ウボァー

2009-02-28 23:24:38 | 思い
諦めて試合終了しました
だが次はこうはいかんぞ…

ゲームを楽しむかどうか

2009-02-26 22:28:00 | ゲーム
チートがダメな理由は簡単で、
楽しいように見えるのに、実際には楽しくない。
見た目が楽しいから素人が手を出すとゲーム自体をつまらなくしてしまう。
ゲームなんていらないよね、なんて思っちゃう人が増えるとゲーム屋が困る。
そういうこと。
建前上はチートはダメだ。

だから過程を楽しむのがいいゲームであり、チート使ったほうがマシとか思われては終わりなのである。

どのみちやり込みなんぞ、達人クラスにならなければ誰も褒めてはくれないのだ。
アイテムコンプとか早解きとかノーダメとか、誰でもできる。
ジャンクションなしとかヤズマット初期レベルとかそのクラスではじめてゲーマーとして称えられる。それでも見返りは小さいようだが…

達人はチートなど軽く凌駕する。
それはもはやゲーム製作者への挑戦であり、
その裏の意図すらも見抜き、越えてみせる。
それは製作者との対話でもあるのだ。

PS版のドラクエ4は大急ぎでプレイすると「うらわざ改造王」という不名誉な称号がもらえるらしい。
もうこれは製作側が達人をなめてるのだろうとしか思えない。
貴様はやり込みプレイヤーを嘗めた!

目的をどこにおくかなんだが

2009-02-24 22:39:59 | ゲーム
世界は面白くなかった。

ラスボスを倒すのがRPGの目的となっては、やはり面白くない。
ソレでいいなら僕の国のゲーマーはみんなチート使ってクリアしマース。
そこに至る過程にこそ大事なものがあるはずだ。
意味も無く最強装備をしてみたり、
意味も無く低レベルクリアをしてみたり。

オメガウェポンは、いなくてもいい。
求道者は結局は似たような挑戦を続けるのだから。
でもオメガウェポンを倒しても特典が皆無なのはよかった。
最強の敵を倒して手に入る最強の武器など、誰相手にも使えない粗大ゴミのようなものだ。
しかしそれでも、その無意味な武器でラスボスを倒す自由があってもいい。

時の迷宮は無いほうがいいです(本音)

98巻「電脳ラブストーリーの巻」

2009-02-23 20:56:10 | ゲーム
時代がこち亀に追いついてるのか

といってもこち亀の98巻をピンポイントで読み返す人などいないだろうから、概要を書くと
「本田がギャルゲーにはまってギャルゲーの女に貢ぐ」
…ううん。
有料コンテンツの概念をあの時代で取り入れてたのが画期的と言えるのかどうか、
そもそもそんなゲーム、アイマスしか知らねえぞ、というか、

98巻ってあれだよな、96年の話だから10年以上前だよな。
「どきメモ」は音つきで名前呼んでくれるからうらやましいとか言ってたやつがいた記憶がある。
わたしにギャルゲーの話題を振るなー!
それがときメモとかアンジェリークとかの時代であって、歴史の重みを感じざるをえない。
こち亀がつまらなくなってから…いや、ギャルゲー的なものが溢れてからもう10年経過してる。
10年…言葉にすると短いが、生きてみると随分長い時間…だったか(斉藤一っぽく)

「ギャルゲーの中の登場人物の服装」一個100円とか200円とかなら、払う人もいるだろう。
それは経験値やレアアイテムをリアルマネーで買うのと同じ感覚でもある。
アイマスの場合は衣装が実際に能力を持ってて武器となるので、まるで同じといってもいい。

「女の気を引く」をパラメータ化してゲームとして完成させたのが「ときめきメモリアル」で、
これはテキストと選択肢ですいすい進む昨今のギャルゲーの基本スタイルと異なる。
「卒業式で告白される」を「ラスボスを倒す」に置き換えてみるなら、クリアまでの装備品の差はきわめて重要な問題だ。
有料でも有用な装備なら買う人もいるわなあって。

本田の話のどこに違和感があるかというと、やっぱりギャルゲーの女を「キャバ嬢に貢ぐ」と同じ感覚で描いてることだろうが、
ギャルゲーの女はリアルの女性と違って攻略すべき対象、すなわち「倒すべき敵」なんだよな。
ゲーマーが望むのは自己満足のみ。最後には自らが切り開いた荒野しか残らない。変なコスチューム着たヒロインは荒れた野原に咲くひとふさのペンペン草のようなもんであり、「俺の嫁」とはならない。

こういう感覚だから自分はギャルゲーできないのだろう。
ちなみに真を選びました。サクサク進んで楽しいです。

バンナムのアレ

2009-02-21 01:24:40 | ゲーム
ふとしたきっかけで再開したTOD2で火がついてマイソロ2を買ってきてアイマスをまだ開封してない。
俺にはいつもゲームしかない。
たぶんファイナルファンタジーに費やした時間は人生の中で無視できない割合を占めてる。

