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クソゲーとかバカゲーとか

2009-02-03 22:07:26 | ゲーム
とれび庵:「いくら吹き飛ばされても、僕らはまた花を植えるよ」
名著バカゲー専科の著者の一人である白川嘘一郎さん(ヨダレ団長)がなぜバカゲーについての記事を書くか…という話と、
あの頃のクソゲー本についてのあれこれ(コメント欄参照)

クソゲーという言葉については自分も前にも書いたけど、
「クソゲー」という言葉は必ずしもネガティブな使われ方をしていなかったと思ってます。
「うわ、これクソゲーだよ(笑い)」って感じで、クソゲーだと言いつつプレイしてしまう者もいたと思うし、今でもその文脈でクソゲーという表現を使ってる人もたまにいるし。
ただ、「一般的な評価だとちょっとアレな内容のゲーム」をクソゲーと呼んでいただけだと思う。
そして、だがしかし、その場合の「クソゲー」は、やっぱり褒め言葉じゃなかった。
「クソゲーだけど好きなゲーム」は存在しうるけど、それでも好きなゲームをあえてクソゲーと表現するのは少々の悪意が込められているはず。

ここで、上の記事で話題になった90年代後半のクソゲー本は、「クソゲー」という言葉のネガティブな側面ばかりを強調していた。
はっきり言うと、「嫌いなゲーム」をクソゲーとして紹介していたと思う。
四角い会社が作ったゲームとかね。全部がそうだというわけじゃないけど、そういうのもあった。
やっぱり「クソ」って言葉にはネガティブな意味が強いから、ある意味仕方ないと思いつつ、愛が足りないなあ、私怨で書いてて見苦しいなあ、みたいな文章も結構あった。

そこで「バカゲー」という言葉が使われ始めた。
誰が考えたのかは知らない。バカゲー専科の前身の連載がユーズドゲームズで始まるより前にもあったような気がする。
定義は、実は自分には説明できない。
「一般的な観点で見るとアレなゲームだけど見方によっては面白いゲーム」?
自分は広い意味での「クソゲー」に含まれる1カテゴリって感じだと認識している。好きになれるクソゲー、ポジティブな表現。
でも、違ってるかもしれない。単に「内容がぶっとんだゲーム」でもバカゲーで通るけど、クソゲーとは呼ばれない。
ともかく、バカゲーって言葉が広まれば、「好きだけど一般的にはアレなゲーム」を説明するときにクソゲーというネガティブな言葉を使わなくて済むから、今でも好んで使う人がいる。

でも、「バカゲー」も、褒め言葉じゃないかもしれない。少なくとも全部のゲーム開発者が喜ぶ表現じゃないと思う。
だってバカな内容のゲームを作りたくて作ったわけじゃないかもしれないし。
それどころか、バカゲー専科の記事にも、単に「嫌いなゲーム」をバカゲーと呼んでる(つまり、クソゲーを誌面の方針に合わせて言い換えただけ)のはあった。
さすがにひどいと思った。

自分も、何も全部のゲームを褒めたいわけではなく、バカゲーとすら呼べないどうしようもないゲームが存在することは知っている。
こないだ書いたPSPのFF1とか。
それをクソゲーとして断罪する行為が全て無意味とも思っていない。物事の批判は、絶えるべきではない。
AVGNの動画とかも面白いし…

だけど結局クソゲー本が廃れたのは何故なのかという答えは、愛が足りなかったから、客観性を欠いていったから、じゃないかと思います。
主観で面白い文章を書こうとするあまり、何か元のゲームをないがしろにしてしまった。
ゲーム愛の不足している文章は、ゲーマーが読むと嫌な気持ちになる記事だったりした。元のゲームがたとえクソゲーであっても、一定量の敬意を持つべきなのに。
(アンサガの回復アイテムの使い方がわかりにくすぎるって記事があったけど、そもそも回復アイテム自体がろくに存在しないことを知って書いたのだろうか?)

だから上の記事は「筆者の主観を一切入れずに語ることなどナンセンス」と書いてますが、その中で客観を欠いてなかったからこそバカゲー専科は面白かった、評価を集めたんだと思います。

自分はバカゲー専科の団長の記事を読まなかったら、FF8を(かなり後まで)プレイしなかったです。
でも自分のFF8プレイ後の感想は、バカゲー専科の記事とは異なるものでした。それは仕方ないでしょう。
自分も団長も間違ってるわけじゃないと思いたいです。

自分のようなヌルめのゲーマーは、メジャーなタイトルくらいしか追いきれないから、
それでもできることはないだろうかと、いろんなゲームに関する文章を書いてきました。
それが無意味なものではないと信じていたい。

FF1ポータブルはこんなに狭いんです

2009-01-29 19:22:08 | ゲーム
比較画像つくってみた

これをファミコン版と思ってください

PS版はもっと広いようだ。

GBA版の解像度にあわせるとこんな感じ

既に上の人が途切れてる

そしてこれがPSP版のイメージ

ひたすら狭い。

実際のPSP版はさらに視界が暗くなります。

マジ余計ッス。何考えてるかわからないッス。

時の迷宮で時間が切れるとこんな感じ。

誇張ではない。目がおかしくなる。
しかも現物は画面がでかいぶん、圧迫感がよけいプラスされます。

ちなみにWSC版

224×144だってさ
さすがにちっちゃいね。

※ドット絵は自作しました。
あんまり描きなれてないのでヘタです。
オリジナルのダンジョンとは雰囲気が少し違います。

憎しみこそ我が糧だ!

