「………」
ノックもせず開いた扉から、幽霊のように音もなく黄緑の髪が割り込んだ。隔絶されてしまった廊下から彼女の弟が、焦ったように叫んでいるのが聞こえる。
今朝、彼女の弟であるイーヴェルか思い詰めた様子でマントを引っつかんで出て行った。エテも同じようにマントを被って走っていったのだが、その時彼女はこう言ったはずだ、母に会いに行くと。焦って困惑してはいてもどこか嬉しそうな、気体の混じった声だったのに、帰って来てすぐにこれとは、一体何があったのだろう。
「…化け物ですって、グレーテル。ひどいわね、…ひどいわね人間って。やっぱり嫌いだわ、みんなの方がずっと好き」
眉を潜めて、今にも泣き出しそうにエテは笑った。
おそらく彼女らは会ったのだ、彼女らを捨てた人間の母に。そして化け物と言われ――想像するだに痛ましい最悪の出来事の後、また走ってこの館に着いたのだろう。初めて逃げてきた夜魔物に追われ走ったように、息をせっつかせ、震える足を叱咤して此処まで来たのだ。いつも強気な瞳の下が赤く腫れ、か細い足で体を支えることもままならず扉に寄りかかっているのが何よりそう思わせる。
かける言葉が見つからずに絶句していると、だんだんに外からのノックが強い調子になる。イーヴェルは怒ると悪魔のように怖い、悪魔だから。こんな状態のエテに怒鳴ったりはしないだろうが、このまま行かせて喧嘩になった時彼女の傍には誰が居るというのだろう。結局最後には弟しか傍に置かない彼女の傍に、誰が。
「人間を嫌いになりたくないわ、母上は少し疲れてただけ…苦しいのよね、わかってる、母上は苦しいのよね。私のせいだものね、わかってるわ…」
やわらかい絨毯を滑るようにして、白く震える手が縋りついてくる。その頭を撫でると、シャツにじわりと生暖かい悲しみが染み込んで行くのがわかった。
もう廊下の声はしない。彼女は私が悪いとは言うが、決して彼のことを責めたりはしない。一方彼は自分が悪いと言い、その事に関しては決して彼女を責めない。どちらも一方通行で、平等に分けられた悲しみだからこそ、分かち合えない哀しみを持っている。どんなことをしても、彼女が本当は優しいのを知っている。
「グレーテル傍に居て。イーヴェルの傍は、今は辛いの」
だから今朝、紅茶をひっくり返されつま先を踏まれても、どうしたって彼女を許してしまうのだ。
―――
なんたってこんなんなるのか。
意味の無い物語を書くのは楽しいけど難しい。
パンプキンの話のうちの「氷の女王」のネタメモ。
ノックもせず開いた扉から、幽霊のように音もなく黄緑の髪が割り込んだ。隔絶されてしまった廊下から彼女の弟が、焦ったように叫んでいるのが聞こえる。
今朝、彼女の弟であるイーヴェルか思い詰めた様子でマントを引っつかんで出て行った。エテも同じようにマントを被って走っていったのだが、その時彼女はこう言ったはずだ、母に会いに行くと。焦って困惑してはいてもどこか嬉しそうな、気体の混じった声だったのに、帰って来てすぐにこれとは、一体何があったのだろう。
「…化け物ですって、グレーテル。ひどいわね、…ひどいわね人間って。やっぱり嫌いだわ、みんなの方がずっと好き」
眉を潜めて、今にも泣き出しそうにエテは笑った。
おそらく彼女らは会ったのだ、彼女らを捨てた人間の母に。そして化け物と言われ――想像するだに痛ましい最悪の出来事の後、また走ってこの館に着いたのだろう。初めて逃げてきた夜魔物に追われ走ったように、息をせっつかせ、震える足を叱咤して此処まで来たのだ。いつも強気な瞳の下が赤く腫れ、か細い足で体を支えることもままならず扉に寄りかかっているのが何よりそう思わせる。
かける言葉が見つからずに絶句していると、だんだんに外からのノックが強い調子になる。イーヴェルは怒ると悪魔のように怖い、悪魔だから。こんな状態のエテに怒鳴ったりはしないだろうが、このまま行かせて喧嘩になった時彼女の傍には誰が居るというのだろう。結局最後には弟しか傍に置かない彼女の傍に、誰が。
「人間を嫌いになりたくないわ、母上は少し疲れてただけ…苦しいのよね、わかってる、母上は苦しいのよね。私のせいだものね、わかってるわ…」
やわらかい絨毯を滑るようにして、白く震える手が縋りついてくる。その頭を撫でると、シャツにじわりと生暖かい悲しみが染み込んで行くのがわかった。
もう廊下の声はしない。彼女は私が悪いとは言うが、決して彼のことを責めたりはしない。一方彼は自分が悪いと言い、その事に関しては決して彼女を責めない。どちらも一方通行で、平等に分けられた悲しみだからこそ、分かち合えない哀しみを持っている。どんなことをしても、彼女が本当は優しいのを知っている。
「グレーテル傍に居て。イーヴェルの傍は、今は辛いの」
だから今朝、紅茶をひっくり返されつま先を踏まれても、どうしたって彼女を許してしまうのだ。
―――
なんたってこんなんなるのか。
意味の無い物語を書くのは楽しいけど難しい。
パンプキンの話のうちの「氷の女王」のネタメモ。