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私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

「ウェルキャンプ西丹沢」での水難事故に思う

2014-08-03 13:28:09 | Weblog

■ 下見で二度訪れたキャンプ場
 8月1日に「ウェルキャンプ西丹沢」で起こったキャンパー3名の死亡事故にひと晩よく眠れないまま朝を迎えた。亡くなったのは41歳の母親、その子供である9歳の女児と7歳の男児である。43歳の父親だけが助かった。15年前にこの下流部での玄倉川での事故も思い出されて心が痛む。
 
「ウェルキャンプ西丹沢」で実際にキャンプをやったことはないが、10年ばかり前、二度ばかり下見にいっている。また、下見とは別に当時おつきあいがあったキャンプ仲間のご家族がここでキャンプ中と聞いて、近くを通りかかったついでに差し入れを持ってキャンプ場に併設された焼きたてパンの店先へ急襲した思い出もある。

 何よりもショックだったのは、今回犠牲になったご家族と似たような年代と家族構成のご一家と昨年11月から一緒にキャンプへいっているからである。
 まして、ウェルキャンプ西丹沢は、「神奈川のキャンプ場がいい」というリクエストもあって彼らの最初のキャンプの候補地のひとつに推薦し、キャンプ場へ電話をかけて予約のシステムも訊いている。

■ 自己責任という名の重み
 このご家族とのデビューのキャンプは、11月という季節だったのでほかのキャンプ場に変更したが、夏場だったらお子さんたちの川遊びができるからとここでのデビューキャンプとなっていたかもしれない。つい先日も、いずれこのファミリーと一緒にいくキャンプ場のリストにも入れて、提案している。

 犠牲となったご家族を批判するのはたやすい。川の中州でキャンプをする愚は報道記事にも多々散見できるが、四輪駆動車専用の「アドベンチャーゾーン」と銘打ってキャンプ場が用意したサイトであれば安全だとの勘違も生まれやすい。それに「四輪駆動車専用」というのは、もはや四駆ブームではないが、四駆乗りの優越感をくすぐるにはじゅうぶんであったろう。当然、彼らには人気のサイトだったろうからここを利用してきた四駆乗りは多数いたにちがいない。

 常識あるキャンパーは、たとえ四輪駆動車でも中州のサイトなどでキャンプをしようとはしない。今回も実際にそうした四駆乗り方々もいただろうと思う。報道によれば、事故当日にこのゾーンに設営していたのは犠牲となったご家族だけだったそうだが、かつてのように四輪ブームの時代だったらどうだっただろうか。

 事故の原因はキャンプ場の側にも、そして当事者たるキャンパーの側にもあった。そもそも危険なアドベンチャーゾーンなどを造り、そこをサイトにしていたキャンプ場の責任は免れない。
 だが、キャンプは最終的にキャンパー個々の自己責任に帰する。大雨と川の増水に対する備えはそのサイトにテントを張ったときからキャンパーが担わなくてはならない。

■ 台風の接近も怖れない愚かさ
 ウェルキャンプ西丹沢はこのアドベンチャーゾーンばかりではなく、キャンプ場全体が河川敷にある。サニタリー棟、バンガロー、風呂などの施設もたしか同じ河川敷の中にあった。
 大雨が降れば、いつ川の流れに洗われてもおかしくない地形とぼくには思えた。そうそう大雨が降るわけではないが、二度も下見に出かけながら実際のキャンプを躊躇しつづけてきたのはこの一点にある。

 キャンプへいって設営後に逃げ出す決断の容易でないであろうことも想像に難くない。ぼく自身はキャンプ中に台風の接近の報で予定を切り上げて逃げ帰ってきた経験が二度ある。一度は水上の奥の山中にある公共の無料野営場から、次は昨年、清里のキャンプ場からである。どちらもそそくさと撤収するぼくたちと入れ替わりに、連休をひかえてたくさんのキャンパーがやってきたのには驚いた。
 
 今回の西丹沢での水難事故は、15年前の子供4名、女性2名を含む13名が亡くなった玄倉川のキャンプ水難事故とはだいぶ違う。ダム管理の職員、警察、それに先に避難した仲間たちの避難勧告をことごとく無視して起こったのが玄倉川の事故だったという。

■ 危うきには近寄るまい!
 こうしたたぐいの人々の存在はさほど珍しくない。ぼくの身近にも無謀な真似を繰り返す似たような自称の「プロキャンパー」がいた。一例をあげれば、台風のさなかにキャンプをして、スクリーンタープをみんなで中から押さえてしのいだなどという愚行を誇らしげにウェブ上に書き込んているのを知ってあきれかえった記憶がある。
 事故になっていないのがせめてもの幸いである。静岡のキャンプ場では倒壊した家型テントが長い間放置されているのをキャンプの度に見ていた。子供のおもちゃがテントの下に散乱しているのは、親たちの蛮勇のツケであろう。

 ウェルキャンプ西丹沢の事故では、キャンプ場の売店のスタッフから「危険だから避難したほうがいい」と告げられてはじめて避難する気になったらしい。もはや自力での渡渉が不可能だったのでクルマに頼ったのだろう。そして、家族もろともクルマが流れに呑み込まれた。
 四駆だからなんとかなるだろうとのおごりはなかったろうか? 過去の四駆事故はこうした過信によるものが大半だった。

 3人が犠牲になった翌日の水が引いた川の中、無惨に横転した高級車のむこうに無傷のまま見える高価なテントの写真がむなしい。クルマやテントは立派だが、キャンプ慣れしていないためにサイトからの撤退のタイミングがわからなかったのかもしれない。
 クルマを過信したからだとか、サイトに残っていれば死なずにすんだとの批判はあとになってからの非難にすぎない。ぼく自身だって、まったく同じ状況に遭遇して、同じ轍を踏まないと断言できる自信はない。
 今回のこの事故から、キャンパーが個々に学ぶ教訓はたくさんある。何よりも「君子(ではなくても)危うきに近寄らず」という真理を最優先で肝に銘じておきたい。

<2014年8月5日追記>神奈川新聞の8月4日付電子版サイト記事によると、1999年の玄倉川水難事故のとき、「ウェルキャンプ西丹沢でも139人が一時対岸に取り残された」とある。


ゲリラ豪雨の森で童心に還る

2014-07-23 19:46:50 | Weblog

■ 今年は体調も戻ってくれたので
 海の日の祭日がからんだ三連休に夏休みを一日だけ足していつもの白樺の森へキャンプに出かけた。
 このスタイルのキャンプは例年の7月の恒例なのだが、去年はやっていないそうだ。それをすっかり忘れていたら、いつも同じ時期にこのキャンプ場で出逢う方から指摘された。しかし、彼の横にかわいい奥さんがいない。「45歳にして父親になったんです」と彼がうれしそうに教えてくれた。今回は、スノーピーク仲間の方々との単独参加だという。そうか、来年の7月にはすてきな三人家族と出逢えるわけだ。

 去年、なぜ7月のキャンプを見送ったのか、東京へ戻ってから自分のツイッターやらブログで探ってみたがわからない。たぶん、鍼灸院の牽引でかえって傷められた腰痛が原因で見送ったのだろう。去年の夏は休日ごとにプールへ通い、ひたすら水中歩行をくりかえし、泳いではいけないという腰痛対策を無視して泳いだりしていた。今年、7月のキャンプに出かけることができてよかったといまさらながら心から思った。

 去年の関東甲信越の梅雨明けは7月6日ごろ。平年より半月も早い。今年だって少しは早く明けてくれるだろうとひたすら願望して早々と17日から三泊四日で予定した。去年のようにはいかないが、それでもキャンプ直前に明けてくれるはず。悪くしてもキャンプ中には……なんて期待していた。
 出発前日の16日に九州南部が梅雨明けし、関東甲信越もすぐに明けるだろうと願望は勝手に確信に変わっていた。だが、実際に梅雨が明けたのは、キャンプから帰ってきた翌日だった。


■ やっぱり梅雨は上がらずに
 キャンプ期間の2日目と3日目は激しい夕立にたたられてさんざんだった。初日も天気予報どおり、夕方から小雨が降ってテントやタープを濡らした。
 初日は午後の早い時間にキャンプ場へ入った。それでもすでにテントが2張り見える。広いキャンプ場全体でも数組しかいなかった。おかげでいつもの場所に設営できた。元々が牧場だったこのキャンプ場は、後年に造成したオートサイトは別だが、いつも使っているフリーサイトのほうは大半が傾斜地である。手入れも万全とはいえないから、場所によっては年々荒れていく。

 このキャンプ場には25年ばかり通い、熟知しているつもりだったが、今回設営するにあたって気がかりがひとつあった。いつもテントを張っているすぐ近くの地面の表層が削られて小石の層が露出していたのである。雨が降れば水が流れたり、溜ったりするのは一目瞭然だった。
 それでも、どうせ梅雨はあすにも明けるだろうし、たとえ雨が降っても1ミリ程度の小雨の予報だからとなめてかかってその近くに設営した。何よりもいままでまちがいがなかったという安心感に警戒心が鈍った。

