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ゾウさんと暮らす

86歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 83歳。  

12 ③ きれいな色の石垣がある寺町

2014年11月18日 00時26分54秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

12  金沢寺町  ツアー③ きれいな色の石垣がある寺町

                      ↑

「 箱 入り 娘 」 と 読んでしまった 看板。

  箔 売り 処 xxxxxx  字の形 違うのに、 なぁ。 

こんな ところで 金箔 売っている ? 買う人が いる ? 

さすが 古都 です。 

  xxxxxxx  その 左手

  い らっし  (  いらしゃい ?)

  見 まっし  (  見て ください ?)

  入るまっし  (  お入りください ?)

金沢方言で  「~まっし」 は ~しなさい。~ しよう、だって

そうすると 最後の 入るまっし は 入りましょう だから。

いらっしやい、 見ましょう、 入りましょう …… ですか ?


街中を歩く。 おてんとうさまが まぶしい。

散 歩 日 和 だが、 少々 腰 痛い。

杖 持ってきてよかった。

ゾウさんは 相変わらず ちょろちょろと 動いている。

  そんなに 写真とって どうするの。

  どこにでもある 花でしょ。

人の趣味に 文句つけても しょうがない。  

迷子には ならないで ネ。

ゾウさんが 視界にいないと 不安になる。


   春もやや 気色ととのふ 月と梅   芭蕉

   これは 「奥のほそみち」には 入っていない 句。

句碑が 家に こんなに くっついているのは なぜだろう。

もしかしたら 碑を たてたときは、家は 小規模だった。 

新築したら、こういう 始末に なった、 のかな。

つまらないことが 気になります。


句碑 ずいぶん 撮ってあった、 が  

碑文を 読むことが できないので アップできない。

どこかの 寺 の 山門まえの 立派な 囲みの 屋根

左脇  風神。    下は 右側にあった、 雷神。 

 

これでも  阿 吽 に なっているのかなあ。

  本当に お寺 ばかり。

お。 また 石垣。 先に出しておいた石垣と 似ている。

 

