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山梨散歩(大善寺)

2019年02月05日 | おでかけ


今日は曇りときどき晴れ。今朝は上空を雲が一面に覆っていて、星も見えない暗い空が広がっている。朝の気温は2℃で風はほとんど無く、空気がヒンヤリと感じられる。昨日の陽気が幻だったかのように感じられる朝である。
今日は日曜日に出勤したこともあり、1日休みを取った。今年初めての有休となる。とはいえ、特に今日は予定も無かったので、たまにはどこかに行ってみたい気がする。

昨年の夏に山梨県の猿橋と恵林寺、放光寺にふらりと出かけた。その時に持って帰ってきたパンフレットをなんとなく見ていたのだが、恵林寺のある甲州市には戦国大名武田家のゆかりの寺院がいくつもある。今日はこの内の1つである大善寺に行ってみることにした。
朝、8時くらいにカメラと御朱印帳を持って家を出る。日野駅から電車に乗って高尾駅に出ると、乗り換えて小淵沢行きの普通電車に乗った。大善寺の最寄り駅である勝沼ぶどう郷駅に到着したのは9時51分である。


改札を出ると、目の前にぶどう畑が広がっている。駅前には何も無く、タクシーだけが所在なげに止まっている。改札を出てすぐ左手に観光案内所があったので、まずは観光案内所に入り、大善寺の行き方を聞いた。


大善寺までは勝沼ぶどう郷駅から2.8km程度のところにあり、歩いて40分くらいとのことである。ついでに食事ができる場所はないか聞いてみた。市中は駅から離れたところにあるものの大善寺からは20分ほどで行けるようである。とりあえず、何店かありそうなので、ともかくも行ってみることにした。
勝沼ぶどう郷駅は山の中腹にあり、大善寺まではぶどう畑の中を縫うようにして設けられている道を歩いて行く。上空には雲が広がっていて日射しは無く、気温も3℃と低い。道端には残雪もあって、手の指先がかじかむような陽気である。

大善寺は真言宗智山派の寺で718年に開創とある。行基菩薩が日川渓谷岩上で霊夢により感得された像「右手に葡萄をもち左手で結印した薬師如来と日光・月光菩薩の薬師三尊」を刻み、安置して開かれたと伝えられる。その後、平安初期に堂宇が消失したとのことだが、971年に後の戦国時代の甲斐武田氏の家臣である三枝氏の家祖である三枝守国が再建したとのこと。
戦国時代には武田勝頼が織田・徳川の連合軍に敗退し、天目山を目指す途中で一夜を明かしている。このとき、寺に住んでいた武田信玄の従姉妹に当たる理慶尼が勝頼一行をもてなし、その後、記した理慶尼記は武田滅亡記とも言われ、大善寺に大切に保管されているとのことである。

国道20号線から表参道に入ろうとすると鎖がかかっている。


山門から上がったところに国宝薬師堂があるが、薬師堂の堂内を拝観するためには拝観料が必要になる。そこで、庫裡に廻り、受付で拝観料を払った。拝観券は薬師堂に入る際に係員に渡して欲しいとのことである。更にまだ参拝前であるが、御朱印も頂いた。平成最後の年の御朱印である。
あらためて山門の前に立つ。山門は、江戸時代に、常陸土浦藩の第7代藩主である土屋英直により再建された。この土屋氏は元は武田家の家臣で、その子孫は武田家滅亡の際に落ち延びた後、徳川家に仕えた。再建された山門は三間一間の二重門である。山門の前左手にはこの大善寺を再建した三枝守国の墓がある。


この山門の付近では幕末、新撰組組長近藤勇を隊長とする「甲陽鎮撫隊」が新政府軍と戦闘した場所でもある。この山門の両脇には金剛力士像二体が安置されている。右手には阿形像が配されている。


