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私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

木曽路再訪のキャンプは駒ヶ根から

2015-09-27 03:19:36 | Weblog

■ 秋雨前線に濡れながらの出発
 9月、駒ヶ根キャンプ場へ出かけた。正式には「駒ヶ根高原アルプスの丘 家族旅行村」というらしい。
 最初に予定したのは、駒ヶ根から決して近いとはいえない松本市奈川の「高ソメキャンプ場」だった。だが、夏休みをとった2日が高ソメの定休日だったため、まずは駒ヶ根で一泊だけして、翌日、高ソメへ移動しようと予定を変更した。

 今回のキャンプのテーマは「木曽路再訪」。初日に馬籠宿と妻籠宿を久しぶりに訪ね、翌日、はじめての奈良井宿に出かける算段だった。
 まずは2日(水)の午前7時に出発、横浜町田ICから東名道へ乗り、新東名、伊勢湾岸道、東海環状道、中央道で中津川ICへ至って馬籠宿と妻籠宿を訪ね、夕方に駒ヶ根キャンプ場へ入ってテントだけ張って寝るという予定である。
 持参するテントはモンベル5型だから10分もかからないで設営できる。

 問題は空模様だった。
 8月から列島に居座ったままの秋雨前線は、若干の衰えは見せはじめていたが、まだ消える気配はない。甲信越地方の天気予報は、キャンプに絶望的ではないがかろうじてなんとかなりそうな様子だった。
 
 予定は出だしから狂った。まず、小雨の中の積み込みに思いのほか時間がかかってしまった。出発してからも予定どおりにはいかない。ルーフキャリーにめいっぱいキャンプ道具を積み込んだので慎重に走行せざるをえず、何度かSAやPAへ入ってキャリーの状態を確認し、雨除けに荷物を覆ったグランドシートをなおしたりしていたので、最初の目的地の馬籠には2時間遅れの午後2時の到着となってしまった。
 
 それでも途中、静岡へ入ってから、空は久々の太陽が秋の陽射しを暑いくらいに照らしはじめた。一週間前はずっと雨が降っていたのだから幸運というしかない。
 予定した「まごめや」はわんこも入れるというのでまずはここを目指していた。しかし、すでに2時を過ぎていたのでもう店じまいをはじめている。情報では15時まで営業のはずだが平日なので一時間早い店じまいなのか。
 腹ペコをかかえたわれらが哀れに見えたのか、頼み込むと蕎麦を食べさせてもらうことができた。


■ まずは最初の野営地へ
 9月とはいえ、3時になろうとして陽射しはそろそろ夕刻への色を帯びはじめていた。
 水曜日という平日のためもあるだろう、この時刻の馬籠宿自体、まるで活気がない。人の姿もまばらである。馬籠のみならず、妻籠への愛惜もすっかりしぼんでしまった。ぼくらはそそくさと中津川ICへ戻り、駒ヶ根を目指した。
 
 駒ヶ根も高ソメのキャンプ場も、昔からガイドブックなどでその存在だけは知っていた。さすがにわが家から距離があるので利用する機会はなかったが、今回は3日間の夏休みに週末の2日を加えた5連休という、ぼくとしては長い休暇がとれたのと、家族三人の夏休みになったので期待を胸にやってきたわけである。

 駒ヶ根のキャンプ場はきれいな休暇村のなかにあった。
 ギリギリまで出発できるかどうかわからなかったので予約はしていなかった。「希望のサイトは?」と訊かれても、むろんわかるはずがない。まずはひとまわりさせてもらった。
 想像していたよりも小ぶりなキャンプ場だが、雰囲気はわるくない。植生にしても、松が多いというのは写真でわかっていた。松以外の木々もあってどうやら気持ちよくひと晩過ごせそうである。
 チェックインの手続きを終え、サイトで設営をする段になって翌日以降をどうするか家族三人で相談した。高ソメへ移動するなら

 チェックインの手続きを終え、サイトへ移動して設営をする段になって翌日以降をどうするかを協議した。高ソメへ移動するならムーンライト5型テントとシュラフ、マット以外はクルマに積み込んだままで、夕飯は市内のどこかですませればいい。この駒ヶ根へ腰を落ち着けるなら、あらかたの設営を終えてしまったほうがいい。
 
 問題は、天気である。直近の予報だと翌日3日(木)は雨。高ソメへ移動すると、雨の中での設営の可能性もじゅうぶんにあり、これはつらい。この駒ヶ根がけっこういいから、ここに腰を落ち着け、高ソメはやめる――結論は早かった。
 この日、ほかには三張りのテントが見えるが、どこも静まり返っている。いつ雨が降り出すかわからないようなこんなときにキャンプをやろうというだけあって、やたら興奮して騒ぐビギナーとは違って風格さえ漂うほどの落ち着きがある。そんな安心感もあっての決断だった。

■ いいキャンプ場じゃないか
 当初の予定では、初日に馬籠宿と妻籠宿の再訪をすませて2日目に奈良井宿へ寄ってから高ソメへ向かうはずだった。だが、雨の予報を受け、翌日は駒ヶ根から動かないと決めた。
 場内には温泉が併設されている。まずは、温泉に入り、そこで昼食をとり、街へ買い出しにいってからのんびりキャンピングライフを楽しもうということにした。

 このキャンプ場には、昔からコンクリート製の焚火用の炉(煮炊き用)がサイトごとに設置されている。ほかにベンチが一体になったテーブルも全サイトに置かれている。これらはとても重宝した。
 今回も折り畳みテーブルを二卓持ち込んでいたが、組み立てたのは一卓だけで、スクリーンタープに置き、食事はキャンプ場の据え置きを利用した。大きいし、しっかりしているから使い心地は申し分ない。ただ、長雨のせいで座っているとズボンのお尻の部分が湿っぽくなる。翌日、買い物ののついでにキャンプ用の座布団を買ってきて使った。

 夕飯を終えて見上げた空には、満月を過ぎて痩せていく月が、まだ丸みを残して浮かんでいる。翌日の雨の予報が信じられないほど穏やかな月の光である。
 適度な距離をとって張られたほかの三組のサイトからもランタンの光が漏れている。だが、物音は何も聞こえない。理想的なキャンプの夜である。
(つづく)

新しいジャグがやってきた

2015-08-22 10:17:13 | Weblog
■ 修理できたら古いスチールベルトを使いたいけど
 新しいジャグを買った。英文だったら複数形で書いているところだ。
 つまり、買ったのは1個ではない。たてつづけに2個買ってしまった。バカなことをしてしまったと正直思っている。 
 
 長い間使ってきたコールマンのスチールベルトのハンドルが壊れてしまい、キャンプ場の水場から水を入れて持ってくるのに不便をきたしていた。ずいぶん昔に買ったネットのトートバッグに入れて運ぶのだが、満タンだと重いのでバッグから出すのに苦労するし、服をよく濡らした。
 だから、新しいジャグを買おうという気はあった。
 
 ハンドルがない以外はどこも悪くない……といいたいけど、満身創痍、つまり傷だらけである。手荒に扱ったつもりはないが、そういや、クルマの積み下ろしのときしじゅう落として転がした記憶がある。ハンドルもそれで傷んだのかもしれない。でも中はきれいだからキャンプで飲料水を蓄えておくのに不便はなかった。
 
 これは、20年ばかり前、誕生祝いに家族からプレゼントされたものだし、長い間使ってきたから愛着もひとしおである。
 一度、いきつけのショップで取れたハンドルを修理できるかどうか訊いたことがある。そのときは、コールマンの倉庫が火事に遭い、保存していたパーツがかなり焼けてしまったと聞いたのであきらめた。
 最後の手段は自作のハンドルを装着できればいいのだけど、そこまでのスキルとやる気がぼくにはない。

■ コールマンカナダの薄いグリーンがいい
 先日、冷やかしで入った中古店の陳列棚の上の古いジャグが目にとまった。コールマン製品が多くが「コールマングリーン」と呼ばれているらしい濃いグリーンだが、コールマンの本家アメリカのお隣のカナダへいくとコールマンのグリーンが薄くなる。
 
 このジャグはコールマンカナダに違いない。ぼくはどちらも好きだが、コールマンカナダの商品はひとつも持っていない。たしかめるまでもなく、迷わず買った。
 英語とフランス語で印刷された保証書が入った古い箱もあって、やっぱりコールマンカナダの製品だった。

 使った形跡はあるけど、ほとんど傷がない美品である。なによりもハンドルがしっかりしているのが気に入った。これなら少々ラフに使っても簡単にこわれはしないだろう。
 ヴィンテージ品だからといってたすら磨き上げ、部屋に飾っておいたり、キャンプ場でこれみよがしに並べて見せびらかす趣味はない。
 
 値段は1万4,000円だった。高いとは思わなかった。
 以前買いそこなったというより、まだグリーンのスチールベルトのハンドルが健在だった当時に発売されたので買わずにいて、その後、ほしいと思っても発売されていないボディーがステンレスのジャグもあるが、ネットで探すと2万円以上していたのであきらめた。並行輸入だからしかたないのだろうけど、ジャグに2万円かけるのは気が引けた。

■ やっぱり得したのかもしれない
 コールマンカナダのジャグを手に入れたので、今度は本気で古いほうのジャグの修理を考えてみようと思いながら、このブログにレポートを書くにあたり、例のステンレス肌のスチールベルトの正式な値段をネットで検索してみた。
 
 目を疑った。新品の製品が、しかも並行輸入とうたいながら、値段は9,800円で出ているではないか。 
 コールマンカナダのジャグを買ったことを忘れたわけではなかった。だが、1万円を切る値段に興奮し、思わずカートに入れ、さっさと手続きを終えた。
 
 買ってから、家人への三つものジャグを持つ言い訳を考えた。答えは簡単だった。キャンプ用品を新たに買うときの決め台詞はいつも同じである。「災害対策用品として準備した」というやつだ。
 
 今朝、8月のお盆のさなかだというのにそのステンレス肌のスチールベルトが届いた。悩みは9月に予定しているキャンプにどれを持参するかだ。これ見よがしに並べるつもりはないし、もちろん1個あれば十分である。
 
 ここへきて、同じステンレス肌のジャグのリコメンド広告がぼくのパソコンにやたら表示される。値段は税込みで2万6,300円だという。やっぱり得をしたのか? ちょっと複雑な思いでいる。


なんて素敵な“落ちこぼれ”だろう!

