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先人の活動に感謝

2015年05月12日 22時54分05秒 | 性同一性障害 (GID)
私はもともと男の子の体で生まれましたが、現在は女性として生活しています。私が女性として生きると決めたときは、まだ性同一性障害 (GID) なんてほとんど知られていませんでした。私もGIDのことはまったく知らず、ずっと性別への違和感を抑えながら生きてきました。ある本との出会いをきっかけに、水商売でも芸能人でもない人が性別を変えて生きていると知って、私も望む性で生きていこうと決めました。

女性としての生活を始めてほどなく、ジェンダークリニックに通うようになりました。クリニックを通じて、GID研究会 (現在のGID学会) が年1回開かれていると紹介され、GID研究会に出るようになりました。GID研究会には数年で出席しなくなりました。医学系の研究発表を聞いても私の生活には何も結びつかなかったからです。

GID.jpが立ち上がったのは、私がGID研究会に出て数年経った頃でした。当時はGIDのことがあまり社会に知られておらず、さまざまな運動で社会に訴えていく必要がありました。GID.jpによる活動のおかげで、戸籍の名前もスムーズに変更できるようになりましたし、特例法 (性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律) も制定されました。

かつては、GIDを理由にした改名など考えられず、長年通名を使用したことを根拠として改名するしかありませんでした。改名には、通名として10年以上使用した実績が求められたと聞きます。性別の変更なんてまったく不可能でした。それが可能になったのです。今でも変更要件についてさまざまな議論はありますが、それでもまったく道が閉ざされていた頃と比べれば雲泥の差です。性別を変更しても社会と不整合を起こさないことを実績として少しずつ積み重ねていけば、要件緩和の道も開けるでしょう。

今では、会社や団体によっては、戸籍上の性別と見た目の性別が異なっていても求職者として受け入れ、就職者が望む性で勤務することを認めてくれるほどだと聞きました。

社会が変わった原動力は、GID.jpなどの団体による活動です。それらの団体が活動を始めた当初は、GIDについて今ほど理解がなく、顔や名前を出すことに相当の勇気が必要だったはずです。それでも前面に立って活動してくれた人たちがいます。その人たちが社会を変えてくれました。

しかし、私はずっとそれらの団体と距離を置いています。当事者の団体には全然参加していませんが、その成果にはタダ乗りしています。私は、社会の中で性別の件をオープンにせずに社会に埋没して生きる道を選びました。かつて差別の激しかった時期を知っていますから、顔や名前を出して元の性別を明かすことが怖くて仕方ありません。勇気のない私に代わって表で活動してくれた人たちには申し訳なく感じます。

ときどき、ふとしたことがきっかけで、前面に立ってくれた人たちのことを思います。どれだけ感謝しても足りません。

ここ数年で性別を移行した人たちの中には、今がとても暮らしやすくなっていることに気づかない人が大勢います。不満ばかり並べている人がいます。社会が性別移行者に向ける目は、性別移行者自身の行動によって決まります。性別移行者が社会規範から外れた行動をとれば「やっぱり性別移行者は変な人たちだ」と思われてしまい、偏見が助長されることになります。そのことに気づかない人もいます。

性別移行者は、性別移行者である前にひとりの人間です。社会の一員として、性別を移行しない人たちと同じように、堂々と生きてください。堂々と生きるということは、責任を負うことでもあります。言いたい放題、やりたい放題を押し通すことではありません。

先人が必死の思いで勝ち取ってきた成果に、どうか感謝の気持ちを忘れないで。先人の思いを踏みにじることはしないで。お願いです。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
春よ来いはやく来い (tkhs1732)
2017-02-18 19:40:35
おんもへ出たいと待っている。

女性もいろいろ大変だとおもいますよ。

男の方がシンプルでいいんじゃないですか。

却って女性性高める訓練だと思うしかないですね。

私、男ですけど
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