2月15日(水)
芦東山 記念館 「雑書」についての講演
講師・ 細井 計(かずゆ)氏。
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先に 私が 知らなかったこと
「擬宝珠」について 記す。 まず
これ ぎぼうし ではなくて
ぎ ぼ し なんだそうな。
たしかに ぎぼうし では 「擬宝珠」は 出てこない。
無知でした。ず~~~と ぎぼうし だと 思っていた。
ついでに
古くから山菜として食用にされてきた 植物の方は ぎぼうし。
うるい とも 呼ばれる。 正式名は オオバギボウシ。
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今日の 講師は 盛岡市在住 細井 計(かずゆ)先生。
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盛岡藩の 三代藩主の南部重直の指示によって
記録がはじまった 盛岡藩家老席日記『雑書』。
江戸時代初期の 寛永21(1644)年から
幕末に近い 天保11(1840)年までの
約200年間の記録「雑書」。
その中から、興味をもたれそうな事柄を
「『雑書』の世界 ーーー 盛岡藩家老席日記を読む」
として 上梓した 方が 講師である。
本は 以前の 講演のときに 知った。
すぐに買って、すぐに読んだ。
体系的に考察したものではない、と
先生・著者が言われている。だから、かな。
どの項目から 読んでも 面白い。
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今日の 話で 興味をもった
盛岡にある 擬宝珠が ついた橋、上の橋 について
知ったことを 記す。
先生の本 P・192~ にある。同じことなのに
ご本人の お話のほうが 面白く思う。 なぜか。
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擬宝珠(ぎぼし)を 取り付けることになった には、
1336年(延元元年)後村上天皇より 恩賞として
京都鴨川橋の 擬宝珠の使用が 許された
故事による と。この和歌
春おぼろ 秋たつ霧に まがいせば
思い忘れて 鹿や鳴らん
を 詠んだのは 盛岡に城を構える以前の
三戸南部家 12代 南部 政行 公。
辺境の武士には 似合わない歌道に 通ずる武人
と ほめられたんだって。
詳しいことは 細井計先生の
≪「雑書」の世界 ≫ 読んでください。
なぜ 鹿の和歌を 詠むことに なったか、が
書かれてあって ふ~~~ん、そうかぁ、です。
xxxxxxxx ついでに 記しておく。
盛岡 の 上の橋 紙の橋 に ついて xxxx
上の橋は、慶長14年(1609)に
第27代藩主南部利直(なんぶとしなお)が、
盛岡城築城時に 中津川に架けた。
慶長14年のものが8個、慶長16年のものが10個、
計18個が 取り付けられている。
その擬宝珠、 400年近く経過して 腐食が進んだ。
小さな穴に コムクドリが 巣をつくった。
ヒナが 巣立つまで 修理を待った、という お話し。
なかなか、です。
余談 ……
この橋の 擬宝珠は、1945年(昭和20)
軍の金属供出になるところを、
実業家であり、郷土史に造詣の深かった
太田孝太郎(1881~1967)の 尽力で、
急きょ 国の重要美術品に 指定された。 …… ……
おかげで 難を免れた。
xxxxxxx 2017・2・15(水)記