
先生に体操を教えてもらうのだけれど、先生のちょっとした手の支えや、一言で、理想的な形で、体操を行えるのですが、いざ、家に帰ると、すっかり、肝心のャCントを忘れてしまっています。
それでも、見よう見まねで、当たらずとも遠からずのャCント外れの体操でも、やらないよりはやった方が、良いのです。
そこを意識する。そして、何らかの動きを与える。というのが、良いのかなぁと勝手に解釈する。
今日の施術で、ことのほか、胸が開き、腰の支えができました。
そして、ひざ裏が、ほんの少し伸びただけで、足の運びが良くなり、片足立ちの安定がぐっと良くなるのです。
「整体」へと、一歩一歩近づいています。
明後日のこともあるので、この、調整された体で、練習をすればさぞやと、カラオケへ。
先日の資料と音源をもって、復習。そして、明後日の吟題「母を奉じて嵐山に遊ぶ」の練習です。
正しい口の開け方は、意識しているのは、発声練習の時だけだったのかと思うほど、明らかに違う声が出ました。(自分尺度、なにしろ、聞いている人が居ないものだから)
出だしの最初の音が、クリアに出るようになり、それを意識して発声すると、お臍の下から声が始まっているのを感じます。
そして、音源からも、どのように体を使っているかが、想像されて、その声を生で聞いたときのことをより強く思いだされて、声が前にでる。
一つ一つを、肝に銘じて、確実にクリアしながら、明後日の独吟ができるだろうか。
あがると、すっかり忘れて、まるっきり撃フない吟詠になってしまうからなぁ。。。
こんな練習をすると、ただ漫然と、吟じてきたことが、わかりました。
何も足さない、何も引かないというフレーズは、卒業か。
「相手に届く声」と生意気に言いながら、ちっとも届く声を出せてなかったなぁ。
これで、今までよりももっと届く声が出るようになっただろうねぇ。