 はたして、キャンプ2日目の19日、午後から降りはじめた夕立は、山沿いなら珍しくはないが、都会だったらゲリラ豪雨と呼ばれてもいいような激しい降り方だった。
 降りはじめのころは地面が雨水を吸い取っていたが、降りが激しくなって大地が吸い取りきれなくなった雨水が自然が造った水路を伝ってぼくたちのサイトに襲いかかった。タープの下へ雨水がじわりと流れ込んできたのである。あきらめるか、水の流れを変えるか、選択肢はふたつにひとつしかなかった。


■ 溝を掘って水流の道を変える
 幸いにして今回は小ぶりのスコップを持参していた。スーツ型の雨具を着ている時間がない。すぐ横にあったポンチョをはおり、水路を変えるべく雨の中へ出ていった。高台からぼくらのサイトへ向かってまっすぐに落ちてくる水路に対し、90度に1、2メートル溝を掘って別の水路へ水が合流できるように調整した。
 最初は掘り起こした土で堤を造って水流を受けていたが、水の勢いに盛り土はたちまち流されていく。急いであたりの大小の石を集めて補強する。これが実に効果的で、水の流れは左へと迂回してぼくのサイトへの直撃は目に見えて軽くなった。

 はからずも、いい歳をして水をコントロールする楽しさを覚えてしまった。その昔、暴れる河川と戦い、洪水を押さえ込んできたという治水事業の話をときたま聞く。経験と知恵を駆使し、困難をきわめて土木工事を遂行し、治水に成功したときの達成感はどれほどのものだったろうか。こんな水遊びからでも少しは察することができた。

 もうひとつ、昔、テントの防水性能がそれほどではなかった時代、キャンプといえばテントの周囲に溝を掘ってテント内部への雨水の進入を防いでいた。いまではテントの防水能力も上がり、テントの周囲に溝を掘るはあきらかなマナー違反である。それでもいまだに溝掘りをやる人がいる(実際にぼくも何度か見ている)ためにキャンプ場によってはわざわざ注意書きに溝掘り禁止を明文化している。だが、いまさらながら雨のときの溝の効果を実感することができた。


■ キャンプは晴れた空の下がいい
 今回のキャンプで学んだことは、経験に頼って現実を軽視する危険性である。この場所で長い間キャンプしてきたという経験と、水路になるかもしれないけど、これまで何事もなくやってきたという現実軽視だ。常にサイトを読む目を曇らせてはならない。予測し、対応する習慣はキャンプにかぎらず生きていく上でなによりも大切である。

 今回、雨に洗われたサイトのなかでまずは寝室となるテントの位置をずらして水路からの影響を弱めた。リビングスペースであるタープも角度を変えた。しかし、二度目の夕立でまだまだ完全ではないとわかり、翌日、全面的な引っ越しをおこなった。
 テントもタープも今回は短期滞在と夏場のために新調したモンベルのムーンライト5型とビッグタープである。これらの感想は別にレポートするが、上からも下からも水を完全に防いでくれたし、なによりも楽な引っ越しを可能にしてくれた。

 かつて経験したことがないほどの7月の寒さと激しい雨にたたられはしたが、雨遊びをたっぷり堪能した。念のために持参したスコップとエーグルのレインブーツやコロンビアのポンチョが雨遊びをサポートしてくれた。これを機に、「雨もまた楽し!」と思えるようなキャンプができたらいいが、はたしてそれはどうだろう?
 最終日の21日は朝から晴れ上がり、途中、曇ったり、ちょっと雨粒がパラついたりはしたけれど、テントもタープもすっかり乾いてくれたので、「梅雨は明けなかったけど、最後に晴れてくれたからまずよしとするか」と負け惜しみが口にできた。
 設営場所を誤ったため、童心に還って雨遊びを楽しむことができたが、やっぱり晴れた空にまさるものはなく、雨のキャンプはこれからも返上したい。



タイからビリーポットがやってきた!

2014-06-25 22:21:22 | Weblog

■ タイの友に感謝!
 本来、アウトドア用に開発・発売されたわけではないが、たぶん、その堅牢さゆえに北欧のブッシュクラフト・スクールなどで採用されて広まったと思われるステンレス製のビリーポットが、昨日、原産国のタイから届いた。
 日本ではどこからも発売されていないし、わざわざ苦労して海外から取り寄せるほどのものじゃなしと諦めかけていたところ、タイのメーカーの製品だとわかったので、バンコクの20年来の取り引き先の友人にメールで問い合わせてみた。

 すぐに返事があって、メーカーの本社が自宅から近いからと、彼はわざわざメーカーに出向いて情報を仕入れ、実物の写真まで何枚も撮って送ってくれた。そして、ぼくの依頼に応じて、翌日、ふたたび足を運んで大小2個のポットを購入、プレゼントのカップ2個までつけて送ってくれたものである。

 趣味を同じくする人でなければ、なんでこんなものに夢中になるのかわからないだろうが、焚火おたくのアウトドアーズマンの一部には、きっと、現在、垂涎のポットであろう。梅雨が明けたらさっそくフィールドへ飛び出し、ポットたちを焚火にかけて煤でいい色合いに染め上げていくつもりである。

■ 煤が「汚い」というあきれた感覚
 キャンプ用のポットはたくさん持っている。グループキャンプ用に買ったスノーピークのセットから、ソロキャンプが当たり前のころのキット、あるいは、もう手に入らないようなスイスのシグの3個セットやイギリスのホットンのビリーカンの3個セット(いずれもアルミ製)などのお宝ポット類まで含めて千差万別である。
 
 それなのにここへきてまた新たなポットを買ってしまったのにはわけがある。これからは焚火を中心にした以前のキャンプのスタイルに戻そうとしているからである。
 焚火で調理をすると鍋類が煤で黒く汚れる。この煤はアウトドアの証なのでぼくは好ましいと感じるが、汚いからいやだという人もいる。特にオートキャンプから入った人にとってみると煤でいい色合いに染まったポットで作った料理はまずいと感じるという。

 それを主張した夫人の料理の腕のひどさに驚き、「まずは料理らしきものを作れるようになってからいえよ」と陰口をたたいたものだが、ファッションとしてのアウトドアに毒された人々に焚火の煤は受け入れてもらえないというのを10年ばかり前にはじめて学んだ。幸いにして、わが家の女房は煤でいい色合いに染まったポット類を汚いなどとは感じないアウトドアの健全な抵抗力がついている。


■ 焚火用ポットならやっぱりステンレス
 ご飯が炊きあがった飯盒を地面に逆さにしてしばらく放置するのも「イヤだ」という類の人にキャンプはできない。焚火で煮込んで完成した料理を鍋ごと焚火の脇の地面に置いたら、「食うもんをそんなところへ置いて汚いじゃないか」と抗議されたことがある。別にすごい育ちのいい男ではない。案の定、彼はアウトドアライフになじめず、まもなくフィールドに現れることはなくなった。

 焚火での調理を主体に考えたとき、ポット類をステンレス製にしたのには理由がある。焚火で付着した煤をそのままにして収納するとさすがに汚れがほかのものについてしまう。使ったあとは、煤を払う程度に洗う。このとき、アルミ製のポットだと、煤と一緒に表面を保護しているコーティングまで削ってしまい、腐食の原因となる。その点、ステンレス製ならさほど気を使う必要がない。

 それに、ステンレスならかなりの高温にさらしても問題ないだろう。アルミと違い、アルツハイマーの原因となる物質が料理に溶け出す(ウソかホントか知らないが)心配もない。ダッチオーブンと違い、鍋の中に調理済みの食料を入れたまま翌日まで保存することだって可能である。

■ 焚火の次にやるべきは?
 ステンレス製はアルミより重いが、その分、頑丈である。道具類をザックで背負って運搬するわけではないので重さはまったく問題ない。野外特有のラフな扱いにも耐えてくれる。熱効率でアルミに劣るが焚火となると熱効率に神経質になる必要はない。高価で軽量のチタンよりははるかに熱効率がいい。つまるところ、焚火キャンプではやっぱりぼくにはステンレス製がいちばん心強いのである。

 ポットなどの道具だけを変えてもあまり意味はない。これからだんだんにぼくらが目指す機動性のあるキャンプのスタイルを模索していきたい。
 7月に予定しているキャンプは、諸般の事情からまだ従来型でいくつもりだが、秋からはがらりと一新できたらいいなと思っている。

 ただ、まだ現役で会社勤めから離れることができないので、当分、ぼくのキャンプはオーバーナイトキャンピングが増えそうである。そうなると、機動性が不可欠になる。焚火という面倒を採り入れながら、楽なキャンプを実践する。この二律背反をいかにして解決するか? 自信はある。
 というわけで、そろそろぼくなりにキャンプの奥義をきわめてみたいと思っている。決して道具集めに奔走してばかりいるわけではない……つもりなのだが。


