遥か彼方へ

行きかう年は旅人なり
いずれの年よりか、片雲の風に誘われ漂泊の思いやまず
我、前だけを見据え最期まで走らむ

希望という名の重い荷物を

2022年02月16日 | 時事

風邪で微熱が続いた連れ合いのため、ボクは数日キャンカー内で寝ることを余儀なくされた。結局PCR検査でも陰性だったが(^^)。

その時の未明にコミュニティFMで、「セーラー服と機関銃」の主題歌「夢の続き」特集をやっていた。来生たかお、薬師丸ひろ子の同曲だけでなく再録音、ライブ曲等を連続して流していた。地域局だから、そういう偏った番組が可能なのだろうが(笑)、ボクも好きだから一人ずっと聴いていた。

 

 

そしてふと気になった。「希望という名の重い荷物」のフレーズ。

 

希望という名の重い荷物を

君は軽々と きっと持ち上げて

笑顔見せるだろう

 

何故「希望」が重いのだろうか? 希望って明るく、楽しいもの、心が軽くなるものではないのだろうか?

・・・

これって、希望自体が重いのではなくて、希望を描く、持とうとしてもその希望の実現が困難なため希望は重い、と詩(うた)っているのではいか。

さしずめ、今抱いている皆さんの「希望」は、コロナ禍が早く終わって以前の平穏な生活に戻りたいということではないか。しかし、その終焉が見えない。オミクロン株が終わったらまた別の変異株が現れて、また新たなワクチン対応して・・

どの医学専門家も、コロナがいつ、いかに終息するか確証がないのが現状だ。いっそ、今の世界を覆うパンデミックは現実ではなくて、悪い「夢の途中」だと思いたいくらいだ。

こういう心理下では、コロナから解放された生活を想い描く「希望」を持つのは難しく、「希望」を意識に乗せること自体が重荷に感じまいか。

それでも、「希望」の荷物を持ち上げて進まなければならない(カッコいいね)

そして、笑顔を見せてくれ。

 

コロナめっ!ダ、ダ、ダ、ダーン(機関銃の音) 

カ・イ・カ・ン!

 

 

薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」