goo blog サービス終了のお知らせ 

私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

梅雨のキャンプが好き

2016-05-27 21:50:20 | Weblog

 梅雨の走りの今日の空だった。

 梅雨のころのキャンプが好きだ。毎日そぼ降る愁雨と呼びたい長雨はごめんだが、その雨が上がる梅雨の中休みがいい。狙い定め、週末と重なってくれたらテントとシュラフほかのキャンプ道具をクルマに積み込んで出かけていく。

 梅雨入りになってからのキャンプ場はたいてい閑散としている。長雨にフィールドが痛めつけられていても、人出のダメージにくらべたらはるかにましだ。何よりもこの静けさがたまらない。
 梅雨どきは雨がやむと待っていましたとばかり羽虫が湧いてくるが、フィールドに虫はつきものだし、凶暴な人間に比べたらかわいいものだ。

 何度めかのキャンプブームのとき、「キャンプは(ほかの遊びのための)手段であって目的ではない。だから、雨はなんの問題もない」なんてテレビでしたり顔でほざいていたキャンプ初心者のオヤジがいたが、ぼくの場合は正反対だ。
 キャンプそのものが目的だから雨のキャンプなんてちっとも楽しくない。むろん、雨の中や雨の予報だったらわざわざ出かけていかない。それでもキャンプ中に降られられたら、しかたないから気持ちを切り替えてのんびり過ごす。

 今週末は本格的な梅雨入りにそなえ、いつでも出撃できるようにワクワクしながら準備しておくつもりだ。



わが家のテント遍歴 ~丈夫がとりえのスノーピーク~

2015-12-23 20:17:44 | Weblog

■ テントをつなぐトンネル欲しさにスノピに手を出す 
 いま、わが家ではふたつのテントを使い分けている。長期滞在用には9年めに入ったスノーピークのリビングシェルシールド(以下、リビングシェルと呼ぶ)にあとから購入したインナーテントをセットしたものを愛用してきた。
 もうひとつが2年前からのモンベルのムーンライト5とアストロドームの組み合わせである。夏場はアストロドームではなく、ビッグタープHXに変わる。虫の攻撃をまともに受けるが、さほどイヤだとは思わない。
 夕食時、ランタンを食卓に置かないから、食べ物に蛾が飛び込むなんてこともあまりない。あっても、つまんで出せばいいだけのこと。それがキャンプだ。

 スノーピークのリビングシェルは、最初、ランドブリーズのテントに、これらをつなぐL/Bトンネルも一緒に買った。年越しキャンプのキャンプ場で毎年会う常連さんがこれを使っていて、わが家の女房からの強いリクエストがあったからだ。彼女がいちばん魅かれたのは、トンネルだったのだけれど……。
 ぼくはというと、スノーピークというメーカーにいくつかの経験から不信感を払拭できずにいた。とりわけ、テントのカラーリングにオリジナリティーを感じることができず、このあからさまなあざとさに嫌悪感さえあった。

 それ以上に、初心者に多かったが、キャンプ場でのスノピ信奉者たちのこれ見よがしの態度も不快だった。こんな連中の同類になりたくなかった。同類と思われるのものしゃくだった。
 かつて、偶然、スノピのイベントのスノーピークウェイが開催されるキャンプ場に、そうとは知らずに出かけてしまい、スノピ信者に囲まれて一晩過ごしたことがある。あの鼻もちならない雰囲気はいまも忘れられない。


■ この使いにくさはなんとかならないか 
 当時、ネット上でのみ間接的な知り合いのスノピ信者のひとりが、そんなスノーピークウェイに参加し、社長の言葉として、「スノーピークの製品は高価でいい。それだけユーザーが優越感にひたれるから」という意味の発言を自慢げに紹介していた。ぼくが直接聞いたわけではないから事実かどうかはわからないが、この会社の営業戦略を見ているとさもありなんと思えたものだった。

 モスのテントのパクリだという批判からの脱却をはかろうとしていたのかもしれないが、スノピのテントがあわただしく基本カラーを変えていった時期がある。短期間だが、ベージュがグレーに変わり、濃いめのベージュに戻った。ちょうどそのころ、スノピのテント類がわが家にやってきた。
 試し張りに出かけた一泊キャンプでぼくは早くも後悔した。リビングシェルの張りにくさとテントのランドブリーズがつまらないところまでペグを必要としたからだ。

 スノピのテント類の素材と縫製のよさはぼくも認める。だが、ランドブリーズのテントにかぎってはデザイン上の細部の詰めが甘いとしか思えない。完成されたテントではなく、まだ発展途上だといっても過言ではない。
 もうひとつ、トンネルという名のフライシートは、たしかに楽しい発想だが、日本のキャンプ場で、とりわけ区画があるとこれを使ってテントとシェルターをつなげるところは限られてくる。
 年越しキャンプで二度使ったが、すきま風がひどくて冬はとうてい使いものにならないのがわかった。



■ 巨大化路線は優越感をくすぐる戦略なのか 
 わが家のキャンプは女房とふたり、それに中型犬が二頭である。ランドブリーズのテントに前から持っていたスノピの旧カラーのヘキサタープを組み合わせて使ってみたこともある。だが、きちんと張れたらたしかに美しいフォルムのこのタープの実用性が低いのは前からわかっていた。
 タープの下の有効面積が狭いのである。雨や日差しに対して弱いという意味だ。つまり、雨が降り込んでくるし、日陰もたいして得られない。デザイン重視でタープに求められる本来の能力は無視されていた。

 せっかく大きなリビングシェルがあるのだからというのでインナールームを買ってみた。だが、これは大失敗だった。リビングシェルの空間の半分を犠牲にするから、短期滞在の二人だけのキャンプならまだしも、なんとしても手狭である。一度で懲りてすぐに新たにインナーテントを買ってみた。
 雨に備えてフルフライシートも使うから設営はインナールームの何倍も手間取るが、テントを建てるよりはいくぶん楽である。居住性でもわが家は問題なかった。かくして理想のスタイルにようやくたどり着けた。
 
 それでもやっぱりリビングシェルは重くてかさばる。布地が厚いのとそれを支えるメインポールが太いからだ。
 ところが、最近のスノピのシェルターやテント類は巨大化しますます重くなって設営や撤収が大変なのは一目瞭然である。よほどの筋力の持ち主でないと取りまわしがきかない。ぼくにはスノピのこうした発想がまったく理解できない。
 アイディアも多彩だし、センスも悪くないのがスノーピークというメーカーである。ときどき、細部の詰めの甘さで完成度の低い商品をつかまされたユーザーが泣きを見るが、それでも人気ブランドにはちがいない。だからこそ、最近のテント類の巨大化路線にはあきれるばかりである。

いずれフィールドで瞑(ねむ)りにつこう

2015-12-22 20:42:37 | Weblog

■ さあ、銀山湖へ出かけよう!
 3歳年上の従兄が脳卒中でたおれた。
 血縁はないが、ぼくのフライフィッシングの師にして、キャンピングでは逆にぼくが先輩となる。こうしたつきあいのなかで、女房の従姉の連れ合いの彼がいまでは兄貴同然の存在となっている。

 実の兄弟でさえ冠婚葬祭でしか顔をあわせないというのに、彼とはこの10年近く春から晩秋にかけて年に何度となく老夫婦二組が寄り添うなかでキャンプを楽しんできた。
 60代同士で結婚した彼らがキャンプに目覚め、おきまりの道具遍歴を重ねてようやくたどりついた理想のテントの前で仲むつまじく過ごしている光景はなかなか味わい深い。そのスタイルが、すでにベテランの域にあるのはひと目でわかる。
 
 フライフィッシングの手ほどきだけは受けているぼくも、リタイアしたら彼の指導で本格的にフライのロッド(竿)を振る気でいる。まずは新潟と福島の県境にある、彼のホームグランドの銀山湖へ釣行しようという段取りだ。
 ぼくはビギナーズラックをひたら信じ、初回で大物を釣り上げる夢にずっと酔ってきた。願いどおりなら、ブラウントラウトの大物がヒットするはずである。夜、ベッドの中でそんなことを考えてしまうとわくわくして眠れなくなる。

■ もう話すことなんか何もないけどね
 さしあたっての時間はありあまるほどあるだろうから、まずは野営場にふたつのテントを張り、そこで寝泊まりしながらの長期釣行としよう。朝飯をしっかりすませてから自分たちで作った弁当をデイパックに入れ、ロッドを提げて湖に向かう。
 テントの脇には土をかけて熾きになった焚火の下に晩飯用の食材をしこんだダッチオーブンが埋まっている。夕闇のなか、空腹をかかえ、疲れ果ててサイトへ戻ったとき、冷えきった身体にエネルギーを充填できる熱々のメニューが待っているという寸法だ。
 
 ふたりそろって高脂血症だし、ほかにも共通の肉体的なリスクは歳相応にかかえている。だけど、ダッチオーブンのなかには高カロリーのメニューがたっぷりだ。蓋を開ければよだれがでるようないい匂いの湯気がたちのぼる。
 連れ合いたちが見たら、この命知らずの無謀なディナーに悲鳴をあげるに違いない。でも、湖に立ち込んでいるとき、あるいはテントで寝ていてお迎えがきたのなら、これに勝る幸せはない。
 