折れた心を癒してくれたキャンプ場

2014-06-22 23:13:52 | Weblog

早く着きすぎて勝手知ったるエリアにはだれもいなかった年もあった

■ 気が乗らない2年ぶりの年越しキャンプだったのだが 
 2012年の暮れ、ぼくと女房は雨模様の12月30日、モビリティーパークへ向かった。小田原からつづく伊豆の海岸線を走りながら、気持ちはまだ完全に定まっていなかった。モビリティーパークへの予約も入れていなかった。
 何よりも溺愛してきた2匹のわんこたちを喪った哀しみから立ち直れていなかったし、ぼく自身も夏場から脚を痛め、腰にも不安を残したまま、歩行のときは念のために杖を手放していなかった。

 出発が大幅に遅れ、渋滞もあって昼をとっくに過ぎた遅い昼食をとるために網代の手前にあるファミレスの駐車場へクルマを入れた。雨に濡れながら年越しキャンプがはじめての1歳半のルイをトイレ散歩に連れていった。途中で本格的になった雨は簡単にやむ気配がなかった。ルイをクルマの中に入れ、二階席の座席に座ったぼくの目の前に海と空との境界も定まらない濡れそぼつ風景が広がっていた。
 「もう帰ろう」ぼくは女房にいった。迷いながら出発したあげくの雨でぼくの心はぽっきりと折れてしまっていた。
 「ここまできたんだからとりあえずモビリティーまでいってみましょうよ」
 こんなとき、たいてい同意してくれる女房がぼくを励まし、折れた心をかろうじてつないでくれた。

 キャンプ場へ着いたとき、すでに日はとっぷりと暮れていた。こんな時刻に到着すること自体かつてなかった。それだけ気持ちが乗っていなかったということだ。
杖を手にクラブハウスへ入ったぼくたちを渡辺代表以下、顔見知りのスタッフが満面の笑みで迎えてくれた。二年ぶりの逢瀬である。彼らのおかげで「帰ろう」という気持ちは霧散した。きてよかったと心から思った。二匹のわんこたちを喪ったばかりの感傷旅行になりかけていた年越しキャンプだったが、思い出がいっぱい詰まったモビリティーパークにきて救われた。


スタッフ総出の1月2日の餅つき大会で新年を実感する

■ 新しいキャンプ場なら事前に下見してから 
 わが家は、次々と新しいキャンプ場へ出かけていくタイプでなく、自分たちが気に入ったキャンプ場やキャンプができる場所があれば繰り返して通う。なかなか気に入ったキャンプ場やサイトになる場所にめぐりあえないからというのも繰り返す理由のひとつだ。
 これまで、ガイド誌やネット情報、あるいは他人からの評判や側聞でいった結果、失敗しているほうが圧倒的に多い。ぼくが気に入っても女房が嫌う場合もあるし、その逆もあった。だから新しいキャンプ場だったら本番前の下見が欠かせない。実地踏査しておいても、キャンプをしてみたら気に入らなかったというところだってあった。

 最近は新しいところは開拓せず、数か所のキャンプ場だけを回しているにすぎない。季節によってどこへいくかが決まってしまう。あるいは、同行者によってもどこがふさわしいかを考えてキャンプ場選びをおこなう。ぼくの好みや考えが必ずしも普遍的ではないが、そこがお気に召さないのならご自分でお出かけくださいというスタンスを貫いている。
 ぼくの趣味がキャンプだと知って、ときおり、「どこかいいキャンプ場ありますか?」と質問される。そういうときは迷うことなく「首都圏だったらモビリティーパークでしょう」と答えてきた。
 そういう質問をする人たちは例外なくいわゆるファミリーキャンパーであり、オートキャンパーだからだ。家族でクルマを大型テントの脇に横づけしてのスタイルと決まっている。バドミントンを持参して、温泉も楽しみにする方々である。


率先して餅をつくダンディー渡邊代表は何をやっても絵になる人だ

■ 初心者はまずモビリティーパークから 
 ぼくもたくさんのキャンプ場を知っているわけではない。いわんや高規格と呼ばれるキャンプ場が肌に合わないのでそうしたキャンプ場では実際のキャンプ経験は乏しい。キャンプ場の情報源 はガイドブックであり、近年はインタネット経由でしかない。
 それでもぼくは自信をもってモビリティーパークを推薦する。もしかしたら、周囲の環境やロケーションではモビリティーパークをしのぐキャンプ場があるかもしれない。しかし、設備や管理、スタッフ全員の練度やホスピタリティーでここに勝る、いや、比類するキャンプ場すら日本でほかに見つけるのは困難だろうと確信している。

 特にキャンプ初心者なら、設備と管理体制にすぐれ、いつもほほえみを絶やすことなく接してくれるプロフェッショナルの精神(こころ)を持ったスタッフぞろいのこういうキャンプ場からはじめるべきだろう。
 テントで一晩を過ごしてなんの不安もないし、キャンプが未熟な客だからといって侮るようなスタッフはいない。もし、ここでキャンプをする機会があったらクラブハウスでゆっくりとコーヒータイムを楽しむといい。このキャンプ場のプラスアルファの魅力になっとくできるからだ。

 やがて、あまりにも恵まれた設備と行き届いた管理に飽きたらず、少しは不便なキャンプもやってみたいと思いはじめたらよそへいってみるのもいいだろう。野性を求めながら野性に疲れたら、またモビリティーパークの暖炉の前に還ってくればいい。スタッフの笑顔とおいしいコーヒーにいやされながらゆっくりと過ぎていくひとときが待っていてくれるからだ。


モビリティーパークの25年が日本の「オートキャンプ」の歴史そのものでもある

■ 今年がダメなら来年のホタルに期待 
 今年の年越しキャンプは2か月前の11月にデビューしたばかりの若いファミリーと一緒だった。まだ幼稚園にもいっていないお嬢さんといずれぼくの野遊びのすべてを受け継いでもらいたいような頼もしい小学2年生の少年も一緒だったので、はじめて年末年始の医療機関の診療体制を調べたほどだった。
 病院のお世話にこそならなかったが、寸前のところでお世話になりそうになったのは子供たちではなく、わが家の女房のほうだった。

 先週、モビリティーパークでの週末のホタル鑑賞キャンプに心躍らせてその気になっていたが、結局、今週はいかれなかった。女房が体調を崩してしまったからである。ひと月ほど前の逆流性食道炎が再発して七転八倒の苦しみをみせた彼女を置き去りにしてルイを連れてホタル鑑賞キャンプに出かけるわけにはいかない。未練は残るが今回はあきらめるしかあるまい。

 空模様は梅雨特有のはっきりしない予報だが大雨ということもなさそうだった。しかし、日曜日の予報が的中して東京は朝から梅雨特有の湿るような雨模様である。出かけなかったのは正解でもあったかもしれない。一週間先の28日にも鑑賞会はあるが、さて、そこまでホタルたちががんばっていてくれるだろうか。思案のしどころである。来週がダメなら来年が……あってくれればいいのだが。


冬しか知らないモビリティーパークからの夏便り

2014-06-20 19:12:33 | Weblog

■ キャンプ場からのホタル観賞会の誘い
 伊豆にあるキャンプ場からのメルマガで、6月15日から週末の「ホタル鑑賞会」がはじまり、初回が好評だったとのレポートがあった。鑑賞会は29日まで予定されているそうだ。ホタル狩りキャンプか、いいな、と思う。

 よく、「キャンプは手段であって目的ではない。ほかの楽しみのためにキャンプしているだけだ」などとしたり顔でおっしゃる自称ベテランキャンパーをときたま見かける。人それぞれだからそういうキャンプを否定するつもりは毛頭ない。しかし、誇らしげにそれをいう気持ちがぼくにはわからない。
 ぼくはキャンプそれ自体が目的であって、ほかの楽しみなど副次的な目的ですらない。キャンプを楽しむ以外まったく眼中になかったが、ここへきて、ホタル鑑賞だけは例外にしてもいいかなと思いはじめている。

 いままでホタルを求めてキャンプにいったことは一度もない。ただ、キャンプではからずも三回ばかりホタルに出逢ったことがある。
 山梨・道志村へキャンプへいき、山中湖で遊んで夜分に道志みちをたどっていてたまたま地元のホタル鑑賞会のイベントに出くわしたのが一度、その前は夕飯で寄ったレストランのママさんがお店の裏の清流の見事なホタルの乱舞に案内してくれた。どちらも思い出深い記憶である。

 キャンプで最初にホタルと遭遇したのは40年前の埼玉・秩父にある橋立川キャンプ場だった。ザックにキャンプ道具を背負い、はじめて父と子のふたりだけでいったキャンプの最初の夜、テントのなかへ入ろうとしていたぼくと幼稚園児のせがれはテントの近くをゆらゆらと上っていく一条の光を見逃さなかった。
「あ、ホタル……」
 生まれてはじめて見るホタルへのおさな子の感動は、父であるぼくの感動でもあった。梅雨明け早々とはいえ、あんな山の中の渓流のほとりでよくぞホタルと出逢えたものだ。ほんの一瞬の明滅のはかなさの記憶はいまも色褪せず鮮明である。