2015-07-27 20:00:28 | Weblog
■ 夏休みに楽しめる本はなんだろう?
 キャンプに目覚めた10歳の少年が、夏休みに楽しめる本はないものかとあれこれ探してたどり着いたのが『メイベル男爵のバックパッキング教書』(晶文社)だった。

 といっても子供向けの本ではない。大人を対象としているが、ひとコマまんがのような楽しい本なので、たぶん、10歳の賢い少年ならじゅうぶん楽しんでもらえるはず。
 便利な時代の便利な方法を活用して、インターネットで購入して直接届けてもらった。

 ぼくはこの本を33年前の初版で購入し、何度も楽しませてもらってきた。著者はアメリカのコミック作家のシェリダン・アンダーソン氏。翻訳者というより、共同著作者でもあるのが日本の代表的なアウトドアライターの田渕義雄氏。総ページ数222ページの本書の101ページからはじまる「男爵のご親友であるヨシオの脚注」を何度繰り返して読んできたことか。
 107歳の少年には読みこなせるかどうかわからないが、添えられた絵(田代和泉氏)と写真(小林淳氏)が魅力的でだから、それだけでも十分に楽しめるはずだ。

■ 田渕義雄さんからはたくさん教わった
 少年のパパさんからいただいた礼状のメールにぼくは次のような内容の返信をした。

たった一冊ですが、「ユウキ君とパパの分」も予定どおりに届きましたね。

この夏休みにユウキ君がパパと一緒に楽しめる本はないものかと考え、探していました。とりあえず、キャンプでお約束した本はママとユリちゃんに送ってからもなかなかユウキ君には「これがいい!」という一冊にたどりつけずにいたのですが、一昨日の会議中に突然ひらめきました。

ただ、古い本なので新品はないだろうと思っていたらまだ版を重ねていてラッキーでした。とっても楽しい本です。装備品リストはわれわれも参考になります。
後半のほうの記事はパパ用で、この書の翻訳者、というよりも日本を代表するアウトドアの第一人者であり、川上村在住の田渕義雄さんのいちばん田渕さんらしさが出ていて、ぼくは何度も読み返したものです。

本編のほうの原著作者であるシェリダン・アンダーソン氏は、この翻訳版が上梓された何年後かに亡くなりましたが、その悲報を川上村の山荘で受け取ったときの田渕さんの悲しみの一文はいまも忘れることができません。国を越えた深い友情に感動したものです。

田渕さんはぼくよりも一歳年上の方ですが、「あの時代にこんな若者たちがいたのかよ」と驚くほど、同世代としては信じられないような豊かでノビノビしたアウトドア三昧の青春を送っていたようです。
田渕さんの群れず、商業主義に毒されず、妥協のない孤高の精神には日本的なストイックさばかりでなく、アメリカの風土が生んだフロンティアスピリッツの系譜につながる強固な静謐さが宿っており、それが氏の心地よい独特な感性を形成しているとぼくには思えます。

もし、そうだとすると、ぼくよりもママさんのほうがより深く田渕さんの一連の森の暮らしのエッセイに共感してくれることでしょう。
これは決して押しつけではありませんので、くれぐれも誤解のなきようお願いします。

■ 心配なのは……
 本書の中で、田渕さんは著者のシェリダン・アンダーソンさんと自分が日米の落ちこぼれ同士だと自己紹介している。
 むろん、自己韜晦だろうが、たしかに一部の人たちの目には“落ちこぼれ”と映るかもしれない。ぼく個人は、なんて素敵な落ちこぼれだろうかと羨ましくなるが、これはぼくの勝手な感想でしかない。
 だいたい、アウトドアなどにハマり、わざわざ森の生活を楽しむ生き方に拍手を送る人間ばかりではないだろう。「なんで正業に就かないのだ」なんて非難が聞こえてきそうである。
 
 アンダーソンさんにしても、「まんが家なんて……」と、このステキな職業に眉をひそめる人が日本にもアメリカにもいるだろう。ましてや、アウトドアに血道を上げるなんてただの遊び好きでしかないと疑いもなく思う人も確実にいるはずだ。
 そういう意味では、ぼくもまた落ちこぼれのひとりである。
 
 少年は、大人も顔負けに礼儀正しく、成績優秀にして、豊かな運動神経とそれを支えるめぐまれた体躯の持ち主である。妹思い、親思いの人格者である。
 自己否定をするわけではないけれど、ぼくは自分が凡庸な人間でしかないのは承知している。だからこそ、この遊び好きなだけのつまらない爺さんから悪い影響を受けてくれるなよと思う。アウトドアなんかにハマって人生を誤ってくれるなよと……。

 もっとも、少年のご両親はしっかりした考えをお持ちだし、少年自身も聡明だから、ぼくが心配するまでもなく、遊びはほどほどに楽しむすべを心得て成長してくれるだろう。

今年の夏キャンプは台風とともに

2015-07-26 07:48:59 | Weblog
■ 11号のおかげでどうなるか?
 7月の梅雨明けと同時に夏のキャンプに出かけるのが恒例になっている。うまくいけば子供たちの夏休みより先に決行できるので、キャンプ場の混雑から、少なくとも初日、あるいは2日目も解放される確率が高いからである。梅雨明けが遅くなって流れた年もあったが、たいていは強行してきた。
 
 去年はキャンプ初日に雷を伴った激しい雨の波状攻撃を受け、さんざんなめにあった。今年の小学校の終業式は18日(土)だという。それじゃ、一日前の17日(金)に夏休みをとって現地へ入る、月曜日20日の「海の日」を入れた三泊四日を計画した。帰路の渋滞はしかたないけど、せめて往路はすんなり着いて疲れたくなかったからである。
 しかし、17日は台風11号が四国から中国を横断して、関東甲信越も余波でキャンプどころではなかった(それでも、現地には17日から設営していた人がいたらしい)。

 雨に濡れながらの設営はなんとしても避けたい。これまで二度、どしゃ降りの中の設営を嫌い、キャンプ場に着きながら諦めて帰ったことがある。一度は富士の裾野で、次は戸隠で。どちらも、天候の好転が望めなかったし、大雨の中で気持ちがまったく乗らなかったからだ。
 台風の想定外の接近や天候の急変で予定を切り上げて逃げ帰ったキャンプもある。記憶にあるだけで、水上の山中からは夜明けとともに、飛騨からは夜を徹して、清里からは残りの二泊を断念して……。いずれもいまとなってはいい思い出である。


■ 今回は天気予報に頼った
 君子危うきに近寄らず……君子ではないが、臆病なのでさっさとリスクヘッジに踏み切ってきた。おかげで今日まで無事にキャンプを楽しんでいる。
 むろん、それでも油断すればいつなんどき事故に遭遇しないともかぎらない。キャンプ慣れと老齢ゆえの判断の甘さがいちばん危ない。ゆめゆめ油断しないでいたい。
 そんなことを思っていながら、今回、台風11号がまだ日本海にあって影響が出ているであろうフィールドへぼくは突っ込もうとしていた。

 現地の天気予報は可能なかぎり収集していた。
 初日の18日の「一時的な雨」だけは避けられそうにない。いろいろな予報を探ってみると、予報によって現地での降水の時間帯が微妙に違った。午前中のもの、午後の一時期のもの、夕方近くの短時間とバラバラだった。だが、どの予報にも共通していたのが降雨量である。いずれも降水量はたいしたことない。
 キャンプでは雨以上に神経質になるべき風のほうは、どの天気予報もさほどではない。このデータを信じてキャンプに出かけることにした。
 
 今回ばかりは雨の中の設営も覚悟して、雨具はすぐに取り出せる場所に入れ、午前8時半にわが家を発った。すでに中央道は相模湖まで渋滞がはじまっていた。圏央道の相模原愛川ICからの利用もこれで三回目となる。高尾山IC手前から八王子JCまでの渋滞がひどいが、前回のゴールデンウィークのときほどではない。 
 クルマのナビの計算では現地到着が午後2時近くの表示である。1時台には着きたいところだが、午後も遅くなるほど天候が好転する確率が高くなるので遅くなってもいいかと思う。


■ ムーンライト5型のキャパシティー
 これまで、たいていはキャンプ場へ入る前に夕飯の買い物をすませるが、今回はテントサイトの確保をしたかったのでキャンプ場へ直行した。予定した場所はどこもすでにテントが建っているが、その近くならさほど条件は悪くなさそうである。
 曇天ではあるが雨は降っていない。設営を急ぐ。名古屋からきたという隣のテントは朝早く着いて雨の中で設営したという。
 荷卸しをしていると従姉夫婦のクルマがやってきた。関越道をやってくる彼女たちとは、いつも不思議なほど似たようなパターンで合流している。
 
 テントは今回もモンベルのムーンライト5型とビッグタープHXである。両方とも去年の7月にデビューしているからちょうど1年目になる。前回からせがれが入ってムーンライト5型を三人で使ってきた。
 ムーンライト5型は大人三人だとギリギリのキャパである。体格のいい人ばかりだと三人でも窮屈だろう。わが家も着替えなどの入った各自のダッフルバッグはテントの背後にある後室にグランドシートにくるんで入れ、寝るためのスペースを確保した。
 
