先生に頼み込んで、
金曜日の午前中に退院しました。
家に帰りたかった一番の理由は、
前の記事にも書いたように、
アイの傍にいたかったから。
入院は45年ぶりでした。
二十歳のときに盲腸を取って以来。
1週間ほどで帰れる筈が、入院した翌日、
身体の右半身が麻痺してて。
言葉も呂律が回らない。
それから10日間ほど絶対安静が続きました。
2度目のMRI、頚動脈のエコー、心臓のエコー、
心電図、レントゲンなどなど、入院中の各種検査は
すべてストレッチャー移動でしたので、
病院の天井だけをみて過ごしてました。
ベッドを30度起こしてもよいと言われた時は
ホッとしましたねぇ。
あくる日は60度、その次は90度、
そして、いよいよ車椅子に。
この時点で、看護師の介護付きでシャワーOKに!
髪を洗えたときの嬉しかったこと。
トイレも食事も、頭を上げてはいけないので
結構なストレスでした。
24時間ぶっ通しで点滴を受けながら思ったこと。
それは、人の身体は食べて、
そして出すように作られているということ。
当たり前のことですが、普通に食欲があり、
自然に排泄できることが、どんなに素晴らしいことかを、
つくづく実感しました。
もうひとつ。
下の世話&洗浄から、食事、歯磨きの介助、身体の清拭など、
看護師さんって地味で大変な仕事ですねぇ。
体力、気遣い、責任感なくしては勤まりません。
絶対安静時期は個室。
安静がとけてからは4人部屋に移りました。
皆さん、癌の転移とか重症患者ばかり。
何気なく会話してましたが、
時々深い溜息が漏れてくることも・・・。
その人の胸のうちを想像するといたたまれなくて。
病人の数だけ、ドラマがある。
・・・切ないです。
↓血液をサラサラする点滴と脳を保護する点滴を1週間以上も。
↓車椅子に乗れるようになって6階の病室から夜景を。
↓天気がいい日は富士山が望めるそうです。
↓トイレに行くのに使用した専用の車椅子。
↓リハビリにスケッチでも、と階下の奥さまから。
↓Tさんから届いた残暑見舞い。
かわいいインコのカード、ありがとうございました。
↓洗面所で時々顔を合わせてた名前も知らない女性から頂いたもの。
「今日、退院します。これ、よかったら使ってください。」
「えーっ。そんな~~~」
「あなたの笑顔にとっても癒されましたから。」
そ、そう? そうなんだ。
自分では普通に会釈してただけなのに・・・。
でも何となく嬉しかったです。
↓ベッドから起き上がれなかった時期は、寝ても食べられるように仰臥位食。
デザートも食べやすいように剥いたり、切ったりして串に刺してありました。
酢の物やサラダなどは生春巻きの皮みたいなのにくるんであって
手で掴んで食べられるように、ご飯はお結びに。
手間が大変だったろうなと思います。
↓ベッドから起き上がれるようになってから撮った病院食の一部。
鹿児島から妹と弟が見舞いに駆けつけました。
お盆で飛行機も混んでるし、もう大丈夫だから!と
いくら断っても、顔を見るまでは落ち着かない、と。
気強いつもりでいたのに、二人の顔を見た途端、
張り詰めていた糸が切れて、不覚にも涙ぽろぽろ・・・。
兄も自身が大変な身体なのに、夫婦で顔を見せてくれました。
みんなに心配してもらって、私は幸せ者です。
今度のことでは夫にも深く感謝してます。
一番大変な時には朝から夜まで細やかに
面倒をみてくれました。
Hさんも暑い中、顔を見せてくれてありがとね。
また心配してメールくださったHさん、Tさん、
Eさん、Kさん、ミッチーさん、Sさん、
本当にありがとうございました。