■ はじめての高規格キャンプ場
 「ホタル観賞会」をやっている伊豆のキャンプ場というのは、大仁の人気キャンプ場「モビリティーパークオートキャンプ場」である。この10年余、主として毎年年越しキャンプで年末年始の数日間をお世話になっている。だが、梅雨の時季、「ホタル観賞会」を実施しているのをメルマガを読むまで知らなかった。そういえば、2、3年前にキャンプ場の渡邊代表から、近くの清流にホタルを呼ぼうと努力しているとうかがった記憶がよみがえった。
「そうか、あの話が実を結んだのか」
 たちまち幸せな気分になった。

 モビリティーパークとの出逢いは10年余り前、インターネットで知り合った仲間たちに誘われて伊豆の某キャンプ場での年越しキャンプに誘われたのがきっかけだった。前々から新年をキャンプしながら迎えたいと思っていた。
いきたいとは思ったものの、そのキャンプ場までの道のりに不安が残った。年末年始にめざすには遠く、不便な場所だったからだ。おそらく移動だけで半日を覚悟しなくてはならないだろう。年末年始の渋滞に巻き込まれたらさらにどれだけ時間を食うかわかったものではない
 12月はじめの土曜日、いつものように後部座席に2匹のわんこを乗せて、ぼくと女房は下見に出かけた。

 このドライブは、途中でいくつかのキャンプ場の下見もかねていた。最初に訪ねたのがモビリティーパークだった。ぼくたちが経験したことのない高規格を絵に描いたような施設に目をみはった。
 ぼくたちのキャンプといえば、真冬以外は頻繁に出かけるものの、キャンプ場を使うときは区画のあるキャンプ場を嫌って田貫湖キャンプ場や本栖湖キャンプ場、ジャンボリーオートキャンプ場などでお世話になっていた。当時はそうしたキャンプ場もあまり使わず、大半はトイレはおろか水場もないような場所でのキャンプにハマっていた。それだけに高規格のモビリティーパークはなんともまぶしかったが、いやな感覚は少しもなかった。「すごいね」との素朴な感慨がぼくと女房の共通の実感だった。


■ そして、10年余のおつきあいがはじまった
 その年、ぼくたちははじめての年越しキャンプに出かけた。向かったのはモビリティーパークだった。インターネット仲間たちが集合するキャンプ場は、わが家からならほかの人たちよりもはるかに地の利がよかったが、実際にいってみてやっぱりいかにも遠すぎた。
 距離以上に問題だったのがキャンプ場の雰囲気だった。ほかの人はいざ知らず、実施踏査してみたぼくたちにはとてもじゃないけど楽しくキャンプができる環境には思えなかったのである。

 その年を皮切りに、わが家は2匹の愛犬たちとともに毎年キャンプで新年を迎えることになった。場所はいつもモビリティーパークだった。自分たちだけでいくこともあれば、キャンプ仲間が加わることもあった。暖かい冬晴れに恵まれる年もあれば、冷たいみぞれにふるえあがった年もあった。いつのまにか常連の仲間入りを果たし、キャンプ場のスタッフの皆さんとも顔見知りになった。年越しキャンプ以外にも、初午イベントやバレンタインデイのチョコレート作りイベントに参加した年もある。

 ただ、2011年から12年にかけての年越しキャンプだけはいかれなかった。まず、11年の7月にコーギーのむぎ(♀)が12歳で突然死んでしまった。茫然としたまま、その悲しみから立ち直れないさなかの秋、16年間をともにしてくれた雑種のシェラ(♀)が末期がんだとわかった。シェラのがんがわかる直前に、むぎがどうしても忘れられずに迎えた同じコーギーのルイがいた。


■ モビリティーパークからの電話
 もし、シェラにがんがなかったとしても、この年の年越しキャンプは休んでいたかもしれない。17歳を目前したシェラの衰えと、パピィのルイをかかえての冬キャンプである。それにむぎがいないという喪失感は、かたわらにやんちゃなルイがいてくれても容易には癒えてくれないままだった。

 年を越せないかもしれないというほどシェラのがんは切迫していた。むぎが旅立ってまだ半年である。年越しキャンプどころではなく、ぼくたちは自宅で息をひそめて哀しい年を送り、辛い新年を迎えようとしていた。
 どうやら、シェラの17回目の誕生日(子犬で捨てられていたシェラの正確な誕生日はわからなかった。3月に生後3か月くらいでわが家の子になっていたので誕生日は元旦ということにしていた)は迎えることができそうだとシェラを励ましていた12月30日の夕方、モビリティーパークから電話がかかってきた。
 予約はいただいていないが、念のためにサイトをキープしてあるとのありがたい電話だった。むろん、事情を話し、ご辞退した。
「来年はまたお世話になります」
 最後にそれだけいうのがやっとだった。もうシェラもむぎもいない来年、本当に自分はいくのだろうか? 正直なところ自信なかった。
(この稿つづく)




ルイとはじめてのふたりキャンプ

2014-06-04 21:31:01 | Weblog

■ 古いソロ用テントで過ごす
 来月3歳になるルイとはじめてふたりでキャンプへいってきた。ルイにとってはこれが9回目のキャンプになる。
 ルイとふたりだけといっても、キャンプデビューしてまもない若いFファミリーの見守りキャンプだったので厳密なふたりだけというわけではない。このファミリーとはすでに年越しキャンプをふくめて二度ご一緒しているのでルイにしてみればキャンプ仲間というところだ。
 場所は彼らのデビュー地でもある山梨・道志村。前回が11月で、早暁にいっとき雨に見舞われたが、おかげで濡れて輝くみごとな紅葉を満喫できた。今回は夏の晴天のもと、太陽に輝く若葉のキャンプを味わってもらった。やっぱり天候に恵まれるキャンプはすがすがしい。

 ルイは、ゼロ歳のときのゴールデンウィークを皮切りに、これで数回のキャンプを経験したことになるが、テントの設営や撤収となると激しく吠える。とくにポールには異常な敵愾心を見せる。幕体を広げたり畳んだりも嫌う。根が臆病なのだろうが、尋常な吠え方じゃないので周囲へのご迷惑にこちらが辟易する。仕方なく設営や撤収時はクルマの荷台に積んである移動時用のケージへ放り込んでおくことになる。せっかくのキャンプなのにかわいそうだが自業自得というわけだ。

 今回のテントは、かれこれ10年ばかり前に姫路や埼玉の仲間たちとの本栖湖でのキャンプで使って以来のモンベルのムーンライト3とモンベルのヘキサゴンミニタープの組み合わせ。
 このムーンライトⅢは二代目だが、それでも20年選手になる。10年ばかり使っていなかったので状態がわからず、先のゴールデンウィークに持参して試張りをして状態を調べてみた。酷使した初代のムーンライト3と違って、二代目はあまり使ってこなかったのできれいなもので、見た目ではまだじゅうぶん使えそうだった。ただ、一緒に買ったミニタープのほうは、縫い目に貼ってある防水用のテープの剥離がはじまっている。それでも使えないという状態ではなかった。


■ 今月もう一度ソロで出かける理由
 久しぶりのソロキャンプという気楽さから、点検のためにほかにもソロ用テントを2張持参した。そのひとつは40年前に購入したカモシカの古いエスパースミニ。これを最後に使ったのは25年前の本栖湖だった。
 もう1張りは一昨年死んだキャンプ同伴犬のシェラのために買ってやったサウスフィールドのツーリングテントである。シェラはテントの中が大好きで、ぼくが自分たちの大型テントの設営をはじめると、中へ入りたいと催促するほどだった。そのシェラが、スクリーンタープのぼくたちのすぐ横でまったりできるようにと買ってやったひとり用テントである。

 どちらも経年劣化の点検を兼ねての持参だった。だが、昼前にキャンプ場に着いたものの、薪ひろい等、焚火の用意、ルイの散歩、同行者の設営の見守り、そして、何よりもソロキャンプ気分を味わうまったりタイムにひたって点検なんて面倒で、結局、次回にまわしてしまった。

 テントの点検以外にも、この日のためにアメリカから取り寄せて持参した折り畳みの焚火グッズの火入れ式も予定していた。だが、結局、出しもせずに持ち帰った。
 このキャンプに持っていこうとあわてて注文し、まにあうかどうかヤキモキして待ち、ようやくギリギリで届いてホッとしたらケースがない。そこで調べなおしたら、なんとストーブ本体さえ日本国内でもっと早く、安くで買うことができると判明、すっかりテンションが下がってしまった。
 携帯ストーブはもう1個用意していたが、これも使っていない。今月中に梅雨の中休みの週末にでも再度、ソロで出かけてこれらのストーブで遊び、ここでレポートしたいと思っている。


■ ルイのために鶏肉のボイルを
 夕飯は、以前から作りたかったジャーマンポテト。この20数年、ぼく以上にキャンプづいてしまい、いつもついてくる女房が大のジャガイモ嫌いとあってこの献立はずっと見送ってきた。ようやく、念願かなってさっそくキャンプ用のフライパンで調理したものの、久々のソロだったので分量を誤り、作りすぎてしまった。おかげで、翌日の朝飯もこれですませた。

 アルファー米を持参して、これまた久しぶりにコンビーフご飯でも作ろうかななんて思っていたが、結局、ジャガイモづくしのキャンプとなった。ジャガイモは大好物なので、むろん、不満なんかあるはずもなく、ほかに焚火で作ったポテトのホイール焼きもあって大満足のソロキャンプだった。

