みなみけ ただいま 見てる

2013-02-09 22:20:56 | 未解明
好評放送中の「みなみけ ただいま」だけど、これは面白い!
まあ予想通り原作準拠のアニメ化だったんだけど、ちゃんと原作既読者でも新鮮な気持ちで見られるよう、こまかいアレンジが楽しい。
私が望むのはこれで原作読者が増えることだけである。特にキャラデザは好評だけど、これは今までで一番その時点の原作に近いと思う。
まあ個人的にはオリジナルどんどんやってほしいんだけど、まだ難しいだろうね…

かめはめ波と北斗剛掌波の関係

2012-12-08 20:39:06 | 未解明
「かめはめ波の元ネタは北斗剛掌波」というのは違うと思うんだが、詳しい時系列が探しても見つからなかったので自分で調べた。

結論から言うとラオウが北斗剛掌波を初めて使ったのは昭和61年14号
かめはめ波を亀仙人が使ったのは昭和60年14号。かめはめ波のほうが早い。

ただし、詳しく見ると逆転の可能性がある。ラオウが「掌から出る闘気による攻撃」を出したのはもっと前、昭和60年5号?6号?(単行本から掲載号が特定できなかった)で、かめはめ波より少し早い。
というわけで、手から飛び道具を出す技は、かめはめ波より北斗の拳のほうが早かった
(この「闘気」は技名を言わなかったものの、のちの剛掌波と同一の技と見ることもできるが、ここでは分けて考えることにする)

しかし、かめはめ波は本当に剛掌波、または「闘気」と似てるのだろうか?
ラオウの発した闘気は、ビーム属性の「かめはめ波」と似ない衝撃波である。
北斗の拳も元斗編になるとビーム的な技を多用するようになるが、これは言うまでもなくドラゴンボールのかめはめ波より後である。逆に影響されていると見るべきだ。
北斗剛掌波も終盤で使ったものは完全にかめはめ波になっているが、最初にケンシロウに使った剛掌波の描写だと飛び道具かどうかもはっきりしなかったりする。
なお、原作で北斗剛掌波を使う回数は非常に少ないらしい。ラオウが一度使った後は、光帝バランの登場まで使わないのである。だから「2回目からかめはめ波になっていた」ということである。アニメ版は違うかもしれないが。

他の類似技についても検討する。「天破活殺」は、かめはめ波的ビームを発する技であるが、これの登場は昭和60年36号とのこと。後発だった。
もうひとつ見逃されている技がある。「北斗有情拳」(北斗有情破顔拳)が手からビームを出している。この技が出たのはラオウが闘気を発したのより先の昭和59年50号であった。
つまり、手から光線を発する技を使ったのはラオウよりトキのほうが先

しかし、手からビームを出す技って起源を特定しなきゃいけないほど突飛な技なのだろうか。構えから光線を発する技としてはスペシウム光線という超有名な技があるし、他にも怪獣とかロボットとかが使ってるんじゃないだろうか。
北斗の拳とドラゴンボールには、中国拳法的なイメージが共通して見られるし、もちろん同時期の漫画だから相互に影響もしていたんだろうが、どちらも厳密な元ネタとは定まらないんじゃないかと個人的には思う。

かめはめ波の特徴は構えにある。これは「胡蝶掌」などと呼ばれる少林拳の技(型?)が元ネタのようで、手をかざすだけの北斗の拳の飛び道具とはイメージが異なる。なお同じく少林拳に由来して、そっくりな構えが「仮面ライダースーパー1」に出てくるが、この番組は1980年だそうである。意外とこっちの影響もあるかも。
また、外見上かめはめ波に似ている光線技は先発のDr.スランプに出てきた「んちゃ砲」であり、これは格闘技よりも波動砲のようなSFアニメの武器に元ネタがあると見るべきである。メガ粒子砲かもしれない。

「かめはめ波」を構成しているそれぞれの要素に特異なものは少なく、覚えやすい名前、視覚的にわかりやすい効果の組み合わせが絶妙だったといえる。

まとめ
・「手から飛び道具を出す技」を最初に使ったバトル漫画はドラゴンボールではなく、少なくとも北斗の拳のほうが早い。
・しかし、「北斗剛掌波」は「かめはめ波」より後である。先に使われたのは「北斗有情拳」。「掌から飛び道具を出す技」という条件なら「技名なしの闘気」のほうが早い。
・ただし「闘気」は「かめはめ波」と同一の技とは言えない。

