里山の花

日々目にする花の画像を記録していきます。

カンピョウの花

2007年08月15日 | 7月の花

 


僕の住んでる山城でも最近めっきり栽培されなくなってしまった。


子供の頃にはどの家庭の軒先にもこの白いベルトが長く垂れ下がって干されていた。


これは、実にややこしい名前が付いていて、正式にはウリ科のユウガオ。


同名の家の庭先で観賞用に植えられている夕顔はアサガオ科らしい。


僕等は、この植物そのものまで干瓢と呼んでいて、ついぞユウガオなどという呼び名を使ったことはない



ちなみに、『ウィキペディア(Wikipedia)』には・・・・・。


かんぴょう(干瓢)とは、ウリ科ユウガオの果実(ふくべとよばれる)をひも状に剥いて乾燥させた食品(ヒルガオ科のユウガオ(=ヨルガオ)とは同名異物である)。水で戻して煮て寿司の具材や、煮物、和え物などとして使われる。

20世紀以後の主要な生産地は栃木県南部であり、日本の干瓢生産の8割以上を占めている。しかし、以前は関西が栽培の中心であった。安藤広重の東海道五十三次では水口宿(現在の滋賀県甲賀市)の絵には干瓢を干す姿が描かれている。

寿司屋の符牒で干瓢巻きのことを木津巻というのには、下記のように諸説がある。

摂津国木津(現在の大阪市浪速区)が干瓢生産の発祥の地といわれ、また干瓢生産が盛んであったからである。
山城国から木津川を下り摂津の木津へ運ばれ、そこで誕生したのが干瓢巻。大正時代から昭和にかけて大阪の市場では山城の木津干瓢はブランドとなっていた。故に、関西では「干瓢のことを木津」とも呼んでいた。
1712年(正徳二年)に近江国水口藩から下野国壬生藩に(現在の栃木県下都賀郡壬生町)国替えになった鳥居忠英が、干瓢の栽培を奨励したことが、今日の栃木県の干瓢生産の興隆につながっている。その水口藩内の産地が木津であった。


緑茄子、白茄子

2007年08月14日 | 7月の花

 


近所の畑で変なものを見つけた。


普通のナスよりは葉が大きく木の背丈は1m足らず・・・。



以前に緑のナスを見つけて驚いたが今日は白いナスが成っているのを発見。


しかしどうもこれを食う気には成れない。


正式名称などはまったく解りません。



ちなみの花は、なすの花を薄くしたようでもう少し大きな花が咲いていたような??


しぼんだ花が少し見える。


マルミノヤマゴボウ(ヤマゴボウ科)

2007年08月13日 | 7月の花

            


 奈良公園内、春日大社脇から春日原生林へと入っていく小道 の脇に群生していた。


最初は園芸品種ががここで自生したのかと思ったほどに強烈な赤い色。


ヨウシュヤマゴボウに良く似た葉や花房??、しかし毒々しいほどに強烈な花色でした。


NETの知り合いに尋ねてみても解らず、その掲示板を見た「ぶちょうほうさん」が親切に「在来種でマルミノヤマゴボウらしい」と書き込んでくれました。   


              


検索結果間違いなくマルミノヤマゴボウで、淡いピンクの花後、このように真っ赤になるという。


来年はもう少し早時期にこの場所訪れてみよう。


しかし日本の在来種の鼻にしては派手すぎるような気もするのですが??。


撮影2007.7.29