 ルイの食事は女房に用意してもらったいつものドライフードと缶詰。だが、面倒だから缶詰はやらずにドライフードだけですませた。それというのも、キャンプ用わんこフードを用意していたからである。
 ルイの前に17年間キャンプをつきあってくれたシェラ、そして、シェラとともに12年間いつも一緒だったむぎのために、キャンプではいつも鶏肉を買っていき、原則として網焼き、時間がないときはボイルしてキャンプにつきあってくれたごほうびにしていた。今回もルイのためにちゃんと途中の買い出しで用意してあった。
 だが、焼くためには熾火を作らなくてはならないのでバーナーでお湯を沸かし、茹でて食べさせた。手は抜いたが、むろん、ルイはむさぼるように食べた。

■ 大人になるのはゆっくりでいいからな
 設営や撤収では大騒ぎしてぼくを手こずらせるルイも、テントの中で寝るときは殊勝だった。キャンプではじめてぼくとふたりだけで寝るというのが不安だったのか、ずっとシュラフのぼくに張りついて朝を迎えた。
 5月最後の夜、昼間は猛暑だったが川沿いの林間サイトの夜はけっこう冷え、ルイが張りついてくれたのでかなり温かく寝ることができた。

 今回、女房は体調不良につづく風邪のひどい咳がおさまらず、また仕事の都合で参加できなかった。その彼女に帰宅後怒られたのは、用意してぼくに持たせたおやつをルイに全然与えていなかったことだった。ルイがいつも以上に設営・撤収作業をするぼくに凶暴な態度をしたのは、おやつを要求したからだというのだが、それはどうだろうか?
 缶詰のフードもおやつもやってはいないが、その分、鶏肉をたっぷりやっている。朝飯は前の晩の残りのジャガイモだったぼく以上に豊かな食生活だったはずである。

 ひと月前の連休キャンプを経験して少しばかり成長しておとなしくなったと思われたルイだったが、今回のぼくとのふたりキャンプではあまり多くを期待できそうにない。それはそれでホッとしている。
 この3年間、やんちゃ坊主のルイにふりまわされ、そのたびに精神的に早く成犬になってくれと願ってきたものの、その時期が近づてくると、「いや、もう少しやんちゃでもいいや」なんていう思いもある。このままおとなしくなってしまったらつまらないからだ。
 ただ、キャンプの設営と撤収のときだけは静かなわんこでいてほしいとの願いはぼくの身勝手だろうか?



キャンプ場の下見を楽しめた日

2013-10-25 20:15:17 | Weblog
■  変わらなかった天気予報

 19日~20日に計画していたF家とのキャンプを延期にして、どうにも気になってならなかったのがこの2日間の実際の空模様だった。気まぐれな秋の空だけに、一転して秋晴れなんてことにならないともかぎらない。
 
 19日の朝、目が覚めるとすぐにiPadを開いて富士五湖方面の予報をみた。前日とほとんど変わらないので胸をなでおろす。やっぱりキャンプは中止とし、ドライブで山中湖で落ち合い、ランチのあとにキャンプ場の下見という前日に決めた行動を実行する踏ん切りがようやくついた。

 出発前にキャンプ道具を収納してあるコンテナまでクルマを走らせて、F家に引き取ってもらう予定のテント、テーブル、調理台、椅子、食器、炊事道具類など積み込んだ。あとはスリーピングバッグがあればキャンプのスタートセットしては申し分ないはずである。


■ スーパーマーケットの下見をして

 都心に住むF家とちがい、横浜町田ICが近いわが家は、今回、圧倒的地の利がある。午後1時ごろに落ち合うつもりなら午前10時に出ても余裕だが、念のために9時半には出発した。東名道に乗ってすぐはゆるやかな渋滞に呑まれたものの、案の定、11時には東富士五湖道路の山中湖ICを通過した。

 このあたりでキャンプのとき、食料品などの買い物はいつも富士吉田のスーパーマーケットを使ってきた。もっと近い忍野のスーパーをのぞくつもりでいたが、家人のリクエストでその前に富士吉田へ向かった。
 時間に余裕があるので、久しぶりに富士吉田にあるいきつけのブティックへいきたいと家人がいいだしたためだった。山中湖近辺では、家人がこのブティックへ寄るので、キャンプ中の買い出しも富士吉田のスーパーを使っていたのである。

 今回、アタリをつけていた忍野にあるスーパー「セルバ忍野店」はいつも前を通るだけで入ったことがない。隣にはホームセンターや大型のドラッグストアもある。富士吉田から忍野へ出て、このセルバ忍野店へはじめて入った。キャンプにはじゅうぶんすぎるほどの充実した品ぞろえに満足する。

 スーパーの下見を終え、花の都公園をかすめて山中湖へ向かっていると途中で、なんと、真新しい「オギノ山中湖店」を見つけた。清里でのキャンプではいつも長坂店でお世話になっているスーパーマーケットである。今回は寄らずに前を通っただけだが、わざわざ下見をするまでもない。時間に余裕があるときは、ふだんあまり走らないルートも走ってみるとこんな発見もある。


■  フランス製の新車でさっそうと登場

 あいにくにの曇天ではあるが、前夜冠雪したばかりの富士山が美しい。
 合流場所の「テディベアミュージアム」に、先週納車されたばかり、ついひと月足らず前に海を渡って日本に着いたフランスのかわいいクルマで、F家のステキなご家族がやってきた。ご主人も奥さんもわが家の愚息とさほど年齢が変わらないし、小学校2年生のいかにもしっかりした子息と、まもなく幼稚園に入る2歳のかわいい息女がF家のみなさん。ご主人以外のご家族にお会いするのはこれがはじめてである。
 
 直観的に、このご家族となら必ずや楽しいキャンプを満喫できるとわかる。
 子息のほうは、未経験のキャンプをやる気満々でこの日を迎えていた。それだけに延期になってだいぶ落胆している様子。こういう少年にはキャンプの楽しさを教えるかいがあるというものだ。

 デディベアミュージアムでのランチもそこそこにといいたいところだが、話に花が咲いてしまい、キャンプ場の下見に向かったのは3時半をまわっていた。
 連休の次の週末だし、季節もそろそろ寒くなり、まして夜から雨の予報も出ているとあって、数えるほどしかキャンパーはいないだろうとタカをくくっていたら、これが見事に大外れ。場内にはざっと数えただけでも30張り近いテントがある。

■ キャンプではぼくたちが興奮しないように気をつけよう

 場内を徒歩でひとまわり、下見をしているうちにFパパも子息もますますやる気になっている様子。ぼくの不安は2週間後の寒さである。下見のキャンプ場ですらだいぶ寒さを感じる。
 だが、F家の面々はぼくやぼくの女房ほどこの寒さを気にしていない。ちょっと歩いただけで子息など、「暑い」といってウィンドブレーカーを脱いでしまった。
 
 そう、まもなく70になろうとするぼくたちと、まだまだ若いFファミリーでは寒さの感じ方が全然違っていたのである。
 11月3日と4日のキャンプでは、寒い季節のキャンプに慣れているはずのぼくと女房が寒さにふるえ、F家はぐっすり寝ているような気がしてならない。むしろ、そうなってくれたほうがいいのだけど。

 今度こそ、雨に見舞われず、秋晴れの好天を期待したい。それにしてもキャンプの初体験が11月とは、これから末恐ろしい「キャンプの鉄人家族」が誕生する予感、いや、確信がある。
 その夜、ぼくと女房はステキなFファミリーに会えた興奮から、明け方まで語り合ってしまった。本番のキャンプでは明け方までぼくらのおしゃべりにつきあわせないようにくれぐれも気をつけないとと反省しきりである。



なやましき天候不順の10月キャンプ

2013-10-22 22:15:17 | Weblog

■ 雨のキャンプは大嫌い!