空気感を求めてる

2009-02-16 21:50:48 | 未解明
グランセイザーとか
リュウケンドーとか
リアルじゃないような
リアルなような

現実に怪獣や怪人がいたら、
そいつらが人類にとって大して脅威で無いとしたら。

クソゲーとかバカゲーとか

2009-02-03 22:07:26 | ゲーム
とれび庵:「いくら吹き飛ばされても、僕らはまた花を植えるよ」
名著バカゲー専科の著者の一人である白川嘘一郎さん(ヨダレ団長)がなぜバカゲーについての記事を書くか…という話と、
あの頃のクソゲー本についてのあれこれ(コメント欄参照)

クソゲーという言葉については自分も前にも書いたけど、
「クソゲー」という言葉は必ずしもネガティブな使われ方をしていなかったと思ってます。
「うわ、これクソゲーだよ(笑い)」って感じで、クソゲーだと言いつつプレイしてしまう者もいたと思うし、今でもその文脈でクソゲーという表現を使ってる人もたまにいるし。
ただ、「一般的な評価だとちょっとアレな内容のゲーム」をクソゲーと呼んでいただけだと思う。
そして、だがしかし、その場合の「クソゲー」は、やっぱり褒め言葉じゃなかった。
「クソゲーだけど好きなゲーム」は存在しうるけど、それでも好きなゲームをあえてクソゲーと表現するのは少々の悪意が込められているはず。

ここで、上の記事で話題になった90年代後半のクソゲー本は、「クソゲー」という言葉のネガティブな側面ばかりを強調していた。
はっきり言うと、「嫌いなゲーム」をクソゲーとして紹介していたと思う。
四角い会社が作ったゲームとかね。全部がそうだというわけじゃないけど、そういうのもあった。
やっぱり「クソ」って言葉にはネガティブな意味が強いから、ある意味仕方ないと思いつつ、愛が足りないなあ、私怨で書いてて見苦しいなあ、みたいな文章も結構あった。

そこで「バカゲー」という言葉が使われ始めた。
誰が考えたのかは知らない。バカゲー専科の前身の連載がユーズドゲームズで始まるより前にもあったような気がする。
定義は、実は自分には説明できない。
「一般的な観点で見るとアレなゲームだけど見方によっては面白いゲーム」?
自分は広い意味での「クソゲー」に含まれる1カテゴリって感じだと認識している。好きになれるクソゲー、ポジティブな表現。
でも、違ってるかもしれない。単に「内容がぶっとんだゲーム」でもバカゲーで通るけど、クソゲーとは呼ばれない。
ともかく、バカゲーって言葉が広まれば、「好きだけど一般的にはアレなゲーム」を説明するときにクソゲーというネガティブな言葉を使わなくて済むから、今でも好んで使う人がいる。

でも、「バカゲー」も、褒め言葉じゃないかもしれない。少なくとも全部のゲーム開発者が喜ぶ表現じゃないと思う。
だってバカな内容のゲームを作りたくて作ったわけじゃないかもしれないし。
それどころか、バカゲー専科の記事にも、単に「嫌いなゲーム」をバカゲーと呼んでる(つまり、クソゲーを誌面の方針に合わせて言い換えただけ)のはあった。
さすがにひどいと思った。

自分も、何も全部のゲームを褒めたいわけではなく、バカゲーとすら呼べないどうしようもないゲームが存在することは知っている。
こないだ書いたPSPのFF1とか。
それをクソゲーとして断罪する行為が全て無意味とも思っていない。物事の批判は、絶えるべきではない。
AVGNの動画とかも面白いし…

だけど結局クソゲー本が廃れたのは何故なのかという答えは、愛が足りなかったから、客観性を欠いていったから、じゃないかと思います。
主観で面白い文章を書こうとするあまり、何か元のゲームをないがしろにしてしまった。
ゲーム愛の不足している文章は、ゲーマーが読むと嫌な気持ちになる記事だったりした。元のゲームがたとえクソゲーであっても、一定量の敬意を持つべきなのに。
(アンサガの回復アイテムの使い方がわかりにくすぎるって記事があったけど、そもそも回復アイテム自体がろくに存在しないことを知って書いたのだろうか?)

だから上の記事は「筆者の主観を一切入れずに語ることなどナンセンス」と書いてますが、その中で客観を欠いてなかったからこそバカゲー専科は面白かった、評価を集めたんだと思います。

自分はバカゲー専科の団長の記事を読まなかったら、FF8を(かなり後まで)プレイしなかったです。
でも自分のFF8プレイ後の感想は、バカゲー専科の記事とは異なるものでした。それは仕方ないでしょう。
自分も団長も間違ってるわけじゃないと思いたいです。

自分のようなヌルめのゲーマーは、メジャーなタイトルくらいしか追いきれないから、
それでもできることはないだろうかと、いろんなゲームに関する文章を書いてきました。
それが無意味なものではないと信じていたい。