左手には吽形像が配されている。


山門をくぐって境内に入る。目の前には山の上に向かって147段の階段が伸びている。この階段を上っていくと、階段を跨ぐように楽堂が設けられている。


楽堂をくぐって階段を登りきると正面には薬師堂(国宝)がある。この薬師堂の正面に稚児堂という神楽堂がある。
毎年5月8日に行われる藤切会式大祭典や縁日の日には楽堂で音楽を奏で、稚児堂で舞をまい、参拝者をもてなしたと言われているとのこと。


正面の薬師堂は鎌倉時代に時の執権北条貞時により、再建立された御堂である。本堂に薬師三尊像を安置しているので、「薬師堂」と呼ばれている。


薬師堂(国宝)に入る。ここで、受付で購入した拝観券が必要になる。
薬師堂の正面には秘仏薬師如来が厨子(国宝)に納められている。国指定重要文化財である本尊薬師如来像と両脇に侍る日光菩薩像、月光菩薩像は厨子(国宝)に安置されている。平安時代前期の作とされる薬師如来像は別名葡萄薬師とも呼ばれていて、五年に一度、扉が開かれて、姿を拝むことができる。直近では昨年10月1日~14日に御開帳されたとのことである。なお、厨子(国宝)は室町時代の作とのこと。

厨子の左右には十二神像立像と日光菩薩像、月光菩薩像が安置されている。鎌倉時代に慶派仏師 蓮慶によって造られたこれらの仏像はいずれも国重要文化財で、像高が140センチ前後あり、なかなか壮観である。これらの仏像の左脇には江戸時代佐竹公が寄進した毘沙門天が、右脇には茨城県土屋氏が寄進した文殊菩薩が安置されている。
厨子の左右に安置されている日光菩薩像、月光菩薩像は像高が2.5mほどもあり、本来は鎌倉時代に堂とともに炎上したとされる薬師如来像の脇侍像であったと考えられているとのことである。

本堂内ではお寺の方に説明を頂き、更に内陣まで入って、近くで仏像を拝見させていただいた。底冷えのする堂内はしんと静まりかえっており、静謐な雰囲気の中で仏像を見ることができた。堂内を一巡すると、薬師堂を出る。
薬師堂の左手奥には稲荷神社があり、その手前に一昨年建立された芭蕉の碑が立っている。碑には「勝沼や馬子も葡萄を喰ひながら」と芭蕉の句が刻まれている。更に左手には墓地があり、墓地の入口に開運地蔵堂がある。

薬師堂の右手には鐘楼があり、その奥に行者堂がある。行者堂には鎌倉時代の作とされる役行者像が安置されている。この仏像は県指定文化財となっている。


ここで、境内にある手洗所に行ったときに、悲劇が起きた。手洗所を出たところで、境内の玉砂利に足を取られて転倒してしまったのである。しかも、体の倒れた側にミラーレス一眼カメラをぶらさげていたこともあり、カメラを玉砂利の上に落としてしまった。カメラ本体は無事だったが、運悪く、レンズキャップをしていなかったのが祟って、装着していた交換レンズ「M.ZUIKO DIGITAL ED7-14mm F2.8 PRO」のレンズ表面に小さい傷が付いてしまった。

更に転倒したはずみで、右手のひらを擦りむいてしまい、血が止まらない。とりあえず、水で手を洗い、持っていたティッシュで傷を押さえながら止血した。
左足と左腕もしたたかに打ってしまった。左腕も擦りむいてしまったが、どうしようもない。左足はふともも付近と膝付近が痛む。とりあえず、薬師堂を後にすることにした。