 前にも白状したと思うが、「キャンプで雨が降っても気にならない」という図太い神経は持ち合わせていない。雨のキャンプは大嫌いだ。雨を楽しむ余裕などかけらもない。キャンプ中、現地で雨に見舞われたらあきらめるしかないが、雨の予報が出ていたらキャンプは中止してしまう。雨のキャンプなど楽しくないからだ。

 10年ばかり前の9月、岐阜・平湯でのキャンプのとき、二日目の夜、夕飯を終えたあと、ラジオの天気予報が夜半に雷を伴った激しい雨が降ると報じているのを聞いて迷わず撤収を決断した。またたくまに荷物をクルマに積み込んだ。そして、夜をついてクルマを走らせ、明け方、好天の東京へ戻ってきた。
 雷雨の中のキャンプなどまっぴらである。ただし、その夜、岐阜の平湯が雷雨に見舞われたかどうかは知らない。

■ 子連れキャンプの緊張感

 先週末、すなわち10月19日と20日の日程で道志川上流にあるキャンプ場へ出かけるはずだった。しかも、これがキャンプのデビューとなる若いご家族と一緒だ。40代半ばのご夫婦、お子さんは小学2年生の子息に2歳の息女である。よそさまのお子さんと一緒にキャンプをするのはこれがはじめてだった。

 わが家のせがれは2歳でキャンプにデビューさせたし、家内の姪っ子は小学生低学年からキャンプに連れていっているが、季節はいずれも夏である。10月に標高が1,000メートル近い場所でのキャンプで、しかもよそさまのお子たちとなるとかなりのプレッシャーを感じてしまう。

 日程が決まってからずっと天気や気温が気になって、長期予報がはじまる1週間前からは日に何度もチェックしていた。チェックしたからといって好天が保証されるわけではないが、祈るような気持ちで秋晴れを願った。こんなに天気がどうなるか気になったキャンプはいままで記憶にない。
 せっかくキャンプに燃えているご家族、とりわけまだ見ぬお子さんたちに、「キャンプなんてこりごり」となってほしくなかったからだ。だから、雨もさることながら気温も気になって、寒さ対策の装備をどうすべきかずっと考えていた。

■ 寒さの心配もあるから

 女房もしきりに「はじめてのキャンプで寒くないかしら」とか、「時期的にもう寒いでしょうから風邪でもひかせたら大変」なんてしきりに脅かすからぼくも気が気じゃない。そうこうしているうちに日程が近づいてくる。
 まずは今年の春も末に買ってストックしてあった50個ほどのホッカイロをリストに加え、ひと晩のお泊まりには多すぎるのは承知でトートバッグにしのばせた。何年か前に買ったまま使ったことのない三個の湯たんぽもひそかに持参するつもりになっていた。

 あんまり寒さを気にして騒ぐとコケンにかかわると思いつつ、オレがついていながら、翌朝に「寒くて眠れなかった」なんてことになったら、さらにコケンにかかわる。
 若いころの耐寒キャンプで味わったつらさをあらためて思い出すが、あのころとは装備も違うし、厳冬期じゃないのだからさほど恐れることもないはずである。ただ、幼い子が一緒というのが未経験だけに不安だった。結局、厳冬期でもなんとかしのげるだけの準備を整えた。

 そして、迎えたキャンプ前日、翌日からの天気予報は最悪だった。土曜日は夜から雨、日曜日は朝から雨。日曜日の降水確率は70%というから確実に雨の中での撤収作業を覚悟しなくてはならない。冷たい雨の感触がよみがえる。
 最終的に、あちらの若いパパさんとメールのやりとりをして2週間延期とした。決断は70%に跳ね上がった降水確率だった。パパさんは、会社のオートキャンパーの同僚から、雨の日の撤収のやるせなさを聞いていていたので決断も早かった。

■ 下見のドライブに切り替えたが……

 予定を変更して山中湖へドライブという提案があり、ぼくたちもすぐに乗った。何よりもキャンプ場の実地踏査ができる。下見をすれば皮膚感覚で様子がわかる。それに、お引き取り願うことになっているテント、イス、テーブルなどの道具類もわたせる。
 なによりも、キャンプのぶっつけ本番でご家族にお会いするよりも、事前になじんでいたほうがあとあと楽である。

 悪天候のキャンプ、とくに撤収は回避できて安堵する反面、あらたな不安もまた頭をもたげてきた。万が一に突然空模様が好転して絶好のキャンプ日よりになったらどうしよう。そんな不安である。
 たしか一昨年、掲示板仲間とキャンプを計画したら天気が悪いというので中止にした。だが、当日になったらピーカンですっかり恥をかいてしまった記憶がよみがえったのである。

 朝起きて、もし、予報が急変していたらいつでもキャンプに切り替えることができるように装備と心の準備だけは整えて、ぼくは早めにベッドに入った。なんとも複雑な思いでの就寝だった。
(つづく)



キャンプはやっぱり焚火でしょう

2013-10-07 20:12:47 | Weblog

■ 久しぶりに見つけた焚火アイテム

 先日、倉庫を整理していたら、すっかり忘れていた道具たちを次々に見つけた。とりわけ、焚火するためにキャンプをやっていた当時のアイテムがごろごろ出てきた。いまでは手に入らないシロモノがいくつもある。それだけ直火が犯罪のように喧伝されてキャンプシーンから廃りつつあるからだろう。

 もし、災害に見舞われたりしたときに役立つかもしれないという焚き火グッズはいましばらく捨てずに保管しておきたい。無駄な備えになれば幸いである。

 久しぶりに顔を見る焚火道具たちに時代の変遷を感じて、この冬、久しぶりにソロキャンプをもくろんだ。直火のできるキャンプ場か、直火はできなくても相応の道具さえあれば焚火ができるキャンプ場のどちらかになる。

 焚火道具となると、以前はやたらかさばるバーベキュー台を使っていたが、スノーピークの焚火台を手に入れてからバーベキュー台はすべて処分した。焚火台はいちばん大きいモデルでも折りたためるから、少々高価でも焚火フェチにはたまらない魅力だ。


■ ようやく出番がきたヤカン

 とくに今回は、数年前に買ったはいいいけど使ってやる機会がなく、箱に入ったままの焚火用のヤカンの遅いデビューも果たしてやりたい。焚き火の煤で真っ黒になればなるほど味が出てくるようなヤカンである。
 最近、アウトドア用品専門店でこのヤカンを見かけないのは、すでに生産をしていないのかもしれない。

 ほかに焚き火を使って調理するためのステンレス製のソロ用ポットも倉庫のコヤシと化したままだ。おおいに使ってやらないと。ソロでのキャンプから遠ざかったってしまったし、人数がいるとだいぶ前からダッチオーブンを使うようになってしまったので焚火用のポットの影が薄くなっていた。そして、焚火自体からも遠ざかってきた。

 ポットばかりではない、火の粉を浴びたってビクともしない厚手の綿でできたパーカやパンツもひさびさの出番である。
 そのときのことを想像しただけで、いまも若いころ同様けっこう昂ぶってくる。やっぱりキャンプに焚火はつきものだし、これからの季節の焚火はなにものにも代えがたい。

 久しぶりに焚火台の出番となる。焚火の前のまき拾いやまき作りもまた焚火の楽しみである。ノコギリを忘れずに持っていかないと。



10月2日(水)のつぶやき

2013-10-03 02:21:44 | Weblog

体育の日を含む12日からの三連休のキャンプは中止にした。混むのはわかりきっているので、あまり混まないはずの遠くにあるキャンプ場を予定していたが往復の高速道路の混雑避けられない。
次の週末19日からの1泊キャンプが楽しみなので、三連休のキャンプをやめてもぜんぜん惜しくない。


スノーピークのリビングシェル・インナーテントのフルフライのど真ん中がかぎ裂きで大きく破れた。今年の正月のキャンプでだ。ガムテープで応急処置を施して使ったが、すっかり忘れて、9月のキャンプで撤収のときに気づいた。修理に出したら5,000円台で修理可能との電話がきた。むろん、頼んだ。


リビングシェル・インナーテントは、フルフライがなくても使える。リビングシェルのサイドのパネルを屋根代わりにすれば、よほどひどい雨に見舞われない限り問題ない。
今回はインナールームを使おうと思っていたが、夜の冷えを考えるとリビングスペースはやっぱり確保したいかな。


今度のキャンプではご両親ともども小学生と幼稚園児のお子さんふたりがキャンプデビューする。子供にとってキャンプなんて退屈でしかない。それをどうするか、やっぱりちょっと考えておかないといけないな。


次のキャンプはダッチオーブンを使う予定。スノーピークの焚火台を持参するか、キャンプ場に備えつけのU型側溝でガマンするか?
側溝で焚火っていうのは抵抗あるけど、荷物は減らしたい。悩むところだ。


久しぶりにダッチオーブンを使う前にシーズニングをやりなおしておきたい。焚火じゃなくてツーバーナーを使えばいいのだけど、それもなかなか場所がない。このあたりだと相模川の河川敷かな。


ダッチオーブンが3個、スキレット1個。これもそろそろ整理リストに入れたほうがいいな。



ぼくの道具の嫁入り先

2013-10-02 22:41:21 | Weblog

 手持ちのキャンプ道具はすべて近所のレンタル倉庫に収納してある。キャンプのたびに使っている道具は保管してある道具の一部でしかない。
 長いことキャンプにいそしめば自分なりのスタイルの変化や似たような製品の購入の重複で使わなくなって久しい道具たちのほうが多くなるのはぼくだけではないはずだ。

 これまでテントやタープ、スクリーンタープなどの大物類でまだまだ使えるものは身近な人に譲って使ってもらってきた。それでもまだ残っている大物はあるし、小物類となるとなにがどれだけあるのか自分でも正確には把握していない。容易に捨てられないのはひとえに愛着のためだけになおさら始末がわるい。
 こうした手に余るキャンプ道具をどうするか? ぼくにとっては大きなテーマである。

 最近、幸い若いファミリーがキャンプデビューすると聞いて、それじゃスターターセット代わりに使ってくれないかとお願いしたところ快諾いただいた。
 テント、タープ、テーブル、イス、調理台、食器類などは新品、新品同然、中古と入り交じっているが、そこそこのブランド品だからご勘弁いただくとして、そのほかに無印ながら、あると便利と思われる小道具たちもお引き取りいただくことにした。
 もし、いらなかった捨ててくださいと申し添えるつもりだが、あまりにも一般的でないものは、やっぱりぼくのほうで捨てることにした。キャンプデビューして、これからご自分のスタイルを確立していくじゃまになってはいけないからだ。