2009-01-29 01:06:49 | ゲーム
なぜこんな記事を書くのかって?
だって、伝えなきゃならないと思ったからだ。
そう、画面が狭いくらいなら、まだひとりで文句を言ってりゃ済む問題なのだ。

PSP版には追加ダンジョン「時の迷宮」が存在するんだが、これが俺の想像を遥かに越えていた。
もしかしたら、このゲームは自分の知るもっともつまらないRPGかもしれないと、かなり本気で思い始めている。

なぜつまらないダンジョンに挑む必要があるかって?
天野ギャラリーが見たいからだ。天野喜孝の素晴らしいモンスターイラストの数々がいつでも自分の手元に。
それは初期FFを愛する自分にとってはとても素晴らしいものなのだ。
これが無ければPSP版を買う動機自体が無いはずなのだ。
しかし、最後のカオスの後、未登場モンスター「フェニックス」のイラストを見るにはSoCだけでなく、時の迷宮すら制覇する必要がある。

時の迷宮のルール
いくつか用意されているフロアからランダムで次のフロアが選ばれるので、それを順番にクリアしていく。
いくつかクリアしたらボスが出て終わり。

各フロアに入る前に、光の戦士は自分の能力を封じることができる。「たたかう」禁止、など。
8のアルティミシア城を(覚えているなら)イメージするといい。
封じた能力に応じて、フロアを攻略するための制限時間をもらえる。

制限時間内にフロアをクリアすると、「一度クリアした」ということでタイトル画面に登録されて、何度でもプレイできるようになる。
これを全フロア登録するのがギャラリー制覇にも必要。

各フロアについて。
これが面白くない
各フロアに仕掛けを発動する石板が置いてあるので、まず石板を探して歩き回る。
しかし狭い視界、襲ってくるカス同然のモンスター。
「にげる」禁止などで挑むと超絶にウザい。
また戦闘中も時間は経過していくので、「にげる」が一番速くていい。
なお技術力が足りなかったのか、戦闘中も時間は経過しているのに、表示はされていない。
石板にたどりつくと、ひとまずモンスターが出現しなくなり、フロアごとの課題を言い渡される。
たとえば、「石を動かして特定の場所に置け」とかなら簡単だが、
「10人歩いてくるので、3人目が誰だったかとかの質問を3回連続で正解する」はひどい。10人覚えろというのか。10桁の数字ですら即座に覚えるのは結構きついのに。
さらには何人か選んで合計金額をぴったり1000ギルにしろ、なんて携帯機のくせにメモ前提か?いや余計なひとりをはじけば暗算でもできるか?

制限時間が過ぎた場合、たださえ狭い視界が更にドロドロのエフェクトでさえぎられて、HPとMPにダメージを受けるようになり、モンスターが課題中でも出現するようになり、余計やりにくくなったうえ、それでも課題は終了しない。ガリガリ体力が削られる中、合計金額を計算する作業は続く。
時間切れでクリアしても、クリアしたことにならないので、ギャラリー制覇は遠ざかる。練習とかもできない。
ところが、時間切れを起こさないと出ないフロアもある。もうクリアしたフロアはわざと時間切れを起こさせようと、時間切れまで何もしないで待つはめに。
もうプレイ時間という概念すら揺らぎそうだ。
フロアはランダムだから、次のフロアが難しいかどうか、クリアしたかどうかは予測できない。たくさん時間をもらおうとたくさん封印すると、ザコといえどピンチになることもある。
このゲームのカス以下のザコといえど、「たたかう」「まほう」「にげる」禁止、防御半減が重なるとそれなりの脅威となるのだ。
そこまでやらないと脅威にならないのだが。
これだけ封印して、もうクリアしたフロアだったら、せっかく得た長い時間を時間切れまでボーっとして過ごすことに。
もう、最悪。

とどめに、この迷宮は特別ルールでセーブできない。
GBA版はどこでもセーブ可で大変らくちんになっていたのに、なぜか役に立たない中断セーブ機能(ロードすると消えるやつ)もついてたのだが、PSP版には中断セーブもない。
携帯機なのに、途中セーブ不可。PSPのスリープ機能だけ。
まったく意味がわからない。約1時間ぶっ続けでプレイできる状態以外では決してこの迷宮に入ってはならない。
空き時間にちょいちょいとプレイすることは不可能。
もう携帯機の意味ないじゃん。

