最近、時事ネタに 興味があって、そちらばかりに目がいっていたので、今日は 創価学会についておもうこと ユウジンさんのblogを読んで感じたことを 書いてみます。ユウジンさん 勝手に引用お許し下さい。
初めに創価学会を考える 掲示板の話題から 以下 青字はユウジンさんblog引用 黒字はfree
「創価学会とマインドコントロール」
創価学会に入会するか否かについて悩んでいる方がいます。
その方について、私は生活にせっぱつまっているときは入会すべきではないと思い、そのようなことを書き込みましたが、その後でいろいろ考えました。
freeも、気持ちが揺れているとき、自信がないとき、訳解らずに入会すべきではないと思います。後から こんなはずではなかったと思うときが来ると考えます。
「創価学会を考える」では 活動は強要される、強要されないでも 意見が分かれました。私は強要されるという意見です。本部からの 数の打ち出しは 必ずあります。例えば、選挙では1000万票取れるように、聖教新聞、折伏は世帯数によって 決められます。役職が上にいくほど「自分はできません」ではすまなくなるのです。強要ではないという方は すすんで数をこなしている方か、上の幹部が 仲間が助けているのでしょう。
中略
わたしや、さまざまな立場の人が、自分の経験に照らし合わせて、相談者に こうするのがベターだと思う意見を言うことを、特定の思想へと導くマインドコントールをかけようとしているのと同じだ とする意見があります。
中略
マインドコントロール(MC)とは、直訳すれば、心の操作ですが、現在もっと深い意味をもって使われているようです。私は、下のURLが参考になりました。
西田公昭講演『マインドコントロールとは何か』
http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/nisida.htm
私は、MCとは、「ひとの考え方を自分に都合よく悪意をもって(かつ悪意をさとられずに)操作すること」だと思います。人の心は大変繊細な側面があると思います。その繊細さを利用して、特定の考え方からそれる道を封鎖しながら、人の心を誘導していくことだと、思います。そして、それによってコントロールしている人が利益を得るのです。
具体的には、例えば、①時間をかけて考える猶予を与えない ②コントロールする側に不都合な情報を制限する ③アメ(安堵感)とムチ(恐怖)を使う などです。(アメとはつまり、平穏に日々生活できるような環境であったり、周囲の絶賛により得られる満足感だったりします。ムチとは、その思想から離れると生じるなんらかの不利益であったり、思想そのものに「この思想から離れると地獄におちる」といった内容を含んでいる場合です。)
中略
わたしがいろいろとブログで主張をすることは、読者を、多かれ少なかれ、自分の思想へと誘導している行為になるのかもしれません。
しかし、私もふくめ多くのブログの執筆者や、掲示板でアドバイスをするひとは、すぐに結論をだせとはいいません。文章を読んだひとが、じっくりと考えてくれればと思います。そして、たくさんブログ・WEBサイト・その他の書物に読み、できる限り多くの情報に触れてほしいと思います。私のブログ、意見もその中の一つになれればそれで十分です。
略
MCの定義は とても難しいですけれど、私は もし相談者が 創価学会に入会することを決意しても 無理に引き留めることはしないでしょう。ただ、私が 書いたことが現実になったときに、freeの言ったことは本当だったと信頼して また 相談してくれることを願っています。それは コントロールとは違うと思います。自分が望む方向ではなくても 意志決定は相手に任せているからです。
創価学会に関わった人達は 意見を言うときに この意見は 相手をコントロールすると受け取られるのではないか?と考えてしまいます。信者さんに対しても、誠実に、優しくあろうと心がけています。しかし、やはり間違っていることは間違っていると、自分が正しいと思うことは毅然として 正しいと主張する強さも 兼ね備えなければならないと、自戒しています。
創価学会についておもうこと は ユウジンさんの 平等であろう、優しくあろう、人として正しくあろうという気持ちが あふれてくるような blogです。
しかし alcさんはいつまで トラックバック機能を準備中なのだろう??
初めに創価学会を考える 掲示板の話題から 以下 青字はユウジンさんblog引用 黒字はfree
「創価学会とマインドコントロール」
創価学会に入会するか否かについて悩んでいる方がいます。
その方について、私は生活にせっぱつまっているときは入会すべきではないと思い、そのようなことを書き込みましたが、その後でいろいろ考えました。
freeも、気持ちが揺れているとき、自信がないとき、訳解らずに入会すべきではないと思います。後から こんなはずではなかったと思うときが来ると考えます。
「創価学会を考える」では 活動は強要される、強要されないでも 意見が分かれました。私は強要されるという意見です。本部からの 数の打ち出しは 必ずあります。例えば、選挙では1000万票取れるように、聖教新聞、折伏は世帯数によって 決められます。役職が上にいくほど「自分はできません」ではすまなくなるのです。強要ではないという方は すすんで数をこなしている方か、上の幹部が 仲間が助けているのでしょう。
中略
わたしや、さまざまな立場の人が、自分の経験に照らし合わせて、相談者に こうするのがベターだと思う意見を言うことを、特定の思想へと導くマインドコントールをかけようとしているのと同じだ とする意見があります。
中略
マインドコントロール(MC)とは、直訳すれば、心の操作ですが、現在もっと深い意味をもって使われているようです。私は、下のURLが参考になりました。
西田公昭講演『マインドコントロールとは何か』
http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/nisida.htm
