曾野綾子が 藤原弘達氏の『創価学会を斬る』の言論出版妨害事件に対して 昭和43年に 以下の文章を発表した。
「ジュゲムジュゲム」
「ついこの間まで、私の立っているささやかな立場からかなり暮らしいい、明るい国だと感じていたが、最近そうでもないある事件にぶつかった。私はその内容をここにコトコマカに書きたいのだが、それができないのである。それは、現代の日本に言論の統制があるということだ。
かりにここに一冊の本があるとする。私はその本を信じているわけではない。しかしその本が、あるグループにとって具合いの悪いことがといろことになると、その本は広告も、配本もさまさまな形で拒否されるといわれ、そのことについて、がりに私が真相を知りたいと書こうとしただけで、その原稿にさえも、どこからともなく圧力がかかるということである。
私はもう、大変ビックリしているのである。これは戦争中のあの暗い時代に体験したことと、似てきはじめた。そしてもし、これがどんどん続いていくなら、日本は再び不思議なことになるだろう。(中略)
この文章を見て、何が何だかわからぬ、というかたもあろうが、私の責任ではない。(中略)
私はわかるように書けないのである。わかるように書いたら、その文章は日の目を見ないからだ。これは歯に衣を着せた文章の典型である。」
昭和43(1968)年12月15日 『東京新聞』夕刊コラム『放射線』
注) 一番簡潔にまとめられているので 言論出版妨害事件 日本共産党
創価学会系の出版物に 曾野綾子氏がたびたび 載せているのは 不可解な感想を持っていた。「曾野綾子ともあろう者が」と。
今回 曾野綾子の本を 数冊読む機会があって、こんな文章を もしも創価系書物で 発表しているのなら 創価盲信信者さんへの 緩和剤の役目を担っているかもと一人 ほくそ笑んでしまった。曾野綾子氏の「ジュゲムジュゲム」は 今も存在しているし、唯一残された ネットというツールで 批判活動をしている私たちも 「ネット規制」「人権擁護法」という形で 口を封じられる危険は 迫っていると感じる。
『自分をまげない 勇気と信念のことば』より
他人の価値観を鵜呑みにして
どうしておもしろい人生を送れるだろう
人と同じことを言っていて
どうして尊敬を得ることができるだろう
68.「ほどほどの悪」の自覚がある人が信用できる
少し悪いことをしたという自覚のある人の方が、自然で、温かくて、人間的にふくよかなような気がする。私は決して悪いことはしません、と宣言できるような厳密な人はおっかなくて、どういう態度で接したらいいのか見当がつかない。
70.正義の名を借りて、私怨を晴らす人々とは
しかし、正義という名を借りて、どれほどの人が私怨を晴らしているか解らないくらいです。もちろん晴らしていても一向に構わないのですが、 そのことを薄々わかってやっているのでないと、困るのですね。
むしろほんとうの正義というものは、自分がそのために損をしたり、傷ついたり、ひどい時には命の危険に陥れられることまであるということを納得してすることであって、正義の遂行によって、俗世で得をしたり、名声を得たりすることとは、多くの場合ほとんど一致していません。
76.本当の平和主義者は、闘いに参加する覚悟を持つ
本当に心から日本国土の平和を望むという人は、いざ外敵が入って来たなら、自らも戦い子供も戦いに参加させる覚悟を持つ人だけである。税金さえ払っておけば、自衛隊の人がやってくれるでしょう。自衛隊に入るのは、そういう戦争の好きな人なのだからまかせておけばいいじゃありませんか、と言う婦人に会ったことがあるが、これも女の身勝手をよくあらわした理論なのである。
「ジュゲムジュゲム」
「ついこの間まで、私の立っているささやかな立場からかなり暮らしいい、明るい国だと感じていたが、最近そうでもないある事件にぶつかった。私はその内容をここにコトコマカに書きたいのだが、それができないのである。それは、現代の日本に言論の統制があるということだ。
かりにここに一冊の本があるとする。私はその本を信じているわけではない。しかしその本が、あるグループにとって具合いの悪いことがといろことになると、その本は広告も、配本もさまさまな形で拒否されるといわれ、そのことについて、がりに私が真相を知りたいと書こうとしただけで、その原稿にさえも、どこからともなく圧力がかかるということである。