ボスは進行に応じて8種類に変化する。
こんなつまらないダンジョンを、最低8回クリアしなければギャラリーを制覇できない。たぶん8回では足りないが。
天野喜孝のイラストが見たいだけなのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならないのだ。
天野喜孝が、このつまらないゲームのイラストを描いていたんだとしたら、僕は決して天野の絵が好きになることはなかっただろう。
僕は本気でチートを使おうと思った。そしてPSPのチート導入の敷居の高さに諦めた。

無理してゲームしないでもいいよね。
ファイナルファンタジーのブランドは、そんなふうに思われるまでに堕ちたと、僕は思った。

いやもう投げたい

2009-01-29 00:33:55 | ゲーム
これでGBA版FF1についてはいいだろう。
もうこの時点でかなりクソだ。前の自分の記事では内容を忘れていたようだが、リメイクFF1はクソだった。ここにお詫びして訂正を入れる。

これを踏まえて、PSP版である。

PSP版「ファイナルファンタジー」は、基本的にGBA版の仕様を受け継いでいる。グラフィックなどの違いは、まあいい。公式サイトに書いてある「2Dドットグラフィックの究極美」なんて恥ずかしい表現とは方向性が違うと思うけど、慣れた。意外といい。
ロード時間は非常に短い。一度読んでしまえば、次の戦闘からはロードしない。動作ももしかしたらGBA版より速いかもしれない。
問題は、画面サイズ。
GBA版はひとつのマスが16×16。GBAの解像度は240×160なので、縦に10マス、横に15マス。
まあ、当然というかファミコンより狭い。WSCとかでもたぶん同じ。仕方がない部分だ。
さて、PSPの解像度は480×272だ。意外でもないだろうが、ファミコンより上である。あのバカでかい液晶は飾りではない。
そしてPSP版では、その高解像度のために、全てのグラフィックを描き直している。1マスには32×32ドットという、PCのRPGツクールなみのビッグサイズを与えている。
このサイズのドット絵をPSPの大きな画面に映し出せば、当然縦に8.5マス、横に15マスなわけで、
なんと視界が狭くなっている
1.5マスの違いをあなどってはいけない。この圧迫感はかなりきつい。
GBAで言うなら解像度が240×136に下がった状態。なんだよ136って。
気分的にはSFC版から上下ぶったぎって移植したGBA版ロックマン&フォルテ。もちろんファイナルファンタジーは横スクロールRPGではないので、縦にも歩くダンジョンの探索がやりにくくてしょうがない。
壁の向こうが見えない!

困難とは、予想外のところにあるものだ。まさかこんなふうになってるとは思わなかった。
グラフィック描くのはいい。だが画面サイズを考えるやつはいなかったのか?
視界が狭くなって、よりわかりにくいダンジョンを構築したかったのか?
おまけにダンジョン内では余計なエフェクトが入って、視界が暗い円に包まれて横方向まで見えにくくなるありさま。
これを考えた人間は2DのRPGをプレイしたことがないんじゃないかと真剣に疑問だ。

続く。

ゲーム機を投げたくなったのは初めてだ

2009-01-29 00:10:46 | ゲーム
実はPSPのFF1を手に入れていたのだ。
恥知らずだと言いたくば言え。天野ギャラリーはゲーム内容を差し引いても魅力的な内容なんだ。
そのとき、僕はそう信じていた。

予備知識:
FF1にはいくつものバリエーションが存在するが、大きな変化があったのはGBA版である。
具体的には、MP制に変更、しかも追加アイテムのエーテルがシリーズ随一の低価格で99個買いできるため、ほぼMPは無尽蔵。
レベルアップが超絶に早くなり、敵の経験値も増大。
ただしボスだけやたら強くなってる。
敵の出現率は、FC版と同等なのでやはり高い。一戦あたりが軽い分、ウザさは増大。

こんな感じ。だからザコが弱すぎるからって逃げ回ってるとボス戦だけ苦戦する。

予備知識2:
GBA版のFF1には追加ダンジョン「ソウルオブカオス」(SoC)がある。
新規モンスターばかりが登場する、ン十階層もあるダンジョン。
モンスターは本編よりちょっぴりだけ強いが、やはり本編クリアできる程度のパーティにとってはほとんどザコであり、だいたい逃げ回ることになる。
もちろん敵の出現率も高い。倒しても経験値は本編の半分を割るくらい少なく、ボスだけ本編よりやたら強いため面倒で仕方ない。
結局本編でちまちまグリーンドラゴンでも狩ってレベル上げしてから、SoCは手抜いて逃げ回るのが正解っぽい。
落ちているアイテムは半分くらいがポーションとかお金とか、役立たず。
有用なものもあるが、使い道があるほどの強敵はこのゲームにはいない。ひたすら探索することが楽しくない。

