みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

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小説の映画化

2013年09月29日 23時13分06秒 | 日常のあれこれ
小説が映画化されることが おおいようです。先日よんだ小説も映画化されるようです。ただし、わたしは小説を映画化したものをみに いこうとは おもいません。

去年、映画版の「八日目の蝉」をみて がっかりしました。映画の内容が あまりに うすっぺらくて、しらけてしまいました。もともと小説を映画化したものをみる傾向は ありませんでしたが、あの映画の おかげで完全に みる気が なくなりました。

映画は、上映時間を2時間から せいぜい3時間に収めなければならないため、ストーリーを大幅に省略せざるをえません。

さらに、映画は実写 (または それに ちかいコンピュータ グラフィックス) やアニメで製作することになりますが、ひとつのシーンをうつしだせる時間に かぎりがあります。ひとつのシーンをあまり ながく うつしだしていると現実感が極端に うすれてしまうための制約です。

しかし、ひとが感じる時間の ながさは一定では ありません。実際には ほんの みじかい時間でも非常に ながく感じたり、こころの なかに さまざまな感情や かんがえが わきあがって まるで時間が とまったかのように感じたりすることが あります。特に、明確なイメージをもたない さまざまな感情や かたちに ならない かんがえが いりみだれるとき、ひとは めの まえの光景をみていません。正確には、めには はいっていますが、現実の状況として明確に認識していません。

このような状況を映像で表現しようとしても無理があります。漠然とした感情は明確なイメージがないので映像をつくりにくいのです。対して、小説の場合は ものがたりを もじで つづるため、具体的な映像という しばりが ありません。丁寧な心理描写の連続で おいうちをかけるように たたみかけ、読者の こころに ぐいぐいと わって はいることができます。

一見すると具体性のある映像のほうが視聴者に つよい印象をあたえられそうに おもえますが、実際には具体性が つよいほど表現が あさくなり、逆に抽象性の たかい もじによる表現のほうが ゆたかな世界をえがけるようです。おもしろい現象です。

ただし、ドキュメンタリーは映像の表現力が かなり つよいと感じます。現実の できごとなので、映像で つたえるのが直接的であり、一番ちからづよく うったえられるのでしょう。

※ この記事の本文からは漢字の訓を排除しています。

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