たぶん北斗の拳より以前にも似たような技はあるんじゃないかと思うがそこまで調べる気もない。百歩神拳(先発の闘将!拉麺男にも出てくる)というのもあるけど、これは同じ飛び道具でも「闘気」とも「かめはめ波」とも属性が違うっぽいな。

舞城王太郎「ジョージ・ジョースター」読んだ

2012-11-25 21:13:17 | 未解明
ジョジョの奇妙な冒険のスピンオフ。765ページもある分厚い本。
舞城王太郎については全然知らないのだが気になることがあったので読んでみた。なんじゃこりゃである。

面白いのかどうかで言うなら面白かったと思う。ジョージ・ジョースターというキャラクターを扱うだけあって第1部や第2部の雰囲気を持っているのかと思ったら7部のスタンドまで出てくるんである程度スティールボールランまで読んでいないと内容が理解できないという。
2巡目以降まで想定して内容に組み込んだ手腕は見事というほかなく、だから楽しめるかというと6部の途中から「もう、ついていけない」私のレベルでは正直つらかった。その「ついていけない」感じまで見事に再現しててジョジョの奇妙な冒険の小説だと思ったのである。
つまり、ついていけなかった。いや、内容だいたいは理解できた。面白い本だと思うしこれを書いた人はすごい人だと思うが、ちょっと世界が離れすぎている。

ジョージ・ジョースターという人物については原作で全く設定がないのでほぼこの小説のオリジナルである。原作でわかっているのは1920年にゾンビの上官と戦って死ぬことだけだ。
だからこの小説でもやはりそのシーンはあるわけだが、……リサリサがハリウッドの脚本家と再婚するっていう原作の設定覚えてたんでオチが読めてしまった。
最後のほうはいろんな能力がごちゃごちゃ発動しまくった結果ジョジョ本編の登場人物は少数のぞいて全体的にハッピーエンドになる。おそらくハッピーになるはずがなかった人まで。
そしてやっぱりこれは嫌だったんだがジョージの小説なのにディオの棺桶の謎を解決してしまっている。棺桶が二つあったってことじゃダメだったのか。説明をつけてしまうと奇妙さが損なわれるのではないか、と思う。あと3部のディオが途中からザ・ワールドしか使わなくなる理由の説明はアレなんだろうけどあの説明は喜ぶ人が少なそう。評判悪い西尾ジョジョと説明かぶって矛盾してるところとか。
リサリサやカーズの性格については原作でブレてるところをうまくやったんじゃないかと思う。ちょっと憶測混じるがリサリサは原作で期せずしてジョセフの母親になってしまったから、ジョージ絡みの話を組み込まざるを得なくなって、「なぜそこでゾンビ相手に暴走?!」という感じになっていたのを、小説でも性格面にうまく反映した感じ。
カーズは、まあぶっちゃけ漫画の途中で性格変わってるんだけど、性格変更前後両方なんとかなったかなって。

分厚いだけあって内容は詰まりすぎでジョジョ3部丸ごと読むより多いくらいじゃないかと思うしクオリティも高いしいろんな説明もつけたけど、別に説明しないでもいいと思うところまで説明してしまってるし、この本を全部肯定しないとそれらの説明も成立しなくなるし、手離しに気持ちの良い本だと言うこともできないという、奇妙な本であった。

471ページ
日本のジョージの曾祖父の「ジョナサン」について、「さらに身体は頑強で歳を取っても若者に混じってラグビーのような激しいスポーツができたらしい」と書いてあるのだが、473ページでは1889年に死んだふうなことが書いてある。1881年の時点で少年だと言ってるので、元のジョナサン・ジョースターとほぼ同じ年齢、若者だろう。これは深読みなしに単純にミスではないかと思うがどうだろう。