 もう自分では使わないけど容易に捨てられないできた愛着のある道具たちだけに、ぼくが好きな方のお役にたつなら無上のよろこびである。これらの道具を踏み台にしてさらによりよい道具にたどりついてもらえるはずだから。


楽しきかなキャンプで料理づくり

2013-09-21 14:44:55 | Weblog

■ 勢いこんでメニュー作り

 すっかりマンネリに陥っている最近のわが家のキャンプは、食事の計画などまったくたてず、いきあたりばったり、その日、キャンプ場へ向かうクルマの中で雑に決めてスーパーに立ち寄って食材を買い、現地に向かうか、先にキャンプ地に着いて設営後に何を食べるか決め、買い物に出かけるかのどちらかだった。ひと言でいえばおざなりになっていた。
 だからというわけではないが、今回は食べたものの写真を1枚も撮っていない。

 9月12日(木)から15日(日)までを予定した3泊4日のキャンプでは、何年ぶりかでぼくが事前にメニューを作って臨んだ。それというのも、楽しい食担をずっと女房に奪われたままだったからである。
家では台所へさえ入らず、料理なんかまったくしたことのない亭主だけど、キャンプとなると喜々として食事作りをはじめる。なぜか、キャンプの食坦は楽しい。だから、今回の久々のキャンプを機にこの大役を取り戻そうとしたのである。

 久しぶりに作ったメニューでは、買い出しの必要もあるので、食材から調味料も1枚のペーパーまとめ、プリントして持参した。
 うっかりレシピのコピーを忘れてきたが、食材と調味料がわかっていれば調理の方法はあらかた察しがつく。それほど簡単な料理ばかりだった。

■ 12日 初日はいたって簡単に

 >昼=コンビニ弁当
  設営優先で現地に向かうクルマの中ですませた。
 
 >夜=天丼・ご飯・餃子鍋・漬け物・総菜・味噌汁
 天丼はスーパーの総菜売場でかき揚げと魚の天ぷらを買い、麺つゆで甘辛く煮てパックご飯の上にのせてつくる。これ、わが家の初日の定番化したメニューである。
 そんなうしろめたさもあって今回は計画の段階で「餃子鍋」を加えた。だが、天丼があるからカロリー過多になるし、「そんなの天丼に合わないわ」という女房によってあえなく却下された。うまいのになぁ。

餃子鍋……ダシを少々入れて沸騰させてたお湯に冷凍餃子を放り込み、細かく切ったネギと一緒に煮こみ、ポン酢で食べる。面倒なときは、最後にポン酢で煮込んでしまう。それもキャンプ流の調理法。


 漬け物と総菜はスーパーで適当なできあいを買う。味噌汁はカップ味噌汁でじゅうぶん。これがうまいのである。ぼくの好みはマルコメの長ネギだけど、さほどこだわりはない。このあたりは女房の、消極的ながらなんとか同意にこぎつけた。

■ 13日 やっぱりダッチオーブンを持参したかった


>朝=餅&ブタ肉・お茶
 スライスしたブタ肉で包んだ餅をホットサンド・メーカーのバウルーで焼き、ポン酢で食べる(この味を知ってから、ホットサンドを長いこと作っていないな)。ほかには前夜の残りの総菜と漬け物をつまみ、飲み物はペットボトルのお茶ですませる。季節は、まだ冷たいお茶でもいい陽気だ。

>昼=たまご納豆もりそば
 人数分の納豆とたまごをボールに入れ、ふわふわになるまでよくかき混ぜる。そばは茹でたものを買っておき、沸騰したお湯にくぐらせる。キャンプ装備には各自用の大きめの器がないので、もりそばとした。
 お椀に納豆と麺つゆを入れて、ザルに盛ったそばを各自でとり、混ぜながら小口切りした万能ネギを散らして食べる。絶品であった。

>夜=ミルク鍋・漬け物
 奈良の明日香地方の郷土料理「明日香鍋」が原型。トリ肉を入れてダシをとり、ネギをはじめキノコなど季節の野菜と切り込みを入れたウインナーソーセージを牛乳で煮込む。本家の明日香鍋との違いは、においのきついチーズを使って味を整えることだ。チーズはクセが強いほど美味になる。最後にうどんを入れて煮込む。
 ふつうの鍋で作っても問題ないが、ダッチオーブンで調理すると味に深みがでる。却下された餃子鍋も同じである。ミルク鍋は、焦げつかせないように強火にせず適度な火加減で煮込む。

 これだけでは物足りないかもしれないと思い、「イカキムチ」を、そして酒の肴に「カプレーゼ」を作るつもりだったが、女房からまるで相手にされず、またしてもあえなく却下だった。たしかに、ミルク鍋だけでじゅうぶんだったし、ぼくの場合、酒の肴はサラミソーセージがあれば何もいらない。

イカキムチ……ぶつ切りにしたイカをごま油で炒め、小切りにした白菜キムチ、タマネギと一緒にさらに炒める。最後に醤油と豆板醤で味を整える。

カプレーゼ……オーソドックスにスライスしたトマトとモッツァレラチーズ、生バジルを交互に並べて塩、コショウを振り、オリーブ油で味つけする。


■ 14日 野外では明快な味つけがいい

 撤収予定日の朝なのでスーパーでクリームパンを買っておいた。前夜のミルク鍋が残るのを想定してできあいのサラダですませる。飲み物は、ペットボトルのお茶&インスタントのカフェオレ。

 コーヒーもそうだが、アウトドアでは微妙な香りや味を楽しもうなどと考えないほうがいい。つまり、本格的にネルドリップで淹れたコーヒーよりもインスタントをおいしく飲むコツを覚えたほうがいい。


■ まぼろしとなったメニューは次回に

 キャンプの日程が1日切り上がったので14日の昼と夜、15日の朝の予定がまぼろしのメニューとなってしまった。実際に女房から「却下!」を食らいそうなものもあるし、積みこみの関係で準備できなかった道具もあるから計画どおりにはいかなかっただろうが、とりあえず、わくわくしながら作った計画なので記録にとどめておくことにする。

 もし、予定どおり15日までキャンプができたときのメニュー計画は次のとおり。
【14日】
>朝=・雑炊(前夜のミルク鍋にパックご飯を入れる)
>昼=・越前風おろしそば(生そば/麺つゆ/大根おろし/貝割れ大根/削り節)
>夜=・炭焼きサンマ(大根おろし)
     ・かつ煮(かつ/麺つゆ/だし/たまご)あるいはとりの唐揚げの甘辛煮
     ・サラダ(市販) 
     ・焼きなす(なす/ショウガ/カツブシ)
     ・カップみそ汁
【15日】
>朝=・パン(パン/ジャム)
     ・ウィンナーエッグ(ウィンナーソーセージ/たまご/サラダ油/塩/コショウ)
     ・コーヒー
 
 秋はやっぱり炭焼きのサンマ(上の写真は数年前のもの)に尽きる。盛大に煙を上げて焼けるのも都会生活では難しくなっており、いまやキャンプならではのメニューだ。
 もし、10月や11月のキャンプが実現したら、これらもそちらで流用することが可能である。その前に、また、飲み屋で、「うん、これってキャンプにいいじゃないか」なんてメニューを見つけてキャンプ流にアレンジしているかもしれない。


この瞬間と出逢うためにキャンプへくる

2013-09-19 23:13:27 | Weblog

■ ローテーブルはやっぱり必需品だった 

 9か月ぶりのキャンプは、予報になかた夜半の雨、それも強い雨に見舞われたが無事にしのぐことができた。

 キャンプの朝がいつもそうであるように、ぼくは5時過ぎには起きて外へ出た。7月のキャンプだったら4時過ぎには起きる。天気さえよければ、キャンプは朝こそが至福のときだからだ。
 この日は、相変わらずの曇り空が気持ちまで曇らせる。わんこのルイを連れ、ぼくもともどもトイレで朝のつとめをすませるための散歩に出た。人の気配がほとんどない環境が実に晴れやかだ。

 サイトへ戻り、まだ寝ている女房はそのままにして、EPIのバーナーでお湯をわかし、インスタントのカフェオレをいれた。昨日、食材の買い出しのときに女房が買っていたカステラをひと切れ食べてみると、これが実にうまい。朝食前だというのにたてつづけに3切れ食べてしまった。

 失態は小さなローテーブルを持参しなかったことだった。荷物を減らすために故意に持ってこなかったのだが、天板がステンレス製のユニフレームの「焚き火テーブル」であれ、もうとっくに廃版になってしまった3ウェイテーブルであれ、調理台代わりにも、またこういうときにもなにかと重宝するからやっぱりぼくには必需品だった。


■ 待っていたこの陽光! 

