ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

言語簡略化担当官が いた 時代

2018年01月04日 00時03分18秒 | ・ 文章 ・言葉

少し前の ブログに 書いたこと。(昨年末)

少しずつ    少しづつ

正しいのは どっちか、を 調べたはなし。 

答えは  少しずつ

xxxxx でも 私は 少しづつ が 好きだ。

その言葉を 書くたびに あ、どっち。

で 調べることになる。

xxxxxxxxxxxxx

昭和21年まで「づつ」が 正しかった。

その後 「づつ」は 間違いとなった。 それは~~~~。
なんと~~~~

戦後

G H Q に「言語簡略化担当官」というのがいて

「日本語は ややこしいから 簡略化しろ」

と 言ったからだ、とのこと。

      信じられない……。

アメリカの意向で 日本語が 変わる、なんて。

なんと 横暴な ~~~。でも

そのお達しに 従うしかなかった日本人。 なのに~~~、

昭和61年 また改定された、んだと。 そのとき

今のところ 正解は 「ずつ」だけど
「づつ」も 間違いじゃない


と なった そうな。 ホントかな ~~~。

さらに 調べた。

敗戦後、GHQ民間情報教育局(CIE)の

言語課(担当官のロバート・キング・ホール少佐)は、

日本語のローマ字化を 構想した。

これを「GHQ ローマ字化 計画」と云う。 

このホール少佐は、 
1945.6月、

カリフォルニア州モントレーの 民政集合基地の

日本占領教育計画主任であった時

既に、漢字廃止、カタカナ統一 の計画を

陸軍省民事部長に 送付している。

軍国主義、国家神道、超国家主義対策、でもあった。

陸軍省は 最終的にホール案を却下した。が 

終戦後、来日したホール少佐は

今度は 日本国内の 言語改革、

ローマ字化 を 提唱しはじめる。

1945年 11月、

文部省の 有光次郎教科書局長らと 教科書のローマ字化に

ついて討議し、口頭で ローマ字化を 指令する。

これは 統一された考えではなかった。

12月、マッカーサーによる 

組織の再編成で ホールは 計画課に左遷され、

教科書のローマ字化は 終止符を うった。

と ある。 

私は カタカナ も ローマ字も 苦手のまま 年をとった。

xxxxxxx 

井上ひさし「国語元年」

これは 明治初期の話だから 時代は 少し前だ。

また 内容も 異なる。 それなのに

また 読みたくなった。

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