ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

小説「野菊の墓」は 関東ヨメナ でした

2013年06月10日 00時08分31秒 | ・読書・映画・芝居・TV

この間の 快晴の日のこと。 

ゾウさんが 産直へいくという。 私も 

と くっついて 行った。

お天気 良すぎる。 坂のわきの 崖にある 花々は 元気だ。

姫ジョオン が たくさん咲いていたので

   ( まちがい。 ピンクだったから 春ジョオン )

ゾウさんに聞いた。

   ねえ 伊藤整の「野菊の墓」の 野菊って 姫ジュオン のことかな。

ゾウさん … 「野菊の墓」は 伊藤整 じゃないよ。

作家は どうでもいいのです。 知りたいのは 菊のことです。

我が家の 植物ハカセ は 「知らない」と。

帰ってから 調べた。


伊藤左千夫 「野菊の墓」の その場所は 千葉県松戸市の

    (ヤギリノワタシ と 入力したら 「や義理の私」と 出た)

いい いえ 「矢切の渡し」です。 その付近での 話 。

「矢切の渡し」について

  江戸時代の初期のこと。

  江戸川を 渡った 反対側に 田んぼを持つ農民が

  川舟を 繋いでいた付近を 「矢切の渡し」という。

この渡し場から(千葉県側) 歩いて20分先にある 西蓮寺に

伊藤左千夫の小説 「野菊の墓」の一節を 刻んだ文学碑 ある そうな。

小説で 民子と 野菊を 表すところは

  真(まこと)に 民子は 野菊の様な児であった。

  民子は全くの田舎風ではあったが、決して粗野ではなかった。

  可憐(かれん)で優しくてそうして品格もあった。

  厭味とか憎気とかいう所は爪の垢(あか)ほどもなかった。

の 部分だろう。

隣接している 野菊苑展望台からは 江戸川、矢切耕地、

遠くには 東京の街並みが 見渡せる そうな。

別の サイトには

  関東近辺で一般に「野菊」と呼ばれるものは、

  カントウヨメナ、ノコンギク、ユウガギクであり、

  いずれも 白から淡青紫色で 古くから親しまれている、とあった。

 http://www.asahi-net.or.jp/~cb9s-jyuk/yomena.html

この サイト内の 写真をみて、関東ヨメナ で 納得したのでした。

学名としての 「 野 菊 」は ない、も わかりました 、です。 

おわり。

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