 涼しい。東京の暑さからの解放感が実に気持ちいい。温度計を見ると気温は20℃。一夜明けてからりとした高原ならではの乾いた空気である。
 冷めてきたカフェオレをすすっていると、目の前の林の向こうから太陽が射しはじめた。そう、こういう朝を迎えたくてキャンプにくるのだ。こういう光のページェントと出逢うために早起きしているのだ。

 陽光は鋭く、しかし、柔和に林を切り裂いて届いてきた。今日という一日がおだやかで、秋の恵みの光を奏でてくる予感たっぷりにふりそそいでくる。刻々と変化する朝の光を浴びながらぼくは恍惚として見とれ、すんでのところでカメラを向けるのを忘れるところだった。
 頭上の空はまだ雲が覆っていたが、この日が秋晴れになる確信があった。そして、確信はまもなく現実になった。

 朝食はホットサンドメーカー「バウルー」で焼いた切り餅だ。わが家のキャンプの定番でもある。薄切りのブタ肉と一緒に焼き、ポン酢で食す。これが激ウマで油断すると食べ過ぎてしまう。ぼくたちにはひとり2個くらいがちょうどいいはずなのだが、ついつい3個ずつ食べてしまった。写真を撮ってる気持ちの余裕さえなかった。
 バウルーは、もちろん、ホットサンドも作れるし、わが家のキャンプの朝には欠かせない必需品である。いずれ詳しくレポしたい。


■ 台風が発生した! 

 朝食を終えたあと、女房が管理事務所でとんでもない情報を仕入れてきた。前夜、ロッジに泊まっていてこの日帰るカップルの女性と管理人の奥さんが台風の話をしているというのである。
 まさかと思いつつアイフォンで天気予報をみると明け方に南方洋上で台風18号が発生し、関東甲信越直撃の可能性が高いというではないか。しかも、かなりの大型らしい。

 この日13日(金)も、朝のうちは雨の予報が出ていたが、さいわいそれもなかったし、昼間は晴れだという。だが、翌14日(土)の午後からはどうやら下り坂になるらしい。そして、撤収予定の15日(日)はどっぷり雨の予報である。雨の中の撤収など想像もしたくない。

 若いころならいざ知らず、雨のキャンプは願い下げだから予定を1日切り上げて帰りたい。この日に合流するはずの従姉夫妻は2泊の予定でくるが、お互い高齢キャンパーだから、雨が降るとわかっているのにあと1泊の未練は残さないに違いない。
 よし、明日帰る。肚は決まった。


■ ずっとはずされたままの食担 

 いつの間にか空はすっかり晴れ上がり、秋の日射しが心地いい。金曜日ながらポツリポツリとクルマが入ってくるが、みんな電源なしテント専用サイトへいってしまうので、こちらは相変わらずのがら空きである。ルイのような臆病で夜中でも吠えるわんこ連れにはありがたかった。

 9か月ぶりのキャンプなので、食担は女房から取り上げようと思っていたが、どうも女房がいい顔をしない。ふつうは、「キャンプにきてまで食事のしたくやあとかたづけなんかしたくないと思うはずなのに、もともと料理が嫌いじゃない根っからの主婦のこのひとは、ある時期からキャンプでの非日常の料理のおもしろさを知ってしまったようだ。

 それでも、昼のメニューはぼくの予定どおり「たまご納豆そば」であり、夕飯は「ミルク鍋」である。昼飯はともかく、ミルク鍋は、確実に女房のしきりになるだろう。キャンプでありながら、確実に彼女が微妙な味つけにこだわるからだ。
 本来ならダッチオーブンを使うはずだったが、今回は荷減らしで持参していない。ふつうのナベでの料理となる。やっぱりぼくの出る幕はなくなるはずだ。

 今回、ひそかに作った食事メニューは、半分くらいしか実現できなかったが、ぼくとしてはかなり完成度が高いという自負がある。次のエントリーで記録としてとどめておきたい。

1月以来のキャンプは波乱含みで

2013-09-16 10:08:52 | Weblog

■ シェラと最後に過ごしたとなりのサイトへ 

 9月12日(木)から15日(日)までの3泊4日で予定したキャンプは、年越しキャンプ以来になるので9か月ぶりとなる。敬老の日の16日(月)を休息日にあてたので余裕たっぷりの日程を組んでのぞんだ。
 昨年11月から苦しんだ膝痛とそれにつづく腰痛もすっかり完治し、体調も肩に痛みを残している以外、体調は問題なかった。

 それでも出だしから波乱含みだった。
 出発の日の朝、クルマの屋根にキャリーを搭載しようとして小さな部品を紛失した。キャリーをあきらめ、ダッチオーブンや焚き火台などの装備を減らし、積み込みを終えて出発できたのは午前11時過ぎだった。

 中央道の八王子ICへ向かっていると、13日に合流を予定している従姉から家人のケータイに電話がきた。予定していた八千穂高原駒出池キャンプ場が14日(土)~16日(月)は貸し切りになっているとのこと。そこまでチェックしていなかった。

 急きょ、予定を清里中央オートキャンプ場へと変更。三連休を控えて予約が取れるかどうかチェックするとどうやら問題ないもよう。とりあえず、予約だけ入れて向かう。
 むしろ、駒出池よりも清里中央のほうが混雑しているのではないかと思っていたが、予約が取れてひと安心。

 清里中央オートキャンプ場は、八千穂駒出池キャンプ場とならんで親しんできたキャンプ場である。女房はむしろこちらのほう好みですらある。ただ、17年間溺愛してきたわんこのシェラと最後にキャンプを楽しんだキャンプ場でもあり、そのため、シェラが死んでからはなかなか足が向かなかった。

 清里中央でのキャンプの場合は大半を電源サイト借りている。だが、今回は駒出池のつもりだったので電源を使う準備はしていない。電源なしのサイトを借りると、結果的にシェラと最後に過ごしたサイトのとなりのサイトに落ち着いていた。
 これらすべてシェラの引き合わせかななんて思ってしまう。


■ 予期せぬ雨に遭遇 

 設営は、われながら9か月のブランクをまったく感じなかった。むしろ、以前よりも手早く設営を完了することができた。もしかしたら、オレってベテラン? 今回はそんな感じで、すっかり気をよくしていた。

 わが家へやってきて2年になるルイは、これが5回目のキャンプとなる。最初からテントの設営や撤収となると激しく吠えたててぼくたちを困らせる。どうやら、ポールが怖いらしい。今回もテントを組み立てはじめると大騒ぎがはじまった。
 クルマの中へ入れても暴れてシートに噛みついたりしかねないので、設営の間、女房がサイトが見えない場所までルイを連れていってつないできた。

 ひととおりの設営を終え、長坂ICの前にあるスーパーまで買い出しに向かう。長坂の町まで降りると道路が濡れている。どうやら雨が降ってやんだばかりらしい。幸運だったと思ったのは早計だったのをやがて知ることになる。
 買い物をすませ、外へでるととっぷりと日が暮れていた。大泉を通り、清里へ向かう道すがら、雨粒がフロントグラスに当たりはじめた。今回のキャンプで雨は想定外だった。トイレなどへいくためのビール傘を持参しなかったのが悔やまれる。

 サイトへ着くと雨が降りだした。買い物に出かける前にコールマンのワンマントルランタンにホワイトガソリンを入れ、こわれたマントルを新しくつけかえ、ポンピングを終えておいたのですぐに明かりをともすことができた。このところ、電源サイトの利用が多くなっていたので、ガソリンランタンは久しぶりである。

 ガソリンランタンはいつも2~3台持参する。だが、今回は荷物をへらすために1台だけにした。ぼくたちだけのキャンプならそれでもいいが、グループキャンプとなるとテーブルまわりで使う小ぶりのランタンがほしくなる。何を導入するか考えてみたい。すでに候補はいくつかあるが、少しばかり研究してみたい。


■ そして、雷雨となって 

 午後7時過ぎから雨は本格的に降りはじめた。八ヶ岳の方角から、あるいは反対側の南アルプスの方角からも雷鳴が響いてくる。シェラがいたころは、雷におびえるシェラをなだめるのに苦労した。
 しかし、シェラがいないいま、おびえているのは女房だけである。雷が近づいてきたら、テントの横に停めてあるクルマに逃げるなり、管理棟へ逃げ込めばいい。そういってなだめつづけた。

 8時過ぎ、テントの外からぼくたちを呼ぶ声が聞こえた。首を出すと管理人の奥さんがクルマでやってきて、「雨がひどくなったら、ロッジの*番を開けておくから避難してください」とのやさしい言葉。帰りがけにわざわざ寄ってくれたのである。

 テント泊はぼくたちを入れて2組。ロッジにも1組しかないからできるサービスだが、なんともうれしい心遣いだ。女房はもうすっかり寝るときはロッジへ移ると決めている。
 幸い、雷はこちらへ近づいてくることもなく、雨は9時過ぎには弱まり、就寝時の11時にはほとんどやんでいた。

 こんなとき、外へでるとたいてい星空が見えるのだが、この夜は雲がたれこめているのだろう、まったく星は見えず、暗い夜を迎えていた。波乱含みの初日だった。
 やがて、この夜のいやな予感が現実になって朝を迎えることになる。