 身体が動くかぎり、そんなキャンプ釣行を続けていきたい。

 夜、焚火の前ではきっとその日逃した獲物への未練をくどくどと繰り返すだろう。新しい話題なんてそれくらいしかない。互いに70年以上生きてきたといっても、たいした話題しかない自分たちの人生に愕然とするのもいい。最初から、そうそう話すことなんてないのだ。それに、何度も同じ思い出話を繰り返し、もうとっくにネタは尽きている。かくして老人は寡黙になっていく。

■ 焚火の前が瞑目の指定席じゃないか
 湖にひそむ魚たちも寝静まり、ふたりは焚火をみつめてとろとろと時間をつぶす。お湯で割ったホットウィスキーの湯気にときどきむせるだけで無言のままだ。それでもなんという充足感だろう。
 魚なんか釣れなくてもいい。ふたりが湖面に流したフライに気づいた大物が、「だれがそんなものにだまされるかよ」と尾で叩いてゆっくりと潜っていく。そうやって、老獪な魚にからかってもらえただけでじゅうぶんだ。「惜しかった! もうちょっとだったのに!」なんて強がりをいいあっていっとき元気になれる。
 
 薄明のころ、朝靄のなかにぼんやり浮かぶのは、消えた焚火の前の椅子で古いブランケットにくるまって眠るふたりの老人である。足下には空になったバーボンの瓶がころがっている。
 彼らは二度と目覚めることがない。ブランケットは、裾が擦り切れ、色褪せ、焚火の火の粉で穴だらけだ。ふたりの死に装束としてこれにまさる衣装はない。ここにいたるまでの人生の来し方は互いにいろいろあったが、男の最期はやっぱりそんな至福とともにありたい。

 彼の連れ合いである姉貴には悪いが、ぼくは勝手に男同士の最期はかくありたいと希(ねが)ってきた。
 兄貴である従兄がフィールドに復活し、最後の夢で締めくくってくれる日を、まだ諦めるわけにはいかない。ぼくらの死に場所は病院のベッドの上じゃないはずだ。
 がんばれよ、兄貴!


わが家のテント遍歴 ~最盛期を支えてくれたあれこれ~

2015-12-19 00:30:34 | Weblog
■ ソロからファミリーキャンプでテントも変わる 
 ソロが基本だったぼくのキャンプに、25年ほど前から女房がついてくるようになって道具たちが激変した。たちまち巨大化したのである。
 オプティマス8R、スベア123などだった食事作りのガソリンストーブがコールマンのピークワンになり、まもなくツーバーナーへと変わる。キャンドルランタンもピークワンランタンやらワンマントルへ。いずれもホワイトガソリンを燃料とするからすんなり移行することができた。
 ほかにも、ちょうど、キャンプ用の椅子やらテーブルのいいものが発売されるようになった時期でもあり、それらが一気に増えた。
 
 だが、なんといってもいちばん大きく変わったのがテントである。女房がいて、大学生から社会人になっていくせがれはさすがにこなかったが、当時は小学生だった女房の姪が頻繁につきあってくれた。はた目には家族にしか見えなかっただろう。
 この時代、わが家がいちばんやっかいになったのがダンロップのダルセパクトであり、コールマンのスタンダードドームテントだった。

 ダルセパクトはすばらしいテントだった。風雨にも強く、居住性も申し分なく、廃番にさえならなければ後継テントとして買い続けたかったほどである。だが、ポールが多くて、設営が楽だったとはいいがたい。生地も厚かったし、ポールの数で重かった。
 サブにコールマンのドームテントを買ったのは、ひとえに張りやすさを求めたからだったが、初期のコールマンテントは、悪口をいいはじめたらきりがないほどクォリティーに問題があった。


■ ロッジ型からコールマンのドーム型へ 
 しかし、コールマンジャパンがはじめてテントをリリースして、そのデザインもさることながら、値段が魅力だったし、量販店で容易に入手できたので、ハイシーズンのキャンプ場がコールマングリーンで埋まった年が何年か続いた。
 どこまでいってもコールマンのテントが続き、自分のテントに帰れなくなった子供がコールマンテント村の中で泣いていたなんて話も珍しくなかった。なんせ、タープも椅子もテーブルも横に置いてあるツーバーナーも全部似たり寄ったりのコールマン製品である。大人だってどこが自分たちのサイトかわからなくなって当然であきれた記憶がある。

 余談になるが、コールマンテントの攻勢がはじまる直前にクルマを使ったキャンプのブームがきた。「オートキャンプ」なる和製英語がモーターリゼーションの世相とあいまって、その後の4WDブームの前触れのようにリクリエーションとしてのキャンプが注目された。キャンプ場に並んだテントは重いスチール製のポールで組み立てていくロッジテントだった。
 多くのロッジ型が量販店で信じられないような安価で売られていた。激安だけにひどい製品もあったろうし、何よりも設営と撤収の手間は正視に耐えないほどだ。コールマンテントはその後継テントにぴったりだったともいえる。

 わが家のダルセパクト時代がコールマンテントと重なるとはいえ、10年以上続いた。最後はさすがに防水機能が落ちてきたものの、ほかのテントへの買い換えは念頭になく、大々的に防水加工をやる気になって防水液や刷毛を準備もしたほどだった。
 ダルセパクトの時代は、ちょうどタープが出現し、まもなくメッシュタープへ進化し、現在のスクリーンタープの原型が定着する時代の変遷と重なる。


■ タープがたちまち進化を遂げた 
 虫嫌いの奥さんや子供たちとキャンプへきたとき、とくに夏場はランタンの光めがけて飛んでくる虫が悩みのタネだからだろう、タープの側面にメッシュを垂らしたような不格好なシロモノが発売された。
 いつもキャンプにつきあってくれる小学生の姪のために、ぼくもコールマンの製品を買った。スチールのポールはなんとも粗悪品で買ってすぐに後悔した。デザインもひどかった。二度目の使用時、突風にあおられて傾き、ランタンにメッシュが絡んで穴が開いたのをこれ幸いと廃棄処分にした。

 メッシュの外側にウォールをつけたスクリーンタープがすぐにリリースされていた。絞り込んだ候補はふたつ。どちらもコールマン製品であり、パラワイドとスリーポールスクリーンタープだった。前者のポールと後者のポールを見比べたらひと目でその差がわかる。ぼくが選んだのは前者のほうだった。
 ベージュ&イエローのダルセパクトとグリーン&ベージュのパラワイドではカラーバランスがよくないが、ぼくは無頓着だった。スクリーンタープがいらない季節は、スノーピークのレクタングラーやら同じくスノピのヘキサを使い分けた。

 レクタングラーは現在も3枚が手元にあり、グループキャンプのときにずいぶん重宝した。スノピでありながらカラーがいずれもアイボリーだけという時代だった。
 2枚のヘキサのほうも1枚はアイボリーでソロ用に小ぶりのものを買ったが、ほとんど使わないでキャンプ入門者に進呈した。
 これらもまた写真のようにダルセパクトとはバランスがとれないが、まあ、使えればいいじゃないか。そんな感覚だった。


■ クレーム対応に不信感が残った 
 小川キャンパルのテントであるスクートとスクリーンタープのスクリーンキャビンは、ほんの偶然から衝動買いした。当時、毎月のキャンプをご一緒するようになったご夫婦といきつけのアウトドア用品の店でこれらを見つけた。ちょっと使ってみようか程度のノリでそれぞれにセットで買った。はじめてテントとスクリーンタープがジョイントできてその便利さに満足した。
 テントの広さや高さは申し分なく、スクリーンキャビンも大人4人と犬4匹がくつろぐのには十分だった。なんとなく心細さを感じつつもシンプルな設計だけに故障の可能性も低いだろうとタカをくくって使い続けた。なんせOGAWAのブランドである。イマイチのデザインもがまんできた。
 
 設営直後に「あれ?」と異変に気づいたのは1年も経たない、たぶん半年くらいのころだった。わが家のスクリーンの天井に多数のピンホールを見つけたのである。隣のサイトのスクリーンも同じだった。まるでプラネタリウムにいるような光景だった。
 東京へ戻り、ふたつのスクリーンを販売店に持ち込んだ。顔見知りの店長は、「そんなクレームは一件もきていない」とケンもほろろだった。それでも小川キャンパルへ送ってもらい、あとは当事者同士の話し合いとなった。
 まもなく、担当者から電話がかかってきた。彼もまたそういうクレームは一件もないのだから、使い方が悪かっただけだと強弁を続けた。昨日今日キャンプをはじめたのならそれで引き下がるだろうが、これは明らかに素材が不良品だからだとぼくも譲らなかった。

 長い電話のやりとりで、担当者は渋々だが、「交換はできませんが、新しいのを買い取ってください。価格は100円くらいでどうでしょう?」と提案してきた。
 ショップ経由で新たに送らてきた幕体の手触りは以前のものよりはるかにしっかりしている。そして、ぼくの手を離れてからは従姉夫婦が何度か使い、いまはこの2年ほどキャンプを一緒にしているF家のスクリーンタープとして健在である。
 実質の交換から10年、ピンホールも見えずに役立っている姿を見るにつけ、やっぱりあれは不良品の素材だったのだと確信を強めている。あのとき、キャンプ仲間と同時に同じ製品を2張り買っていたからこちらも冷静にクレームを展開できた。この対応で、ぼくのOGAWAブランドへの信頼は一気にしぼんでしまった。

