犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

一滴潤乾坤

2018-06-05 22:02:43 | 日記

お茶の稽古に通う道すがら、色彩を競うように咲くアジサイの一群のなかに、円錐形の白い花房をたわわに下げる「カシワバアジサイ」を見つけました。世界は豊かさで満ちている、そう思わせる旺盛な生命力です。

茶室の掛物は「一滴潤乾坤」(一滴 けんこんを潤す)
一滴のしずくが全宇宙を潤す、という意味の言葉です。

出典は景徳伝灯録で、「達磨さんはなぜインドから中国に来たのか」という問いに対する、白水禅師の答えがこの禅語なのだと言います。
一滴のしずくが大河の流れとなって大地を潤すように、達磨大師の教えが広がり、我々皆がその恩恵を受けている、そう答えています。

梅雨時から初夏にかけて茶室に設けられる掛物に「遠山無限碧層々(えんざんむげんへきそうそう)」があります。
偶然の一致ですが、これも出典の碧巌録では「達磨さんはなぜ西からはるばるやってきたのか」という問いに対する答えとして禅師が発した言葉です。
これまで夢中で踏み越えてきた山々を振り返ってみると、赤から碧へゆっくりとかすみながら、青さを一層深めて遠山の稜線が浮かび上がっている。夜の闇に溶け込む一瞬手前の圧倒的な存在感を指して禅師は、問いに対する答えとしています。
はるばる西からやってきた達磨さんと、今の私たちとを因果関係で結ぶのではなく、今まで踏み越えてきた山々が、現にこのようにあって、これからも達磨さんとともに道中にあるのだ、と禅師は視点を変えるように教えています。

そうであれば、冒頭の禅語「一滴潤乾坤」の「一滴」も、必ずしも達磨さんの教えととらえずに、語のそのままの響きに耳を傾ける方が、味わい深い言葉になるように思います。
たとえば、ほんの一言かけられた言葉によって、世界が変わって見えることもあります。ひとすくいの掌中の水に月が映じることで、世界は驚きに満ちて見えます。そして、いずれも変わって見えた世界に沈潜し、そこから発した言葉でなければ、こころに響くことはありません。
潤された大地の豊穣を、奔放に伸びるアジサイの花々によって、私たちは驚きとともに受け取ることができます。豊かさ、多様さ、奔放さ、そうしたものへの驚嘆がまずあって、「一滴」へと思いを致す視線の動きが、この禅語の真骨頂なのではないか、そう思いました。

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