 ムーンライト5型のメーカーの使用想定は、大人二人と幼児二人である。荷物までテント内に収納すると快適に使えるのはやっぱり大人二人だろう。わが家はこれに中型犬のコーギーが加わる。大人は三人が限度だ。
 今回感じたのは、タープの復活が目覚ましいことだ。スクリーンタープが主流になっていたのが、夏ということもあるだろうがさまざまなメーカーのヘキサのタープが目立つ。虫を嫌ってメッシュのウォールをつけたメッシュタープからはじまったのだが、夏はやっぱり開放感のある一枚布のタープが気持ちいい。


■ 真夏のキャンプは緑陰でのおしゃべりにつきる
 設営を終えてもう一度下界へ戻り、買い物をすませた。台風は日本海に出て熱帯低気圧に変わっていた。それでも影響はまだ多少あるだろうが雨に降られないですみそうなのがなによりである。
 キャンプ場へ戻ると終業式を終えて夏休みに突入したFファミリーも到着し、すでに設営もほぼ完了していた。テントサイトはさらに新しいテントが増えているが、ぼくがあらかじめ想像したほどではなかった。やっぱり台風のおかげだろうか。

 夜はきれいな星空になって確実に梅雨が明けたことがわかる。むろん、2日目の朝は晴天の空が広がっていた。この日は近所のマス釣り場へいってユウキ少年と晩飯をゲットする予定だったが、少年の体調がイマイチだったし、真夏の炎天下での釣りは体力の消耗にもつながるので次回以降の楽しみとして木陰へみんなで入り、おしゃべりに終始した。


梅雨の中休みの一泊キャンプ

2015-07-25 12:35:27 | Weblog

■ 久しぶりに富士の裾野へ
 年末年始の休み以来、一緒にキャンプへいっていない若き親友ユウキ君の希望もあって、6月の梅雨の真っ盛りの6月27日(土)~28日(日)に一泊キャンプを計画した。梅雨の中休みにうまくぶつかって実際にいかれたらもうけもの、当初はダメで元々くらいの気持ちでいた。

 だが、この春小学4年生に進級してまた一段と頼もしくなったであろう友人のことを想像すると、半年ぶりのキャンプがどんどん楽しみになっていった。
 たかが一泊だから、キャンプさえできればどこでもいいやというおざなりの気持ちはすぐに消えて、友人の家族をはじめてのキャンプ場へ案内した。富士山の裾野に位置するきれいなキャンプ場である。以前はよく利用していたが、理由(わけ)あってかれこれ10年以上のごぶさたになる。

 富士の裾野のキャンプ場にありがちなのだが、ここもだだっ広いけど日陰を作ってくれる木立が乏しい。それでも6月だし、一泊キャンプだから多少の日差しはガマンしようということでこのキャンプ場へ出かけることにした。


■ いざとなれば現地で決めよう
 親友のお父さんとは直前までメールで空模様の情報を交換しあった。予報は芳しくなく、われわれをずっと苛立たせた。しかたあるまい。梅雨のど真ん中である。予報士たちだって楽観的な天気予報などできるはずがない。
 ぼくは公式の天気予報よりも自分の直感に頼った。数年前、梅雨の最中に仲間たちと本栖湖でのキャンプを計画して大荒れの予報に未練たっぷりで前日に中止を決めたことがあった。

 いちばん遠い仲間は、女性ながら姫路から愛車で長駆やってくる。翌朝の東京の空の様子を見てからキャンプの実施を判断している余裕はなかった。はたして、翌日はピーカンの穏やかな絶好のキャンプ日和を迎えて唖然としたものだった。
 今回の友人の一家は都心に住んでいる。最終判断は実施当日の27日の朝ということにして空が好転するのを祈った。それでもあやふやなときは現地判断でもいいという気になっていた。
 
 そして、迎えたキャンプ当日まで、予報はこの日の前半は雨が残るものの、後半から翌日は好転するというものだった。曇空のもと、キャンプ道具の積み込みを終えて町田を出発して富士の裾へ向かった。
 御殿場から第二東名へ入ると霧が高速道を包んでいる。祈るような思いで走る。幸い富士宮の市街地はまだ曇天の下にあった。  


■ 霧から雨の中での設営
 曇り空のキャンプ場へ着くと霧がにわかに沸いてきた。このあたりの霧は珍しくもない。そういえば、最後にここでキャンプをやったときも深い霧の中だったった。
 思い出にひたるまもなく、小雨がぱらつきはじめた。急いでタープを張る。これさえすませれば多少の雨くらい怖くない。今回はせがれも同行してくれたのであっという間に設営が終わった。やっぱりムーンライトテントは手早く張れる。ムーンライトのシリーズが雨や風に強いことは30年来経験ずみである。
 
 設営が完了すると同時に霧が晴れ、青空がのぞいた。まもなく、友人家族がお父さんのカングーで到着した。
 すっかり背が伸び、大人びた顔つきになっ親友のユウキ君がカングーから飛び降りてきた。そんな彼の姿に目を細めていると、妹のユリちゃんがクルマから降りた。幼稚園の年中さんだが、お兄ちゃん以上の速度で成長を遂げている。
 あとで聞いたのだが、幼稚園の年中さんではいちばん背が高いという。思わず見ほれてしまった。

 自分の直感を信じて最後までこの日のキャンプを諦めずにいたご褒美が、孫のようなふたりのキャンプ仲間の成長を確認できたことだった。
 夜は約束どおり持参した焚火台で焚火をしながら語り合った。キャンプはこのひとときのためにある。そんなキャンプの楽しみをあらためて思い出させてくれたのがこのご家族である。  

■ 焚火にマシュマロが欠かせなくなった夜
 夕飯は、簡単にバーベキューにした。みんなすごい食欲なのに、仕事が忙しくて寝不足気味のパパさんがいまひとつ元気がない。それでもユウキ君のお墨付きなのでフライパンを渡してチャーハンをはじめ、あれこれフライパン料理を作ってもらった。

 きわめつけがデザートに用意してもらったマシュマロの焚火あぶりである。ユウキ君のママがアメリカ留学で経験したキャンプの究極の楽しみだった。 
 ぼくは食べもののなかで唯一このマシュマロだけを苦手にしている。あの触感がダメだし、独特の甘さもなじめない。最初は断ったが、あまりにもみんなが、「おいしい!」と叫び、「マシュマロの概念が変わった」などと騒ぐのでおそるおそるひとつ口にしてみた。
 もうこれから、焚火にマシュマロが欠かせなくなってしまった。それほどの絶品だった。

 もうひとつの収穫が、写真のような富士山の樹林帯の緑を実際に確認できたことである。杉並に生まれ育って、子供のころから遠くに富士山を眺めて育った。家の縁側からも西の方角には富士山があるのが当たり前だった。 だが、緑をまとった富士山を目にしたのはこれがはじめてである。この幸運は、夕刻の光にたまさか恵まれたからだろう。
 たくさんの思い出をもらった梅雨の中休みキャンプだった。


カセットガスこそが最強ではないだろうか

2015-05-27 20:17:52 | Weblog

■入手の容易さとコストパフォーマンスで
 キャンプでの食事作りの熱源は、焚火にはじまりホワイトガソリンを燃料とする各種のストーブから、いまでは家庭の食卓で鍋料理のときなどに使うカセットボンベのコンロへと変わってきた。具体的には、スベア123やオプティマス8R、ピークワンストーブ、そして、ふたつのコールマンツーバーナーと使い継いできて、その間もいろいろと試したものはあるが、この10年ばかりはすっかりカセットボンベのコンロに頼り切っている。
 
 カセットコンロは、真冬のキャンプでいくぶん火力が落ちる不便以外、それをカバーしてあまりある便利さのためにわが家のキャンプでの調理用ストーブの主力となった。燃料が日本のどこへいっても手に入るし、安価だし、安全性も高い。使い終わった空のカセットは再資源として活用できるからだろう、たいていの自治体で引き受けてくれるので、ぼくが利用しているキャンプ場では「持って帰れ」というところはない。
 
 わが家がキャンプで使うようになった初代のコンロは家庭の食卓用だったから風防もなく、風よけを別に用意したり、工夫したりして使ってきた。
 右の写真のマーベラスが発売されたころでも先代のコンロは満身創痍ながらまだまだじゅうぶん使用に耐えていたが、マーベラスのもつ堅牢さと風防を兼任するフタが決め手となって、値段が高いとは思いつつ購入した。
 
 日本という国で、ましてやクルマを使ったキャンプならこのカセットボンベを燃料とするコンロに勝るものはないと思う。ただ、煮炊きのコンロにはカッセットボンベを使いながら、ランタンはホワイトガソリンをいまも使い続けている。
 キャンプの入門書には判で捺したように、「燃料は統一しましょう」と書いてある。そんなセオリーなどぼくはまったく無視して、ランタンはホワイトガソリンを燃料に使うコールマンのランタンたちをケースバイケースで使いわけている。ぼくにとって、これらのランタンこそがキャンプの象徴なので、今後も退役させる気はまったくない。

■コンロもランタンも無駄ではなかった
 この春のキャンプにデビュー させた小道具たちの中にカセットボンベを使うユニフレームの「ツインバーナー」と「フォールディングガスランタン」があるのは「災害対策用品」を兼ねたからである。言い訳ではない。本気でそう思っている。ボンベは予備を分散して保管してあるし、古い備蓄分からキャンプで使っては交換している。
 
 コンロはマーベラスがあるし、家にも食卓でたまに使うのもあるし、倉庫にはキャンプでこれまで使い倒してきた古いタイプが保存してある。クルマの中には非常用にSOTOのコンパクトなシングルバーナーが入っている。
 それでも災害時に向けて安定感のあるツインバーナーがほしかった。専用のスタンド(今回は調理台として使ったが)まで買ったのはそのためである。
 ランタンだが、キャンプではテントの中で使うのにカセットボンベのほうがホワイトガソリンよりも安全性が高いのではないかと思ったからだ。EPIやプリムスなどのガスカートリッジのランタンを卓上で使うという手もあるし、経験ずみだが、さすがに燃料を三種類用意するのは面倒である。まずは、未経験のカセットガスのランタンを使ってみたかった。
 