ディアッカ・エルスマンとかカガリの問題とか

2012-05-25 21:11:07 | 未解明
放置してた。

ガンダムAGEぼんやり見てたらCMでディアッカとカガリがしゃべってた。何か進展があったようだ。

ディアッカとカガリにまつわる問題とは:
この問題だが、「問題」が実在するのかどうかから考えなきゃいけない面倒な問題である。

概要:ディアッカとカガリがボイスつきのゲームに登場しなくなっている。もしくは登場してるけど何故かボイスがなくて扱いが悪いという状態が続いてる。

最初にこの問題が確認されたのはスパロボZだそうである。発売は2008年9月。
前年の11月に発売したスクランブルコマンダー2には両名とも声つきで出てるそうな。
スパロボの1作くらいなら、たまたま出なかっただけなんじゃないか?というふうに押さえ込むこともできようが(ただしこの時点で怪情報ならささやかれていた模様。またこの後も声なしのスパロボには普通に出てる)、その後もGジェネで不可解な扱いを受けて、どうもこの問題が実在するものらしことがわかってきた。
今や戦闘の大半がボイスつきになったGジェネシリーズだが、久しぶりにSEED本格参戦した「ウォーズ」ではディアッカはまともに使用することができなかった。ニコルやイザークも一緒に悪い扱いを受けたらしいが、これはディアッカだけ出ないことの不自然さを誤魔化すための処置ではないだろうか。しかも、このウォーズではディアッカ役の笹沼尭羅が演じるダコスタがごくわずかながら新録で登場しているという。
続くGジェネワールドでは、笹沼尭羅が新キャラ「影のカリスト」役で登場のうえ、バスターガンダムに乗せるとグゥレイトと叫びだす…
明らかに異常だ。ワールドでは声なしキャラクターも多く使えるようになっており、ディアッカとカガリは一応復帰できた。でもニコルとイザークは声つきで、ディアッカだけ声なし。
ディアッカに笹沼尭羅を何らかの理由で起用できなくなっている。この問題の実在は既にファンの間では事実になっていた。カガリの進藤尚美も同様だろう。(進藤さんはガンダムではカガリ以外の持ち役は無かったので他キャラでの登板はしていない。AGEで久しぶりにガンダムに出演しているので今後はわからない)

何が起きたのか?
憶測はいくつかあり、それもネガティブなものばかりだ。

有名な説のひとつで、笹沼氏が同人ゲーム(18禁)に出たため、というのがある。それもディアッカに似てると評判の別作品のキャラクターの同人ゲーで、しかもディアッカっぽい偽名で出たという話。
このゲームが実在するのは事実である。サンプルボイスは現在もまだ公開されており、聞く限りではディアッカに似た声である。そっくりな声優を探してきたとも思えない。これは発覚したら怒られるかもしれない。
この説への反論:時期が合わない。ディアッカが出なくなったのは2008年の話だがこのゲームの販売は2006年の夏だという。
このゲームの出演が、ディアッカを追放するほど重い問題になるとも正直思えない。ディアッカがNGでディアッカ以外で出るのはOKなの?という話でもある。
それにもし問題があったとしたら、このゲームのサンプルボイスとかも圧力で消されそうなものだ。
またこの問題はカガリには関係ない。カガリとディアッカの事情が違うのかもしれないが…
しかし現状、この説が唯一まともな根拠のある説となっている。

別の憶測としては、声優個人が制作者個人と揉めたから、というのがある。
困ったことに、ガンダムSEEDという作品は放送当時からこれに類する噂が絶えない。一部のキャラクターがある時期を境に全然出番がなくなりフェードアウト、という事例がいくつかあって、それがこういう事情なんじゃないかという話。
はっきりいって根拠は乏しい。確かにDESTINY後半のカガリの扱いは悪い(ディアッカは前半からずっと影薄いので何とも言えない)が、それを声優個人の軋轢に求めるべきか。
わからないし根拠は乏しいけど、それでもそういう噂があるのは確かである。
反論:ゲームでの出演に制作側の事情は関係ない。ゲーム製作者が勝手にオファー出すだけの話。
でも扱い悪いのは事実だから否定もあんまり真面目にできないのよね。

最後に比較的有力視されているのが劇場版SEEDでキャスト変更する予定だったのでは、という説。これも劇場版発表の時期的に微妙なのだが、問題の全貌がつかめない理由は、全貌の不明な劇場版に関わってると考えると説得力が増すかもしれない。あまりにもあやふやすぎて根拠は無いぶん、反論も難しい説といえよう。

