相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

今年は昭和百年に (連載―第572号)

2024年09月07日 | 経験・体験
今年は、令和6年、私は昭和26年生まれのジイジだ。計算では昭和時代64年+平成時代30年+令和時代6年、計算では今年が昭和百年になるところだろう。
 思い起こせば、和歌山の山奥から史上最低の学力を意識しながら、太志を抱いて日比谷図書館の2階の自習室に入った。
シーンと静まり返った部屋に足音も発てずに、皆は厚い本を読んでいた。
この状態では太刀打ち出来そうもなくて、地下の食堂でカレーライスを食べて4畳半の暗いアパートの部屋に帰った。
 翌日、厚い漫画の本に無地の表紙をして、再び日比谷図書館にいぞんだ。
 厚い本は、隣の方の間にドカンと置き秀才を装い漫画を読んでいた。
都会にも慣れて来た。お茶ノ水駅からの下りの坂道には山の上のホテル、偶然、近くに修学旅行で枕投げをした旅館を見つけた。
更に、車の排気ガスで霞んで見えたが兄が通っている大学、明治大学が聳え立っていた。
 都会で生きてゆくのも大変だが田舎には仕事もない。
 新宿の喫茶店にバイトもしたが、飲み物もケーキの種類も多数を覚えるのにも女性に冷やかされながら覚えた。
  引っ越しのバイトはチップが¥5000の日も\10000の日も別に頂きいいバイトだった。
スーパーのバイトで、ウルトラマン役ではなく、悪役を演じた。ウルトラマンに倒され寝ていると子供たちも正義の味方で、寝ていた私に向かってくる。
子供らの純粋な心を大切にしょうと寝ていた、痛いバイトだった。
 高輪の泉岳寺で行われた子供らの学力増進のため開かれた教室に、私はテスト用紙を配布するバイトだった。
 チラッと見たが難しく、とてもとても解ける問題ではなかった。都会の子供たちの実力を知った。
そう思えば、お茶水で修学旅行で枕投げをした思い出の旅館でも布団上げのバントもした。
 バイトもアルバイトニュースの雑誌を見て働いた。学校もいき、辛うじて就職もした。
妻とは、たまたま、授業がない時にバイト先で知った。授業があったら妻とは永遠にご縁がなかった。
妻も70歳、今も飽きもせず私の妻である。私に飽きもせずが現状だ。
税理士になるつもりが、評判のよくない水商売を姉と銀座で40年ほどやってこられた。最初は会社の経理課で5年間勤めて、妻に内緒で転職して、夜の世界に飛び込んだ。いつか、妻にバレる時が来たが、今され戻れないし、税理士になって、他人の計算をするより、自分の計算をした方が賢明と、もう手遅れだが納得させた。
 中学生の頃、段ボールでドラムセットをつくり、遊んでいたが、それが役に立ち、毎夜人件費をつかって、お客様に聞いていただいていたが、人件費を浮かせる方法は自分がやるしかない。
最初はドラムからベース、バンジョー、司会までやることになった。
銀座という場所もあってか、すべての知識はお客様から得た。
最初、カントリーというからゴルフと勘違いした。
本場、アメリカに行って音楽を聴いたが英語で歌っていたのでチンプンカンプンであった。かつて、水と油の関係のフランスの曲を聴いていた。油が水に溶けたころ、私はすっかりミュージシャンになっていた。
  姉は歌手で、私はマネージャーらしきこともした。
 サイパンまでは行ったがアメリカ本土に来ようとは思わなかったが、お客様を引き連れて何度も来させていただいた。
 姉が脳梗塞になり、郷里のコンサートを頼まれ命がけで取り組んだ。その後、姉は亡くなった。
私もまもなく、小脳出血で入院して今もリハビリ中です。
驚いたことに私の執刀医が亡くなられていた。私の命を助け、それはないよ! とも思ったが、順番どおりに逝かないことも実感した。

 昨日、義父が亡くなられた。
不思議だ、ここが栃木なのに40年前に亡くなった私の両親の写真があった。西の国、和歌山の両親との出会いだ。
 無口の義父だったが、「人に歴史あり」と感じさせてくれた、義父との最期だった。
あの時、君は若かった。娘の妻とは50年も経つ。義父の人生、娘の人生、私の人生、それぞれに重荷を背負っているに違いない。
義父の本棚を見ることはなかったが、へ~分厚い本がならんであった。
義父を形成している一部なんだろう。義母の了解を得て、故義父の形見に一冊を頂くことにした。「風のとおる道」と、表紙に義父が書いた筆字があった。
 鎌倉幕府の成立はいいくに作ろうと1192年と覚えさせられた。源頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命された年だ。
 その前に、後鳥羽天皇から守護・地頭の設置権限を手に入れた、実質的に源頼朝を中心とする支配体制が確立し、武家政権の確立したと言える1185年が鎌倉幕府のの成立といえる。
歴史は時代とともに書き換えられる時がきている。元々の歴史と変化の歴史の誤差が私の知恵となっている。
歴史など、必要ないとする現在の風潮だが、歴史の押しつけは感心しないが未来の判断材料の参考に私はなっている。
 養子の孫が葬主だったが、年代の差があってか深みを感じない葬儀だったが、孫らしく若者の葬儀だった。
義父の自宅の玄関に貼ってあった「人の世は、起きて半畳、寝て一畳、一日食べても二合半ほど」
小学1年で亡くなる人もいれば、93歳で亡くなる人もいる。
近所で最近あった出来事に、バイクの腹に響く低音のエンジンの音が騒音と受けとめる人。
野球の練習だろう、子供が壁にボールをぶつける音が心臓の鼓動に刺激を受ける人もいる。
気候変動も5年ほど前から益々、活発になり、豪雨、竜巻、強風と毎年、生き埋めの犠牲になっている。年々被害が増している。
  自然を営みとする人々は天変地異に年々悩まされる。
このところのお米不足、米騒動お米不足と言ってもお米の生産地でもお米不足だ。
米作りで従事してらっしゃる、平均年齢は69歳となるほとんど高齢者だ。米農家の年間所得は平均1万円だとも聞いた。
誰かが5年後は、どんな世になっていると予想していたが私もわからない。喰いダメできえば、喰いダメするようだ。
地球の人口も1950年から2000年の50年間25億人から50億人と増えている。更に、今年で100億人になろうとしている。
日本は人口減少と聞くが世界の人口は増えている。
  経験したことがない。命を守る行動を。今度はどんな表現をされるのだろう。予報士も苦労なさっている。
予報もつかない。
ケ・セ・ラ・セラ(なるようになるさ)
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