 もうひとつ、もし、災害に見舞われたときもガソリンよりもカセットボンベが救援品でくるのではないかと思うからだ。そんなわけでランタンも用意した。
 ツインバーナーの使い心地は想像以上だった。火力が強く、コールマンのツーバーナーを怖がってきた家人は自動点火のこちらでも使うのをためらった。それほど火力が強かった。
 ランタンの真価は使い続けてこれからわかってくるだろうが、ガソリンに比較してさほど照度が落ちていないし、むしろ、明るすぎるコールマンのランタンにくらべて適度な光量とさえ思える。マントルのせいもあるが柔らかな光は好感が持てる。シェルター内の専用ランタンにしたい。
 
■クルマのキャンプなら予備のコンロを
 キャンプでのマーベラスの出番はもうないのかというと、それはない。少人数ならツインバーナーではなく、マーベラスを持参する。凝った料理は作らないで、手抜きとはいわず、シンプルを旨としているからだ。
 それでも、たまには調理をしながらご飯も炊くから、焚火をする季節以外はやっぱりもう一個熱源がほしくなることがある。こんなときは、クルマに放り込んだままのSATOの折りたたみ式のシングルバーナーが役に立つし、寒い季節ならコールマンのピークワンストーブも持っていってたまには使ってやりたい。
 
 クルマでのキャンプの場合、カセットにせよ、EPIなどのカートリッジ式にせよ、ガスを使う器具だったら、ぜひ、予備を持参したほうがいい。なんらかの理由で故障しないともかぎらないからである。
 ぼくの経験だと、ホワイトガソリンを燃料とするコールマンのツーバーナーが使えなくなったことがあったし、EPIのカートリッジ式もキャンプ中に故障したことがある。どちらも使用後にきちんと清掃し、メンテナンスをしてやっていなかったからで、原因と責任はすべてぼくにある。

 火器類が故障しても、キャンプ場を使うキャンプならたいてい管理事務所にレンタル品がそろっている。だが、24時間管理人がいてくれるとはかぎらない。こういうときこそ、ランタンなどと同じ燃料で使えるストーブがあるといい。

 ほかに、いざというときのためのストーブなら、本当はそのへんに落ちている木の小枝や枯葉を燃料に使うサバイバルストーブの類が理想かもしれない。クルマの常備品にするなら、左の写真のFireBoxのような折りたたみ式もある。
 ぼくもFireBoxのほかに似たような新旧の製品をいくつか持っているので、近いうちに実際に使ってレポートしたい。買った動機は、もちろん、「災害用品」としてであるが、誰も信じてくれないままだ。

なめてかかって大失敗したスクリーンタープの設営

2015-05-22 20:48:01 | Weblog

■キャンプ心を奮い立たせるために
 連休のキャンプが嫌いになっている。往復の道路の混雑もさることながら、あきらかにキャンパーのモラルがどんどん低下しているからだ。とりわけ、昨今は何度目かのキャンプブームである。しかも、キャンプのスタイルも昔と違って洗練されてきて、道具やファッションにおしゃれを楽しむ要素も多分に盛り込まれている。その分、キャンパーもふえた。

 だからといってキャンプでやることが大きく変わったわけではないが、キャンプそのものを楽しむのではなく、旅館やホテルに泊まらずに宿泊代を安くあげるためのキャンプが増えたようだ。それはいっこうにかまわないが、せめてルールやマナーだけは守ってもらいたい、とつい繰り言になってしまう。
 
 そんな不愉快な思いをする確率の高いゴールデンウィークに出かけるかどうか、今年も少し迷った。しかし、キャンプで誕生日を迎え、70歳となるのに、いまだ会社勤めの身だから、暦どおりの休みが基本となる。肩書の重さとともに以前のように簡単には休みが取れず、しかも遊びでつづけて休みをとるのがどうにもうしろめたい。

 ゴールデンウィークを前に天気予報次第で決めると口にはしても、内心では「晴れてくれ!」とひそかに祈っていた。かくして、晴れマークに恵まれた今年のゴールデンウィークもいそいそとキャンプに出かけた。5月2日(土)から5日(火)までの3泊4日のキャンプである。体力に自信がなくなってきているから最終日の6日(水)は、せっかくの休みだったが休息日にあてた。
 
 訪れたのは例年のとおり、いまだ冬の名残を覚悟の長野の高原だった。
 このところ、歳のせいかときとしてだんだんキャンプが大義に感じること増えた。そんなときに、モチベーションを維持する特効薬が新しいキャンプ道具である。今回は大物を用意した。この8年ばかり使い続けてきたスノーピークのシェルターとインナーテントの組み合わせを変えたのである。
 去年の夏に追加したモンベルのムーンライトⅤに合わせて、シェルターを同社の「アストロドーム」に変えた。いままで愛用してきたスノピのリビングシェル シールドよりは簡単に設営できそうだったからだ。現地に着くまで女房には内緒だった。
 
 ほかにも、ユニフレームの「ツインバーナー US-1900 ブラック」と専用の「バーナースタンドⅡ」に「WOOD天板」、同社の「フォールディングガスランタン UL-X ブラック」をケースとともに、これまた内緒で買ってあった。バーナーとガスランタンはいつものとおり「防災グッズ」というエクスキューズで自分を納得させている。
 このふたつのぼくなりの評価はあらためてテーマにするつもりなので、先に感想をいうと「買ってよかった」と思える道具だった。これからのキャンプの標準装備品になってくれるはずである。
 

■設営に四苦八苦する
 さて、メインのアストロドームへの期待は大きかった。リビングシェルへの不満は、ヘビーデューティーではあっても、いかんせん重いし、取り回しに手間がかかる。長めの滞在キャンプならいいが、短期滞在の予定だと設営と撤収を考えただけでうんざりする。
 去年、ムーンライトⅤを買ったときにビッグタープHXもそろえた。しかし、季節によって、場所によってはシェルター型のリビングスペースのスクリーンタープがやっぱりほしい。そこで目をつけたのがアストロドームだった。
 
 一度も試し張りもせず、いきなり本番に臨んだのは、モンベルへの信頼と、「モンベルは設営が容易」という先入観があったからである。そして、ウェーブ上のレビューもいくつか読んで、アストロドームの弱点というか、どんなことに気をつけなくてはならないかもおおざっぱに把握したつもりになっていた。だが、これがすっかり油断となって現地で四苦八苦するハメになる。 
 
 幕体を広げ、ポールを準備し、ポールをすべてスリープに通した。ムーンライトのテントはすべて吊り下げ式がウリだから、スリープにポールを通す方式はムーンライトのファンにとっては異端である。先輩たちのレビューではこれが「大変だ」とけっこう深刻に報告されていた。
 だが、ポールをスリープに通す構造のスリープ式は、テントでもスクリーンタープでも世間ではむしろ主流である。ぼくの最初のコールマンも、次の小川テントも、スクリーンタープはスリープ式だった。
 
 慣れているはずのスリープ式にぼくは四苦八苦した。幕体側のフックにポールの末端がひっかけられない。逆流性食道炎が完治しないままこのキャンプに参加してきた女房を手伝わせてもうまくいかないのである。悪戦苦闘しているぼくを見かねたまわりの人たちが「手伝いましょうか」と声をかけてくれた。
 ありがたいのだが、力まかせにフックをはめようとするのはどうやら間違っているらしい。つまり、張り方がよくわかっていないのである。「ありがとうございます。お手伝いしていただける場面になったらお願いしますから」といって、もう一度最初からやり直すことにした。
 
 ここで女房がむくれた。なぜ手伝ってもらわないのだ、と。彼女は、ぼくが自分のメンツから頼まないでいると勘違いしたらしい。しかし、まず、ちゃんとした張り方を把握しないと、何を手伝ってもらったらいいのかお願いすることもできない。それでも食い下がる女房に、「もうあんたも手伝わなくていい。オレひとりでやるから手を出すな!」とブチ切れていた。
 全部ポールを抜き、最初からやりはじめて肝心なミスにようやく気づいた。ジッパーをすべて全部閉じたままだったのである。なんとも初歩的なミスだった。


■やっぱり買ってよかったアストロドーム
 全開にして、設営を再開するとあとはスイスイだった……と書きたいところだが、このころには、晴天下の四苦八苦した作業で大汗をき、それでもなかなか張れなくて「カッコ悪いなぁ」という焦りも手伝って疲労困憊していた。アストロドームの設営が楽だったのか、そうでもなかったのか、まったく印象にない。 
 建ち上がったアストロドームが風に飛ばされないように仮ペグを2本対角線上に打ってからムーンライトⅤを組み立ててシェルターに連結させた。設営が完了してから手伝いを申し出てくれたおふたりにお礼を申し上げたのはいうまでもない。
 
 リビングシェルよりはいくらか狭く、床の形が六角形なので荷物の置き方にひと工夫いるが、ふたりで使うリビングスペースとしてはじゅうぶんである。今回も同じサイトの離れた場所にテントを張った従姉夫妻を招いた夜の談話室に使っても手狭ではなかった。

 2日目の夜、前線の通過に伴う雨に見舞われたが、モンベルの製品の雨に対する強さに対してぼくらは全幅の信頼をおいている。アストロドームもまた例外ではなかったが、ムーンライトⅤの連結がいい加減だったので少しばかり濡らしてしまった。モンベルが悪いのではなく、ぼくがヘタくそなのである。
 
 アストロドームの撤収の容易さは想像どおりだった。これなら一泊キャンプで使っても苦にならない。気をよくしてさっそく6月のホタル観賞キャンプを計画した。
 今回はビッグタープHXも予備に持参した。アストロドームが建ち上がって、もう必要ないだろうと思っていたのだが、2日目からの必須アイテムになった。この件は、また稿をあらためて報告したい。