と いうことは 新しいもの なの か。

昔は こんな 細工をするヒマ、集める暇 なかった かも しれません。

美しい 石垣でした。 

xxxxxxxxxx 金沢の 火事のこと。 

藩政時代の金沢は 何度も 火災に見舞われた。

1631年(寛永8年)の金沢城下、法船寺焼け。

1635年(寛永12年)から 1859年(安政6年)まで

242年の間に、52回の 大火の記録がある。

平均43年毎に 100軒以上の火事に 見舞われている。

xxxxxxxxxxxx  3~4月に大火が多かったのは、

北陸地方特有の フェーン現象に起因する、んですって。  

では また


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11 ② 忍者はいない カラクリ寺 

2014年11月17日 00時31分05秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

11 忍者寺から 一笑の碑 まで 


ツアー ② 忍者はいない カラクリ寺

10時 ちょっと前、簡単な 説明の後 

本堂正面にある 賽銭箱を みせられる。

普通は お賽銭箱と わかるように 堂々と おいてあるもんだ。

なのに この寺のは、 床下に 埋め込まれている。

敵が侵入してきたときは、落とし穴として利用される、らしい。

ここへ 落ち込んだ  敵兵は いたんだろうか。 

xxxxxxxx ここは 金沢藩 第三代藩主が創建した 寺。

複雑な建築構造と外敵を欺く仕掛け を そなえた

監視所としての 妙立寺を 建立。

周りに 多くの武士が 起居できる 

寺院群 (現在の寺町 寺院群)を つくった、 って。

 xxxxxxxxx

要塞としての機能を備えた 妙立寺は、

先に書いた お賽銭箱のほかに

・隠し階段 ・隠し部屋 ・落とし穴 ・見張り台

・金沢城へ続く地下通路など

外敵を欺く種々な仕掛けを備えている、って。 

それで 忍者がいたわけではないのに 

忍者寺と よばれるようになった、と。

xxxxxxxxxxxx この寺は 撮影禁止なので 

ゾウさん 腕が ムズムズ したことでしょう xxxxxxxxxxx

当時、3階以上の建物は 禁止されていた。 

それで 外観は 2階建てだが、 

内部は 4階建て 7層に したんですって。

幕府の命令に 密かに さからった。 これ 妙案。

私も ゾウさんに 「密か」に 逆らってみようか、な。

xxxxxxxxxxxx 井戸が みえた。

なかには横穴があって、

金沢城への道があった、とも 云われている。

太鼓橋  明かり取り階段  落とし穴階段
本堂裏隠し階段
こんなの 考えた人。 楽しかった だろうな。
豪雪に耐える 巨大な梁に 驚いて、
死を表す4畳 の 切腹の間も みる。
「片どんでん返し」に なっており、
内側からは開けられない仕組みになっている。
非常時には ここで 自害して
火を放つための部屋だといわれている。
ああ。   戰は いやだ。
でも ここでの からくり 江戸時代に つかわれた ?
使われなかった から 残っている。。。。。 のかな。 

 1時間 弱で 妙立寺を でる。 この寺 芭蕉さんと

どう つながっていたんだろう なんて 考える間もなく

裏道のような ところから 願念寺へ。 

願念寺には 一笑塚がある。

それで 通過点としての 忍者寺、だったのな ?  

xxxxxx  小杉一笑 こすぎいっしょう (享年36歳) xxxxxxxxx

加賀金沢の人。小杉味頼、 通称茶屋新七。

貞門から 貞亨4年ごろより 蕉門にいた。

一笑の死を知り、芭蕉は 金沢で追善句会を催した。

    塚も動け我が泣く声は秋の風

    (一笑の 句は さいごの 記す)


次の 寺へ いくときだった、かな。 妙立寺 だった かも。 

屋根。 なんか不思議な。   ↓  亀の 鬼瓦 ?

鬼瓦は 魔除けだ そうな。

水 と 大きく書くときも ある、と 聞いたこともある。

水に 亀に。 どちらも 火災よけ です ね。

亀の 魔除けの 鬼瓦 はじめて 見ました。

次は 寺町の どこへ行くのでしょう。 

では 一笑の代表作を すこし。


元日は明すましたるかすみ哉

さし柳たゞ直なるもおもしろし

すがれすがれ柳は風にとりつかむ

いそがしや野分の空の夜這星

火とぼして幾日になりぬ冬椿

心から雪うつくしや西の雲辞世  

xxxxxx では では


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10 ① 富 樫 さま かな?

2014年11月16日 00時14分17秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

ツアー ①  富 樫 さま かな? (小松空港から 金沢へ)

なにごともなく 飛行場を でた。 すぐに この 像。

バスの中から 撮る。

安宅関が 近いから あの方 だろう。

兄 源頼朝からのがれた 義経一行。

弁慶の 勧進帳で やり取りをする 関守 

富樫(とがし)左衛門尉さま に 違いない。

     まちがっている かな。

ツアー最後、 安宅関へ寄るから そのときに xxxxxxxxx


 

金沢にむかう バスのなか、大〇先生。

クラブ・ツーリズムから ときどき 届く資料で お馴染みの方。

  

金沢に向かう バスの中。 

芭蕉さんは 金沢で 8泊 したこと。

山中温泉 は さらに 多い 9泊のこと。 

この ツアーで 回るところ などが 書かれてある。

おおまかな 説明ののち、

芭蕉の 「おくのほそ道」 原文を 読んでいただく。

解説もある。 xxxxxx

東北地方の 分は なんどか 講義を受けているから

いくらか 詳しくなっている。 だが

遠いところは さっと 読んだだけ。

今回は 勉強をする 暇なしに 出てきた。

知らないことばかりなので、 有りがたい。


 

最初は 金沢市の 妙立寺へいく。 

からくりが ソチコチに ある  別名 忍者寺。

これ歴史を 感じます。 

さまざまな 色と 組み合わせが きれいです。

これは 妙立寺のではなかった、かな。

江戸代のものでしょうか。 そうでない ?