ゲーム会社は彼らの代役を立てることはなかった。復帰する見込みがあったか、安易な交替による混乱を避けたか。劇場版が関わってるのかどうかは知らないが、劇場版が来るはずないことは皆知ってただろうな。
現状リマスター版でのキャスト変更もなく、新作ゲームでも声つき登場が確定したので、仮に今後劇場版がよみがえってきてもキャスト交替は無いと思う。だが、すでに動いてない元の劇場版企画では交替あったのかもしれない。
このへんの事情が明かされないまま流してしまうとますますネガティブな憶測が広がるだけだと思うのだが、それでもこの問題は黙って風化させてしまうほうがいいのだろうか?
とりあえずここで書きとめておく。できれば事情は明かしてほしい。噂が間違ってるなら堂々と反論すればいい。
…劇場版関連はタブー化してるから否定の話題に出すのも難しいんだろうな。

そろそろ

2012-02-01 22:44:19 | 未解明
そろそろ更新再開するかあ…
実は年末からガンダムづいてるのだがこのブログでは全然そういう素振りも見せなかった
そしてガンダムは悲しみばかりを生んだ
みなみけの未収録分の話もいろいろ書きたいしアニメ化続報命がけで待ってる
みなみけが無いと僕は生きていけない。

ガンダムあげ

2011-12-13 20:19:11 | 未解明
これ子供だけが対象のアニメじゃないとか言ってた気がするけど子供向けアニメだよねぇ?
より正確には「パッと見は子供向けアニメっぽいけど、変なアニメが好きな大人が見るタイプのアレなアニメ」に近い扱いを方々で受けてる気がする。違うのはガンダムだから義務感で見てしまう鬱陶しい大人がいることか。
彼らはアレなアニメに対する作法ができていない。

子供向けアニメなんてない:
アニメは子供のものですよーということじゃなくて、子供向けっぽく、何かアレなレベルを落として作ったアニメって、内容は大抵アレで、むしろ大人のほうが注目する傾向がある的なアレというか、
結局どんなアニメでもアレな意味で見て楽しむ大人がいるものだから、そういう意味で子供向けじゃない、と言いたかったのではないかと。

深夜にやってる大人向けアニメだってアレとかコレとかアレなのばっかりだしだな。もっと正統派のアレなアニメこそ大人向けであるべきだよな。

がんだむあげ

2011-11-29 19:11:30 | 未解明
ガンダムAGE、まだ4話を見てないが8話までみた。
6~8話のファーデーン編?の端々で後先考えてないんだなあと思えるセリフがたくさんでてきたけど、考察する必用があるかを考えている。
だが8話は良かった。ガンダムAGEの方向性がこうであるなら私は何も言わなくてもいいだろう。メカも活躍したし。
6話で語った設定が7話くらいで崩れてる気がする。それでいいのなら、いいんだ。

歴代ガンダムと比較する必要があるか:
ガンダムのタイトルを冠してるんだからガンダムと比較するのが必然なんだが、今のところ似てるガンダムは思いつかない。
あえて比較するなら「F-ZEROファルコン伝説」が似てる気がする。
どういう意味で似てるのか言葉にするのが難しいが、初期だからキャラクターの使い方が手探りな感じというか、設定が根底から適当なところというか?
設定の適当さは非常にガンダムらしくない。いつもなら設定に振り回されるのを、ときどき矛盾しながら必死に制御するものだ。

「ファルコン伝説」は慣れてきて中盤に入る頃には異常に面白いアニメになるが、放送当初はレースはつまらないしストーリーはどこかおかしいし作画は悪いし、物好きしか見ないアニメだった。
7話の「マイケルチェーンの罠」あたりがピークで、そこから無茶苦茶面白くなっていくので機会があれば見るといい。
過剰に豪華な声優が場を盛り上げる。まだ今ほどブレイクしていなかった水樹奈々も扱いの悪いヒロインもどき役で出てる。つまらないレースだが、じきにレースを話の軸に置かないようになるので大丈夫になる。キャラクターは全員が話の中心にいなくても出番はあるから、やがて愛着も出てくる(でもクラッシュ博士なんか最後まで影薄かったりする)
今のガンダムAGEは7話を越えたファルコン伝説くらいのテンションだ。これなら終わる頃には伝説的なアニメとなる計算となる。