苦労はあったけど思い出深いキャンプだった

2015-05-21 20:31:17 | Weblog

■延泊は当然でしょう
 年末から正月にかけての年越しキャンプが終わって気持ちがゆるみ、精神的な冬眠状態に落ち込んでるいたら春を迎えてしまった。新緑はまたたくまに若葉へと装いを変え、季節はすでに初夏である。
 年越しキャンプで元旦の夕刻、突然の雪でサイトへ戻れなかったあとのこのブログでの記録も放り出したままだった。順番として続きの記録だけでも簡単に記しておきたい。

 あの日、すなわち1月2日、元旦の夜に自宅へ舞い戻り、風呂を浴びてからベッドで朝までぬくぬくと過ごしたあと、かりそめのシャバ気分を断ち切って再びキャンプ場へと向かった。昨夜の天候の荒れ方が信じられないほどのいい天気だった。
 この日、予定では例年のとおり撤収してキャンプ場の餅つき大会に参加後帰宅するはずだったが、一晩棒に振ったからぼくの腹のなかではもう一泊を目論んでいた。

 昨夜手こずった宇佐美から亀石峠へ到る坂道はまだ残雪で通れそうにないとの現地情報を聞くまでもなく沼津からまわりこむことにして東名道を走っていると、現地に残っているF家のパパさんから一夜明けたテントサイトの写真(カット写真に使用のもの)とともに昨夜の状況も含めての詳細なルート情報が入ってきた。
 正月2日の東名道は予想外の渋滞だった。大井松田の先での除雪作業に手間取っていたからだ。御殿場を抜けてから沼津までは快調だった。!!伊豆縦貫自動車道もほぼ順調ながら、反対側の上り車線の渋滞のひどさを見てこの日の帰宅の困難さに内心ほくそ笑んでいた。

■しんみりしゃべった最後の夜
 予定より遅れて2時過ぎにキャンプ場へ着くと、今年は餅つきが早々と終わったところだった。出迎えてくれたFファミリーとは一晩離れただけだったが、小学3年生のユウキ少年がまたひとまわりたくましく成長したのがわかる。
 何よりもF家の皆さんが無事に2015年の元旦の夜を過ごすことができたと知ってうれしかった。こうしたアクシデントが家族の絆をさらに強固にしてくれる。このあと数時間後にキャンプ場で合流したファミリーの落ち着きはらった笑顔にぼくは収穫の大きさを痛感した。パパの存在感、ママの胆力、そしてふたりのお子さんたちの両親への揺るぎない信頼の確かさを瞬時に読み取ることができた。
 パパやママももう一泊の延泊に依存はなく、ぼくもキャンプ大好きのユウキ少年ともう一晩過ごせることになってホッとした。

 その夜は下界へ降り、ファミレスで夕飯をすませた。臨機応変、そんなキャンプもいいじゃないかと思う。テントサイトへ戻ったぼくたちは、キャンプ場がすっかり静かになっていたこともあって翌日の撤収を忘れてシェルターのなかでしんみりと語り合った。おかげで雪でひどい目にあって失った楽しみを取り戻してさらにお釣りがくるほど有意義な一晩を過ごすことができた。

 きっとこのキャンプは忘れることができないだろう。そう思いつつ去年の最後にして、今年最初のキャンプは終わりを迎えたが、翌日の帰路の大渋滞もまた忘れることができない。正月で出かけていたみなさんが雪で予定が狂っって集中したのだろう。伊豆スカイラインがチェーン規制だったのも痛かった。
 元旦の夜、雪でテントサイトへたどりつけず、自宅へ追い返されたときのがら空きだった海岸沿いの道がクルマで埋まって、ようやく家にたどり着けたのは、たしか夜の8時くらいだったと記憶している。品川が自宅のF家も同じころに東京ICを通過していた。
  
 苦労はいつだって楽しくなんかないが、終わってみれば思い出深い年越しキャンプになった。



雪でキャンプ場へ戻れなくなった元旦の夜

2015-01-22 21:19:08 | Weblog

■ かすかな予感が的中か
 今年の元旦は、上の写真のように絵に描いたような晴天の初日の出だった。
 年越しキャンプに出発する直前の天気予報は、予定の期間中はずっと好天続きなのでなんの心配もしていなかった。予報だから、実際には多少の狂いがあったとしても、まさか雪に見舞われて、いや、雪が降ったとしても、この時期、伊豆半島でクルマが走れないほどの雪になるとは想像だにしていなかった。年越しキャンプ10年の経験でも、そんな経験はしてなかったし、可能性さえ片鱗も感じたことがなかった。一度だけ、大晦日の午後に雪が降り、元旦の未明にもはらはらと雪片が舞っていた記憶はあるが、翌日にはあとかたもなく消えていた。

 それでも、かすかな予感はあったのだろう。今年の冬は何が起こるかわからない。そう思ってクルマのスノーチェーンを新たに買い求めて持参していた。プラスチック製にするかスチールにするか迷いはしたが、たいした雪しか想定できなかったので軽便なプラスチックのチェーンをネットで購入した。この判断が間違っていたとはいまも思っていないが、すべてがそうであるように、心構えに隙があった。

 年越しキャンプでは、毎年、元旦に伊東にある「神祇大社」まで初詣に出かけている。石段に並び、本殿にお参りしたあと、お守りやらお札をいただいく。そもそも神祇大社へ初詣をするようになったのは、ここでペット用のお守りがいただけるからだった。最初の年越しキャンプと神祇大社への初詣はセットになっていた。
 そのあと、街道沿いに並ぶとある干物屋で家人が妹のところへ干物を送り、伊豆高原でランチという段取りを恒例にしていた。


■ 「まさか」の油断が敗因となる
 今年は、キャンプ場をゆっくり出て、渋滞のない135号線を南下して神社に着いた。同行したのは家人と前日の夜に自分のクルマでやってきたせがれ、そして、わんこのルイだった。
 石段の下から本殿まで30分ほど冷たい海風にさらされるながら並ぶのは毎年のこと。今年はその風がひときわ冷たい。石段を昇りきって振り向けば、相模湾を一望し、やや右手のすぐそこに伊豆大島が浮かんでいる。見慣れた穏やかな元旦の午後である。
 
 空の異変は参拝を終えた直後に気づいた。振り向くと海の上を禍々しい雲が覆いはじめていた。さらに強くなった風が凍えるように冷たい。お札をうけ、ペット用お守りをいただいて駐車場へ向かうと、屋台のおやじさんが、「雪がくる、雪がくる」とつぶやきながら小走りにトイレへ入っていった。灰色の雲がさらに厚く空を覆っていた。
 
 干物屋を出て135号線を宇佐美へと向かいはじめてまもなく、クルマのフロントガラスをミゾレが濡らしはじめた。それでもタカをくくっていた。途中のファミレスに入り、遅い昼ご飯を食べた。ふと気づくと外は本格的な雪に変わっている。さすがに少しあわてた。
 急いでクルマへ戻り、宇佐美へと向かう。途中、雪は雨に変わり、ホッとしたのもつかのま、宇佐美では雪が降っていた。コンビニに飛び込み、パンを適当に買って亀石峠へと走りはじめた。コンビニの駐車場はすっかり雪に覆われていたがまだチェーンがなくても走れる。


■ チェーンも通用しない急峻な坂道
 いけるところまでいって、必要ならチェーンを装着しよう。気持ちが焦っていた。亀石峠への坂道をしばらく走ると警察の車両が停まり、チェーンがない車両の通行は無理だと告げていた。道のわきへクルマを止め、はじめてなので要領がよくわからないチェーンを、せがれが苦労してなんとか装着した。さっき、コンビニの駐車場ですませておけばよかったと悔やんでもまにあわなかった。
 
 チェーンをつけて走り出した道の左側には、進むことも退くこともできなくなった大小のクルマがならんでいた。ぼくのクルマは北欧車で、FFなので雪には強いと聞いていた。プラスチック製ではあったがチェーンもつけた。数センチ程度の雪なら乗り越えられるだろうと思っていたのに、(あとでわかったのだが)この坂道のいちばん勾配がきつい場所でとうとう登れなくなった。
「スウェーデンには坂道がねえのかよ!」
 憎まれ口をきいてもあとの祭りだった。スタックしたぼくの愛車の脇を鉄のチェーンを後輪に巻いた四駆の軽トラがスイスイと登っていった。あとになってみれば、このあたりの写真を撮っておくべきだった。
 
 気持ちに余裕がないまま、一度、ふもとのコンビニに戻り、雪が小降りになったところで再度登ってみたが、高度が上がるにしたがって雪の量は多くなり、前と同じ場所で進まなくなった。キャンプ地に残っていた同行のF氏との電話では、どうやらキャンプ場はさほどの降雪量ではないらしい。こうなったら、反対側からまわりこむルートにトライしてみようということになって、ナビを頼りに修善寺へと向かった。


■ かくして自宅へと向かうのだが
 下界の雪はほとんど消えていた。チェーンを外し、祈るような気持ちで再び伊東市内から修善寺へ通じる山を登りはじめた。ここも高度を上げるにしたがって雪があった。ふたたびチェーンを装着したくても、片方のプラスチックの部品が壊れて使えない。ふたたび山道でスタックし、尻尾を巻いて海岸沿いへと退却せざるをえなかった。
 
 時間はすでに20時をまわっている。選択肢は三つ、このままクルマの中で朝を待つか、あるいは、ペット連れでも泊まれる宿を探して避難するか、いっそ、いったん自宅まで帰って翌日出直すか。
 いずれにしても心残りはキャンプ場に置き去りにしてしまったF家の面々である。昨年の11月のキャンプデビュー以来、年越しキャンプも二度目だし、去年1年間で経験を積んでいる。お父さんはしっかり者だからまったく心配ない。それにキャンプ場にいればどこよりも安全である。むしろ、この経験がF家のさらなる自信になってくれるだろう。
 