xxxxxxx  妙立寺のことは 明日 書きます。 


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9 羽田空港。 カナモノ 事件です。

2014年11月15日 00時11分14秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

ツアー ①  羽田空港 ・ カナモノ 事件です


 

2014年 11月5日(水) 5時過ぎ 起床。

おにぎりを 食べる。 

飛行場 7時集合だが 何がおこるか わからない。

目がさめてしまったんだから、 早い方がいいだろう。 

ホテル チェックアウト。 

5時30分の ホテルの 空港行きシャトルバスに 乗る。

  6時すこしまえ 空明けてきた。

飛行場 第1 北 JAL、には 6時5分過ぎについた。

入るとすぐに ゾウさん なんか言ったようだ、 それから 

左側の エスカレーターに 乗ってしまった。

ツアー会社の 案内書を 読んでいないのか。 1階だよ。

あれ、 それを 出してさえいない。

私は 動かない。 あれあれ、 みえなくなった。

時間は 充分あるから いいが。 

私が 後ろにいないから、だろう、エスカレーターで 下りてきた。 

こっち、と 指でさす。

あ~あ。 これからが 思いやられる。 xxxxxxx

集合場所は 時計台③。 添乗員さん もう 来ていた。

わたし、名前が書かれた スケジュール表を みせながら

岩手の〇〇」を 告げる。 搭乗券を 受け取る。

ツアーの仲間らしき人たち 5人ほど 周りにいる。

怪我を してから 4年4か月、

それ以後 2回目の 飛行機搭乗。 杖を持つ。

xxxxxxxxxxx 搭乗受付。 

荷物は あずけないですむように、

小さく まとめて来た。 水分は 持っていない。

さて 受付。 ゾウさん 先に ゲート ? を くぐった。

イヤな音がした。

私が 作った たくさんの小物が入る ベストを

荷物を入れるケースに 置かなかった。

そのポケット 4箇所に たっぷり と 

カナモノを 入れていたようだ。

私は 自分のことで 精一杯で、

ゾウさんが コートの下に

そのベストを つけたまま、ということに 気が付かなかった。 

ベストから 物を 出して、 出して (3回) 

ゲートを くぐりなおしても、音がする。

最後 腰の ベルトを はずして やっと OK が でた。

冷や汗。 この時 聞いたこと。

金属の総量が ある程度 に なると 引っかかる。

特に 鉄は 引っかかる ……  と 教えていただいた。

  これを ゾウさんに うるさく 言わなかったために

  帰りの 小松空港でも ベルト で 引っかかった。

  やれ やれ、 「学習」しない ゾウさんです。

  腕時計、小銭入れ、鍵 携帯電話。

  デジカメ も 手には 持たないこと。

   もっとも。飛行機に 乗ることは もう ないでしょうから、

   とくに ゾウさんは 知らなくとも いい のかな。

 搭乗口で 待つ。 

飛行機にのる 廊下? で みた 羽田飛行場。

小松まで 1時間 です。 さて。 


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8 翌朝からの 3日間ツアーの準備を

2014年11月14日 00時31分43秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

余談 …… 13日(木) 曇り 

旅の 洗濯もの も 終わり、 家計簿も 〆た。

疲れが でたのか、 昨日、今日は 体調不良。

ストーブを ケチって、 布団の中。

テレビを みたり 読書を したり。

仕事は、茶わんを 洗っただけ。 おかげで

夕方 快方に向かっていることを 認める。

14日も 予定が入っていないから 養生する。

xxxx   明日の天気予報

      ・ 曇り・ 最低気温 3度 最高8

     盛岡は 雪。 ここも すぐだろう。 


   8 翌朝からの 3日間ツアーの準備を 


目当ての 旅行初日は 明日だが、

今日の 仕舞いは、スカイツリーから 下りたのち、

夕食を 食べること。 その店の ご飯が 

おいしかったので 翌朝のために 「おにぎり」 6個かう。

明日は 宿で 朝食をとる 時間はない 。


 

