感じだったね。


自転車に乗るのは、三日ぶりだけれど、いつものサドルの位置は、両足裏が地面にぺったりとつく。超が付くほどの安全な位置に下げてある。

心身が重いときは、安全第一、ここ三年位この位置に下げて乗っていました。
これは、もしかの時の安全位置だから、早く走るには向いていない、どちらかというと膝に負担がかかっていたかもしれないが、ギアを一番下にしているから、それほどの負担はなく走っていたのかな?

それなのに、今日は、片足のつま先がやっと着くくらいの、危ない位置も、なんのその。
心身が軽いってことね。

抜け出たなぁ。

足にも力が十分に入っているから、二番目のギアでも、いつもの坂道を普通に登っていける。
あぁ、最高。

この坂、短いのだけれど、急で、先が細くなっているのに、すれ違いが結構あるので、最近では、自転車を降りて押し歩きをしようかなとさえ思い始めたほど。

それを、二番目ギアのままで、スイッと。

応ええられない、嬉しさ。

サドルを下ろし忘れた夫に、グッジョブ。


ただし、帰宅後は、さすがに、片足がペタリとつく位置まで、下げました。

安全第一。自転車の転唐ヘ、こわい、こわい。いまどきの骨折は、命取りですから。
ちょっとしたおば(ぁ)さんの冒険でした。

イラストは、フリー素材をお借りしました。
二枚目のイラストの題名は、「シニア」とありました。




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薔薇

2020年10月13日 | こたろう
「4本活け? ないない」と、即座に却下された、花をこよなく愛する娘から。

「あ、でも、我が家は、4人だものね。」「あり、あり」

そうそう、4人をイメージして活けたことに先に気づくなんて、さすが我が娘なり。
朝のすっきり気分で喜ぶ娘の気持ちを忖度して、別の4人を思っていたとは、言わなかった。

「おかげで元気出たわ、いってきまーす。」

一日遅れのマンデイコールの顛末でした。
娘の家族への思いを、また、知ることとなって、《寂しいこの頃》なんて言ったことを、取り消したい。

母娘の思いは、伝わったね。


1週間たっても、まっすぐに首をもたげて立っているバラの花の話から。

切花のお世話が上手になったのかと、思ったら、違ってたのよ。

産直の花キューピットさんを選んだ送り主のお気持ちが、嬉しく手ね。
「せっかくの薔薇が、あ~ぁ」にならないで、毎日毎日、喜んで朝が迎えられているよ。

さっきまで、土につながっていたバラの花が、家に届いたのね。うんうん、そうだね。




8本に込められたメッセージもなかなかです。


送り主さんが「バラ」「本数」で検索してくれてました。


  1本 :一目惚れ、あなただけ。
  2本 :この世界は自分とあなただけだ。
  3本 :告白、愛しています。
  4本 :死ぬまで気持ちは変わらない。
  5本 :あなたに出会えて心から嬉しい。

  8本のバラ: あなたの思いやり、励ましに感謝します


オレンジの薔薇の花ことばは: 「絆」「信頼」


胸いっぱいです。




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五似ん会

2020年10月11日 | 詩吟
学生吟同期五人組からなる「五似ん会」=仲良く活動をしているが、似て非なる五人組=

生活が一段落して、自分たちの楽しみを追いかけられるようになった還暦に始まったお楽しみの会は、東日本大震災の年を除いて、毎年続いています。

今年は、思いっきり贅沢に「観光列車の旅を!」なんて言っていたのに、コロナの影響で、旅はなくなり、食事会に縮小されました。

それで、近周り四人は、問題なく集まれることになったのですが、関東から関西へと長距離移動の私に、問題が持ち上がりました。

”Go to Travel” ”Go to Eat" の恩恵に東京もあずかれるようになったのに、今までは、何でも、特に詩吟関係は”All OK!”だった我が夫の反対に会っています。

たとえ検査をして陰性となったとしても、公共機関の長旅では、何があるかわからない。
命にかかわることだから、まかりならぬと。うん、私も頭ではわかるし、誰かに相談されたら、そう答える。ちょっと、抵抗して見たということか。