 もう、キャンプ場へ戻る意味はない。ぼくは自宅への撤退を決めた。自宅がある町田までの道がどうなっているかの情報はなかったが、もし、それも途中で走れなくなったら、その時点で早めにクルマの中での籠城を決めればいい。ガソリンも食料もひと晩の籠城ならじゅうぶんに耐えられるだけの準備はしてある。なによりも、時間の経過とともに道路が凍結して走れなくなる事態を恐れた。

 元旦の夜、雪のあとの海岸線は信じられないほど交通量も少なく、走りやすかった。雪は小田原厚木道路の合流点で少し路面に残っていただけで、あとは車道からすべて消えていた。
 途中でキャンプ場のクラブハウスでおこなわれていた元旦イベントに参加していたFさんから電話が入っていた。キャンプ場内での積雪量はさほどではないものの、濡れた路面が凍ってしまい、滑りながら歩いて自分のサイトに戻ったという。Fファミリーにとってもぼくらにとっても思い出深い年越しキャンプになってしまった。 
(つづく)



今年も伊豆の里山で新年を迎えたが

2015-01-16 20:15:47 | Weblog

■ キャプ中は晴れマークが並ぶ
 この10年あまり、正月を伊豆・大仁にある「モビリティーパーク」というすばらしい施設のキャンプ場で迎えている。途切れたのは3年前の一度だけ。このときは、半年前に12歳になったコーギーのむぎを突然喪くし、もう一頭の17歳のシェラがガンで明日をも知れない状態で年末から年始を息をひそめるようにしていたのでキャンプどころではなかった。

 年越しキャンプは、自分たちだけのこともあれば、ほかのキャンプ仲間といっしょの年もある。
 去年は11月にキャンプデビューしたばかりのF家のご家族が一緒だった。小学2年生のユウキ少年と春から幼稚園ユリちゃんがいるので、二度目のキャンプがいきなり年越しというのもハードかもしれないが、施設が整ったキャンプ場だし、問題ないだろうと思って誘った。すっかりキャンプにハマっているご家族は、今年も合流していた。

 例年だと、30日に現地へ入り、2日に戻ってくる3泊4日のキャンプとなる。年によっては4泊5日のこともあった。今年の休暇は9連休、しかも12月は27日からの5連休なので出発を29日に予定して準備を完了した。
 ところが、29日は朝から雨の予報。当日の朝まで気持ちは粘ったが、冷たい雨に濡れてテントを張る気にはとうていなれず、しぶしぶ諦めた。30日出発を予定していたF家のほうもユウキ少年の体調が落ちたので急遽31日からの合流となった。

 30日、晴天の空の下、何度も「ああ、いい気持ちだ!」と繰り返しながら、渋滞の東名道を避けて一般道を走って厚木から小田原厚木道路へ入った。箱根口ICを抜けるのに時間がかかったものの、箱根新道と伊豆スカイラインは順調で、去年のように道路の凍結やら山の上のほうで道端に雪を見るなんてこともなく、目標の亀石峠まですんなり抜けることができた。
 事前の天気予報ではキャンプを予定している2日まで晴れマークが並んでいた。30日は快晴のまま静かに終わり、夜は満天の星を仰ぎ見る至福に恵まれた。



■ 風もないひたすら静かな新年に
 大晦日の午後、F家を迎えてたちまちにぎやかになった。F家の設営もすでに手慣れたもの。それでも日暮れに追われながら、到着後、ひと息つく暇もないせわしい作業だった。
 天気予報は、夜、日本海を通過する低気圧の影響で一時的に雨になると告げていた。たしかに、ぱらぱらとテントの屋根をたたく雨になったが長くは続かなかった。テントもサイトも濡れてはいたがそれだけのことだった。

 キャンプ場全体を見ると、再びのキャンプブームだけあってこの数年ではテントの数は増えている。はやりのティーピー型のテントも目立つし、装備がリッチ化している。
 ただ、ぼくたちがここで正月を迎えるようになった10数年より前からの常連さんたちが見当たらない。ひと組欠け、ふた組欠けて、すっかり入れ替わってしまった感がある。去年まで唯一同じエリアでご一緒していたSさんご夫妻とも今年はお目にかかれなかった。それが寂しい。

 午前零時、伊東か修善寺か、それとも伊豆高原かはわからないが、打ち上げ花火の音で新しい年に変わったことを知る。この花火も最初はなかった。
 キャンプ場も特別なイベントは予定せず、気が抜けるほど静かに旧い年を送り、新年を迎えた。除夜の鐘が聞こえてくるわけでもなく、年によっては一部のキャンパーが自分のサイトでカウントダウンする声がわずかに聞こえてくることもあったが、静かな年明けだった。それがぼくにはとても好ましかった。噂によると富士の裾野にあるキャンプ場では常連たちが集って酒宴となり、大騒ぎして新年を迎えると聞いていた。

 夜になって自分のクルマでやってきたせがれを含め、リビング用のシェルターから寝室用のテントスペースに移動した。シュラフは冬用なので床のホットカーペットの温度設定を「中」にした。それでも暑くて目が覚め、「低」に変えた。
 近くのテントでは、まだ夜明け前だというのに寒いからなのか、それとも習慣ゆえなのか、すでに起きて暖房の準備をしているらしい音、あるいはガソリン器具をポンピングする音が聞こえてきた。
 それ以外はいつものような静寂に包まれた伊豆の里山だった。まさか、翌日、60年に及ぶぼくのキャンピングライフでも経験したことのない苛酷な事件が待ち受けていようとは想像だにできずにいた。
(つづく)
 


年越しキャンプでオキテ破りの暖房用ストーブ

2015-01-15 21:13:49 | Weblog


■ もはやなんらかのストーブは必需品
 キャンプスタイルの変化で、ぼくにとっての野遊びのハイライト「焚火」をする機会がめっきりなくなってしまった。スクリーンタープというシェルターの出現で、寒い時期は焚火にあたるより先にシェルターのなかに籠もってしまうようになったからである。
 焚火にあたって暖をとろうとしても、火に面した前面は熱いくらいなのに、背中のほうは冷えびえしているため、お尻を向けて背後も暖めなくてはならず、けっこう忙しい思いをしていたものだった。

 シェルターがあれば、真冬のキャンプだって怖いもの知らずになった。なかにストーブを持ち込めばいいからだ。電源サイトだったら電気ストーブが使えるし、寝るときにはホットカーペットの上でシュラフにくるまれば家にいるときと変わらない快適さを得られる。
 電気のストーブは弱いというので石油ストーブを持ち込んでいるキャンパーも少なくない。
 最近では左の写真のように薪ストーブをシェルターに設置しているツワモノも目につく。もっとも、この組み合わせはいまにはじまったことではない。一時期はやったロッジ型テントを使っていた人たちが愛用しいるのをもう15年ばかり前に見て恐れ入ったものだった。

 こうした暖房器具を使って冬場のキャンプを楽しむことが邪道だなどと、ぼくはまったく思わない。便利なものはどんどん採り入れて野遊びを楽しめばいい。ぼくのクルマは積載量がさほどないので薪ストーブはもとより石油ストーブも導入していないが、正直に告白すれば、何度か石油ストーブの導入を考えている。
 ふだん家では石油ストーブは使っていないが、非常時のために小振りなヤツをもっていてもいいじゃないかとの言い訳で自分を納得させようとした。しかし、キャンプのときだけに燃料の石油を調達する面倒を思って断念してしまった。

■ すべてカセットガスのストーブに統一だけど
 毎年の年越しキャンプを中心に、わが家が冬のキャンプで使ってきたのは燃料をカセットガスに頼る野外用のストーブである。いちばん頼りにしてきたのが角形の「イワタニ カセットヒーター CB-7N カセット暖」。コールマンのノーススターランタンを収納するソフトケースにぴったり入る。いまでは生産してないそうだ。燃焼音は静かだし、大切につかっていきたい。ただ、あくまでも屋外用であってテント内等での使用は禁止している。
 スクリーンタープもテントに属するわけだから、ぼくのような使い方は掟破りである。それでも使い続けてきたのにはそれなりの理由があるものの、オキテ破りにまちがいないから言い訳しないし、決して推薦もしない。

 去年、カセットガスボンベを使う家庭用のガスストーブをホームセンターで見つけた。少々かさばるが、こいつを年越しキャンプに持参しようかと思った。だが、スクリーンタープ内で使っても平気ということにはなるまい。原理的に、あるいは構造的に従来の野外用とどこが変わるのだろうか。それに気づいて買うのをやめた。
 かわりに買ったのが、オレンジ色の「CB-ODH-1-OR」ストーブである。メーカーはイワタニ。燃焼音がCB-7Nと違ってやや大きい。むろん、これもテント内での使用は禁じている。

 自己責任で使っているとはいえ、去年に続き今年もF家のお子さんたちと一緒なので、一酸化炭素を検知してアラームで知らせてくれる「一酸化炭素警報機 MI-CM70」をインターネットで購入した。キャンプ直前に届いて、やれやれ間に合ったと開けてみると別の商品だったので、先般の年越しキャンプでは使うことができなかった。
 キャンプが終わって手元にようやく届いたアラームだが、いまとなっては「また無駄づかいしてしまった」と悔やんでいる。

大きく変わった天気予報

2014-10-31 20:40:04 | Weblog
■ 明日からキャンプのはずだったが
 11月1日の土曜日から3日の文化の日の三連休、ちょうど陽気もキャンプには絶好の時季なので早々と清里方面でのキャンプの予定を組んだ。わが家だけではなく、女房の従姉夫妻に去年から一緒にキャンプを楽しんでいるFファミリーをまじえた総勢9名である。
 Fファミリーがいっしょというので、同世代の愚息も参加を表明して9名となった。

 だが、一昨日、このキャンプの予定を正式にキャンセルした。まず、この一週間、天気予報が2日と3日の悲観的な予報を告げていた。予報は日を追って悪化し、一昨日あたりからは2日と3日の両日の降雨を告げいた。