わが家のテント遍歴 ~初期のころ~

2015-12-14 22:45:04 | Weblog

■ ひとり遊びで重宝したツエルト
 コメントでテントに関するご質問をいただいた。その過程で、10年ばかり前に使っていた小川キャンパルの「スクート」の感想を求められて気づいたが、あのテントは短期間で酷使しながら、引退させてしまったのも早かった。これといった不満があったわけではないが、後継のテントを買ってしまったのが災いして早期の引退となった。

 ぼくが最初に買ったテントは、記憶では昔ながらの三角テントだった。まだテントにフライなどなく、本体のすべてに防水加工を施している時代だった。それでも素材はすでにコットンではなく、化学繊維(記憶では「ビニロン」という名称だった)でできていた。
 コットン製のテントに比べればかなりコンパクトに畳めたが、それでも現在の常識とはかなりかけ離れたテントだった。
 
 若いころ、ひとりで出かけた野遊びで、一夜の寝室にいちばん適していたのは「ツエルト」だった。登山者がビバーク用に持参する簡易テントである。二本の樹木にロープをからめて張るだけの、防水機能も脆弱な代物だった。
 シュラフも粗末だったし、まだ、ロールマットなんてしゃれたものはなかったので、ほかに、厚手のグランドシートを二枚持参し、一枚を地面に敷いてからツエルトを立ち上げ、もう一枚はタープのようにして使っていた。どちらもいまもクルマに常備し、キャンプのたびに使っている。
 当時の写真は一枚もないが、楽しい記憶はたくさんある。二代目のツエルトにはポールが付属したていたと記憶しているが、使った記憶があまりない。

■ 過去のエスパースの意外な弱点
 登山雑誌や釣り雑誌でアメリカで流行しているというバックパッキングの様子がしきりに紹介され、もっと情報がほしいと思っていたところに芦沢一洋さんの「バックパッキング入門」が出版されて一気にのめりこんでいった。
 同時にしばらく立ち直れないほどのショックも受けたのは、その精神よりも道具たちの多彩と、機能、そして、野遊びの内容の先進性ゆえだった。

 当時、日本のバックッパカーたちのバックパッキング用のテントしてしきりに紹介されたのはダンロップのコンパクトな登山テントだった。インナーがオレンジ、フライがブルーの信頼性のあるテントという評判だった。
 ぼくが知らない間に山岳テントはどんどん進化していた。いつか、ダンロップのこのアルパインテントをと思っていたが、何年かして買ったのはカモシカスポーツのオリジナルである「エスパースミニ」だった。
 当時、仕事で知り合ったクライマーの連中からこの高機能のテントがあると教わり、真冬、雪の中でも使えるようにとフルフライシートと内張りまで一緒に購入した。

 春先の残雪の上でのキャンプをエスパースで何度か経験したが、真冬の本格的なコールドスノーキャンプとなると、その機会がないまま過ぎた。冬山ではなかったが、どこだかのアルプスを縦走中にエスパースのポールが折れてしまい、途中で下山してきたというアルピニストに出逢った。
 当時のエスパースのポールはグラスファイバーを素材に使っている。折ろうとしても折れるものではないが、ひょんなことから簡単に折れてしまうという話も聞いた。すばらしいテントだっただけにショックも大きかった。


■ 雨や風に絶大な信頼のムーンライト
 次のテントが、モンベルのムーンライト3だった。まだ淡いグリーンしかなく、夜、このテントの中でライトを点けると闇のなかに美しく浮かび上がった。大人3人が寝られるというふれこみだったが、実際にはせいぜいふたりまで。
 これをひとりで使うとなかなかリッチな気分になれた。ほかに中型の犬たちと一緒に寝るにもちょうどいい大きさだった。このころは、テントを背負っていくスタイルではなく、クルマを使っていたから犬連れのひとり野遊びの場合ももっぱら3型を愛用していた。

 基本設計が昔ながらのテントのイメージを踏襲したというのが好ましかった。すでにドーム型テントが主流の時代になっていたが、日本のフィールドにはA型フレームと呼ばれる三角形の屋根型テントのほうがよく似合うと思えてならなかった。
 むろん、頭がつっかえてしまうこうした屋根型よりも丸みを帯びたドーム型のほうが居住性はいい。それでも、もっぱらテントは寝るだけという使い方だからなんら苦にはならなかった。そのうち本格的なタープが出現し、野営地で寝る以外の時間はタープの下で過ごすのが当たり前になっていった。

 ムーンライト3の二代目をアイボリーに変えたのは、目新しさもさることながら、従来の淡いグリーン色が目立ちすぎて居心地の悪さがあったからである。オプションだった前室がフライに標準でついたのもうれしかった。
 初代のムーンライトから、モンベルのテントの大雨や強風の強さには目をみはるものがある。いま、ぼくはムーンライト5のテントを使い、なぜか大雨に見舞われてきたが、いずれのときもタフであることに変わりはなかった。 

■ 企業も製品も進化するモンベル
 初代のムーンライト3を使っていたころ、女房がキャンプに加わるようになった。リリースされてまもないモンベルのタープを買った。同じ形はすでに廃番となっているが、基本的にはヘキサのタープである。色は例の淡いグリーンだった。
 嵐のような大風の中で、張り綱にゴムのストレッチコードをかませたとはいえ、このタープは朝まで雄々しく耐えた。しかし、色が淡い分、強い日差しが抜けて日陰は暑く感じた。
 
 もうひとつ、経年劣化が早かった。コーティングがはがれ、表面がちぎれて垂れ下がってくるようになった。たぶん、初期の製品ということで、変わったデザインと素材は失敗作だったんだろう。
 当時のモンベルの製品にありがちなのだが、このタープを付属のスタッフバッグに収納しようとするときつくてひと苦労だった。モンベルは製品ばかりじゃなく、企業ポリシーも進化を遂げている。
 
 二代目のムーンライト3と一緒に買ったミニタープHXはブルーブラックのようなダークフォレストという名らしいカラーである。青系のタープは顔色が悪くなるから使わないほうがいいという専門誌の記事を読んだことがあるが、なんともナンセンスな意見だ。
 タープの本来の役目が日陰作りだとすると、淡い色よりも濃い色合いのほうがいい。可能なら黒がいいちばんいいかもしれないが、さすがにそれはやりすぎだろう。そうなると、モンベルのダークフォレストはいちばんぴったりに思える。

冬のアストロドーム&ムーンライトについて

2015-12-12 03:01:13 | Weblog
■ コメントにお答えして
 くんくんさん、コメントをいただき、ありがとうございます。

 ひとさまにアドバイスできるほどテントやタープ類に精通しているわけではありませんが、ムーンライト5とアストロドームを使ってみた者としての感想をお伝えいたします。

 ブログにも書きましたが、ムーンライトの設営の容易さは目を見張るほどです。わたしは3型を長年使い続けてきましたが、大きい5でもまったく遜色ありません。このへんの情報はご存じだと思います。

 アストロドームですが、モンベルお得意の吊り下げ式ではありませんし、やっぱりガタイが大きいので取り回しは必ずしもいいとはいえません。正直なところ、これまで使ってきたスクリーンタープ類のなかで「張りやすさ」の点数は低くなります。むろん、これもおっしゃるとおり「慣れ」でしょうが。
 その代り、メーカーの設計思想が反映した風雨への工夫を見るにつけ、信頼感はかなり高得点になります。

 現在、わが家はもうひとつ、スノーピークのリビングシェルにインナーテント&フルフライを使っています。じゅうぶんな広さと快適さを確保できているので問題はないのですが、いかんせん、設営と撤収に手間がかかるのと積み込みにかさばるので短期滞在用にモンベルも買いました。

■ よほどの大雪の中でなければ
 ムーンライトでは、5にするか7にするか迷いましたが、かさばらないようにと5をチョイスした次第です。小柄な夫婦とコーギーが寝るにはまったく不満はありません。問題は、テントの中で立ち上がって着替えが可能かという点ですが、身長が165センチと150センチのわたしたちには首をすくめればほぼ問題なく使えます。

 ただ、ここに大人が3人寝ると、着替えの入ったダッフルバッグを置いたままではギリギリです。犬は居場所を取確保するのに苦労しています。それらの荷物を夜はアストロドームに移したり、ムーンライトのアストロドームとジョイントしたのとは反対側の出入口に予備のグランドシートで包んで置いたりしてもいます。

 これらのセットを南関東の冬のキャンプに使うのはどうかというご質問ですが、通常のキャンプなら問題ないでしょうし、積雪期でもよほどの大雪でないかぎりは支障ないと思います。
 まだ真冬に使ってみたことがないので責任あるお答えはできませんが、わたし個人は経験的にモンベルのテント類には絶大な信頼をおいています。山岳用に流用しようとは思いませんが平地のキャンプでの雨風への強さは抜群です。

■ 心配なら冬山用のテントで
 居住性として寒いかどうかですが、しょせんはスクリーンタープとテントです。風をさえぎり、外気を遮断できるレベルだったら御の字です。テントで寝るときも、快適さはシュラフの性能に頼る部分が大きいわけで、ほかに地面からの冷えをどうやって遮断するか等のほうがはるかに重要です。

