5月24日(土)
▲ 朝食はサラダから
▲ 久しぶりに、まずは和食テーストでいくか
▲ やっぱり、パンも食べたい。
部屋に戻って
▲ 楽しませてもらいました。
ホテルに隣接する「ガラス美術館」へ
▲ 廊下でつながっている
▲ 文化勲章を受賞したガラスアーティスト藤田喬平の作品が展示されている
▲ 葡萄
その他に
▲ ショッピングや
▲ 絵画セールも
▲ 11時にチェックアウトを済ませてホテル一の坊の前で、級友が集まって記念撮影。このうちお二人は我々の大阪での結婚式にも来てくださった。ほぼ50年前だよ。
このあとは名残惜しくも一路、JR仙台駅西口のあの降車場へ到着。12時ごろ皆さんを降ろす。ご学友は駅ビルで昼食・買い物後、JR・仙台空港からその日のうちに自宅へ戻られたと。
降ろしたあと、家内の希望でそのまま東北道で1時間半走って、岩手・平泉中尊寺へ。
▲ 中尊寺の駐車場前のレストランで遅い昼食を。14:20
▲ 平泉では、やはり餅だ。「もち・そばセット」
「じゅうねん(エゴマ)」「ずんだ」「しょうが」の3種餅。
▲ 中尊寺の参道坂道を上っていく。
彼女は初めてではないはずだが、よく覚えていないのでということで。今度はよく覚えてほしいものだ。
ボクは、2度来ている。
▲ 坂を上り続ける。
▲ 弁慶堂
▲ さあ、来たよ。金色堂。
▲ 13年前の冬に来た時は、雪の金色堂。「奥の雪道」と称して東北を周ったな。
▲ 金色堂
藤原氏三代の遺体が納められた霊廟。中は参観できるが、撮影は不可。
で、HPから
▲ 金ピカの金色堂そのもの。
中央の壇に初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に秀衡のご遺体。頼朝に屈して義経を追放した四代泰衡の「首」も収められている。ご存じのとおり平泉藤原氏は四代で滅亡する。栄枯盛衰というか「時勢」なのだろう。仙台藩がその後、平泉遺跡保存に力を入れたようだが。
金色堂から少し奥に進むと
▲ 「芭蕉翁像」がある。平成元年に建立とあるね。
芭蕉先生、お久しぶりです。
▲ 先生、すみませんね
家内がツーショット というもので。
冬にはこんなんになることも知ってます。
先生、お一人での旅は寂しくありませんか?
▲ 「なんの、なんの。いいんだよ。
それに、私は一人ではなく曾良(そら)という忠実な従者がいるんだよ。」
Sora ですかっ! ここにもいます。
「おおっ、おまえはわたしと同じゅう「日々旅にして、旅を栖(すみか)とす」旅人じゃないか。」
ハイっ。Harmonyと頑張っています! しかしGooが無くなっちゃうんで困ってます(なんのこっちゃ)
芭蕉翁像の左に立っているのは旧覆堂(きゅうかぶりどう)。
▲ 旧覆堂の内部
金色堂を風雨から守るために鎌倉時代に建てられた。江戸時代の芭蕉が金色堂を見て詠んだのは、この内部にあった金色堂。
五月雨(さみだれ)の 降り(おり)残してや 光堂
五月雨が降っているのに、金色堂だけは雨を避けて今も光り輝いていることよ
▲ 本堂
▲ 周ったルート図
▲ 中尊寺第一駐車場に戻った。
旅人の20年来の従者Harmonyはずっと奥に。16:30
このあと、近くの道の駅に泊まって翌朝に毛越寺(もうつうじ)で藤原氏が夢見た極楽浄土をまた見てくるか?という案もあったが、「もういい、帰りたい」という奥の一声で、平泉前沢ICから東北道に乗って、帰路につく。
▲ 再度、仙台市を過ぎた菅生(すごう)PA へ到着。ここで車中泊。
5月25日(日)
菅生、那須高原のパーキングエリアでお土産の類を買いそろえて
▲ 佐野PA では 佐野ラーメン+餃子を食べて
自宅には、午後3時過ぎに無事帰着した。
4泊5日 仙台・松島旅:総走行距離1107km
了
「倶(とも)に」/中島みゆき / Music Video(公式)
ともに走りだそう
生きる互いの気配が ただ一つだけの灯火