私は、MCとは、「ひとの考え方を自分に都合よく悪意をもって(かつ悪意をさとられずに)操作すること」だと思います。人の心は大変繊細な側面があると思います。その繊細さを利用して、特定の考え方からそれる道を封鎖しながら、人の心を誘導していくことだと、思います。そして、それによってコントロールしている人が利益を得るのです。
具体的には、例えば、①時間をかけて考える猶予を与えない ②コントロールする側に不都合な情報を制限する ③アメ(安堵感)とムチ(恐怖)を使う などです。(アメとはつまり、平穏に日々生活できるような環境であったり、周囲の絶賛により得られる満足感だったりします。ムチとは、その思想から離れると生じるなんらかの不利益であったり、思想そのものに「この思想から離れると地獄におちる」といった内容を含んでいる場合です。)
中略
わたしがいろいろとブログで主張をすることは、読者を、多かれ少なかれ、自分の思想へと誘導している行為になるのかもしれません。
しかし、私もふくめ多くのブログの執筆者や、掲示板でアドバイスをするひとは、すぐに結論をだせとはいいません。文章を読んだひとが、じっくりと考えてくれればと思います。そして、たくさんブログ・WEBサイト・その他の書物に読み、できる限り多くの情報に触れてほしいと思います。私のブログ、意見もその中の一つになれればそれで十分です。
略
MCの定義は とても難しいですけれど、私は もし相談者が 創価学会に入会することを決意しても 無理に引き留めることはしないでしょう。ただ、私が 書いたことが現実になったときに、freeの言ったことは本当だったと信頼して また 相談してくれることを願っています。それは コントロールとは違うと思います。自分が望む方向ではなくても 意志決定は相手に任せているからです。
創価学会に関わった人達は 意見を言うときに この意見は 相手をコントロールすると受け取られるのではないか?と考えてしまいます。信者さんに対しても、誠実に、優しくあろうと心がけています。しかし、やはり間違っていることは間違っていると、自分が正しいと思うことは毅然として 正しいと主張する強さも 兼ね備えなければならないと、自戒しています。
創価学会についておもうこと は ユウジンさんの 平等であろう、優しくあろう、人として正しくあろうという気持ちが あふれてくるような blogです。
しかし alcさんはいつまで トラックバック機能を準備中なのだろう??
マインドコントロールの恐怖
下記のリンク参照してください。
なかなか鋭いです。
http://blog.goo.ne.jp/goobiechan/e/835519f7785bf8a28828b91961b06f12
マインドコントロールの恐怖
下記のリンク参照してください。
なかなか鋭いです。
よろしくお願いします!!
今 「日暮らし」を読んでいます。もう 読み終わったけれど、もう一度は 読み直したいです。
愚痴は言って下さいね。一緒に考えましょう。鬼嫁軍団も きっと協力してくれるでしょう。namikoさんが 心のこりをほぐすことが 一番大事です。
私はそこの長男の嫁で
今年2歳になったばかりの息子は
無条件で4代目学会員として
活躍??させられています。
学会の活動内容には疑問点が沢山あり
私としても離婚?!という事まで
考えた事があります。
こういったブログを見つける事が出来
あらためて学会というものを
見つめなおす事ができました。
華さんの所で よくお見かけしております。華さんのところでは、ちょっぴり 創価瓦解さんのお人柄が伺えて 親近感があります。
宜しくお願い致します。
創価の信者さんは 感情の起伏が激しく、被害者意識甚大で そして 周りから距離を置かれてしまう。愛し合っているはずの、家族や恋人にさえ。「おかしい」事に気がついても 治すことが出来ない葛藤。
何とかならないものかと 思います。
様々なブログでfreeさんのコメントを読んでいます。
昨年「バカの壁」が大ベストセラーになりました。
確かに面白い本だと思いましたが、何百万部も売れるほどの内容かなあという思いがしていました。
しかし創価学会員の発言・行動を「バカの壁」とつき合わせてみると、なんとなく大ベストセラーになるのもわかるような気がします。
オレオレ詐欺や架空請求書も創価学会のMCと共通するものがあり、我々がそういう胡散臭いものにちゃんとした説明がほしかったからじゃないかと思います。
もっとも、余りにも売れすぎて話題に上ることも多く、中にはなんでもかんでも「バカの壁」の視点で捉えようとする傾向までありました。
そういう人は「『バカの壁』の壁」を自ら築いていることに気がついてないんでしょう。
ところで、名誉会長への無条件の礼賛と神格化を北朝鮮の将軍様礼賛になぞらえると、学会員は烈火のごとく怒りますが、これなどMCの典型だと思います。
北朝鮮の場合は言論・思想統制社会なので将軍様礼賛をしないと命にかかわるのですが、日本ではそういう統制はないにもかかわらず学会員が名誉会長礼賛をするのは、ある意味では北朝鮮人民よりひどいMCを受けていると言えるでしょう。
困ったものです。
それは、乳ガンでなくなった女子部の方の 焼香の帰りだったと思います。
脱会を決意したときは しばらくやはり 罰が怖かったです。今はもう、平気ですけれど。
創価学会は 人の死を 軽く扱う宗教です。おかしいと気づいた私は、普通に育ったお陰だと思っております。
信じる者は、あらかじめ避ける(回避する)つもりで行動しますから、楽しくも嬉しくもありません。
最近は、罰や地獄を信じない人が増えてきましたから、そういう人には、実際に何らかの嫌がらせをしたり、裏切り者や敵対者がどんなひどい目に遭っているかを話したりして、周囲の者に恐怖を与えます。
怖いのはこのような否定的な、感情に関する条件付け(情動条件付け)は、勉強のような知識の学習と違って、そう簡単には消えないことです。しかも何回も思い出されて、その度に恐怖心が蘇ってしまいます。
「祈れば願いが叶う」という肯定的な話を聞けば、信じていれば「感情が落ち着き、勇気が湧く」という反応をする人が多いですね(当たり前だと言われそうですが)。