 冬のキャンプも環境下でまったく状況が異なりますが、わたしがソロでやっていたころはスクリーンタープなどまだなかったので、テントはカモシカのエスパースミニの冬山仕様でした。
 本格的な冬用なら内張りのあるこうした登山テントに頼るほうが無難でしょう。いささかオーバースペックでしょうが、突然の風雨や大雪にも対応可能です。

 「リサービア」についてはまったく情報を持っていません。
 10年ほど前に同じ小川キャンパルのスクートというテントを使っていました。基本的な構造は同じようです。非常にシンプルで設営も撤収も楽でした。むろん、春夏秋冬のキャンプを楽しんでいました。
 申し上げるまでもなく、リサービアはブランド的には信頼できる製品ですし、テント単体で見ると居住性もムーンライトより上でしょう。
 
 以上、ご質問のお答えになっていればいいのですが。

自分にあったキャンプ用の椅子をもとめて

2015-12-10 22:48:16 | Weblog
 椅子を買った。Onway製の「スリムチェア」である。  
 実物はどこのショップにもないので、ネット上の情報だけで注文した。実物を試してから家族の分も考えようと思い、とりあえず1脚だけ頼んだ。送料が700円かかったが、それで8,368円だからリーズナブルといえるだろう。 
 
 色はブラウン、ピンク、グレーがある。実はほぼ同じ形状で気に入っているコールマンの椅子を持っていて色はブラウンである。今回買ったのはグレー。なかなかいい色に思えたので迷いはなかった。
 注文した翌日には到着した。色には満足しているが、期待していたよりも背もたれがうしろに倒れているので、さて、どこまでキャンプに適しているかは使ってみないとわからない。
 
 若いころ、キャンプ用の椅子なんてどこにもなかった(アメリカ製のバギーチェアはあったが、ビンボー人にはとてもじゃないけど手が出なかった)ころの不便さが身にしみているせいか、よさそうな椅子を見つけると抑制がきかなくなることがある。今回はまさしくそれだった。
 
 40年前、はじめて買った椅子はキャンプ用ではなく、木製のフレームに帆布製の座布と背もたれがついたディレクターズチェアだった。かさばるので、当時の愛車カローラに積むとトランクルームがあらかたいっぱいになってしまう。それでもサイトで過ごす快適さは申し分ななかった。
 
 英国製のガタバウトチェアは27年前の購入のはす。いまもブルーのヤツを4脚もっている。スリムに収納できるのはいいのだが、お尻が沈んでしまい、ぼくはどうにも長時間座っていられない。焚火の火の粉が飛んでくると、座布に穴が開いてしまうのが悩みだった。
 前後してキャンプ用のさまざまな椅子を試してきたが、実際に買ったのはやっぱり収納が楽なものがほとんどだった。最初のディレクターズチェアで懲りていたからだろう。

 スノーピークの「フォールディングチェア」は安定感があってよかったが、収束型ではないから2脚以上となると積み込みがいかんせんかさばる。次に目をつけたのが、同じスノピの「Takeチェア」でいまも愛用している。
 ただ、部品のネジが取れやすく、これまで何度か取り寄せてきた。スノーピーク製品は、意欲的ではあっても、値段がおしなべて高いわりにこうした細部の完成度が低い場合が往々にしてある。
 
 次に触手が動いたのはスノピのローチェアで、3脚まとめて買う寸前までいったが、女房がいま使っているTakeチェアのほうがいいというので思いとどまった。値段もスノピらしく割高である。つかっていないので細部の完成度はわからない。
 ローチェアについては、かつてユニフレームの製品を使っていたことがある。焚火用の椅子にはぴったりなのだが、手持ちのテーブルだとさすがに低すぎた。スノピのフォールディングチェアを買ったのを機に捨ててしまったのをいまも悔やんでいる。
 
 Takeチェアと一緒に使っているのがコールマンのリラックスチェア(現行品とは別)で、いちばん気に入っている。2脚あるがすでに廃番なので同じものは買えない。
 今回買ったOnway製のスリムチェアとほぼ同じように思えるが、座り心地は微妙に違うような気もする。次回のキャンプでたしかめたい。これが生涯の友となってくれたらありがたいのだが。

自分たちさえよければいいという風潮

2015-11-24 21:56:59 | Weblog

■ ブームはかならず荒廃を招く
 11月三連休のキャンプはなんとも後味が悪かった。
 この何十年かの間、キャンプは、何年かごとにブームがきてはまた廃れていった。ブームのたびに市場は活気づき、道具の進化も著しい。しかし、いつもぼくはひたすらブームが終わるのを待った。春から秋のシーズンともなると、にわかキャンパーがキャンプ場へ押し寄せ、狼藉のかぎりをつくしているからだ。
 5月の大型連休や8月のお盆休みのころは特にひどくなる。そんなさなか、ある人気キャンプ場の管理人さんが、「ゴールデンウィークや夏は、みんな正気じゃなくなるからここへはこないほうがいい」と教えてくれたほどだった。
 
 今年はどこへいっても、その賑わいからふたたびキャンプブームが到来したのがわかった。いきつけのキャンプ用品の店も春から繁盛していた。ゴールデンウィークと7月の海の日がらみに出かけた信州のキャンプ場も覚悟した以上の混雑だった。それだけにびっくりするような経験も少なくない。
 たとえば、9月のキャンプでは、テントの前にテーブルを出し、椅子の座ってくつろいだり食事をしているすぐ横を家族連れが平然と通り抜けていく。あるいは、子供たちの集団が興奮して駆け抜ける。他人のサイトは迂回するものというマナーなど気づかない連中がたくさんいた。マナー以前の非常識といってもさしつかえないのだが。

■ 子を見れば親がわかる
 そうやって秋を迎えた10月のキャンプが最悪だった。
 そろそろ静かになるだろうと思って出かけたのは山梨・道志村の奥まったキャンプ場である。夕暮れどき、隣のサイトへ四人連れの若い家族がやってきた。設営を急ぐ父親から、「(じゃまだから)あっちで遊べ」とでもいわれたのか、ぼくらのサイトへやってきてサッカーボールを蹴りはじめた。
 焚火の炎があがるバーベキューコンロも、そこに駐車してあるクルマも、ローテーブルの上にならぶ食材も目に入らないらしい。

 火があるからボール遊びはやめなさいと穏やかに注意すると、その子は顔をしかめて戻っていった。だが、1時間ほどしてこちらが食事をしていると、今度はほかのサイトの小学生たち数人を連れて戻ってきた。暗い中、われわれのサイトの明かりをあてにしてサッカーボールで遊ぼうという魂胆らしい。
 その喧噪たるや尋常ではない。それぞれの親たちがかまってやれないので、「よそで遊んでこい」と追っ払われた子供たちが集まってきたのだろう。

「きみたち、いいかげんにしろ!」
 さすがに今度は大声だった。子供たちはなぜ怒られたのかわからいという顔でぼくを見ていた。ふだんから親が家にいない同士で集団をつくるのに長けた子供たちにありがちな反応だった。子供たちのみならず、隣のサイトの父親もぼくがなぜ怒ったのかわからなかったようだ。他人の食事の邪魔をすることがよくないことだと思いいたらないらしい。
 このあと、よそのサイトにいる親たちの多くが夜遅くまで飲んで騒いでいた。ぼくのサイトからは離れていたが、近くにいたまともなキャンパーにはさぞや迷惑千万だったろう。

■ もうこのキャンプ場は使えないか
 11月の清里高原のキャンプ場は、例年なら数えるほどしかテントがないが、今年はブームに加えて陽気も温かかったので、この時季としては信じられないような賑わいだった。
 初日からキックボードやらスケートボードがわがもの顔で場内の車道を走り、夜になっても同じだった。暗闇の中から突然あらわれるのだから危険きわまりない。夜、トイレへいこうとして歩いていて、猛スピードでやってくるキックボードやらスケートボードに衝突されたら深刻な事故になってしまうだろう。

 とくにキックボードはキャンプ場が24時間1,000円で貸し出しているため、その数もハンパじゃなかった。キャンプ場が定めたルールなど無視して大人もまじってせまい場内の車道を走りまわっている。目の前で大きな事故が起こらないほうが不思議なほどだった。
 キャンプ場が営業収益を上げる手段としてはキックボードの導入は有効だろうが、老舗の人気キャンプ場とは思えない方策である。おおいに失望した。
 オーナーではないが、朴訥な管理人さんと、人柄のいい奥さんがよくて、もうずいぶん長い間通っているキャンプ場だが、これじゃ今後は使い方を見直さなくてはならない。
  
 二泊三日のキャンプ期間中、夜遅くまで大人と子供の興奮した声が場内にこだまして迎えた最終日の朝、キャンプ場あげての撤収がはじまると、子供たちはここでも親たちから、「あっちで遊んでこい」と追い払われてやってきた。
 ぼくのクルマのすぐ前の道路で、興奮していつまでもわめき散らす子供の声に、とうとうぼくは切れた。だが、「うるさい!」と注意してもさっぱりわからないらしい。大声で怒鳴りつけても効果はない。こうなるともはやサル以下である。

 呆れてあきらめ、後味の悪さだけが残った。

どこまでキャンプをシンプルにできるだろう?

