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私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

奈良井宿を堪能する

2015-10-02 22:52:12 | Weblog

■ 期待せずに無心で対してみよう
 キャンプ二日目は、早朝こそ雨が残っていたが、すぐに青空が広がりはじめた。
 ようやく木曽路への旅を実現できることになった。候補地は馬籠、妻籠、奈良井だが、駒ヶ根からだと奈良井が近い。中央道を隣の伊奈ICまで走り、権兵衛峠道路を使って奈良井宿宿までクルマで1時間足らずの道のりである。
 馬籠と妻籠は10余年前に二度ばかり出かけているが奈良井ははじめてだ。宿場町という歴史的な価値はあっても、ぼくはさほど期待はしていなかった。いや、何を期待したらいいのかわからなかったといったほうが正しい。

 この旅で木曽路を目指したのは、目指したキャンプ場がたまたま木曽のエリアにあったからである。だが、はじめての奈良井はともかく、馬籠や妻籠まで目指したのにはほかに理由があった。数年前に仕事でお近づきになれた写真家の山口勝廣氏の木曽とそこに住む人々の息をのむような作品の数々に痺れっぱなしだった。
 かつて二度訪ねた馬籠や妻籠でぼくが感知することができなかったこの地の魅力が、山口氏の写真の一枚一枚に凝縮されていた。また、木曽へいってみよう。以来、ぼくはずっとそう思いつづけてきた。

 怖かったのは、「何も感じることができないかもしれない」という自分の感性の貧しさである。むろん、半日足らずそこを通り過ぎただけで何かがわかると思うほうが傲慢であろうが、まずは期待は抱かずて、可能なかぎり無心でその場に立ってみようと思っていた。何を期待したらいいのかさえ自分の中で整理できていなかったのだから。


■ 「木曽節」のふるさとへ
 木曽と聞いてぼくが真っ先に思い浮かべるのは、まだ、小学生だったころに東京駅にほど近いニュース映画だけを上映している映画館で見たモノクロの映画場面だった。たぶん、木曽の祭りを報じるニュース映画だったのだろう。木曽の杉林を撮ったと思える映像は逆光でよくわからないが、背後に流れる「木曽節」はいまも耳の奥にしみついている。

「きそのなぁ〜、なかのりさ〜〜〜ん、きそのおんたけさんはなんじゃらほい……」
 民謡がブームだった時代、さんざん聞き慣れた旋律だった。ステレオですらない時代、映画館にこだます歌声は、たしかに木曽の山に共鳴し、木曽川に反射して響いていた。ああ、これこそが民謡なんだ。幼いなりに、生まれた土地でうたわれる民謡の魅力に陶然とした。海に面した土地の民謡は、その地でうたわれるときに生命を吹き込まれるにちがいない。

 「民謡とは、古来、労働歌である」
 大学で日本文学を専攻したぼくは、万葉集の講義で担当教授のそのひと言に大きくうなずいた。「木曽節」もまさに材木を筏に組んで川流しする船頭さんの労働歌であり、あの地の地形を味方にして進化したに違いない。そう信じたのは、あのニュース映画で聞いた「木曽節」のおかげだった。


■ 町の人々のやさしさに触れる
 いまではクルマに標準搭載されたカーナビのおかげで目的地さえ指定すれば容易にそこまでいくことができる。奈良井宿も迷うことなく宿場町の手前にある駐車場へ到着した。場内には、かつて中央本線を走っていたのだろう巨大なSLが展示してある。駐車場へクルマを入れた人たちが、判で捺したようにSLをバックに記念撮影をしていた。
 ぼくの興味をそそったのはSLではなく、その前にたたずむ地蔵堂である。まずは旅の安全と天候に恵まれた幸運を感謝してお参りした。