 もうひとつ、わが家の3人がそろって風邪をひいてしまった。先週一週間、ぼくが風邪でひどい目にあい、ようやく小康を得たのと入れ替わりに女房と愚息がそろって風邪をひいた。キャンプまでにはなんとかまにあわせるというふたりだったが、キャンプ予定期間中の雨の予報を前にキャンセルもやむなしとした。

 F家のY少年もまた、このキャンプは見送ったほうがいいだろうという体調となり、11月のキャンプは今月後半の22日(土)から23日(日)の勤労感謝の日の振り替え休日となる24日(月)の三連休にスライドさせた。従姉夫妻チームも最悪の天気予報に、「今回は無理ね」と連絡してきてくれた。

■ やっぱり直前に変わった天気予報
 きょうになって天気予報が微妙に変わった。明日1日はは雨に見舞われるかもしれないが、2日が「曇り」に変わり、撤収日の3日は「曇り時々晴れ」と大きく好転した。もし、わが家の風邪やらY少年の体調が万全であったら、おおいに迷うところである。
 ぼくとしては、「やっぱりな」と思っている。

 3年ばかり前、似たような経験をしている。雨の予報に本栖湖でのキャンプの予定を中止したら、当日になっていきなり「晴れ」に変わったことがある。姫路、佐久、大津から長躯参加する予定になっていたキャン友たちには中止の予定を出してしまっている。当日になって晴れたからといってぼくだけ急遽キャンプに出かけるわけにはいかなかった。かくして晴天の3日間をぼくは悶々として過ごしたものだった。

 明日からの予定だった今回は、体調のことがあるから諦めがつくが、11月22日(土)~24日(月)の三連休は今年最後の連休である。
 連休が天気に恵まれなかった今年だが、せめて最後の連休だけはなんとか好天であってほしい。



手作りのホーボーストーブで遊ぶ

2014-09-19 20:42:34 | Weblog

■ なにもしないのがキャンプだったけど
 キャンプの楽しみは、ただ単にぼんやりして過ごすことだった。ザックに荷物を背負って出かけていたころは、地べたに敷いたグランドシートに座って膝を抱きながらだったし、後年、クルマでの移動が可能になると重く、かさばるディレクターズチェアに身をゆだね、とてもリッチな気分になれた。いまでは軽くて機能的なキャンプ用の椅子に座り、なにも考えずに風の音、鳥たちのさえずりを遠くで聞いて過ごす。これこそがキャンプの至福のときである。夜は焚火の炎を見るともなしに見つめながら更けていく時間を忘れてる……といっても、これはひとりでキャンプに出かけたとき。

 女房がついてくるようになってからのキャンプはまったく様変わりする。ひとり同行者がいるだけで何かと忙しい。女房ではなく、犬と一緒のキャンプでさえおちおちぼんやりしてなどいられない。排泄を日かねた散歩に連れていかなくてはならないし、朝晩の餌も必須である。
 こちらがトイレにいくときもサイトに置き去りにはできない。いつだれがぼくのサイトへ入ってきてつないである犬とトラブルを起こしかねないからだ。焚火の薪を拾いにいくときも同じである。
 これが女房となると世話がやけるのは犬の比ではない。
 
 去年の秋から、今年9歳になったアグレッシブなユウキ少年がキャンプの友となった。彼との出逢いでぼくのキャンプは大きく変わった。キャンプで「なにをして遊ぶか」を真剣に考えるようになったからである。
 もともとはユウキ少年の父君と親しくおつきあいしていてご家族をキャンプに引っ張り込んだのである。少年の父君でさえぼくとは親子ほどの年齢差がある。だから女房は、ユウキ少年を称して「孫ができたみたいでよかったわね」というが、ぼくの認識はまったくちがう。ユウキ少年は孫ではなく、正真正銘ぼくの親友である。ともにわくわくしながら野遊びができる親友だ。

■ 少年の日に還って
 ユウキ少年と一緒だとぼくもまた9歳の童心に返って遊べる。60歳の年齢の差はまったく問題ない(と、ぼくのほうは思っている)。これまでのキャンプでユウキ少年と楽しんだのは、ふたりでヘッドランプをつけて夜のキャンプ場の探検、昼間は近くの森へ出かけての遭難体験、肝試しやら、CB無線機を使ってのドライブ、むろん、キャンプファイアもあった。夜も昼も野遊びには事欠かない。まだまだやりたいことはたくさんある。バードウォッチングも魅力あるが、さしあたってはフィッシングだろうか。

 とはいえ、いざ、キャンプにいくとなかなか遊んでいる時間がない。この9月のキャンプもいくつかプログラムを考えていったが、実行できたのは「ホーボーストーブ」の製作と、そこで実際に火をおこして実際に食べるものを作ってみるという試みだけは消化できた。
 ストーブ作りは二種類予定したが、製作できたのはインターネットで知った「ホーボーストーブ」だけだった。素材はIKEAのORDNNINGなる「カトラリースタンド」。ステレンレス製で1個199円。IKEAだけあって品質は問題ない。
 もう一個はもっと安価で簡単なストーブだが、次回のお楽しみにしたい。


 これらストーブ作りの詳細はまたあらためてレポートするが、試しに作ってみた「ホーボーストーブ」はけっこう本格的な炊事道具だった。トライアルの段階なので、製作過程での写真は撮っていない。すべてが終わってから、「これ、けっこうおもしろいじゃないか」ということであわてて何点か撮ったのがこれらの写真である。
 まずはストーブを作り、完成後にさっそくユウキ少年と場内で燃料を調達してからキャンプ場の管理棟の売店で買ってきたカップラーメンをポットで作ってみた。なぜ、ラーメンかといえば、このストーブのために買ったキャプテンスタッグ社のラーメンどんぶりのマークが刻印された小さな「ラーメンクッカー」だったからである。

■ 次回はなにを作ろうか?
 燃料はその辺に落ちている小枝のみ。5分ほどで沸騰し、10分足らずで一人前のラーメンができあがった。素晴らしい熱効率である。ほんとうならそのポットに入れたままでラーメンを食してもいいのだが、煤で黒くなったポットに唇を触れさせるのは避けたい。チタンのロッキーカップに移して食べてもらった。

 ユウキ少年が、「おいしい! おいしい!」といいながらむさぼるように食べるので、ぼくも管理事務所で同じカップ麺を買ってきて食べてみた。たしかにうまい! これなら次回のキャンプにもう一個ホーボーストーブを作ってこのラーメンを定番にしてもいいじゃないか。むろん、ラーメン以外のものも考えよう。さしあたってなにがいいだろうか? 少年とそんな会話をしながら夢はどんどんふくらんだ。

 だが、このラーメンには後刻談がある。食べ慣れないカップ麺のせいで、まもなくユウキ少年にアレルギーが出てしまったのである。なんともうかつだった。ユウキ少年に気の毒なことをしてしまった。
 もうラーメンはやめて、アレルギーのないメニューを考えなくてはなるまい。ポット代わりにアルミ缶を使って炊きこみご飯などはどうだろうか。キャンプから帰った夜、ベッドに入ってからもそんなことを考えていたら、疲れているのになかなか寝つかれなくなってしまった。


やっぱりキャンプはやめられない!

2014-09-18 20:01:51 | Weblog

■ ようやく9月になったから
 7月に続き、9月になってキャンプに出かけた。8月のキャンプはずいぶん長い間遠ざかっている。もうかれこれ15年あまりになるだろうか。どこへいっても昼間は暑いし、何よりも夏休みで混むからだ。お盆休みを避けても夏休み中は例外なく混む。それにアブやらブヨやらの攻撃的な昆虫が跋扈しているから油断できない。食事のときもランタンめがけて蛾が飛来する。
 しかし、夏休みが終わって、9月になれば、フィールドにも静けさが戻ってくる……はずだった。

 例年のとおり、7月は海の日をからめて夏休みをとってのキャンプであり、9月は15日前後の週末に夏休みを足してキャンプへ出かけてきた。今年は15日の敬老の日をからめて夏休みを2日加えると5連休となる。4泊5日のキャンプ三昧の機会はめったにない。
 問題は、9月という季節柄、台風にたたられて予定がオシャカになる可能性が高くなることだった。これまでも何度かキャンプの予定が流れたし、キャンプに出かけてもその最中に台風の影響が出てきて逃げ帰ったことも珍しくない。秋の台風は足が速い。去年の9月も最後の一泊を切り上げて帰ってきた。

■ そういや去年はひどい年だった
 先週から出かけたキャンプ場は、ぼくにとってはホームグランドのようなところだが、この2、3年はぼくのほうの事情でご無沙汰が多かった。
 久しぶりに向かった去年の9月は、向かっている途中でキャンプ場が貸し切りで使えないとの情報が入ってほかのキャンプ場へ急遽変更している。今年は5月のゴールデンウィークに続いて、まだ梅雨明け前の7月にもきている。7月のときは、毎年、同じ時期にお会いしていた若い方から声をかけてもらった。すぐに彼とわからなかったのは、横にかわいい奥さんがいなかったからである。40過ぎてお子さんが生まれ、奥さんは子育てのために留守番だという。愛妻と愛児を置いてまでキャンプに出てきたこの新米パパになかばあきれ、同じ病膏肓同士として尊敬もした。

 この彼から、去年の海の日にぼくたちと会わなかったと教えられて、ようやく近年、わが身をおそった不幸の数々を悟った。相次ぐ愛犬たちの死であり、ぼくの膝や腰の不調だった。
 ようやく復帰が果たせたのが去年から今年にかけての年越しキャンプであり、この5月、ゴールデンウィークのキャンプだった。
 久しぶりにホームグランドのキャンプ場へ戻ってきたわけだが、そこには見たこともない風景があった。すさまじいテントの数である。20年ほど前にも同じ場所でこんな情景に出逢ったことがあったが、それは夏休み最後の週末だった。このキャンプ場のよさは、いつ出かけてもゆったりキャンプが楽しめるところにあったというのに、今年は5月も7月も、そして9月もにぎやかなキャンプ場に変わってしまっていた。