階段を下りて庫裡まで戻ると、県文化財の庭園を見せていただくことにした。庫裡の裏手に広がる庭園は江戸初期に造られた池泉鑑賞式蓬莱庭園で、東西に流れる池を中心に東にどっしりとした印象の強い大きな滝、中央より伸びる巧みな石組みの小さな滝が配置され、清らかな水の流れが表現されている。
松の木の下に出島形式の亀岩組を配置し、その対面岸には亀に向かって羽を広げ姿にた鶴岩組が作られ、鶴と亀で必勝を象徴している。池の正面に見える蓬莱4島の頂には白くとがった岩を中心に左右2石で阿弥陀三尊が表現され極楽浄土の世界を作り上げている。陰陽五行を表現した庭園とのことである。


庭園を見ながらあらためて、カメラを確認する。レンズに小さい傷が付いているものの、撮影した写真にその影響は見られず、とりあえずはこのまま使えそうである。もっとも、近い内に修理は必要かもしれない。出費もかなりかかりそうだ。正直、頭が痛い。
腕や足の傷はここではどうしようもない。家に帰ってから処置することになりそうである。全くとんだ災難に遭ってしまった。

少し、休憩した後、大善寺を後にした。

( 山梨散歩(勝沼ぶどう郷) に続く )

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山梨散歩(勝沼ぶどう郷)

2019年02月05日 | おでかけ



( 山梨散歩(大善寺) より続く )

大善寺を後にすると、お昼を食べるために勝沼市街地に向けて歩き出した。駅の観光案内所で聞いた情報によれば、大善寺から勝沼市街地までは歩いて20分ほどとのことである。国道を歩いて市街地方面に歩いていくと、左手に「太郎橋 祝橋→」と書かれた小さな案内板が見えた。興味に駆られて、その案内板に従って坂道を降り、細い道を歩いていく。
途中、日川を渡る吊り橋風の太郎橋という橋を渡り、日川に沿って歩いていくと、県道に出た。右手に折れて、北に歩いていくと、日川にかかる2つの橋が見える。右手は国の登録有形文化財の祝橋、左手は昭和60年に完成した新祝橋である。

祝橋は歩道専用の橋であるが、水道本管が中央に通る水道橋でもある。現在の橋は3代目の橋で、初代祝橋は日川を渡り甲州街道に至る橋として建設された。当時の村名から祝橋と名付けられたこの橋は両岸からひじき桁をせり出す木造橋で、明治40年に水害で流失したとのこと。


その後、大正3年に現在の場所に吊橋が建設されて、祝橋と命名されたとのことである。現在の橋は祝橋の老朽化から自動車の通行に耐えうる橋として昭和5年に竣工している。


延長58.6m、幅員6.6mのコンクリートアーチ橋で、昭和初期の貴重な土木工作物として平成9年に国の登録有形文化財になったとのこと。


この橋を渡ると右手に勝沼氏館跡のある丘が見えてくる。この丘の上は国指定史跡勝沼氏館跡である。


勝沼氏はこの地の有力武将の居館跡で、武田信玄の叔父である信友が勝沼衆を率いてこの地を拠点としていたと考えられているとのこと。


勝沼氏館跡を後にして、県道を更に北に歩いていくと、旧甲州街道と交差する。この上町交差点を左折して勝沼市街地の中心部に向かう。道路沿いには民家が増えてきた。しかし観光案内所で教えてもらったほうとう屋は今日は定休日だった。周囲で営業している店も見あたらず、観光マップを見て、観光施設「ぶどうの丘」に行ってみることにした。ここなら、レストランか何かが営業しているに違いない。
地図を見ながら観光施設「ぶどうの丘」に向かったつもりだったが、どこかで道を間違えたのか、一旦JR勝沼ぶどう郷駅に戻ってしまった。観光施設「ぶどうの丘」は駅の正面に見える。アップダウンがかなりきつそうであるが、今日は朝から何も食べていない。せめて山梨に来たからにはほうとうくらい食べて帰りたいところである。意を決して歩き始めた。


駅から観光施設「ぶどうの丘」までは歩いて20分くらいかかった。足を痛めていなければ、もう少し早く着いたかもしれない。観光施設「ぶどうの丘」に着いたときには時計の針は午後2時を回っていた。