2015-11-04 21:55:12 | Weblog

■ 週末一泊で山梨の道志村へ
 一泊のキャンプはせわしない。だから、近年はほとんどやってこなかった。
 若いころ、ソロキャンプが当たり前だったころは、ひと晩、森で焚火をして寝るためだけに思い立って出かけたものだった。小さなテントとロールマットにシュラフ、最低の調理具、コップ一個で楽しめた。
 
 10月31日から11月1日の週末、一泊キャンプを計画したのは、そんな昔のシンプルキャンプをとりもどしたいとの思いからだった。11月2日の月曜日に出社しても翌日の3日は文化の日で休みとなる。一泊キャンプには願ってもない日程である。
 このキャンプで、どこまで道具が削れるか試してみたかった。女房のほかに、最近、コールマンのランタンにハマっている愚息を誘ったらついてきた。

 目指すは山梨の道志村である。
 道志とのつきあいは、かれこれ40年になる。「道志みち」と呼ばれる国道413号線がまだ全線舗装されておらず、道も細くてカーブとアップダウンにとんだ楽しいルートだった時代からさんざん走ってきた。
 そのわりにキャンプをおこなった頻度が低いのは、キャンプ場の数は多いがいまひとつ楽しめる環境に乏しかったからである。

 毎年、紅葉のころ、日帰りで山中湖をめざし、勇んで出かけていた道志村だった。たまたま訪れた時期がよかったのか、今年の道志村の紅葉は、例年になくきれいだった。
 これならほかもさぞやというので、初日に設営を終えてから139号線を本栖湖まで走り、途中の紅葉台や青木ヶ原の紅葉に期待したがみごとに裏切られた。


■ 道具はこんなに削ったはずなのに
 御殿場のスーパーマーケットで夕飯の買いものをすませてキャンプ場へ戻ったのは夕闇が迫る時刻だった。シンプルキャンプなので夕飯はBBQ。まずは炭火を熾す作業をいそいだ。
 どこまでシンプルにしたつもりかというと、テントはモンベルのムーンライトⅤにアストロドーム。いつもは二台のテーブルを一台にして、その代り簡易テーブルを人数分持参した。ジャグは持たないが、念のため大きめのプラスティック製カンティーンを用意した。だが、これは不要だった。
 
 焚火キャンプの予定でもあったので、スノーピークの焚火台(L)一式と焼き網。調理具は、使わないかもしれないと思いつつ、火に直接かけるステンレス製のビリーカン(タイ製)を購入後はじめて持参した。ヤカンは、ユニフレームのキャンプケトル。 
 食器はMSRのステンレス製の皿3、チタンのロッキーカップ3、スノーピークのチタン製シェラカップ3、同じくチタンシングルマグ300と450×2個。包丁がわりのナイフに小さなまな板、箸、スプーン類といったころである。
 
 道具を削ったつもりではあったが、クルマに積み込んでみるといつものようにルーフキャリーまで満載となり、なにを削ったのかよくわからないありさまだった。
 言い訳すると、前回残した炭と薪を積み込んだ。とはいえ、さほどの容量ではない。ソロのときにくらべてなにが増えているかといえば、テントの床に敷くキルティングのインナーマット(小川キャンパル)、カセットコンロ(イワタニのマーベラス)あたりだろう。


■ なにがムダかはわかっているけど
 ほかに、昔は直火が当たり前だったからわざわざ焚火用の器具など持たなかった。ランタンもなく、ソロだったら手のひらにおさまるようなフラッシュライトでことたりた。
 食事もビリーポットから直接食べていたから皿などの食器は使わず、飲み物用のカップが一個ですんだ。

 クルマを使ったオートキャンプと呼ばれるスタイルのキャンプは、やっぱりどうしても道具が大型化してかさばるのを避けられない。それに大人が三人と犬一匹のチーム構成もクルマに負担をかける。犬用のケージも大きいタイプのものを荷台に積んでいる。
 そして、わが家の場合、なによりも各自が持参する荷物が多すぎる。ぼくはノコギリがあるのに鉈や斧を持っていってしまうし、それ以外の細々としたキャンプ道具を入れた工具バッグがある。せがれはカメラバッグを持ってくるし、女房は着替えのダッフルバッグを複数持ち込む。

 若いころは、「やっぱり荷物をザックに詰め、歩いて出かけたキャンプだけが本物のキャンプだ」などとうそぶいていたが、もう、そんなストイックなキャンプに戻れる体力がないし、それより先に根性がヤワになって、ただただ堕落の一途をたどっている。
 クルマは使うが、久しぶりに犬だけつれてキャンプへ出かけ、ほんとうのシンプルキャンプを楽しみたいと思うのだが、いまやぼく以上にキャンプにハマってしまった女房の許しが出るはずもないだろう。

わが最愛のシェラデザインズ60/40マウンテンパーカ

2015-10-15 19:05:37 | Weblog

■ 永遠の60/40クロス
 10月10日から12日まで、体育の日がらみの三連休のキャンプは清里高原へ出かけた。本格的な秋を迎え、久しぶりにシェラデザインズの60/40マウンテンパーカを着ることができた。
 いつもキャンプのお伴にしていながら、さすがに夏場は着る機会がない。それでもダッフルバッグに入れていくのは、このマウンパがぼくにとって野遊びの正装だからだ。どの服よりも、ぼくは60/40を愛している。
 このマウンパのことは前にも書いた記憶があるので繰り返しになるかもしれないが、それだけ愛情を注いでいる証なのでご勘弁願いたい。

 若いころ、ずっと憧れていたシェラのマウンパではあるが、高価でとても手が出ず、代わりに日本の有名なアウトドア用品店のブランドである似て非なるマウンテンパーカでがまんしていた時期もある。だが、そのクォリティの高さとデザインのすばらしさは比べようがなかった。それだけに60/40を手に入れたときの喜びは、後述するとおりひとしおだった。

 野遊び好きには説明するまでもないだろうが、60/40とは、素材に使われている布地を指す。緯糸にコットン60%を、縦糸にナイロン40%を配して編み込んだ布地で、雨や雪で外気の湿度が上がるとコットンの緯糸が湿気を含んで膨らみ、ナイロンの縦糸を圧迫して防水機能を高める。少々の雨や雪なら内部への侵入を阻み、当然、内部からの熱の放出も防いでくれる。外気のコンディションのよっては、コットンが収縮して内部の湿気を放出するため、快適さが保たれるというすぐれものである。
 焚火の火の粉を浴びても、ゴアテックスに代表される新素材のように穴が開いたりしないし、新素材にありがちなコーティングの経年劣化等とも無関係である。


■ 一生もののアイテムとして
 そうした機能もさることながら、素晴らしいのは軽くソフトで繊細な手触りながらその堅牢さである。なんとも品のいい光沢を持ちながら、アウトドアにつきものの摩擦や引き裂きに対してビクともせず、使い込めば使い込むほど味わいが増してくる。60/40の配合が黄金比と称賛されてきた所以だ。

 このグリーンの60/40は20年あまり愛用して、だいぶ年季が入っているが、これからも野遊びにいかれるかぎりはずっと使い続けるつもりである。
 三十代のなかばで買った初代は、うれしさのあまり、買ってから2、3年ばかり、秋から春までコート替わりに会社の往復でも着ていて裏のほうはかなり擦れているが、表面はまだまだ現役である。初代を買って3年ばかりしたころ、軽井沢のバーゲンで同じタン色を格安で入手して、こちらはほとんど着ていない。ただ、どちらもSサイズ、日本ではMサイズに該当する。

 三十代までは身体も細身だったから、スーツの上にシェラのSサイズのマウンテンパーカを着てもじゅうぶん着こなせた。ところが、四十代を迎えると、Sサイズでは重ね着が窮屈になってきた。下にインナー用のダウンパーカやダウンベスト、あるいはフリースのジャケットを重ね着するのを前提で、ワンサイズ上のMを新たに購入したのである。
 よほど体型が変化しないかぎり、このマウンパはぼくの一生もののアイテムとなるはずだ。

■ このマウンパを棺の中へ入れてほしい
 シェラデザインズのマウンテンパーカは、初代、二代目、そして、この三代目以外にもう一着四代目の60/40がある。ただし、こちらはウッドランドパターンの迷彩柄。買ってからほとんど着てないのは、ミリタリーショップで売っている戦闘服を野遊び用に流用しているなんて勘違いされてしまうのも心外だが、ホームセンターに並んでいる作業服に見えないこともない。まったくもって大いなる誤算であった。
 
 ぼくが持っているマウンテンパーカは、ほかにも数着ある。ゴアテックスをはじめ新素材でできた製品だが、いまや休日の街着と化している。ぼくの野遊びには焚火がつきものなので、ゴアテックスなど怖くて着ていられない。ジーンズショップで買った焚火専用のジャケットもあるが、わがことながら根が横着だからわざわざ着替えて焚火の前に座るとは思えない。

 ぼくがシェラデザインズのマウンテンパーカに寄せる想いは、60/40クロスの素材の品質の高さもさることながら、そのデザインのすばらしさである。ほかの人の目にはどうのように映っているのか知らないが、ぼくにとってマウンテンパーカとは、まさに「シェラのマンウンパ」だけなのである。それゆえに、死ぬまでぼくの正装でありつづける。
 あの世とやらへ旅立つとき、「棺の中になにか入れてほしいものがあるか」と問われたら、迷うことなく「シェラのマウンパにしてくれ」と答える。あの世でもこのマウンパを着て野遊びに興じたいからだ。