はぁ~~ 来年には、ワクチン、治療薬も開発されるだろうことを期待して、《私だけ》欠席するしかない。
予約の締め切りが迫ったので、泣きの涙で、欠席届け。

感染リスクの少ない広い自然を相手に生活している幹事の彼女には、理解しがたいことかもしれません。私だけ、関東にとびでてしまったからなぁ・・・

よくわからないまま、私のもろもろの思いだけは、分かってくれたようです。
来年を、楽しみに待ってます。

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夏井先生

2020年10月11日 | 徒然に日々のことを
触発されて?一句

よほど感動しなければ、詩作などできない私が、10年いや、もう20年前になるだろうか、俳句を作ったことがある。

娘二人がまだ家にいて、炬燵に三人。
娘の一人は、こたつに入ると、寝てしまう。
起こしても起きないので、しょうがないねぇともう一人の娘と二人で頂き物の最中を食べることに。
その最中は、餡と皮が別に包装されていて、食べる時に合わせて食べるのです。その皮のパリパリの感触と音が何とも言えない銘菓です。

寝坊助で、食いしん坊の娘の思った通りの反応に、大笑いし、まだ寝ぼけたままで、「食べる」と言った時のこと。それぞれの娘の笑顔を思いだします。鰍ッ値なしの幸せ


そして、二日前。二人とも嫁いで、家にはいない一抹の寂しさを感じるようになって久しい今日この頃。
娘の嫁ぎ先から、毎年、今の時期、採れたての魚沼産コシヒカリの新米が届きます。
「特選米ではないですが、混じりけのない新米です」と、いつも控えめな一筆が入っています。
それを、ほんのちょっぴり、おすそわけしたときの友人の心から喜びを目にして、一句。
今年が初めてではないのに、今年に限って、一句が出るほどに、心が動いたのは、夏井先生の俳句ブームのせいでしょうか。それとも・・・

どちらも食べ物が、題材です、、、私って、花より団子なんだなぁ。


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栗の渋皮煮

2020年10月11日 | 徒然に日々のことを
昨日の、栗の渋皮煮を別のお皿に、盛り合わせてみました。

昨日は、娘のお土産の播州方面の窯で焼いたお皿。出かけても、ほとんどお土産を持ってこない娘のャ潟Vーは、「お土産のためのお土産は、買わない」
ですから、両親の趣味、生活観を考えて、選んでくれたはず。

そのお皿が、渋皮の色と同系色だから、どうかしら?と思いつつ盛ってみました。
甘露の照りが、映えました。


今日は、その次に、大事にしているお皿に盛ってみた写真をご覧あれ。


肉眼で見た時と、写真にしたときと、ちょっと感じが変わって見えます。どちらがよい?


もっと、栗の渋皮の色を引き立たせる色は、ないの?
我が家には、残念、これだけ。

心を込めて、丁寧に料理してくださった贈り物を、嬉しく美味しく頂きました。

そんなことなど、露ほど知ろうともしない夫は、「うまい!」とだけ放ち、満面の笑み。
それで、いいのよね。

ちょっと、こざかしく感謝の思いを表現して見ました。うふふ、、、


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楽器には、何が詰まってる?

2020年10月10日 | 詩吟
声が出るようになったけれど、半年間のブランクは、どのくらいのものか、確かめるのが、恐ろしい。

以前と違って、声とか吟詠とかを半ば拒否した時を過ごしたから、「熟成」は、有り得ない、むしろ、完全停止。「熟成」の可能性も、自分で閉ざしてしまった。

今から、10月25日までに、どれだけの練習ができるのか?出来る気がしない。


楽器の準備はこんなに整ったのだから、あとは、私が、どう心をコントロールするか。
こんな時、声を出すしかないのだけれど、その一歩を、出し兼ねている。
心のない楽器か・・・・・

何が足りないかというと、アレだ。うん、アレ。

だから、言葉が直球過ぎた。
直球を投げると、倍になって跳ね返ってくる。

最近助言を下さるようになった人生の先輩の言葉を頼りに、直球表現を避け、ソフト&エレガントになりたいなぁ。

        先生は、生徒に育てられる!


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