「お前らも不幸になれ」

2007-11-28 22:59:31 | 思い
簡単に言うと、「世界のどこそこではご飯も食べられない云々」ってテンプレがあり、世界のどこかには不幸な人がいることになる。
「世界中全ての人が幸せではない」という当たり前の現実をつきつけられる。
それを意識してしまうことは不幸に他ならない。
そして私がある程度恵まれていたところでやっぱり不幸ということになってしまう。
結局それも恵まれたものの傲慢でしかないのなら、私は何のために世界の恵まれない人々のことを聞かされる必要がある?

気楽に生きることなんか不可能だ。
死ぬのも嫌だ。
私は化け物になりたい。永遠の命が欲しい。

はらたいら

2007-11-28 22:50:57 | 未解明
何もかもが飽和しすぎているのだ。
どこに行ってもフリーター募集してやがる。
近くのミニストップの店員が制服で帰ってくのも見たな…
私の高校時代は高校生が働けるバイト先はあまり見なかった。私の地方の話だ。

図書館で「いっぽんの鉛筆のむこうに」を読んできた。
20年近く昔の本だがポディマハッタヤさんは「黒鉛をいっぱい掘りたいが売れないから」と嘆いてた。
鉱山の仕事か…悪くないかもしれないと思っている自分がいる。体力ぜんぜんないけどな。
ポディマハッタヤさんはほとんど名前だけしか知られていないとはいえ、本に載った縁で日本と交流があるそうな。89年の時点で結構おっさんに見えるので、年齢的に2003年も鉱山の仕事してたのかはわからん。
けれど出所の不確かな情報には、知らない国のいち炭鉱夫である彼に対する悪意みたいなものを感じる。だからきっと間違った情報だと思う。これは感情的な話じゃなくて論理的な話。
あとポディマハッタヤさんはたぶん結構偉い人なんじゃないだろうか。どこから苗字かわからないぞ。

わたしゃ大学なんか出たくなかった。
働きたくなくても働かなくてはならない。それはそうなんだが大学出ることがいいこととは思わない。結局今にして思うと大学時代はただ死んでいただけという印象を今も抱いている。
正直に言うと大学出でもゴミみたいな人もいるだろうし、そうじゃない人もいる。自分がどちらか、今はまだ自分で答えを出せない。
大学出ていい給料もらうことが幸せではないと信じたい。楽な仕事でいい給料をもらうことも、苦しい仕事で安い給料をもらうことも、どっちも幸せとは思えない。
他人のことを考えず今の自分だけ幸せであればいい人は幸せかもしれないが、うらやましいとは思わない。
だから俺たちは永遠に不幸であるしかない。たとえ幸せで満たされていても、心の片隅にはウルトラ不幸がなければ生きていけない気がする。

日本には宗教がなじまなかったのがいけないのかもしれない。

ソースはどこ

2007-11-26 01:53:52 | 思い
「スリランカのボガラ鉱山で黒鉛を掘っていたポディマハッタヤさんが2003年ごろに落盤事故で死んだ」という怪情報があり、しかし探しても話の出所が謎。どうもでっちあげくさい。
「朝食は二種類の豆のカレー」とか懐かしすぎる。
タイトルは「いっぽんの鉛筆のむこうに」だな?
「ねるねるねるね」の婆さんが死んだというのも都市伝説らしいの。