ゾウさんと暮らす

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二人暮らし。 わたし 82歳。  

擬宝珠 は 和歌「春おぼろ……」のおかげ

2017年02月15日 19時10分17秒 | ・歴史 ・歩く

2月15日(水)

芦東山 記念館 「雑書」についての講演 

講師・ 細井 計(かずゆ)氏。

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先に 私が 知らなかったこと

「擬宝珠」について 記す。  まず

 

これ ぎぼうし ではなくて 

   ぎ し なんだそうな。

たしかに ぎぼうし では 「擬宝珠」は 出てこない。

無知でした。ず~~~と ぎぼうし だと 思っていた。

ついでに

古くから山菜として食用にされてきた 植物の方は ぎぼうし。 

うるい とも 呼ばれる。   正式名は オオバギボウシ。

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今日の 講師は 盛岡市在住 細井 計(かずゆ)先生。

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盛岡藩の 三代藩主の南部重直の指示によって

記録がはじまった 盛岡藩家老席日記『雑書』。

江戸時代初期の 寛永21(1644)年から

幕末に近い 天保11(1840)年までの

約200年間の記録「雑書」。

その中から、興味をもたれそうな事柄を

「『雑書』の世界 ーーー 盛岡藩家老席日記を読む」

として 上梓した 方が 講師である。

本は 以前の 講演のときに 知った。

すぐに買って、すぐに読んだ。

体系的に考察したものではない、と 

先生・著者が言われている。だから、かな。

どの項目から 読んでも 面白い。

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今日の 話で 興味をもった 

盛岡にある 擬宝珠が ついた橋、上の橋 について

知ったことを 記す。

先生の本 P・192~ にある。同じことなのに

ご本人の お話のほうが 面白く思う。 なぜか。

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擬宝珠(ぎぼし)を 取り付けることになった には、

1336年(延元元年)後村上天皇より 恩賞として

京都鴨川橋の 擬宝珠の使用が 許された 

故事による と。この和歌

春おぼろ 秋たつ霧に まがいせば

思い忘れて 鹿や鳴らん

を 詠んだのは 盛岡に城を構える以前の

三戸南部家 12代 南部 政行 公。

辺境の武士には 似合わない歌道に 通ずる武人

と ほめられたんだって。

詳しいことは 細井計先生の 

≪「雑書」の世界 ≫  読んでください。

なぜ 鹿の和歌を 詠むことに なったか、が

書かれてあって ふ~~~ん、そうかぁ、です。

xxxxxxxx ついでに 記しておく。

盛岡 の 上の橋 紙の橋 に ついて xxxx

上の橋は、慶長14年(1609)に 

第27代藩主南部利直(なんぶとしなお)が、

盛岡城築城時に 中津川に架けた。

慶長14年のものが8個、慶長16年のものが10個、

計18個が 取り付けられている。

その擬宝珠、 400年近く経過して 腐食が進んだ。

小さな穴に コムクドリが 巣をつくった。

ヒナが 巣立つまで 修理を待った、という お話し。

なかなか、です。

余談 ……

この橋の 擬宝珠は、1945年(昭和20)

軍の金属供出になるところを、

実業家であり、郷土史に造詣の深かった 

太田孝太郎(1881~1967)の 尽力で、

急きょ 国の重要美術品に 指定された。 …… ……

おかげで 難を免れた。

xxxxxxx 2017・2・15(水)記

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