ソラマチ の ツリー きれい。  

  うちでは 夕食のときに みえるように 

  イルミネーッションは 台所まえに 飾ってある。

  (上) この色が 好きだが、 少ないのは 高価だったからだ。

  それから 確か L E Dの ソーラーを使う 100球のは

  外の木に とりつけた。小さいけれど それなりにキレイ。

次女が ケーキを 買いに行ってる間に 写真撮り。

ゾウさんがいう 「やさしい娘たち」。

長女は 東京の北方向へ。東京駅で 別れる。

次女は 方向が同じなので 送ってくれる と。

大丈夫だと 言ったのだが、わざわざ 大鳥居駅まで。 

おかげで 迷子ならなかったのかも しれない。

xxxxxxxxxx 宿は 駅の近くなので、迷わずに着く。 

フロントの 若い女性が 丁寧に 応対してくださる。

夜着は 大きいのがあることを しったので 

わたしの分だけは LL 頼んだ。

ゾウさんは 勝手しったる で ケースから 出している。

xxxxx 部屋 狭いけれど 困ることはない。

増えてしまったものや ゾウさんの 汗かいた衣類を

バック1個に詰める。 明朝 フロントに 頼む予定。

帰りも おなじ宿を予約してあるから、 好都合なのだ。 

冬用だが、薄いコートを 自分のカバンの上方に入れた。

明日( 5日 ) 天気にな~~~れ。  


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7 スカイツリー 夕日の富士山をみた 

2014年11月13日 00時10分32秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

7  スカイツリー  夕日の 富士山をみた  


郵政博物館を終わって。 写真を撮ろうと 外へでた。

こんな風に 全体入るとは 思わなかった。 

そこへ 「写真をとる・ボランテァ」だ という方が 寄って来た。

自分の写真は 撮らなくなった私は 断った。 

どこから きた、に 岩手と 答えたら

「宮城で 働いていた」と いう。 断りづらい。

4人で 並んで 撮ってもらった。 

( 人物が暗い。 こんなの 娘たち 欲しいだろうか ? )

これが 2時40分すぎ。

スカイツリーの 展望デッキ入場 整理券を 渡す場所に 行く。 

4時からの 券をもらう。 

平常日なのに こんなに 混むなんて。

1時間以上あるので、 店をふらつく。

和紙の店を 観る。 綺麗だけれど、、、荷物になるから。

軽い 手鏡の形の 根付を 見つけた。 

次女が 買ってくれた。財布につけた。

長女から 「小遣い」を もらった。 

もったいないから 今は 使わない。 本を買おう。

  娘が 友人に 両親上京を話したら 「揃って、旅をするなんて」

  うらやましい、ということか。片親になった方が おおいそうな。

  それで 奮発してくれた ?

ゾウさんは 早速 カレンダーを 買った。ゾウさん。

別の カレンダー、 次女から もう1本 かってもらった。


 

3時すぎ 岩手から持って行った 「ごますり団子」を 

花壇縁に座って 4人で 食べる。

天気が良くて よかった。

4時 10分前 並ぶ。

1階? で、 蛇行を 何度もして やっと エレベターへ。

そして 展 望 台へ。 4時半に 近かった。

人の頭ばかりで 景色が 見えない。 

空ばかり。 ああ。それで ソラマチ か!!

 

隙間を見つけて やっと 1枚。

これが 4時37分。(上) 

下が 5時丁度の 富士山。

前にいる人が ちょっと 屈んだすきに 撮った。

(お金をとって いれるんだから 平等にみれるようにすべき。

後にいる人のための 台を つける、など 配慮すべき。

館側 「交替して」と 叫けんでいましたが 

みえるかぎり、後ろに回った人 いません でしたから)

 5時。

娘たち ふたり 「来たことがある」と 言っていたので、

(2000円) もったいないことを させたな、と 思った、ら

「そらまち」 あたりまで だった、とか。 良かった。

(下) エレベーター のなかの 天の川。

 

出口方向に 大型の 「絵」。

映画「3丁目の夕日」を 観たときから 

憧れていた 東京タワーが 描かれていた。

ゾウさんは 登っている、 そうな。 いつ ?