*本稿は、畏友・久我英二氏のブログ「オジサンの今日の服」内の「オジサンたちのみんなの服」に掲載していただいた拙稿をベースに構成しました。

シルバーウィークの喧騒キャンプにうんざり

2015-10-06 20:38:00 | Weblog

■ まだ夏の名残りの高原へ
 2015年のカレンダーを手にして9月を見たとき、目を疑ったのはぼくだけではなかったろう。ゴールデンウィークと呼ばれる5月の大型連休と同じ祭日が並んでいるではないか。土曜日を入れたら五連休。気が遠くなるほどうれしかった。

 当然、キャンプである。混むのは覚悟したが、もう夏休みは終わっているし、初日が土曜日だというので油断した。午前中に着けばじゅうぶんサイトが確保できると信じて出かけたが、とんでもない混雑が待っていた。11時前だというのにキャンプ場は人とクルマでごったがえしているではないか。
 いつもテントを張っているサイトは見たこともないほどの数のテントやタープで埋まっていた。管理人さんたちでさえ想定外の人出に「なんだ、こりゃ?」という顔で驚いているのがよくわかった。

 ゴールデンウィークだとまだけっこう寒いし、年によっては冬の陽気を覚悟しなくてはならない。キャンプ場内の桜が満開の年であっても、夕暮れ過ぎると寒さが忍び寄るのは毎年のこと。過去には雪で埋まった年もあったという。その点、9月なら、高原はすでに秋ではあってもまだ夏の余韻が濃厚と思える。
 実はこのシルバーウィークと呼ばれた今年の連休の夜はけっこう寒くて、夏のシュラフだと辛いと感じた人たちも少なくなかったと思う。


■ ここはほんとうに日本のキャンプ場なのか?
 到着後、なんとかテントを張るスペースを見つけてそこに落ち着いた。これまでなら見向きもしなかったような場所である。多少傾斜はあるが、このキャンプ場で平坦な場所を確保するほうが至難だから妥協するしかない。ほどなく、落ち合う予定になっていた従姉夫妻も到着して、われわれの隣のスペースに無事設営を完了した。
 
 初日が土曜日だというのに、たくさんの子供たちがきていた。その夜は、子供のわめき声と大人たちが酔って上げる奇声が遅くまで場内にこだまして、まさに連休ならではのキャンプ場の様相である。それにしてもかなりひどい。ひと言でいえば、ずいぶん荒れ気味である。
 日本のキャンパーが必ずしもマナーがいいとは思っていないが、それにしもずいぶん地に墜ちたものである。
 
 ぼくたちがテントを張ったのはふだんは見向きもしなかった場所ではあるが、使ってみると周囲から隔絶されており、こうした大混雑のときには珍しくプライバシーが確保できる利点があった。
 そんな場所のサイトではあっても、通り道でもないのに平然と入り込んできてわれわれが食事をしているすぐ横を通り過ぎていくマナー知らずの連中の数に唖然とした。なるほど、これが8月のお盆キャンパーの特徴なのかもしれない。

■ 入れ替わっても大差なく
 彼らの半数近くが翌日には撤収して去った。入れ替わりに別のファミリーやらグループがやってきた。日曜日だけあって、子供の数は目に見えて増えた。喧噪はさらに増す。
 その日の夜、ぼくは自分のFacebookに夜景の写真つきで次のようなコメントを載せた。


昨夜は酔っぱらいのだみ声が満ちていましたが、今夜はガキンチョたちのわめき声がキャンプ場全体に響き渡っています。
興奮してしまうのはわかるけど、ケガ人が出ないといいのですがね。

 テントの数と喧噪はこの夜がピークだった。翌日には再びテントの数が減った。新たにきた人たちはあまりいない。大型連休であっても一泊か二泊、それがいまどきのキャンプの宿泊数なのだろう。子連れとなるとしかたないが、キャンプに身体がなじんでいくのは、実はここからである。
 ただ、フィールドに慣れていないと、ここからの疲れが加速する。まして、連休の帰路の渋滞を覚悟するとなると、いくら若くてもキャンプが苦行になるのは時間の問題だろう。

 めったにめぐってこないシルバーウィークは、幸いにしてずっと天候に恵まれた。それでも初日からの混雑に、今度は湯当たりならぬ人当たりで疲労困憊していた。
 もしかしたら途中から参加して二泊できるかもしれなかったキャンプ仲間の親友ユウキ少年のファミリーは、ユウキ君がキャンプ3日めの21日、サッカーの試合で自ら2点ゴールの活躍もあって4対0で勝利し、23日に準決勝があるのでキャンプは断念となった。


■ 今年の秋はどこへいこうか?
 この朗報をぼくは森を散歩中に彼のお父さんからメールで受け取った。ユウキ少年がきてくれたら連休最終日まで腰を据えるつもりでいたが、彼がこないと聞いて翌22日の撤収を決めた。彼のさらなる活躍とチームの優勝とを信じれば、早めの撤退に寂しさはない。
 森の中の逍遥からサイトへ戻ると、今夜は下界のレストランで従姉たちともども打ち上げをしようと提案した。むろん、そろそろ疲れも出ているからだれも「いやだ」とはいわない。

 撤収を終えた翌22日の昼過ぎのキャンプ場は、数えるほどしかテントが見えなかった。ちょっと未練はあったが、もう、気持ちはわが家へ向いている。
 毎年、このキャンプ場は10月の体育の日のころにその年の最終日を迎える。長い間このキャンプ場に愛情を注いでいながら、10月の体育の日のころの最終日にきたことがほとんどない。
 駐車場になっている広場で大きなキャンプファイアを焚いてしばしの別れを告げるこのイベントが、ぼくはどうしても好きになれないでいる。もっとひっそり楽みたいからだ。

 10月の体育の日は、たぶん、今年も別のキャンプ場で迎えることになるだろう。
 それにしても、去年の秋は台風や雨のためにキャンプを断念していたのに、今年は9月に二度もキャンプへ出かけ、うまくいけば10月と11月もいくことができる。
 寒さとともに、つかのまだが、静かなキャンプの好機がやってくる。


チョコパフェのコールマンなんて知らないよ

2015-10-04 00:01:22 | Weblog

■ わが家のアイスボックスの変遷
 クルマを使ったファミリーキャンプとなると、四季を通じてアイスボックスは必需品である。しかし、かさばる。だから、みなさん、いろいろ知恵を絞っておられるはず。
 ぼくがひとりでキャンプに出かけていたころは、アイスボックスなどいらなかった。キャンプでアイスボックスに保存した食材を使うような料理はやらなかったからだ。
 
 四半世紀前、女房がキャンプにくるようになってぼくのキャンプスタイルもいわゆる「オートキャンプ」に変わった。 
 そこで新たに買った主な道具類が、ガタバウトチェアー、スノーピークのフォールディングテーブル、モンベルのヘキサタープ、コールマンのランタン、ツーバーナー、そしてアイスボックスだった。ランタンはピークワン、ツーバーナーはコンパクト、アイスボックスは濃いグリーンのスチールベルトである。
 以後、嵐のように道具が増えていく。

 夏場のキャンプとはいえ、女房とふたりでの一泊や二泊のショートトリップだとスチールベルトのアイスボックスはいかにも大げさである。やがてやや小ぶりのプラスチック製のアイスボックスを買って、ふたりのときはもっぱらそちらを使っていた。同じコールマンの製品だが、保冷能力は格段に低かった。
 
 こいつでさえ、帰りのクルマでは邪魔になる。近年、モンベルの「ロールアップ クーラーバッグ」というのに変えた。25リットルだからじゅうぶんすぎるほどの容量である。キャンプの帰りは折りたたんで持ち帰ることができるはずだ。
 一方、スチールベルトは倉庫に放置したままでもう長らく使っていない。プラ製のほうは家で非常食入れになってしまった。

■ 久々の少し長めのキャンプだから
 モンベルのクーラーバッグの保冷力は期待以上だった。ただ、帰りはいつも何かしらが入って撤収後のクルマに積み込まれてくる。どうやら、「帰りはコンパクトにたたんで」なんていう想定は幻想でしかなかった。
 それでも、ソフトバッグだから積み込み時に柔軟性が多少あるというのは、かぎられた積載量のクルマだとやっぱりメリットといってもいいだろう。

 9月に予定した木曽を訪ねるキャンプは久しぶりの、わが家としては「やや長期」である。季節はまだ 夏だし、猛暑が続くかもしれないので10数年ぶりにスチールベルトを使おうと思い立った。中の空いたスペースにはほかの小物も入れればいい。
 
 クルマへの積み込みもあれこれ考えた。
 いつもは、現地のスーパーマーケットで買い物をすると、アイスボックスへの収納はキャンプ場へ着いてからにして、買った食料品を荷物の隙間に捻じ込んでいたりしてキャンプ場へ向かった。
 今回はせっかくスチールベルトを持っていくのだからとラゲッジスペースのドアを開けたすぐ前にアイスボックスを置き、買い物はすぐにアイスボックスにおさめようと考えた。
 
■ チョコパフェに追いやられる
 久しぶりにコンテナからスチールベルトのアイスボックスを出そうしていた矢先、わが家にコールマンのスチールベルトのアイスボックスが宅配便で届いた。しかも、見慣れない茶色、いわゆるチョコパフェである。女房の話だと、せがれがネットオークションで落札した品物だという。
  
