鍼灸師「おおしたさん」のブログです

東京都港区南青山で開業20年 / 6月から広島に帰る予定です

優越感を満たされただけでは自信にはつながらない

2023年05月02日 | 子育て
孫ちゃん大好きなドラえもんと♪( ´▽`)


優越感は他人との比較から生まれる。もちろん劣等感も。小さい時から地域で神童と呼ばれ、勉強に秀でて東大に入ったが、東大には勉強だけでなく運動や芸術にも秀でている子が多くいる。その年になって上を知り、気持ちが砕かれ学校に行けなり中退。かたや何をするにも自分より劣っていたと思っていた同級生が、大手企業に就職して劣等感を抱く人。一歩外に出たら他人との比較のオンパレード、優越感に浸る事があれば、劣等感に悩まされる事もあるこの世の中で、たとえ平常心で生きたいと願っても、常に競争にさらされる。生き延びるためには少しでも秀いでるしか無いのだが、優越感を満たされただけでは自信につながらない。

比較の中に潜む不安。優越感に浸る側にいると言う事は、その逆に回る場合もあるという事。優越感は劣等感があって初めて生まれるものだと思えば、どんなに羽振りの良さそうな人でも、その人なりの劣等感が生まれているはず。まあそう思えばこちらも少しは気が楽になる。

人は人、自分は自分と言われても、その不毛な競争の中にいればただただ苦しいだけだ。しかも社会はその競争から脱落する事を許さない。とにかく生き延びたいという個体維持の法則に則れば、人より秀でる必要がある。まあそこからくる優越感がもたらす幸福感は、結局自らの首を締めてくるのだが。だから人との競争から得る幸福感とは別の幸せを求める必要がある。それが人との繋がり。人は人と繋がっている時に幸福感を感じるのだ。まさにアドラーのいうところの「人を信頼し人に貢献すれば自ずと自分を好きになる。そして幸福に帰属する場所が生まれる」というあの共同体感覚に繋がっていく。

人の役に立ったとか喜ばれたとか、そういった気持ちが子どもの自己肯定感を育む。その感覚が各々の年齢でちゃんと育っていれば、全く勉強しない子でも放っておいて大丈夫だ。必ず人のために頑張ろうとするし、そのための勉強に勤しむようになる。その欲求が生じるまでをどう待つか、それこそが、親がやらなければいけない事だと思うのだがどうだろう。そう考えると、家くらいは何をしても、何もしなくてもいい場所であって欲しいと思えるのではないだろうか。親の知らないところで頑張っているのだから、家でも小言を言われたら、たまったものではない。とにかく「存在するだけで喜んでもらえるのが私なのだ」と子ども心に錯覚すれば、優越感や劣等感を超越する自己肯定感が生まれるのではないかと思うのだ。そのためには、やってきた事にやっている事、やりたい事を親はただただ喜ぶだけで良いと思うのだが、私は甘すぎるのだろうか。

そんな感じで甘やかされて育った子の方が、意外と芯が強い。頑張れ頑張れで育った、幹は太そうに見えるが中はスカスカの子よりも、はるかにしぶとい感じがする。そりゃあそうだ、誰もが自分を好きになってくれると錯覚して成長してきたのだから、どんな苦海にだって飛び込んでいける。



東京都神社庁、5月の命の言葉です。
意味は「人から正しく習わずに、あらゆる物事に対して、自己流で善し悪しを決めてしまうことは、勿体ないことだ」だそうです『利休百首』


子どもは親のする事を観察していますし、親のすることを真似しようとします。親自身が素直で優しく思いやりがあれば、子どもはそれを真似るのではないかと思っています。

親も人の子、この小さな背中が果たして子どもの成長にどう役立つか、それを問われたら自信が無くなってしまいますが、その辺りは大目にみてもらいつつ、これからも子どもと向き合っていきたいと思っています。

「素直さはこの世の中で生きていく最も大きな財産です」 加藤諦三


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