午後になって、雲と雲の合間から青空が見えてくると、日が射してきた。昼間の最高気温は9℃で風は無く、空気がヒンヤリと感じられる。一生懸命歩いたからか、かなり暑くなってきた。


観光施設「ぶどうの丘」はワインショップ、展望ワインレストラン、ホテル、温泉、美術館、お食事処などで構成されている。まずは遅めのお昼を食べようとお食事処「思蓮」に向かった。

( 今日のランチ(思蓮ほうとう@思蓮) に続く )

お昼を食べて満腹になったところで、美術館に向かった。敷地内にある美術館の入館料は無料で入ることができる。昨年11月30日から今年の3月31日までは「日本画家が描く美しき女性像」「ブルガリアの画家による『東欧の魅力』展」を開催中。食べ休みも兼ねて、絵を見て廻った。
その後はワインショップに行ってみた。このワインショップの地下には地下ワインカーヴがあり、専用の試飲容器タートヴァンを購入すると約200銘柄のワインを試飲できるとのこと。しかし、ほうとうでお腹がいっぱいなので、ワインの試飲はあきらめた。ワインも買って帰りたいところだったが、怪我をして足を引きずっている状態だったので、ワインの購入も見送った。

施設を一巡すると、再びJR勝沼ぶどう郷駅に戻る。


帰りの電車までしばらく時間があったので、駅の周囲を少し歩くことにした。駅の塩山方面の線路沿いには甚六桜公園がある。甚六桜とはJR勝沼ぶどう郷駅周辺に植えられた桜に付けられた名前である。


中央線八王子・甲府間は明治36年に開通したが、当初、勝沼駅は設置されなかった。その後、開通から10年後に勝沼駅が設置された。急傾斜の地形のためにスイッチバック式の駅になったとのことで、旧勝沼駅の塩山駅寄りに当時の旧勝沼駅で使われていたホームの塩山側の先端部分が公園となっている。


ホームの上には旧駅の駅名標が残されているほか、ホームの中央には桜並木が植えられている。


駅の甲斐大和駅方面の広場には駅前甚六公園があり、中央線の線路の盛土に平行にして電気機関車EF6418が保存されている。


EF64形式の電気機関車は昭和39年に旧国有鉄道が勾配線区用に開発した直流電気機関車で、後継機関車のEH200形の登場に伴い、平成15年から順次廃車された。


この18号機は昭和41年に製造され、平成17年に現役を引退した東芝製の電気機関車とのことである。


甲州市では、甲斐大和駅方面にある大日影トンネルなどの鉄道遺産や駅前公園の整備にあわせて、モニュメントとして平成18年に設置したとのこと。こんなに近くで見える電気機関車は初めてである。


ちなみに大日影トンネルにも行ってみたかったが、現在は一時閉鎖されているとのことで、行かなかった。というよりも足が痛いので行けなかった。
駅の周囲を一巡すると、駅周辺もだいぶ暗くなってきた。東京方面に行く電車の発車時刻も近づいてきたので、駅のホームに入って、電車が来るのを待つ。

10分ほどして立川行きの普通電車が来たので、この電車に乗ることにした。1時間40分ほど電車に揺られて、豊田駅で途中下車。イオンモール多摩平の森で買い物をして帰宅する。
家に帰り、あらためて傷の具合を見ると、左腕と左膝に大きな擦り傷が出来ていた。更に太股には打撲に伴う内出血の跡もあった。傷の手当てをしたが、少々膝廻りが腫れぼったく感じる。当面はあまり無理は出来なさそうである。

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今日のランチ(思蓮ほうとう@思蓮)

2019年02月05日 | 食べ歩き(うどん・そば)



( 山梨散歩(勝沼ぶどう郷) より続く )

