せかいのうらがわ

君と巡り合えた事を人はキセキと呼ぶのだろう
それでも僕らのこの恋は「運命」と呼ばせてくれよ

白い悪魔

2009-03-04 05:19:59 | 小説
初恋の人は、居ない。
例えばそれが恋だったとして、僕には何の利益も無いのだから考える必要はないけれど。ふと、目を閉じれば思い出すのは流れる黒髪。マダムにしては高く、マドモワゼルにしては低い声。そして抜き身の、白い刃が、


キン、と。ワイングラスがぶつかる音に良く似た、陳腐な高音と共に白刃が宙を舞い地面に突き刺さる。持ち主の手を離れた刃では身を守ることもできず、主人の首元には別の刃が向けられていた。
貴族の彼女はとても、強かった。騎士の真似事だと馬鹿にする者も大半だったが、貧民街の人間からも騎士からも好かれる彼女には、味方も多い。そんな強気な彼女の事、容赦などしてくれるはずもないとは思っていたが、ここまで本気で来るとも、女性に負けるとも思っていなかった彼は悔しげに顔を歪めた。

「…エリス、少しは手加減をしてくれても構わないのでは?」

今まで彼の首元へ刃を突きつけ、刺し殺さんばかりの視線を向けていたエリスはふと、その言葉で鋭さを無くす。空気全体が刃のようだったそれが嘘のように和らぎ、春風のような暖かさに変わる。それはエリスにとって彼が多少なりとも特別な存在であるからなのか―男はやはり不満そうにするばかりだ。緩んだ視線がまた、少しばかり強められる。

「ルシフル。…甘えていれば、いつか死ぬぞ」

簡潔な言葉で、エリスは彼を叱る。それを受けてルシファー、―ルシフルは少しだけ憂鬱そうに溜息を吐くのだ。
7つ年上の貴婦人。そして彼の被害者であったはずの、女性。身の毛のよだつような褒め言葉で思考を惑わすその手口は、一般の貴婦人にならば通じる。だが、彼女のような―そう、ほとんど騎士かと疑いかねないような人間には、通じるはずもないのだ。舞踏会で一瞬にして正体を暴かれた彼はエリスに弱味を握られ、今に至る。交換条件というのは元々ルシファー・アドモンドという人間の得意分野だったのだが、彼女はそれをいとも容易く奪い去った。剣の腕を見させろ、だなどと。―元々の彼であれば鼻で笑っただろうけれど。
ふと、エリスはルシフルを見て目を細める。薄い化粧の乗った唇が引き結ばれ、何かを後悔するような瞳に変わる。その今にも泣き出してしまいそうなその表情に、ルシフルはどうも弱い。

「―また、"ジョン"ですか?」

遠い目をしているエリスの瞳に察したらしい、静寂を先に破ったのはルシフルの方だった。至極無表情のまま彼女から表情が見えないよう、先程弾かれた剣に手を伸ばす。「っ、」答えに詰まって何事か彼女は呟いたらしかったが、その音は風と鞘に刀が擦れる音で消されてしまった。

「駄目だな、私は。違うと解っていても、やはり―」
「貴女はもっと、愚かで構わないと思いますがね」

振り向き様ルシフルは、厳しい目つきを彼女に向けた。驚き目を見開くエリスの様子に何か態度を示すわけでもなく、ただ咎めるように、下手をすれば蔑むようなそんな目で、彼女を見る。
重ねられる事が不満なわけではない。彼女はまだ若い女性で、弱い面を持っていることも十二分に知っている。けれどエリスはその強気故孤立し、その孤独という立場から涙を殺し、感情を無くし、笑みだけを浮かべる。それを道化師と、詐欺師と呼ばずして何をそう呼べばいいのか。―ルシフルはそれを、取り締まる側の人間だ。素っ頓狂な声を上げた彼女に、ふとルシフルは笑いかける。

「…貴女はもっと愚かになっていい、と言ったんですよ。女性は守られて然るべきだ。誰も貴女を守らないというのならば、僕を使えばいい。貴女は僕の弱味を知っているでしょう、だから」

言葉半ばに、ルシフルは押し黙った。唐突にエリスの腕が首に絡みつき細い体が預けられた事に驚いて、だろうか―ルシフルの瞳が驚きに見開かれた。普段ならば気にもせず抱き返しただろうに、どうして今ばかりは手が震える。もどかしさに眉を寄せた表情は、エリスからは見えないものだ。
彼女の背に浮ぶ、見えないけれど絶対の拒絶を、彼は知っている。



「―構わない。そうあることで救われる者が居るというのなら、私は甘んじてその哀しみを、苦しみを受け入れよう。それは、ルシフルには関係のない事だ」



例えばそれが恋だったとして、僕には何の利益も無いのだから考える必要はないけれど。ふと、目を閉じれば思い出すのは流れる黒髪。マダムにしては高く、マドモワゼルにしては低い声。そして抜き身の白い刃が、―皮膚を切り裂く瞬間。
死ななかった、とは聞いた。けれど、生きているとは聞かない。殺したのは自身に私怨を持つ人物で、処罰したのは自身だ。それでもまだ収まらぬ怒りはやがて身を焦がし、幾人の命を奪う事になる。

―白い悪魔として。


―――
(例えばそれが、恋だったとして)


ねむくてもう何がなんだか^q^

クリストファー・エイリーこと
ルシファー・アドモンド。保安官。
こんな貴婦人に出会ってペースを崩されて、
恋をしてその先の人生が狂った、なんて。
そんなドラマがあってもいいじゃないですか?