続く

物語のおもしろさ、ゲーム的に

2009-01-19 22:46:10 | ゲーム
ドラクエ1の勇者は、たった一度だけ言葉を発するシーンがある。
そのシーンのインパクトは今でもすごいと思う。
もしかしたら、それは作り手の思惑とは違う場所にあるんだけど、でもこのシーンで語りだす勇者の不思議な存在感。
※確かFC版3でも2回くらいしゃべる。

ドラゴンクエスト:
「まともなコマンド型RPG」としてはファミコン初の作品、だと思う。
思う、というのは、どうも他にもRPGらしきものが幾つか存在しているため。
ゼルダの伝説、ボコスカウォーズ、頭脳戦艦ガル…
ドルアーガの塔も、そうかも。

どうもPC88の「夢幻の心臓」というゲームにかなり類似しているらしい。
らしい、というのは、当然そのゲームをプレイしたことがないからわからんのだ。
というか怪しいな。どこまで類似なんだ。
俺にはドルアーガの独自性くらいしかわからぬ。まあそんなことはどうでもいい。

「ドラゴンクエスト」はたった一人の勇者を操って、つねに一体しか出現しない敵と戦う、きわめてシンプルなRPGである。
ストーリー:お姫様が竜王にさらわれた。勇者は竜王を倒しにいく。
ちなみにお姫様は助けなくてもいい。
ダンジョンは数えるほどしかなく、そして狭い。一応ストーリー順に進めて、姫も助けないとアイテムの場所がよくわからない。
緊迫感あふれるバトル。
「たたかう」「にげる」以外は、アイテムと魔法。しかし戦闘中に使えるアイテムは「やくそう」だけだ。
魔法は、ラリホーやマホトーン、そしてギラなど。レベルが上がればベホイミに全てを投入するのが最良の策となるため、魔法もあまり使わない。
もちろん防御など必要ないので、無い。
そこには知恵はあまり無い。純粋な戦う力こそが勇者の力となる。
でもこのゲームは今やっても面白い。余計なものを一切排除する冷たさの中に、奇妙な楽しさがあふれている。
きっとRPGが少なかった頃の作品だからだと思う。ドラゴンクエストは限界まで内容を削ったことで、アクションゲームのようなスピード感を生み出すことに成功している。
それはおそらく、一般的なRPGの向かう先とはズレていると思う。

で、最小限に抑えられたストーリーの中で、たった一度だけプレイヤーの分身である勇者がしゃべるシーンがあって、
その部分のインパクトはものすごく大きくて、この勇者が何か特別なものであるように思えてならないのだ。
1だけは、ぜひファミコン版でやってほしい。この一作だけが、他のRPGとは何かが違っている。単に出来がいい、だけでは済まされない何かを持っていると思う。

ゲームゲーム

2009-01-07 21:26:23 | ゲーム
ファイナルファンタジーの楽しさを、
何とかして表現できないだろうか。

FFTA2を放置してるのを思い出した。
なんか途中からめんどくさくなってね…

ゲームを卒業するいい方法を教えてやろう。おもしろくもなく、つまらなくもない、微妙なゲームをやるんだ。
数時間もやらないうちに何だか面倒くさくなってくれば成功だ。
おすすめタイトルは、そうだな。ファイナルファンタジー8あたりはツボにはまれば大ハマリしてしまう危険性があるからな、ルイージマンションなどはどうだ。
なに?あれは面白いだって?
フム、ならばプレステのウィザードリィエンパイア2などはどうだ?
…あれはまだ面白いか?むむ、ではそうだな…

果てしないレベル上げ、強いラスボス、長い迷宮。無駄なボタンを一切押さない完璧なコントローラーさばき。
バグを知ってそれを最大限に利用し、でもブラッドソードは使わない。
美学。戦士系にはものまね師を使わないのが俺のジャスティス。
何回も見たイベントめんどくさくなって文庫でも読みながらプレイ。

何の話がしたいのかよくわからないな。
ディシディアは普通に傑作で扱いに困るよ!ネタ度数も高いし。
ああ、12に足りないのはきっとネタ成分。演技が下手とかラスボスがアミバとか、しゃれにならないところにネタを仕込まれると困る。

行き着く先はみんないっしょか

2009-01-04 16:26:40 | ゲーム
FF12のインタ版の死ぬほど取りにくい追加アイテム(ン万分の一の確率で入手できるとかいうやつ)を
今では味方殴って乱数を調整する方法で入手できるようになってるらしい。
いや、インタ版持ってないけど。
本体の型番によって違うとか、最後には結局FF2と同じ世界に来るらしい。