お食事処「思蓮」はワインショップのある建物前の階段を下りたところにある一軒家のレストランである。店内に入ると、まず靴を脱いで靴箱に靴を入れ、奥に進んだ。


入口から見て右手に厨房があり、左手に4人掛けのテーブル席が7卓と2人掛けのテーブル席が2卓配されている。店内からは勝沼ぶどう郷駅や甲府盆地が見渡せて、とても眺望が良い。店員の案内に従って、角の4人掛けのテーブル席に座った。


席に座るとお冷やと紙おしぼりが運ばれてきた。卓上には箸と楊枝、七味唐辛子、レンゲ、紙ナプキン、メニューが置かれている。お冷やを飲みながらメニューを眺めた。
メニューは「思蓮ほうとう」「ゆもり」「思蓮なべ」「鳥もつ煮」「手作り刺身こんにゃく」「玉こんにゃく(二串)」「十割豆腐」「味噌豆腐」「地菜のお漬物」「ライス」「甲州産甘草とそば粉のアイスクリーム」といった各種料理の他に「グラスワイン」「勝沼産ボトルワイン」「瓶ビール」「本醸造生酒」「ノンアルコールビール」「100%ぶどうジュース」「コーラ」「烏龍茶」「コーヒー・紅茶(ホット・アイス)」といった各種ドリンクメニューで構成されている。

もうお腹はペコペコで、とにかくガッツリと食べたい気分である。そこで、注文したのは「思蓮ほうとう」「大盛り」である。これに「ライス」もつけてもらうことにした。
料理を注文すると、最初に鍋敷とお椀が運ばれてきた。しばらくして運ばれてきたのは大きな鉄鍋に入ったかぼちゃほうとうである。木の蓋が載せられていて、店員が鍋敷に鍋を載せると、蓋を取ってくれた。


大きな鉄鍋の中には分厚く幅広のほうとうがドロリとした味噌仕立てのダシに浸かっている。鍋の中には刻んだ油揚げと白菜、ニンジン、ナメコ、インゲン、カボチャ、ネギ、里芋、ダイコンがたっぷりと入っている。
ご飯も運ばれてきた。


お腹も減っているので、さっそく食べることにした。箸を取って、まずは鉄鍋からほうとうや野菜をお椀に適量入れ、レンゲでダシを注いでほうとうを食べる。
ほうとう麺は1本の麺のボリューム感がたまらない。コシがあって、もちもちとした食感で美味しい。ドロリとしたダシがほうとう麺に絡みつくように口の中に入ってくる。野菜が溶けた味噌仕立てのダシは、カボチャの甘みが美味しい。

野菜はどの野菜も大きめにカットされていて、食べ応えがある。ダシが℃ロリとしているのは里芋が溶けているからだろうか。ダシに溶けかけた里芋はねっとりとした歯応えで甘くて美味しい。大きめにカットされたカボチャも甘くて美味しい。
ほうとうや野菜をある程度食べたところで、ダシをレンゲで掬い、ご飯にかけて、雑炊風にして食べる。


ドロリとしたダシは熱々で、食べていると、額に汗が浮かんだ。タオルで汗を拭いながらご飯をかきこみ、ダシを飲む。冷たいお冷やが美味しい。
ご飯を食べてしまうと、鍋を傾けて、鍋の中のダシを全てお椀に注いだ。鉄鍋はだいぶ冷えていて、手で持ってもそれほど熱くない。鍋の底にこびりついたほうとう麺を箸でこそぎ取り、お椀に入れると、お椀を傾けてほうとう麺を食べ、ダシを飲み干す。

相当な量があったが、なんとか食べ終えた。最初は食後にコーヒーでも飲もうかと思っていたが、とんでもない。もうお腹も苦しいくらいに満腹である。それでも最後にコップに残ったお冷やを飲み干して完食。美味かった。満足である。
席を立ち、厨房の前にあるレジで代金を精算すると、帰り支度をして店を出た。熱くなった体に甲府盆地の冷気が気持ちよかった。

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