 

今日は ここまで


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6 懐かしい 手動交換機 (電話)

2014年11月12日 00時57分04秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

  6 郵便局博物館にて 

懐かしい 手動交換機 (磁石式単式交換機) 

  「そらまち」 の

このポスターに 誘われて 300円 支払って 入館した。

若いころ 郵便局で 働いていたので、 懐かしい。

  タワーポスト ? 

勝手に命名をする。 郵便物を 入れて良いそうな。

矢印の 奥にあるのは ↑ 俵屋式ポスト。

明治34年 日本橋 北詰に 試験的に 設置。 現物はない。

残っていた写真から 作り出した。よって「まぼろしのポスト」。

俵屋は 人名 だそうな。 xxxxxxxxxxxx

あ~~~~。 懐かしい。

 ( これは 最初の 交換機。 逓信省時代のもの )

私の時代は 自動式 に 変わろうとしていたころだが

これよりは 進化している。 しくみ は そのまま。

交換室には 県外が 5台ほど。市内が 6台ほど 並んでいた。

それらを 操作して、 二人の 会話を 成り立たせたのだ。

(9月 出石市のことを書いたときに 詳しく 書いた)

現在のNTT ( 電電公社 ) からの 依嘱 (こうだったかな)

事業だった。 都市には 自動化が はじまっていたが、

田舎は まだ 手動式のままだった。

昭和37年から 5年ほど 交換手として 働いた。

子どもが 3人に なったので 退職をした。

こんなに 産休を とるものを よくぞ 雇い続けてくれたものだ、と

感謝している。 (組合 強かった ? おかげ 、 かな)