 先日、ぼくがコールマンカナダのジャグを買ったとき、せがれがほしがっていたチョコパフェのジャグがあったので一緒に買って彼の誕生日祝いにしたばかりだった。
 それで調子こいて彼はチョコパフェのアイスボックスまで買ったらしい。ということは、9月のキャンプもこれらを持って一緒にくる気だということだ。
 ジャグなど一個あれば事足りる。つまり、ぼくのところへやってきたふたつの新しいジャグの出番はなくなる。
 
 チョコパフェなんて、こんな色のシリーズがあったことさえ、つい最近までぼくは知らなかった。これらはせがれが生まれ育った時代のコールマン製品である。
 まだ二十代から三十代にかけてのぼくはコールマンのキャンプ用品など高値の花すぎて興味すらなかった。野遊びだってできない時期でひたすら働いていた。いま、そんな時代のコールマンを使えるだけ、ささやかだけど、少し豊かになって、やっぱり幸せなのだろう。


「にじりマット」の威力は想像以上

2015-10-03 00:16:22 | Weblog

■ テントのにじり口にひと工夫
 9月のキャンプでデビューさせた新兵器の威力にぼくたちはビックリした。いいアイディアだと確信はしていたが、想像以上の威力だった。しかも、数100円の、どこでも手に入るありふれたバスマットである。
 なぜ、いままで気づかなかったのだろう。いや、すでに多くの方々が使っているかもしれない。

 テントに出入りするとき、テントの中に泥や小石を持ち込まないように、これまではグランドシートを敷いていた。当然、シート自体が汚れるし、あまり効果がなかった。わんこのルイのケージ用に買ったバスマットが期待したほどには調子よくないので、それをテントに入口に置いたらどうだろうとひらめいた。

 8月からの秋雨前線の影響もあってサイトは湿っている。マットを敷き、靴はその前に脱いで上がればテントの中へ泥や汚れを持ち込む確率は減る。マットが汚れても簡単にきれいにできる。
 さっそくホームセンターでルイのケージ用よりは大きいバスマットを買って持参した。運搬だってじゃまにならない。ぼくはキャンプ道具をルーフキャリーに乗せるので、クッション代わりに敷いてやればこと足りる。

■ テントの出入りが楽になった
 ちょうど、ぼくが左の膝を怪我していた。テントへの出入りで膝をつくと、従来のグランドシートではかたい地面をモロに受けてしまうが、やわらかいマットならまったく問題ない。
 女房がこのマットを「にじりマット」と名づけて笑った。出入りするときのにじりにこれほど便利なものはない。

 雨が流れ込んできても勝手に浮いてくれるし、もし、濡れてもひと拭きでにじりマットに戻ってくれる。これ一枚でテントの出入りがどれほど楽になったかはかりしれない。
 若い人たちには苦にならないテント出入りのにじりだが、歳をとるとこれがなかなかしんどいのである。怪我をしていなくても膝への衝撃が軽くなるから実によろしい。

 寒いとき、少々小ぶりだが、いざとなればシュラフの下に敷きこむここともできる。くどいようだが、安価だし、惜しげもなく使えるところがいい。
 つい欲を出して建築用の部材で適当なものがないか探してみたいと思っているけど、あまり大げさにするよりも、やっぱりどこのホームセンターでも手に入るバスマットがいちばんいいみたいだ。



奈良井宿を堪能する

2015-10-02 22:52:12 | Weblog

■ 期待せずに無心で対してみよう
 キャンプ二日目は、早朝こそ雨が残っていたが、すぐに青空が広がりはじめた。
 ようやく木曽路への旅を実現できることになった。候補地は馬籠、妻籠、奈良井だが、駒ヶ根からだと奈良井が近い。中央道を隣の伊奈ICまで走り、権兵衛峠道路を使って奈良井宿宿までクルマで1時間足らずの道のりである。
 馬籠と妻籠は10余年前に二度ばかり出かけているが奈良井ははじめてだ。宿場町という歴史的な価値はあっても、ぼくはさほど期待はしていなかった。いや、何を期待したらいいのかわからなかったといったほうが正しい。

 この旅で木曽路を目指したのは、目指したキャンプ場がたまたま木曽のエリアにあったからである。だが、はじめての奈良井はともかく、馬籠や妻籠まで目指したのにはほかに理由があった。数年前に仕事でお近づきになれた写真家の山口勝廣氏の木曽とそこに住む人々の息をのむような作品の数々に痺れっぱなしだった。
 かつて二度訪ねた馬籠や妻籠でぼくが感知することができなかったこの地の魅力が、山口氏の写真の一枚一枚に凝縮されていた。また、木曽へいってみよう。以来、ぼくはずっとそう思いつづけてきた。

 怖かったのは、「何も感じることができないかもしれない」という自分の感性の貧しさである。むろん、半日足らずそこを通り過ぎただけで何かがわかると思うほうが傲慢であろうが、まずは期待は抱かずて、可能なかぎり無心でその場に立ってみようと思っていた。何を期待したらいいのかさえ自分の中で整理できていなかったのだから。


■ 「木曽節」のふるさとへ
 木曽と聞いてぼくが真っ先に思い浮かべるのは、まだ、小学生だったころに東京駅にほど近いニュース映画だけを上映している映画館で見たモノクロの映画場面だった。たぶん、木曽の祭りを報じるニュース映画だったのだろう。木曽の杉林を撮ったと思える映像は逆光でよくわからないが、背後に流れる「木曽節」はいまも耳の奥にしみついている。

「きそのなぁ〜、なかのりさ〜〜〜ん、きそのおんたけさんはなんじゃらほい……」
 民謡がブームだった時代、さんざん聞き慣れた旋律だった。ステレオですらない時代、映画館にこだます歌声は、たしかに木曽の山に共鳴し、木曽川に反射して響いていた。ああ、これこそが民謡なんだ。幼いなりに、生まれた土地でうたわれる民謡の魅力に陶然とした。海に面した土地の民謡は、その地でうたわれるときに生命を吹き込まれるにちがいない。

 「民謡とは、古来、労働歌である」
 大学で日本文学を専攻したぼくは、万葉集の講義で担当教授のそのひと言に大きくうなずいた。「木曽節」もまさに材木を筏に組んで川流しする船頭さんの労働歌であり、あの地の地形を味方にして進化したに違いない。そう信じたのは、あのニュース映画で聞いた「木曽節」のおかげだった。


■ 町の人々のやさしさに触れる
 いまではクルマに標準搭載されたカーナビのおかげで目的地さえ指定すれば容易にそこまでいくことができる。奈良井宿も迷うことなく宿場町の手前にある駐車場へ到着した。場内には、かつて中央本線を走っていたのだろう巨大なSLが展示してある。駐車場へクルマを入れた人たちが、判で捺したようにSLをバックに記念撮影をしていた。
 ぼくの興味をそそったのはSLではなく、その前にたたずむ地蔵堂である。まずは旅の安全と天候に恵まれた幸運を感謝してお参りした。

 踏切りを渡り、宿場町に入って右折し、奈良井駅の方角へ歩き出した。馬籠宿と妻籠宿は、同じ木曽路の旧宿場町でも趣をまったく異にする。奈良井宿もまた、ふたつの宿場町にはない独特の雰囲気があった。
 なによりも、町に流れるのんびりした雰囲気が好ましかった。同じ木曽の旧い宿場町であっても、そこに住む人々の気質の違いがすぐに感知できた。なんという居心地のよさだろうか。

 宿場町を歩き切ってはじめて自分の位置がわかった。ぼくたちは奈良井駅にきていた。テレビなどで見る奈良井宿の出発点はいつも駅前広場である。振り返ると見慣れた奈良井の風景があった。
 ここへくるまでの間に、連れている犬のルイに二度、水を飲ませていた。町のそこかしこに水場が用意されている。帰り間際に知ったのだが、昔から旅人への心遣いとして、さらに火災への備えとしてこうした水場が置かれていると知った。この地の人々のやさしさを痛感する。


■ 旅の醍醐味は出逢いにこそある
 駅から戻りながら、お昼は相模屋という屋号の蕎麦屋へ入った。犬連れだったので、まずはぼくと女房がもり蕎麦を食べ、せがれと交代した。素朴だが、おいしい蕎麦だった。
 女房は、いつものようにどこかでお茶をしたいという。これまで目星をつけたカフェが二軒あった。勘を働かせ、その一軒「松屋茶房」で訊いてみると、われわれよりもだいぶ若いママさんが快く「どうぞ」とのこと。お店は180年前の建物で、かつては漆櫛問屋だったという。古色を帯びた雰囲気のあるお店ながら、なんともモダンである。

 ぼくたちのこの旅のすべてが松屋茶房での時間に凝縮されたといってもいい。それほどに素敵なママさんとの会話が刺激的で楽しかった。奈良井宿のあれこれを教わった。
 「お嫁にきたときは寂しくて嫌だった」と笑顔で述べるママさんの話は客観的で、誇らしげなところはなにもない。ご主人が写した四季折々の写真が収まったアルバムをめくりながら奈良井の魅力をたくさん教わった。

