レンキン

外国の写真と
それとは関係ないぼそぼそ

長いトンネル(04)

2005年10月28日 | 長いトンネル
事故から二年が経った。
その間に同僚のSが結婚退職し、
二人でご飯を食べていたのが一人になってしまった。
大きな食堂で一人ご飯は寂しいので
昼食時は職場の休憩室に残り、
持ってきたお弁当をそっと食べた。
Oがいて、三人でご飯を食べていた頃が懐かしかった。
初物を食べる時には西を向いて、
三人で笑っていた頃だ。
十代の終わりから二十代の始め、
私達はごく普通の女の子だった。
来た道はばらばらだったけど、何かの巡りで集い
それぞれの運命を辿るために又散っていく。

三人とも似ていないようでよく似ていた。
同じ年、高校は同じ学科、担任の勧めで就職し
三人とも同じ職場の人を好きになった。
誰がどの運命を辿っても不思議はなかった。




事故から二年経ってOは職場復帰を果たした。
私はそれをとても待ち望んでいたけど
同時にそれが望んでも望めないものと
薄々分かっていた。

職場復帰はOとOのお母さんの強い希望だった。
私は以前のようにOと二人で昼食を食べ、
一緒に休憩をとった。
Oは頭蓋骨の一部が無くなっているので
いつもプラスチックの骨の入った、
特殊な帽子を被っていなければならなかった。
暑いらしく、休憩時間はその帽子を脱いで
以前のように缶コーヒーを
…味覚が弱くなっているので以前と同じ微糖ではなく
売っている中で一番甘いものを飲みながら
Oは飼っている犬の話をする。
家に帰ると犬がワンと鳴く。廊下を歩くと犬がワンと鳴く。
話しかけるとワンと鳴く。階段を見上げてワンと鳴く。

来る日も来る日も話題は変わらなかった。
誰とどんな会話をしても、
Oは犬の話だけしていた。
事故後、Oの頭の中には小さな世界があって
そこには小さなシーズーが一匹住んでいた。
Oはその話をするので精一杯だったのだ。


三人のうち誰がどの運命を辿ってもおかしくなかった。
結婚退社をしたのがOで
それを見送ったのがS、
そして事故に遭ったのが私でも
何の不思議も無かったのだ。



***
Oが復帰する少し前だったか、後だったか。
K君から好きな人が出来たと聞かされた。
仲のいい四人で夕飯を食べに行った帰り道、
K君と私、同僚のS君と先輩のKさんで歩いていた。
いつの間にかS君とKさんがずっと後ろを歩いており、
それはK君が事前に頼んであった事らしかった。
私に話があったのだ。



好きな人が出来た、と言われて
私はぼんやりしてしまった。
しばらく黙って歩いた後で、その人は
私の知っている人かと聞いたけど
別にそれを知りたかった訳でもない。時間稼ぎだ。

K君が好きになった人は私の知らない人で
事故の事も、Oの事も知っているという事だった。
彼女の方からK君を好きになり、アプローチがあったとき
K君は自分のことを全て話したけど
彼女はそれでもいいからと言ったそうだ。

そう、と頷いて、それから
ちゃんとOに話さなきゃ駄目だよと言った。
K君ははいと返事した。
無言で歩いた駅までの道がとても長かった。


私は今でもあの時のK君に
何と言ったら良かったのか分からない。
私はK君がOの事をどれほど好きだったか知っていた。
K君がずっと責任を取るつもりだった事も知っていた。
この決断に至るまで
K君はどれだけ泣いただろう。
OはK君の事を思い出したけど
K君の事を思い出したOは、以前のOではなかった。
でもそうしてしまったのは自分だという事実の前で
K君はどれほど思い悩み、離れる事を選んだのだろうか。
私なんかよりもっと強く
K君はOに逢いたかったはずだ。



K君たちと別れて、私は一人駅のホームで列車を待っていた。
今起きたことと、これまでに起きた事を考えて
滲んだ遠い線路の向こうを見つめていたら
不意に恐怖が訪れたのだ。


私が明日死んでしまったとしたら
たとえ死なずとも、私が私でなくなったとしたら
私は色々な事を忘れ
皆は私を忘れてしまうのだ。



それが私の大好きな人であっても。



***
私にはやりたい事があったはずだ。


広かった私の世界はいつの間にか
会社という限定された枠に入っていた。
バブルの中でも崩壊後も安定した企業であり
いつしかここに居れば安心であり、
そしてここに居なくては駄目だという
強迫観念に支配されつつあった。
やりたかった事も目標も全て二の次になっていた。
この会社で仕事をし、安定した収入を得つつ
やりたい事は趣味の範囲で。
…それで良いじゃないか。そう思い込もうとしていた。
世の中にはそうやってきちんと仕事もしつつ
上手く自分の時間を確保して
好きな事をしている人が沢山いると。

でもこの時ばかりはもう誤魔化す事が出来なかった。
「やりたい事を明日忘れてしまったら」
この思いが恐怖となって押し寄せた。
誰にでもいつでも起こり得る現実の残酷さに
一刻もぐずぐずしていられなかった。
私はこの仕事が割と好きだったし
七年間で身につけたものに未練が無いと言えば
それは嘘になるけど
もっと好きな事が、やりたい事があったのだ。


何故七年間も逃げていたんだろう。


私はOに会社を辞めるよ、と言った。
犬の話をしていたOは言葉を切り、
そうなんだ、と相槌を打って
犬が昨日何をしていたかの続きに戻った。
Oにもっと話したい事が沢山あったけど
これから先、一緒にご飯を食べてあげられなくて
ごめんねと言いたかったけど
それを聞いたOはきっとどうしてか分からなくて
ぼんやりしてしまうと思ったので
私はOに
私が居なくなったら寂しいよ!
私はOが居ない間ずっと寂しかったんだから。と言った。