国家公務員のせいか、ゾウさんより 基本給が 高かった。

私の だだひとつの ささやかな 自 慢、 か なぁ。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

ここは 写真発光させないなら 撮って いいのだが、 

カメラ うまく いかない。

この 2枚は 発光している、 だろう。 ごめんなさい。

、、、、、、、、、、、、、、、、

差し立てを した 台も あった。

電話交換部門だが、 ときどき 局員の仕事があった。

郵便物の さしたて である。 

そうそう こうして、と 手真似を してみた。

たまにやるので 土地の名前を探すのが 遅かったこと。

思い出した。 こっちでは 役に たたなかった。

xxxxxxxxxxxxxxxxxx

切手が 大きく場所を 取って、 横型ケースに 収められていた。

郵便局 はじまってからのが 揃ってあるのだろう。

外国のも あった。 観る暇がない。

娘たちも 所々 引っ張りだして 観ている。

    これ 買った。  これ 貼った、なぁ。 

xxxxxxxxxxxx

最後に 自分の顏を いれて 年賀はがきを 作った。

1人 1枚 無料 

小学生が 職員に 教わって 作っている。

わたしも やってみることに。

指示にしかがって 写真 文章 カットなどを選んだ。

なんとか できた。 娘たちも それぞれ……。

それが。 帰宅して そのハガキを さがしたが 見つからない。

切手まで 買ったのだから 自宅へ送れば よかった。

後悔 先にたたず ……  


xxxxxxxxx ここは 今年の 3月 開館していたのでした。

        関係記事を 簡単に 記す xxxxxxxxxxx 

スカイツリー に 郵政博物館 が

“復活”  3月1日 開館 

通信文化協会は東京都墨田区の東京スカイツリータウン内に完成した「郵政博物館」が3月1日に開館するのを前に報道陣に公開した=27日

東京都墨田区の 東京スカイツリータウン内に

郵政博物館 が 3月1日に 開館した。

通信文化協会は東京都墨田区の東京スカイツリータウン内に完成した「郵政博物館」が3月1日に開館するのを前に報道陣に公開した=27日  東京スカイツリータウン内に3月1日に開館する「郵政博物館」には世界中の切手約33万枚が展示が=27日、東京都墨田区 通信文化協会は東京都墨田区の東京スカイツリータウン内に完成した「郵政博物館」が3月1日に開館するのを前に報道陣に公開した=27日 東京スカイツリータウン内に3月1日に開館する「郵政博物館」には所蔵品の展示以外に自動二輪車での郵便配達を疑似体験できるシミュレーションゲームなどもある=27日、東京都墨田区

昨年8月に閉館した 逓信総合博物館に 所蔵してあった

郵便に関する所蔵品を展示している。

日本最大となる 世界中の切手約33万枚のほか、

明治時代の丸型ポストなど 歴史的資料約400点を紹介。

郵便物を守るため明治時代に 使用された 護身用の短銃や

猛獣からの危害を防ぐ「郵便ラッパ」など

当時の配達員の苦労がしのばれるものも 展示されている。

また所蔵品の展示以外にも、

自動二輪車での 郵便配達を 疑似体験できる

シミュレーションゲームなど。( 子どもたち が 遊んでいた )

館長 「20代、30代が比較的集まる場所に

開館するので、電子メールに慣れ親しんだ若い世代に

手紙の良さを伝えたい」 と。

開館時間は 午前10時~午後5時半。

入館料は 大人300円、小・中・高校生150円。 

xxxxxxxxxxxx 以上です xxxxxxxxxxxx 


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5 長女と次女が おのぼりさんを 迎えに

2014年11月11日 00時02分09秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

5 長女と次女が おのぼりさんを 迎えに


 

今回の旅は 飛行機(羽田 ⇔ 小松)を利用して

→ 金沢市 小松市などを 歩く「奥の細道ツアー」への参加。

11月 5・6・7日 (水・木・金)の 3日間だが、

前の日に 岩手を 出て 空港付近に 宿を とる。

7日 夜 東京へ戻って、翌日 8日に 帰宅する予定。


 

4日朝 列車に乗る。 新幹線に 乗り換える。 

乗り換えは 1回だけのを 選んだ。 

いままでの旅より ゆっくり 家を 出ることにした。    


初日は 博物館か美術館へ 行こうと 思った。 ところが、

今週は 月曜日が 祭日なので 火曜日 振替休日。

行きたいところは 全部 お休み。 

それで おのぼりさんをすることにした。

東京タワーと スカイツリー への 行き方を 調べた。 

地下鉄を使わない方法を 次女に メールでたずねた。

そしたら 「案内」するってこと に。 長女にもメールしてみた。


 東京駅には 娘たちが 待っていて くれた。

駅 天井 

豪華 華麗 精彩 精細 …… なんとも 美しい。

 東京駅から

押上駅まで行くそうな。 地下は苦手だが、 今日は 任せればよい。

 

ホーム。 お祭りの おおきなパネル。

押上には「天祖神社」があるから、その祭りだろうか。 

スカイツリーに 行く前に 「昼食」をとる。

いま  ここ ↑ に いるのだろう ナ。 おや。

郵政博物館が ある 。    みなくちゃ。 


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4 旅の 写真 保存できない 

2014年11月10日 00時44分44秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

2014・ 11・ 9日(日) 曇り ときどき 雨

午前10時まで ぐっすり 眠った。

11時 ゾウさんを 起こした。

午後は ゾウさんは 埋文。 私は 地元の公民館へ


 

もうすぐ 雪がくるような 寒さ。

下の写真 奥の山の方向。↓ 古い 館 が あった。

講演が 終わって 友人宅へ 寄る。

(パソコンの会の 日程が 決まっていなかった ので)

バスではなく、5時近くの 列車に乗る予定だった が 

送っていく」 と 車に 押し込まれた。

いつも 世話になっているのだから、 遠慮するな、らしい。

暗くなっていたので 助かった。

我が家、車が あった。 

ゾウさん 今 帰ったばかり、だと。

 

