せかいのうらがわ

君と巡り合えた事を人はキセキと呼ぶのだろう
それでも僕らのこの恋は「運命」と呼ばせてくれよ

持つ者と持たざる者

2010-04-11 00:43:10 | 小説
彼女は何も持っていない。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚と、名前、戸籍、両親、友達、家、財産、持ち物。それらは全て彼女には"元から備わっていない"ものであり、これから先手に入れられるものでもない。どうやって生きてきたのか、それは俺にとっても彼女にとっても謎であり、とにかくそれから彼女は「過去」を持っていない。つまりは記憶障害だった。
彼女は何でも持っている。
声、服、存在感、生命力、一人で生きられる四肢、生活できるだけの第六感、一般的な教養に、常識的な思考、生活の為の知識。そして今まで生きて来られた運、環境。それらは彼女が"元から持っている"ものであり、これから先失う事も無くかといって成長するでもない。未だ少女である彼女と出会った時から立派な女性となった今ですら彼女の声は変わらず、言語能力も一切発達していない。つまりは、……何なのだろうか。

俺が彼女を訪ねると、まず彼女はいつも同じ角度でお辞儀をする。そして透き通った美しい声で「こんにちは、ごきげんよう」と舌ったらずに微笑むのだ。それから彼女はカオス理論など超越しいつも同じ温度同じ種類同じ濃さのお茶を出し、確かに聞こえないはずの耳でもってして俺の声を聞き、確かに見えないはずの目を以ってしてこちらを眺める。
何故聞こえないと判るのか。それはやむ終えず彼女の耳元で銃を放った時、近くで爆発が起こった時、彼女は自分ですら聞こえない声を聞き取り、よく通る声で返事をするのだ。
何故見えないと判るのか。それは彼女に瞳が無い事に起因する。元々目を包帯で覆っていた彼女に義眼を入れたのは俺で、今は美しい青い玉がこちらを見ていると錯覚させる。
俺がいつものように不思議に思っていると彼女はいつものように首をかしげて「いかがなさいましたの」と流暢に問いかける。何でもないと微笑みを浮かべれば彼女は返事の代わりに微笑んで、そしてまた匂いも味も温度も、存在すらわからないはずの紅茶を喉に押し込みこう言うのだ。

「まだ明かりはついているのかしら、おにいさま」

青い空色の色褪せない玉が窓ガラスの打ち破られた窓の外、暗雲を孕み重く沈む空と町並みは壊され血の海と化した腐敗臭漂う地面を見る。

俺は何でも持っている。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚と第六感、名前、戸籍、両親、友達、家、財産、持ち物……それから彼女と話す為の声と、一人で生きていけるだけの四肢。彼女に与える全ては俺のモノで、一つとして彼女のモノであった事は無い。俺は彼女と出会う前もそして今も途切れることなく記憶が続いており、どこまでも何もかも知っている。大地が、空がこうなった理由、絶望と失望を全て。
俺は何にも持っていない。
存在感、生命力、一般的な教養に、常識的な思考、生活の為の知識、それから希望。彼女以外の誰かに助けられ生きていくのがやっとの俺は、生きていく為に不必要なものは全て捨てた。


―――

飽きたんで乙。