だがAGEはそうはならないだろう:
3世代というアイデアが足を引っ張る可能性大。ようやく1世代の主人公に慣れてきたころには世代が交代してしまって、またキャラ説明からやりなおしだ。
そいつらが馴染むころにはまた世代交代。せっかくの一年番組、のんびり手探りでやればいいのに3本に分けてしまうのは愚策。この番組は人気キャラが出ても路線変更してスポットをあてる余裕とか無い。
2世代目のスロースタートは許されない。何とかする技量はあるんだろうか。
そしてガンダムという題材が足を引っ張る。「F-ZEROレースで悪人が暴れてる」なら設定が根底から狂ってるので、多少無理な話でも大丈夫だしギャグもシリアスもやれる間口の広さがあるのだが、このガンダムは宇宙人と人類が戦ってるのにコロニーでは何百年もYAKUZA抗争をやってるという、少なくともガンダムじゃねーと思える設定で、ギャグではないのだが結果的にギャグになっている。
シリアスだから考察せざるをえないが考察すると綻びが見えてくる。(敵が本当に宇宙人かどうかは怪しいのだが、それよりも前提として作中の人間がどうして宇宙人だと思ってるのか、その理由が見えてこない)
「シリアスな笑い」とか、いらんことが言われるようになってからそういう作品が増えた気がする。
やるなら「冷凍睡眠されてた主人公の母親がミスキラーになって出てくる」ぐらいのギャグをやってみせんか。

ファルコン伝説は子供向けっぽくつくってるけど、その実は昔子供だった若者~大人くらいの支持があったと思うんだよね。子供だった頃に好きだった80~90年代のアニメの空気が何故かF-ZEROというマニアックな題材で色濃く出てしまった。ダンクーガとか特攻野郎Aチームとかセーラームーンとか、どう考えても子供向けのネタじゃないし、もちろんF-ZEROファンに受けるものでもない。本当の子供は結局今風の子供向けのものを見るだけだ。
そのアンバランスさから商品展開は振るわなかったというか誰がブーストダッシュを買うんだよ。

AGEのおもちゃはファルコン伝説よりは売れるだろうけど、ガンダムだからと過剰な期待をかけられて空回ってる。
SEEDみたいなアレな作品でも売れたし、00みたいにちょっと変化球でも売れた。AGEはアレなほうなのか、それ以外の何かが足りないのか、それとも実は売れてたりするのか。まだわからない。

ガンダムあげ

2011-11-09 00:19:32 | 未解明
ガンダムをまともに見てない。3話は適当に見て4話を見てないまま5話を適当に見た。
余裕ができたらちょっと真面目に見るつもりだけど、これはコケたかもしれないと思う。コケてないにしろSEED越えはできないように見える。
僕はAGEがそんなにつまらないとは思っていないが、僕は今でもガンダムSEEDが良いアニメだったとは思っていない。そういうことをまとめたい。

アニメ「日常」見てる

2011-08-07 18:01:09 | 未解明
面白いので原作そろえたが、原作が面白いからアニメが面白くなってるタイプだなと思って、それからは惰性でアニメ見てる。ああこれ原作面白いけど、アニメはそれ以上のもんにはなってないやって。

この漫画も時間経過しないが、季節は変化するし過去のエピソードも伏線となって使われるので時系列の組み換えが難しい。典型的なサザエさん時空。
それでも並び替えることは可能だが、それを実行する必要があるかは考えなければならない。

自分の中で結論は出ていて、何かいろんな要素が上手く作用してないよね、このアニメ化は。自分のように単行本の宣伝になった層はいると思うけど、好み分かれそうな話だし。「女の子が可愛いからとりあえず買ってしまう」タイプの絵柄でもなく。

