風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

サイボーグ萬斎

2020年10月20日 | 体を整える
そうだわ、始発だから終点までだから、必ず座って本が読める。何か本を、、、と思って、履いた靴を脱いでまで、取りに行き、瞬間に選んだ本。「野村萬斎 狂言サイボーグ」

文字にできない、言葉にすらできなかった思いを、そこにみつけた!
そして、大間違いにも気が付いた。

去年のあの私の選択は、まったく、私の根っこをそのまま表していたなぁ。けれど、正しく伝えることができなくて、敢え無く撃沈したっけね。
あれは、あの結果しかなかった。

萬斎さんは、言う。
師匠のコピーをして「型を覚える狂言のためには、師匠の真似をする才能が欲しい。

師匠が示す「型」の本質・特徴をいち早くつかみ、自分の体に転換する能力、イメージでとらえることも重要である。

しかし、骨格の違う弟子が師匠の「カマエ」をそっくりそのまま写せたとして、師匠と弟子の腕の長さが違えば、その角度をそのまま写しても、あてはまらない。

師匠と同じ感覚を持っていることも、重要である。
家の子は、師の「血」の半分をもらっている。外から入った弟子は、その感覚を埋めるためにも師と寝食を共にする修業の時が必要なのである。


こうして、型ができたとしよう。その型には、何を入れたらよい?

そのためには、何が必要?次々と、萬斎さんは、惜しげもなく、伝えてくれる。
能楽の「型」はレンズだという。レンズが良ければ、その影は、より大きく投影される。そしてその影に色を付けるのは、観客の特権だと。

押しつけがましい表現というのは、萬斎が出席したワークショップで、フランスのマイムを教えるマルソーが、言ったそうだ。「演技が不経済だ」と。その意味は?
マルソーの示したお手本は、とてもシンプルだったと。それは、まさしく能楽の「型」であったと。

無限の想像力を育てるレンズの役割をする「型」とは、何だろう?
       『野村萬斎 狂言サイボーグ』は宝箱!

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