相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

 人生って 不思議なものですね         (連載‐532号)

2024年02月11日 | 経験・体験
小澤征爾さんの、訃報に、心からご冥福をお祈りいたします。
お顔の表情と体の動きが、オーケストラと一体となって、まるで、自ら、楽器を演奏しているかのように、音を表現しておられた。命のリレーなんだろう。

 シャンソン歌手、日高なみと40年も、銀座6丁目でシャンソンの店をお手伝いをさせていただいた。
 最期は、2回目の脳梗塞でお亡くなりになった。幼い頃から芸事が好きで、宝塚出身の先生の影響でシャンソンとのであいで歌手になった。
一曲の譜面を持って、シャンソンの登龍門のオーディションにでかけて、銀巴里のオーナーの直々の審査に合格して、その日から唄へと言われ、その日は同じ歌を歌ったようだ。
 当時、銀巴里では、丸山明弘さん、フランス人と間違えた故高野圭吾さん、津軽なまりでシャンソンを唄っておられた故工藤 勉さん、の指の先まで表現して唄っておられた感激は今も生だ。
美空ひばりさんの旅姿、マドロス姿に日高なみも影響された。
一人で、田舎村から大都会に出てきて銀座で働き、ある作家と恋もしたが作家のレールを外させなかった。
思いどうりにならないのが人生、歌に人生をかけた。強さを保つには、けっして弱みを見せなかった。
本音は、音楽バカで、その世界しか知らなかった。世間知らずの弱虫だった。
私も、史上最低の学力を武器に東京に来たが、ある会社の現場で働いていたが、日高なみにスカウトされ、生きるチャンスを得た。
人生って不思議なもので、よくこんな言葉を生んだね。
 日高なみを、忍んで新たに、再アップロードさせていただきました。
聞いてやってください。

           そうだいかずあき
            相 台 万 朗
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