不意に感じる胸の痛み、その人の事を考えるだけでどうしようもなく焦燥、口走りそうになる何か可笑しな言葉。どんな分厚い本にすら書いていないその小難しい症状は、どうやら恋煩いとかいうらしい。
そういった感情には縁遠く、何しろ接する機会すらなかったし、そもそも人を愛する事がどういうことか、という事を教えてくれるはずの両親は居ない。だから大人気なく泣き喚きながらごめんね好きなんだ、なんて言われて混乱した私は、咄嗟に頷いてしまったわけだ。なんてこと。隣で丸くなって毛布を被る猫背によりかかってみて、ふうっと白い息を吐いた。
「ねえ、ひまなんだけど」
好きだと言ったくせに何の行動も会話もしない。拗ねに拗ねて強い語調で呟くと、相手から漏れた吐息のような笑い声が寒空に解けた。二人分の息が混ざり合って霧散する、まるで私達の感情みたいだ。
「じゃあ、ねえ。キスでもしようか」
視界に影を落していた前髪を指先で掻き上げられて、碧眼が悪戯に覗き込む。嘲笑気味に嗤ってみせると、息が触れる距離まで唇が近付いてそのまま逃げていってしまった。何がしたいのと言い掛けて、表現しようのない感情で喉につっかえる。触れ合った肩が焼けそうなほど熱い、別に魔法を使っているわけでもないのに、火が出そうなほどに熱を持っていた。
でも、そんなに――私は彼の事が好きなわけではないのだ。吊橋理論、驚きが恋煩いに思えただけで、彼を好きだと思ったことは無い。ないのに彼は、私にとても優しくしてくれる。私はきっと彼を好きではなくて、他に思い煩っている誰かが居るのだ。間違いない、誰に相談してもそう言われる。
貴方は彼の事なんて好きじゃなくて、ただ――愛してくれる人が好きなんじゃないかしら。だから貴方は貴方が本当に愛する人が嫌いで、意識していないのだと思うわと、言われた。
「………」
すきとおって冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、もう一度その言葉を反復してみた。私は彼を好きではない。私が好きなのはきっとあの人で、それで。
考えてみればみるほど苦しくなる。煩わしくはないけれど、これはどうも煩っている。優しくしてくれる彼が好きだ。けれど愛してはいない。なのになのに、もう、ああ。
「愛苦しい、」
私はどうして彼を、選べないのだろ。
―――
(あいくるしい)
あいくるしいの本当の字は「愛くるしい」です。苦しくはない。
また、愛嬌があって可愛らしいさまのことです。苦しくはない。
私を愛してくれる人が居て、私は多分その人のことが好きなのだけど、その人は私が他の人に気持ちがより始めていることを知っている。つらい。でも私が気持ちを寄せ始めている人は本当の本当に私が好きで、でも愛してくれるその人も私をちゃんと本気で愛してくれている。
元々私は今気になっている人が好きだったのだけど、他の人を好きになってしまって、その人への気持ちは尊敬になってしまって、失恋して傷ついてぼうっとしている時に告白されて、驚いて、考えているうちに寂しくなって、愛してほしくって、心地のいい感情に甘えてしまった。
今更甘えることはできないし、その選択はどちらも傷付けることになるけれど、私はきっと私を愛してくれるその人を好きなのではないのだろう。今は親愛なる貴方が私を愛しているのだと実感するたび、悲しそうな顔をするたび思う。
「私はどうしてこの人を、好きになってあげられなかったのだろ」
そういった感情には縁遠く、何しろ接する機会すらなかったし、そもそも人を愛する事がどういうことか、という事を教えてくれるはずの両親は居ない。だから大人気なく泣き喚きながらごめんね好きなんだ、なんて言われて混乱した私は、咄嗟に頷いてしまったわけだ。なんてこと。隣で丸くなって毛布を被る猫背によりかかってみて、ふうっと白い息を吐いた。
「ねえ、ひまなんだけど」
好きだと言ったくせに何の行動も会話もしない。拗ねに拗ねて強い語調で呟くと、相手から漏れた吐息のような笑い声が寒空に解けた。二人分の息が混ざり合って霧散する、まるで私達の感情みたいだ。
「じゃあ、ねえ。キスでもしようか」
視界に影を落していた前髪を指先で掻き上げられて、碧眼が悪戯に覗き込む。嘲笑気味に嗤ってみせると、息が触れる距離まで唇が近付いてそのまま逃げていってしまった。何がしたいのと言い掛けて、表現しようのない感情で喉につっかえる。触れ合った肩が焼けそうなほど熱い、別に魔法を使っているわけでもないのに、火が出そうなほどに熱を持っていた。
でも、そんなに――私は彼の事が好きなわけではないのだ。吊橋理論、驚きが恋煩いに思えただけで、彼を好きだと思ったことは無い。ないのに彼は、私にとても優しくしてくれる。私はきっと彼を好きではなくて、他に思い煩っている誰かが居るのだ。間違いない、誰に相談してもそう言われる。
貴方は彼の事なんて好きじゃなくて、ただ――愛してくれる人が好きなんじゃないかしら。だから貴方は貴方が本当に愛する人が嫌いで、意識していないのだと思うわと、言われた。
「………」
すきとおって冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、もう一度その言葉を反復してみた。私は彼を好きではない。私が好きなのはきっとあの人で、それで。
考えてみればみるほど苦しくなる。煩わしくはないけれど、これはどうも煩っている。優しくしてくれる彼が好きだ。けれど愛してはいない。なのになのに、もう、ああ。
「愛苦しい、」
私はどうして彼を、選べないのだろ。
―――
(あいくるしい)
あいくるしいの本当の字は「愛くるしい」です。苦しくはない。
また、愛嬌があって可愛らしいさまのことです。苦しくはない。
私を愛してくれる人が居て、私は多分その人のことが好きなのだけど、その人は私が他の人に気持ちがより始めていることを知っている。つらい。でも私が気持ちを寄せ始めている人は本当の本当に私が好きで、でも愛してくれるその人も私をちゃんと本気で愛してくれている。
元々私は今気になっている人が好きだったのだけど、他の人を好きになってしまって、その人への気持ちは尊敬になってしまって、失恋して傷ついてぼうっとしている時に告白されて、驚いて、考えているうちに寂しくなって、愛してほしくって、心地のいい感情に甘えてしまった。
今更甘えることはできないし、その選択はどちらも傷付けることになるけれど、私はきっと私を愛してくれるその人を好きなのではないのだろう。今は親愛なる貴方が私を愛しているのだと実感するたび、悲しそうな顔をするたび思う。
「私はどうしてこの人を、好きになってあげられなかったのだろ」