 「実は……」と、今回の旅のきっかけをママさんに話した。「ある著名な写真家の方の……」といいはじめると、ママさんが、「それって、もしかしたら山口さん? 山口勝廣さん?」と真剣な顔になり、あとは山口氏の話題で盛り上がっていった。
 すっかり長居してしまった非礼を詫び、ほんとうにおいしかったコーヒーとケーキの礼を述べ、ぼくたちは去りがたい気持ちを奮い立たせて松屋茶房をあとにした。

 
■ 山里の木曽なればこそ……
 奈良井にはもっと感じてみたいことがたくさんある。この地こそが、ぼくにとっての木曽路そのものである。「また季節を変えて出直そう」というぼくの言葉に、女房が大きくうなずいた。
 ルイがいるので、むろん、またキャンプ場からの旅になる。これもまたキャンプの楽しみのひとつである。

 翌日、一日切り上げ、このキャンプを打ち上げることにした。三泊四日の充実した夏休みだった。翌日も休みなので再度中津川ICから妻籠宿と馬籠宿を訪ねることにした。
 十余年前、妻籠宿で食べた栗のお菓子がどうしても忘れられなかったからでもある。はたして、そのお店が「澤田屋」であり、目当てのお菓子が「栗きんとん」という名であることも確認した。ほかのお菓子も買ってきて食べてみたがすべて絶妙の美味しさだった。

 とある蕎麦屋で、若干の不快な思いはあったが木曽路最後のもり蕎麦を妻籠で食べた。そのあと、馬籠宿へも足を伸ばした。どちらもそれなりの懐かしさはあったものの、奈良井宿で心に響いた温かみを感じることはできなかった。
 宿場の風景の違いなどではなく、そこに住む人々のやさしさに物足りなさを覚えたのである。奈良井のように、せめて行き交う人の渇きをうるおす水場があってくれたらと思う。おいしい水が豊富な木曽路であればなおさらである。

温泉に疲れて大雨の下で休息する

2015-09-29 22:56:17 | Weblog

■ たまにはサイトでのんびりしようじゃないか
 駒ヶ根の二日目は、木曽方面にかけて午後から雨の予報が出ていた。しかも、まとまった雨量らしい。朝は雨こそ降ってはいなかったが、雲がどんよりたれこめていて、遠出をしたいという気になれない。
 そこで、この日はどこへもいかず、まずは休暇村内にある「露天こぶしの湯」で温泉へ入り、そこで昼食をすませてから駒ヶ根という街を見てみようということになった。
 
 まずは管理事務所が開くとすぐにとりあえず二日分の延泊の手続きを終えた。もう一日どうするかはまた先々で考えればいい。
 前夜からの先客三組のうちの二組は、朝早くから撤収をはじめていた。雨の予報に追われているとの理由もあったろうが、このキャンプ場のチェックアウト時刻が午前10時と定められているので朝があわただしくなる。ほかのキャンプ場と比べるまでもなく、かなり早い。

 「何もしない。どこへもいかない」と決めたキャンプ本来のキャンプはなんとものんびりできていい。女房がキャンプへくるようになってからサイトでのんびりする当たり前のキャンプから、クルマであちこちへ出かけていく観光キャンプに変わってしまっている。動いているのが嫌いじゃないが、どうも忙しくていけない。たまにのんびりできるとホッとする。
 
 退屈してきたら持参したダッチオーブンのメンテナンスをすればいい。10インチポットとサービングポット、それにスキレットも持ち込んでいる。ダッチオーブンのメンテナンスについては、日本における「ダッチオーブンの伝道師」たる菊池仁志さんのご指南にしたがって最初はやっていたのだが、そのうち、自分なりの考えでまったく別の、もしかしたら邪道かもしれない流儀でやるようになった。正統派の熱心なダッチャーの方々の非難を覚悟で、いずれレポートしたい。


■ 何年ぶりのキャンプ温泉だろう
 ひとりでキャンプをやっていたころは、キャンプで温泉に入るという発想がまったくなかった。
 ちょうど20年前、家族に迎えたばかりのわんことふたりで奥日光の湯西川温泉郷の近くのキャンプ場へ出かけたとき、夜とともに数組いたグループが消えてしまい、戻ってきた彼らがいずれも風呂上がりだというのが遠目にもわかった。有名な温泉が近いのだからあり得る光景だったが、そんな彼らがぼくの目には物珍しかった。

 やがて女房も一緒になって冬もキャンプを楽しむようになると、夜、寝る前に焚火で暖をとるだけではなんとも寒い。まだスクリーンタープが出現していない時代である。
 女房がキャンプへくるようになって、まずテントを新調した。ダンロップのダルセパクトという、ロッジ型とカマボコ型とドーム型をミックスしたようなテントである。荷物を収納できる前室をそなえており、インナーの寝室を外せばスクリーンタープのように使える。ぼくが買ったのはインナーが小さくて前室が広めのタイプだったが、前室をリビングスペースとするにはやっぱり狭く、寒い時期は相変わらず焚火の前で過ごしていた。

 日帰り温泉があちこちに出現しはじめた時代だった。ぼくたちがホームグランドのようにしていた田貫湖キャンプがある富士宮にもゴミの焼却施設の余熱を利用した「天母(あんも)の湯」ができて、ぼくたちはキャンプの度に通うようになった。
 もともとふたりとも風呂好きだったから、ふだんは毎日風呂を沸かして入っている。キャンプでわんこをクルマの中に置いて日帰り温泉にいくのが苦痛ではなかった。むしろ、キャンプの新たな楽しみになっていた。


■ 冬でも温泉にいかなくなったわけ
 このころのぼくたちのキャンプは四季を通じて日帰り温泉に通ったし、日帰り温泉ばかりか、キャンプ場によっては近くのホテルの温泉も利用した。それをピタリとやめてしまったのは、詳細は書かないが、ゴールデンウィークで出かけた富士五湖エリアにある日帰り温泉での不潔な光景を女房が見てからだった。

 元々は、2日や3日風呂へ入らなくても森の中では平気でいられる。これがぼくらのアウトドアでの基本である。もし、汗ばんで不快だったら、昔のように濡れタオルで身体を拭けばいいし、いまどきのキャンプ場ならシャワーくらいそなえている。
 温泉に出かけなくなった理由のもうひとつは、スクリーンタープの登場で、真冬でも焚火に頼らなくても暖かく過ごせるようになったからである。身にまとう冬装備も冬山なみに充実して寒さ知らずになっていた。

 かつては焚火は調理のために、そして、お湯を沸かし、寒い時期は暖をとり、団欒のためのかけがえのなりアイテムだった。少なくともぼくにとって、焚火とキャンプは切っても切れない関係だった。
 飯盒をはじめ調理道具を煤だらけにし、暖をとるために手をかざしても身体の前面は暖まっても背中が寒い。背中を温めれば火に向いていない顔から身体の前が冷えびえしてしまう。焚火を囲んでの団欒では、風下に座った不運な誰かが煙でいぶされてしまう。それが焚火だった。

 以前はテントの中でガソリンランタンを灯していたばかりに二酸化炭素中毒で亡くなる事故が起こっていたが、フライシートで雨をよけてテント本体に通気性をもたせるようになって、そうした事故は聞かなくなった。
 電源サイトにスクリーンタープを張り、その中に電気ストーブを引っ張りこめば酸欠の危険はない。石油ストーブをもってくる剛の者もいるが、ベンチレーションに気をつかえば大きな問題はないだろう。どちらにしてもキャンプらしくはないけれど……。


■ キャンプで温泉がヤバくなったなんて
 かくして、ぼくと女房にとって、キャンプでの温泉は10数年ぶりだった。
 最近の日帰り温泉施設の実情を知らないので論評できる立場にはないのだが、露天こぶしの湯は、こうした旅行村に造られた温泉施設としては標準的であろうと思われる。施設としては新しくないが、きれいに管理された気持ちのいい温泉である。温泉大好きのせがれはたっぷり入っていたが、ぼくも女房も申し合わせたようにさっと入ってすぐに食堂へ移動して彼を待った。

 久しぶりのキャンプで温泉はたしかに気持ちよかった。だた、汗を流した程度だったにもかかわらず、食後に駒ヶ根の街へ移動してから影響が出た。スーパーマンでの買物の最中、「なんか湯当たりしたみたい」と女房がつぶやいたのである。
 実はぼくもけだるくなっていた。湯治宿の畳の上でごろりと横になりたい気分だった。

 スーパーから駐車場へ出ると、雨が降りはじめていた。スマホに大雨をもたらす雨雲が迫っているとの警報を受け取った。身体のだるさなど忘れて急いでサイトへ戻ってまもなく、雨は本格的な降りになっていた。
 スクリーンタープにも雨水が流れ込んできて、足下はびしょ濡れになっている。モンベルのムーンライトには絶大な信頼をおいているが、念のためにスクリーンタープのアストロドーム内に移動して高い位置に置いた。万が一にもダウンのシュラフを濡らしたくなかったからである。

 この日、遠出しなかったのは正解だった。
 誤算だったのは温泉での湯当たりだが、午前中に入る温泉が老いの身にこれほどこたえると知ったのは収穫だったかもしれない。
 かくして、午後5時過ぎまでの2時間あまり、雨の音を聞きながら、ぼくたちはひたすらスクリーンタープで無聊をかこつくとになる。湯当たりした身体を休めるちょうどいいひとときでもあった。
(つづく)