私はもう、大変ビックリしているのである。これは戦争中のあの暗い時代に体験したことと、似てきはじめた。そしてもし、これがどんどん続いていくなら、日本は再び不思議なことになるだろう。(中略)
この文章を見て、何が何だかわからぬ、というかたもあろうが、私の責任ではない。(中略)
私はわかるように書けないのである。わかるように書いたら、その文章は日の目を見ないからだ。これは歯に衣を着せた文章の典型である。」
昭和43(1968)年12月15日 『東京新聞』夕刊コラム『放射線』
注) 一番簡潔にまとめられているので 言論出版妨害事件 日本共産党
創価学会系の出版物に 曾野綾子氏がたびたび 載せているのは 不可解な感想を持っていた。「曾野綾子ともあろう者が」と。
今回 曾野綾子の本を 数冊読む機会があって、こんな文章を もしも創価系書物で 発表しているのなら 創価盲信信者さんへの 緩和剤の役目を担っているかもと一人 ほくそ笑んでしまった。曾野綾子氏の「ジュゲムジュゲム」は 今も存在しているし、唯一残された ネットというツールで 批判活動をしている私たちも 「ネット規制」「人権擁護法」という形で 口を封じられる危険は 迫っていると感じる。
『自分をまげない 勇気と信念のことば』より
他人の価値観を鵜呑みにして
どうしておもしろい人生を送れるだろう
人と同じことを言っていて
どうして尊敬を得ることができるだろう
68.「ほどほどの悪」の自覚がある人が信用できる
少し悪いことをしたという自覚のある人の方が、自然で、温かくて、人間的にふくよかなような気がする。私は決して悪いことはしません、と宣言できるような厳密な人はおっかなくて、どういう態度で接したらいいのか見当がつかない。
70.正義の名を借りて、私怨を晴らす人々とは
しかし、正義という名を借りて、どれほどの人が私怨を晴らしているか解らないくらいです。もちろん晴らしていても一向に構わないのですが、 そのことを薄々わかってやっているのでないと、困るのですね。
むしろほんとうの正義というものは、自分がそのために損をしたり、傷ついたり、ひどい時には命の危険に陥れられることまであるということを納得してすることであって、正義の遂行によって、俗世で得をしたり、名声を得たりすることとは、多くの場合ほとんど一致していません。
76.本当の平和主義者は、闘いに参加する覚悟を持つ
本当に心から日本国土の平和を望むという人は、いざ外敵が入って来たなら、自らも戦い子供も戦いに参加させる覚悟を持つ人だけである。税金さえ払っておけば、自衛隊の人がやってくれるでしょう。自衛隊に入るのは、そういう戦争の好きな人なのだからまかせておけばいいじゃありませんか、と言う婦人に会ったことがあるが、これも女の身勝手をよくあらわした理論なのである。
「善人はなぜまわりのひとを不幸にするのか」も読み応えあります。
自分は善人であるということにあぐらを書いている人ほど、まわりに迷惑をかけていることに気がつかずに逆にまわりを不幸にするという事実。
自分の中の悪の部分に目を向け認めた時、謙虚になり、相手の心も読め、用心も出来る、ということ。
実は世の中には全くの悪人もいなければ、全くの善人もいないということ。
どちらも極端であれば迷惑をかけるものだ、ということ。
社会と人間に対して不信を持つ勇気がない、オールオアナッシングという幼児性。
などなど、
人の血の流れる事、人の痛みについて、その中で行く抜いてゆく事の綺麗事じゃないことをばっさりと書いてますね。
戦争の現場をみてきたクリスチャンだなと思います。
節操を守るって本当に難しい。学会は、いや、太作さんはカトリック教会を籠絡してノーベル平和賞をゲットすべく、懸命に戦っております。曽野女史の一人息子太郎さんの勤務先、南山大学の先生がたはあろうことかあらかた籠絡されてしもうた。曽野女史がこのことに何かかかわりをお持ちでないことを祈っております。『池田大作言行録』をはじめ、太作さんがカトリック教会を侮辱した発言は多々世に伝わっているのに、これじゃ2000年の「老舗」の名が泣きますよ。
曽野綾子さん お名前くらいしか知らずで・・・(ハズイ