たとえば原作の5巻:
5巻の前半を例にとるが、「日常の74」から「日常の81.5」まで、単行本の約半分ぶっ続けで同じ日の話を扱っている。話は全部短編なのだが同じ日の出来事を扱ってるので、同じ登場人物が背景にちらっと映っていたり、ネギが安い日というキーワードがあったり、いつも来る人物が2時間待っても来ない理由であったりと、そういう構成が完璧に出来上がっている。このエピソードは一つも動かせない。
しかし一話あたりは独立してるので、利点は知らないが一個ずつ切り出すことはできる。すでに75,78,80がアニメ化されてる。
74と75は独立させてもいいが、76,77,79は4巻までのエピソードを消化しないと使えないので後回しにせざるをえない。76と81は連続してるので切り離せない。
つまり結局4巻までの話を消化した後で、まとめてアニメ化する以外にやりようがない。構成が完璧すぎるから崩せないのだ。崩れてるけど。
78と79は同じ日でないと話が成立しない。78だけアニメ17話でアニメ化してしまったが、79を成立させるには「78の人物が出てこない」ことが必要なので、別の話を考えないといけなくなる。ややこしい。

時系列を組み替える必用はあるのか:
季節順に話を展開しようと思ったのだとと思われる。
それはいい。「みなみけ」でも同じ手法を使った。(「おかえり」は13話の間に一年以上経過してるが)
一部のエピソードは季節を変更して放送してる。それもいいんだが。
何か構成に一貫性が感じられない。「順番を組み変えると話のつながりが不自然になる話」と「順番を組み替えても特に影響ない話」の二種類があって、後者は変えても特に影響ないし、面白くもなるわけでもない。季節を重視してた「みなみけ」ならともかく、変更してまで組み替える必要が特にない。
一方で前者が組み変わってる話があったりする。
原作では「①ゆっこがみおの絵を見る」「②ゆっこがみおのマンガを見てしまいショックを受ける」「③ゆっこが変なマンガと言ってケンカ→和解」「その後協力」という順番なのだが
アニメでは「①ゆっこがみおの絵を見る」「③ゆっこが変な絵と言ってケンカ→和解」「②ゆっこがみおの漫画を見てしまいショックを受ける」
この順序組み換えは良くないと思う。②でショックを受けたから③で変な漫画という発言が引き出せる。③で和解したから協力関係を築けるので、②でショックを受けると順序がまずい。
※みおは腐っているので一般人のゆっこには理解しがたい漫画を描いてる。だが一般人のゆっこは①の時点では腐っているとまでは認識していない。
この順序組み換えは③の「和解」を転校生のなのと絡める関係で早い段階でやりたかったんじゃないかと思うが、それなら②を先にやっておくべきで。
違和感のある話になってしまってる。
なのが転校してくる話を14話にする必要があったのか。原作では1話の時点でなのがいて、2巻になって転校してくる話を後でやる。
アニメでは遅らせたので、転校までに高校生に対して憧れるような描写を追加することができるわけだが、
これ、そういう「いい話」の原作じゃないだろうと。転校してきたなのに皆が優しくするような話じゃなくて、どう見てもロボットである転校生をどうやって扱えばいいか困惑するうちに、だんだんどうでもよくなるという話じゃないのかと。
構成を変えることをやっても、大してオリジナルを挟むこともできないのは力不足を感じる。
中途半端な改変と、心象風景みたいなのやポンキッキのミニコーナーみたいのを混ぜて誤魔化してるつもりかもしれないが、アニメ化で構成変えるのなら普通大きなオリジナルを入れてやるものじゃないのか。

他所で言われてるので詳しくは書かないが予算の使い方とか滑ってるプロモーションとかも痛々しい。ヒットすることを前提で作ったらこうもなるだろっていう。ヒット連発した漫画家だって次回作でコケることは普通にあるんだから、いくらすごいアニメスタジオでも上手く行かないことはあると、想定くらいしておくべきだった。
BGMを海外でオーケストラで収録とか明らかに無駄遣い過ぎる、というよりマイナスになることを考えなかったのだろうか。音楽が演出の雰囲気を決めてしまって枷になるし、新録も手軽にできない、軽いBGMも使えない。
豪華すぎるゲスト声優を呼ぶことはニコニコでコメント数を増やす以外の意味あるのか。

このアニメ、どうなるのか?
元々単行本もそこそこ売れてたようだし、DVDとかも一定量は売れているようだが、ヒット前提の巨大すぎるプロモーションが何を残すのか。
あたかも来年以降も展開するような大掛かりな動き方は、いったいどう決着をつけるのだろう。

原作買うきっかけになったアニメだけど、それがどうも原作以上のものになってなくて、だらだら惰性で見てるのがどうにもしんどい。