 踏切りを渡り、宿場町に入って右折し、奈良井駅の方角へ歩き出した。馬籠宿と妻籠宿は、同じ木曽路の旧宿場町でも趣をまったく異にする。奈良井宿もまた、ふたつの宿場町にはない独特の雰囲気があった。
 なによりも、町に流れるのんびりした雰囲気が好ましかった。同じ木曽の旧い宿場町であっても、そこに住む人々の気質の違いがすぐに感知できた。なんという居心地のよさだろうか。

 宿場町を歩き切ってはじめて自分の位置がわかった。ぼくたちは奈良井駅にきていた。テレビなどで見る奈良井宿の出発点はいつも駅前広場である。振り返ると見慣れた奈良井の風景があった。
 ここへくるまでの間に、連れている犬のルイに二度、水を飲ませていた。町のそこかしこに水場が用意されている。帰り間際に知ったのだが、昔から旅人への心遣いとして、さらに火災への備えとしてこうした水場が置かれていると知った。この地の人々のやさしさを痛感する。


■ 旅の醍醐味は出逢いにこそある
 駅から戻りながら、お昼は相模屋という屋号の蕎麦屋へ入った。犬連れだったので、まずはぼくと女房がもり蕎麦を食べ、せがれと交代した。素朴だが、おいしい蕎麦だった。
 女房は、いつものようにどこかでお茶をしたいという。これまで目星をつけたカフェが二軒あった。勘を働かせ、その一軒「松屋茶房」で訊いてみると、われわれよりもだいぶ若いママさんが快く「どうぞ」とのこと。お店は180年前の建物で、かつては漆櫛問屋だったという。古色を帯びた雰囲気のあるお店ながら、なんともモダンである。

 ぼくたちのこの旅のすべてが松屋茶房での時間に凝縮されたといってもいい。それほどに素敵なママさんとの会話が刺激的で楽しかった。奈良井宿のあれこれを教わった。
 「お嫁にきたときは寂しくて嫌だった」と笑顔で述べるママさんの話は客観的で、誇らしげなところはなにもない。ご主人が写した四季折々の写真が収まったアルバムをめくりながら奈良井の魅力をたくさん教わった。

 「実は……」と、今回の旅のきっかけをママさんに話した。「ある著名な写真家の方の……」といいはじめると、ママさんが、「それって、もしかしたら山口さん? 山口勝廣さん?」と真剣な顔になり、あとは山口氏の話題で盛り上がっていった。
 すっかり長居してしまった非礼を詫び、ほんとうにおいしかったコーヒーとケーキの礼を述べ、ぼくたちは去りがたい気持ちを奮い立たせて松屋茶房をあとにした。

 
■ 山里の木曽なればこそ……
 奈良井にはもっと感じてみたいことがたくさんある。この地こそが、ぼくにとっての木曽路そのものである。「また季節を変えて出直そう」というぼくの言葉に、女房が大きくうなずいた。
 ルイがいるので、むろん、またキャンプ場からの旅になる。これもまたキャンプの楽しみのひとつである。

 翌日、一日切り上げ、このキャンプを打ち上げることにした。三泊四日の充実した夏休みだった。翌日も休みなので再度中津川ICから妻籠宿と馬籠宿を訪ねることにした。
 十余年前、妻籠宿で食べた栗のお菓子がどうしても忘れられなかったからでもある。はたして、そのお店が「澤田屋」であり、目当てのお菓子が「栗きんとん」という名であることも確認した。ほかのお菓子も買ってきて食べてみたがすべて絶妙の美味しさだった。

 とある蕎麦屋で、若干の不快な思いはあったが木曽路最後のもり蕎麦を妻籠で食べた。そのあと、馬籠宿へも足を伸ばした。どちらもそれなりの懐かしさはあったものの、奈良井宿で心に響いた温かみを感じることはできなかった。
 宿場の風景の違いなどではなく、そこに住む人々のやさしさに物足りなさを覚えたのである。奈良井のように、せめて行き交う人の渇きをうるおす水場があってくれたらと思う。おいしい水が豊富な木曽路であればなおさらである。

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