紹介されている文、至極真っ当 イチローのレーザー・ビーム
自称良識派なる方々に刷り込んでやりたい位、禿同。
悪なる例えの岸辺は、存在のみを非難しても現実面で対処出来ない。
深みを知ることによってのみ対抗可能である事を「気のイイ人達」は知るべきですね。 銃を忌み嫌うのみでは相手が行使した時蜂の巣になるのみ、騙すのは悪いなんて観念のみではオレオレの天下。
生きにくい多様社会で必要なのは知識であり、悪意の行使への対抗策は知る領域の拡大だろうと思います。
前にfreeさんが「数独」(ナンプレ)は頭の柔軟に良さそうと云ってくれましたが、まだ私にはその効用は具現化してないようです^^;。 元より松の根っこのようにヒネくれている私にはモノを斜めから見たり、裏から透かしてみたりと正攻法を嫌がる性格ですから・・・。 そんな裏を読むような方策の会得には適当かもしれません(とはいえ、解く方法は演繹法であり、既に世に出回ってますが)
ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレカイジャリスイギョノウンライマーツフウライマーツクウネルネルトコロニマツトコロ・・・・長久命の長介。
最長の名 ですが小っこい頃に憶えたのが、今思い出す度に、齢を重ねる度に名が短くなっていきます。シナプスは減少し継ぎ手は相手を求め、記憶の引き出しには鍵がかかり、しかも行方不明。 オロローン(泣・・
サイト・プログ 潰す暇あれば、なんぞ そのエネルギー他に向ければいいのに。
もう一回、地域振興券なんざ、発行して、ネットでアンケ-ト採ってみろ!生の声の重要性がわかるとおもうよ。○明党さん!
しかし、ネット規制が気にな。もう始まっているんですよね。基本的人権守る為、色々な法律作って、くっつけるから、ややこしくなる。
「ネットの上の言論は程度が低くて悪口ばかり、名無しのゴンベさんばかり、人権なんてありゃしない。
特に、学会の事悪く言う奴は、トンでもない奴だ。」
とスーツをビッシと着込んだ公明党の偉い先生は、本音を言わないが。おっ!!来客だ。また、続きいれます。
そうなると、ジュゲムの世界ですよね。絶えず、見られている、聞かれていると意識しながら、心の中で言葉に制約つけながら、自己検閲しながらコメントする。
しようと思わなくなりますよね。せっかくハンドルネームが人格を持ち始め、ネット独自の固有の価値を、形成しつつあるのに。このままではネットは商業主義のツールのみの媒体になるのでは。
願わくば、多種多数ある学会批判サイトが、学会に対する、認識、見解が一定の文脈に統合され、その文脈が共有され、共有された見解・認識が大きなウネリになり、学会批判の大きな力になる。・・・なんて願ってたのに。
こうなりゃ、投票行動呼びかけて、まともな議員送り込み、新しい法律作らなきゃ。と、思う。
で、freeさんが、アメリカのサバーです。って言ったら、どうなるのだろう?ちょっと興味ありますね。
すいませんfreeさん。言葉が悪くって・・・
曽野綾子さん、たしか日本モーターボート連合会の会長さんだったことしか知識にありません。もうすこし本を読まないといけませんね。
「曽野綾子」ですが、彼女の夫の発言を知り「奥さんも、いい事書いていても、中身は似たようなものだろうな」と思い、そうイメージしていました。だから、この記事の曽野綾子の書いたモノもソレナリに、嫌なモノを感じてしまう私です。
そういう訳で、ブログを見つめる日々なのです。
よろしくおねがいします。
三浦朱門さん発言 調べてみました。
---------------
「拉致問題すら当事者として解決する力のない日本にとって、対米追従以外の選択肢がありえない」「もし戦死者が出れば、それは憲法改正のための尊い犠牲なのだと考えたい」と回答した。暗に戦死を期待した回答であるが、さしたる問題にはならなかった。他にも「強姦出来るくらいでなければ日本男児たる資格無し」etc
---------------
過激ですね! 前後の文章がなく 切り文ですから、早計に判断できませんけれど。
曾野綾子さんは 少々の悪は認めていらっしゃるので 三浦氏の過激発言も認めているのでしょうね。ただ、夫婦だから 考えも似ているというのは ちょっと 違うかも って思います。^^