Oは私の顔をみて、ちょっと笑った。



***
ある日K君はOに「他の人が好きになった」と話し、
Oは次の日にその事を私に話してくれた。
Oがどこまで理解しているか分からなかったけど
Oの口調は元彼女というよりは
K君のお母さんみたいだった。
しょうがない子だよね、と。

そんな告白以降もOの態度は以前と変わらず
というか以前よりもよくK君に話しかけていた。
話の内容は他愛のないものだったけど
相手がK君でなくてもいい話がほとんどだった。
私も、周囲の人も、何よりK君が
…Oは話の内容を
よく分かっていなかったのかな、と思った。



私の最後の出社日はごくごく普通に過ぎていった。
仕事がとても忙しく、最後の最後まで駆け回っていた。
皆に早く帰れと言われて照れ笑いしながら帰った。
適当に就職先を選んだ日から随分経ち
色々あって退職の日を迎えた訳だが
それは思い描いていたような日ではなかった。
花をもらい、涙声で挨拶するような
それっぽい儀式は全くなく
会社に増えた私物をまとめるのに精一杯だった。
小学校の卒業式どころか学期末に近い。
皆に貰った寄せ書きと私物を持ってよろよろと帰った。



*****


会社を辞めてしばらく経った頃、
私の元へOから手紙が届いた。
何度目かの治療が終わったという報告だった。
多分Oのお母さんが、手紙を書きなさい
●ちゃんに報告なさいと言って
書かせたものだと思うけど
鉛筆の下書き跡が濃く残った便箋に
事故前と同じような、几帳面そうな字が並んでいた。

字は事故前と変わらなかったけど
内容は子供が書いた感想文みたいにたどたどしかった。
犬の近況報告も添えられていて
相変わらずだなあと笑って読んでいたけど
ある一節に差し掛かってどきっとした。

「辛くて、死にたいと思った事もありました」

…お母さんの前でこれが書けるだろうか。
私は一字一句お母さんが添削して書いた手紙だと思っていたけど
そうではなかったかもしれない。
Oは色々な事を全て理解していたのかもしれない。
私の話をまるで聞いていないように見えていた時も
何にも興味がないように見えた時も
もしかしたら全部分かっていたのかもしれない。


あの時、全部理解した上で
それでもK君と以前のように話がしたかったのだ。



***
あんな事故が起きなければ、と何度思ったか知れない。
私達には子孫がいないんじゃないかと
後輩のKちゃんと話し合った事がある。
子孫がいたらこんな悲しいばかりで
何の益もない事故なんか、
事前に防いでくれるんじゃないかと思ったのだ。
タイムマシンに乗ってさ。

だけどOの事があって
私は人の色々な面を見ることが出来た。
時にはがっかりするほど汚い面もあったけど
大部分は思いがけず純粋で優しいものだった。
そのことを考えると私達の通ってきた道は
決して無駄に悲しく
苦しいだけの道ではなかったのだと思える。
こんな出来事以外では決して学べなかった事だ。


酒癖が悪くて乱暴だと思っていたS君は
私が一人でお弁当を食べていた時
「一緒に食堂で食べようよ」と誘ってくれた。
S君が一緒に食べていたグループは
男の子ばかりだったので、その中に私を入れるのは
大変勇気がいったと思う。本当に嬉しかった。

調子のいい事ばかり言って、いわゆるビッグマウスのF君。
彼が入った時から私もOもよく思っていなかった。
しかしOのために鶴を毎日毎日折ってきて
昼の休憩中も仲間と談笑しながら折っていた。
一番折鶴が似合わない人だったのに
一番数を折ってくれたんじゃないだろうか。

後輩のS君はやんちゃで悪い事ばかり言う、
強いゆえに残酷な子だった。
だけどK君や私の事をなにくれとなく気にかけてくれ、
元気付けようと家に食事に呼んでくれたり、
仲間同士のバーベキューに誘ってくれたりした。
大人みたいな気遣いをする子だったのだ。

同僚のS君、後輩のKちゃん、その他大勢で
フリーマーケットに出店して
みんなの家から集めた品物を売った。
そのお金を手術費用の足しにしてもらおうと思って
何週間も準備した。
結果は…多分会場で一番お客さんが集まった。大成功だ。


*****


本当はこんなに何もかも書くつもりじゃなかったのに
(35)も続いてしまった。
(あのコメントは冗談だったのに)
事故の一部と周囲の人の心模様と
それに関った私の話を少しだけ書こうと思っていたのに
まとめている内にもう少し、もう少しだけ
あの事故がどういうものだったのかを
何より自分のために書いておきたかった。
誰も特別な道を歩み、特別な事故に遭遇する訳じゃない。
命を脅かす出来事、死ぬほど後悔を残す出来事、
辛くて死んでしまいたいと思う出来事は
すぐ隣に無防備に存在している。
大半のロールプレイングゲームでは
よほど意地の悪いものでない限り、
落ちたら死んでしまうような穴はフィールドに空いていない。
右に行ったら死ぬような罠もない。
物凄い後悔を残すような選択肢も用意されていないし
間違ったとしてもあとから取り返しがついたりする。
人の人生はそうはいかないという事
私が二十歳を過ぎてようやく知った事を
書けるようになったらずっと書いておきたかった。
そして後悔しない生き方が出来るように
決して忘れないように覚えておきたかったのだ。



*****


書き足りない所、書けない所
書ききれない部分も多々ありますが
そろそろこの話も終わりにしたいと思います。
ずっと読んで下さった方、途中からでも読んで下さった方
本当にありがとうございました。




*****
OとK君の近況は詳しく書けませんが
二人ともそれぞれの道を
それぞれ幸せに進んでいます。

大丈夫です。

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