■ それにしても今年の異常ぶりは
 去年から今年にかけて、アウトドア用品の店の週末の異常な混雑ぶりを見てきたので、キャンプがまたブームになっているのはわかっていた。キャンプ場の混雑も覚悟していたが、想像以上の人出に唖然としてしまった。
 これまでもこうしたブームは繰り返しやってきては鎮静し、また、忘れたころにブームの再来となる。だいぶ前だが、クルマの4WDがはやったころ、せっかく四駆乗りになったのだからとキャンプ人口が激増した時代があった。四駆ブームの終焉とともに「キャンプでもやるか」のにわかキャンパーは消えていった。
 今回のブームもやがて落ち着くだろうから騒がしいのも、また、マナーの悪いのもしばしの辛抱だと思う。しかし、キャンプ場の管理事務所によると、この9月は8月のお盆のころより人が押し寄せているというから、もしかすると落ち着くのにも時間がかかるかもしれない。

 いっそ、もう連休キャンプはやめようかと思うが、知り合いと再会できる楽しみを捨てるのが何より惜しい。今回も、このキャンプ場で過去二度、一緒にキャンプを楽しんだKさんご夫妻と再会できた収穫は何よりもうれしい。
 7月のときもそうだったが、ぼくのほうがわからず、向こうからお声がけをいただいた失礼にすっかり恐縮してしまった。こうした再会を経験するたびにキャンプを続けていてよかったと心から思う。kさんとは住まいも同じ方角であり、ケータイの番号を交換してご近所づきあいの約束もした。われわれよりもはるかにお若いKさんご夫妻だが、アウトドアに関しては、キャンプのみならず登山やダイビングなど、その間口と奥行きでまったく比較にならない。教えてもらうことがたくさんあるからワクワクしてしまう。

■ またみんなに逢えるかもしれない
 来年の海の日は、お名前すら失念してしまったお子さん連れのファミリーとの再会が待っている。
 ほかにも、このキャンプ場で知り合った彼らと同じような若いカップルが何組かいる。不思議と小柄なかわいらしい奥さんとイケメンの相方なので、だれがだれなのか区別がつかなくなってきているが、もしかすると、来年あたりは、皆さん、かわいいお子さんを連れてくるかもしれない。

 こちらもまた、去年から小学校3年の凛々しい男の子と幼稚園に通うかわいい女の子のいるFファミリーとのキャンプを楽しんでいる。このF家のユウキ少年は何度かのキャンプを通じて、いまやぼくのいちばん若い親友になってくれた。すっかりキャンプにハマってくれたユウキ少年のアウトドアへの情熱がつづくかぎり、そして、足腰がいうことをきいてくれるうちは、せっせとキャンプに出かけていきたい。せめてあと数年は……。

 浮世の人間関係の煩わしさから逃れるためにフィールドへ出かけるのが、これまでのぼくのキャンプだった。それなのにそのフィールドで素敵な人々の出逢いがあり、いまはまだ幼い少年と友情を育むことができる。キャンプを続けていてよかったとしみじみ思う。こんな至福のときがあるのだから、多少の混雑などたいした問題じゃない。


設営と撤収がきつくなってきたので

2014-08-09 21:43:35 | Weblog

■ 一泊キャンプが億劫になった理由
 たとえ一泊でも、気が向けばキャンプへ出かけていた時代があった。最近ではそんなオーバーナイトキャンプがおっくうになっている。たった一泊のために設営し、撤収するのを負担に感じているからだ。だから、近年、年間のキャンプの回数が減った。
 真夏の盛りと真冬は家でおとなしくしていてもそれ以外の季節は機会があればアウトドア三昧にひたりたいはずなのに、すっかり腰が重くなってしまった原因は三つある。

 いちばんの原因はなんといってもキャンプ道具が増えてそれらに振り回されているからである。次がテント類が大型化し、設営や撤収にもエネルギーが必要になっていることだ。三つめは年齢とともに、ともすれば気力が萎えてしまうからである。年齢の問題はどうにもならないが、それ以外は解決可能なはずだろう。持参するキャンプ道具を削り、テントを変えて設営や撤収の労力を軽減すればなんとかなる。

 今年はキャンプのテーマを「快適なオーバーナイトキャンプに戻る」を掲げて、最初のキャンプとなった5月の大型連休のキャンプからいろいろ検証してみた。
 持参する道具を減らしてスリムな装備に戻すのは観念的にはたやすい。30余年前にハマったコリン・フレッチャー「遊歩大全(The New Complete Walker)」をイメージすればいい。あるいは、いま欧米で流行らしいブッシュクラフトのイメージでもいいだろう。ごちゃごちゃした道具を排し、サイトをすっきりするとキャンプの達人になったようで気分がいい。設営と撤収を楽にするには新しいテントを買うしかないがこれは仕方ないだろう。
 
■ ムーンライトに魅せられて
 ひとりでキャンプへ出かける機会がめっきりなくなったが、もともとはソロキャンプを基本としてきたのでこちらの装備は問題ない。テントもモンベルのムーンライト3とミニタープHXがある。5月31日~6月1日に完全なソロキャンプではなかったが、このブログでもレポートしたとおり、わんこのルイを連れてソロキャンプのまねごとをやってきた。
 女房が加わったとしても、このテントとタープで一泊キャンプをやってできないことはないが、これまでの贅沢キャンプが身についている身としてはいささか窮屈だとわかる。
 
 実は5月末の時点で、オーバーナイトキャンプに女房を同行したときのための新しいテントとタープは買ってあった。ムーンライト5と同じモンベルのビッグタープHXである。色は、ソロ用のテントとタープと同様どちらも遮光性優先でダークフォレストにした。
 わが家の一泊キャンプは暖かい季節が中心となる。それと焚火の前で調理しながら夜を過ごそうというねらいもある。新しいテント類もそれを前提としたムーンライト5とビッグタープHXだった。
 
 7年前の秋からぼくがもっぱら使ってきたテント類は、スノーピークのシェルター(リビングシェルシールド)を中心に、テント(ランドブリーズ)であったり、インナールームあるいはインナーテントとケースバイケースで使い分けてきた。
 正直に告白すると、ランドブリーズは初期のころだけに使い、その後はインナーテントが主流となって今日に至っている。インナールームは二、三度と使ったきりである。


■ かくしてムーンライトに落ち着いた
 スノーピークのシェルターとテントを使いはじめての実感として、シェルターを張って、さらにテントも張るのはなかなかの労力が必要だった。まもなくインナールームを買って使ってみたが、女房とふたりだけなら簡便でいいが、同行者がいるとシェルターの中に集まることができないと気づいた。
 すぐにインナーテントを買ったところ、これは快適だった。リビングスペースがいくぶん狭くはなるが数人が食卓を囲んでも窮屈ではない。設営の面倒さはテントと大差ないが、気分的に楽である。それでもシェルターおよびこのインナーテントの設営と撤収にかかわるエネルギーは老いを迎えたぼくたちには年々負担となっていた。
 
 一泊キャンプにぼくが求めたのはあくまで設営と撤収が簡便であり、雨風に強いテントだった。とはいえ、最近の各メーカーのテント情報はまったく承知していないぼくの頭の中にあったのはただひとつ、ムーンライト5か7だった。とにかく月明かりの下でも張れるというのがうたい文句のテントである。張り終えるのにせいぜい15分、もたついても30分とかからないだろう。雨に強いのは経験的に知っている。それでいて山岳テントとはちがいそこそこの広さと高さが得られるところがキャンプ用である。
 
 タープはビッグタープHXが揺るぎない候補だったものの、テントは最後までムーンライトの5にするか7にするかで迷った。わが家のキャンプのメンバーは、女房とふたりにプラス中型犬のコーギー1匹なので5のサイズが順当のはずだが、テントの出入りでくぐるとき、出入り口にいくぶん高さがある7のほうが楽である。7はテント本体(キャノピー)の天井の高さも魅力だった。5の136センチに対して7は165、たかが29センチだがこの差は無視できないのでかなり迷った。身長150の女房なら立ったままでの着替えが可能である。
 最終的に5に落ち着いたのは、設営と撤収が5は多少なりとも楽だろうと判断したからである。

■ 変えていきたいキャンプのスタイル
 7月18日から21日までの信州での三泊四日の夏キャンプは、これらムーンライトのテントとタープの初張りとなった。実際に使ってみると、期待以上だった。設営も撤収も、使い続けてきたスノーピークのシェルターやインナーテントとは比較にならないほど少ない労力と時間で完成した。ムーンライト5専用グランドシートを買っておいたのもよかった。想像したようにテントの出入り時に頭をかがめなくてはならないというやっかいさはあるものの、さほど苦にはならない。これまでより狭くなった床面積だが窮屈に感じない程度である。

 今回のキャンプでは、まるでゲリラ豪雨のような大雨の波状攻撃を受け、事前の油断から雨の水路にテントを張ってしまったが、テント内への雨水の浸入はまったくなかった。水路から逃げるためのテントの移動とタープの張り直しもあっという間だった。
 遮光性がどれほどのものかは、今回のキャンプがあまり晴天に恵まれなかったので検証している余裕はなかった。ヘキサのタープのよさとして、わかっていたことだがシェルターにない開放感をあらためて実感した。
 
 撤収も楽だったし、当然ながら早かった。これなら一泊のオーバーナイトキャンプがまったく苦にならない。たぶん、これからしばらくはこれらモンベルのムーンライト5とビッグタープHXがわが家のキャンプの友となるだろう。むろん、冬場や、春秋の長期滞在だったらこれまでどおりスノーピークのシェルターを使えばいい。
 どうやらもうしばらく楽しいキャンプを手放さずにいることができそうである。新しいテントとタープはそんな出逢いになってくれた。