少し前の ブログに 書いたこと。(昨年末)
少しずつ 少しづつ
正しいのは どっちか、を 調べたはなし。
答えは 少しずつ
xxxxx でも 私は 少しづつ が 好きだ。
その言葉を 書くたびに あ、どっち。
で 調べることになる。
xxxxxxxxxxxxx
昭和21年までは「づつ」が 正しかった。
その後 「づつ」は 間違いとなった。 それは~~~~。
なんと~~~~
戦後
G H Q に「言語簡略化担当官」というのがいて
「日本語は ややこしいから 簡略化しろ」
と 言ったからだ、とのこと。
信じられない……。
アメリカの意向で 日本語が 変わる、なんて。
なんと 横暴な ~~~。でも
そのお達しに 従うしかなかった日本人。 なのに~~~、
昭和61年 また改定された、んだと。 そのとき
今のところ 正解は 「ずつ」だけど
「づつ」も 間違いじゃない
と なった そうな。 ホントかな ~~~。
さらに 調べた。
敗戦後、GHQ民間情報教育局(CIE)の
言語課(担当官のロバート・キング・ホール少佐)は、
日本語のローマ字化を 構想した。
これを「GHQ ローマ字化 計画」と云う。
このホール少佐は、 1945.6月、
カリフォルニア州モントレーの 民政集合基地の
日本占領教育計画主任であった時
既に、漢字廃止、カタカナ統一 の計画を
陸軍省民事部長に 送付している。
軍国主義、国家神道、超国家主義対策、でもあった。
陸軍省は 最終的にホール案を却下した。が
終戦後、来日したホール少佐は
今度は 日本国内の 言語改革、
ローマ字化 を 提唱しはじめる。
1945年 11月、
文部省の 有光次郎教科書局長らと 教科書のローマ字化に
ついて討議し、口頭で ローマ字化を 指令する。
これは 統一された考えではなかった。
12月、マッカーサーによる
組織の再編成で ホールは 計画課に左遷され、
教科書のローマ字化は 終止符を うった。
と ある。
私は カタカナ も ローマ字も 苦手のまま 年をとった。
xxxxxxx
井上ひさし「国語元年」
これは 明治初期の話だから 時代は 少し前だ。
また 内容も 異なる。 それなのに
また 読みたくなった。