  ( 家の近くの家の 桜・・・・四季桜 かな? )

疲れて ふたりとも パソコンをする 体力がない。

ゾウさんと たまっていた録画(テレビ)を 観ることに。 

それから、 それぞれの 

パソコンの 前へ 行った ので 遅い作業になった。

写真を パソコンに 移す。

旅行中、 カメラに メモリーを いれてあるのに

なぜか 「メモリー」を いれろと カメラが いう。

新しいメモリーを 入れても 受け付けない。しかたなしに、

ツアーの 1日目の分は 「内蔵メモリー」で  撮った。

やはり その分が パソコンに 移動しない。

  取説にも 扱い方が 書いていない。

  ネット検索でも わからない。

古いカメラのほうで 撮った 2日目以降のは ちゃんと保存できた。 

そんな こんなで ブログ書きも おそくなって。

10日 ゾウさんの 耳鼻科へ 行ける だろうか。


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3 家が一番を 感じるための 旅 

2014年11月09日 22時39分47秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

2014・ 11・ 8 (土) 5日ぶりの 岩手。

xxxxxxxxxxx  新幹線を 降りるとき 

2010年 出雲からの帰りに ここで 転んで 

大腿骨を骨折したことを 思い出した。

慎重になった。 ゾウさんから 離れて 下りた。

xxxxxxxxxxxxxx

自宅近くの駅からの 暗い坂道を いって

8時半、我が家の街頭を 点ける。 

玄関部屋に入る。 あ~~あ。

これで 大っぴらに 会話ができる。

 

今回の 奥の細道 の 旅で 

ゾウさんの 耳が ますます 悪くなっていることを 感じた。

騒音の中が 多かった、だけではない。

写真撮り夢中度も 上ってはいるが、それだけでもない。

補聴器を つけないと、ほとんど 会話が できない。

視線が合っていないと 意志が伝わらない。

それなのに せっかちゾウさんは サッサと 行ってしまう。

後ろから 声を かけても、 聞こえないことは わかっているのに

それでも 叫んで、 叫んでから 自分に 腹を立てる。

言いたいことが うまく伝わらなくて 困った。

勘違いを されて 何度も 怒鳴られた。

xxxxxxx

長い 旅行は もう 無理だなぁ。 疲れた。

ゾウさんの 焚いてくれた 風呂入って

きょうは 早く 寝ましょ。


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芭蕉さんの スポンサー

2014年08月30日 00時28分56秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

11月 「奥の細道」 小松市 他の 探訪が かないそうだ。

xxxxxxxxxxx

芭蕉さんなど 俳句を教える人達は 

生活費をどうやって 稼いでいたのだろう、

気になっていたので、調べることにした。

xxxxxxxxxxx

元禄十五年刊の俳諧評判記「花見車」によると、

俳諧師が 俳席で 一座を指導する場合の

出座金(礼金)の相場は 百疋。

 一疋は二十五文、 百疋… 米四斗分に相当する。

 一斗は 10升=100合。(1合=約150g)

米四斗は 約60kg

1kg=500円 と すると 3万円ぐらい  

xxxxxxxxxxx だ そうだが、

深川時代の 芭蕉さんには 

篤実な弟子であり、後援者でもあった杉山杉風さんが 

ついていたから、少しは 楽だったかもしれない。

「奥の細道」の旅に 出る前には 

杉風(さんぷう)さんの 番小屋 「 採荼庵(さいとあん)」を 

芭蕉さんに あてがっている。

   (ここまでは 知っている)

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杉山杉風 (1647~1732)を しらべてみる。 

江戸幕府出入りの 魚問屋主人。

正保4年(1647年)生れ。蕉門の代表的人物。

豊かな経済力で 芭蕉の生活を支えた。

芭蕉が 心を許していた人物の一人。

芭蕉庵の殆どは 杉風の出資か、

杉風の持ち家を改築したものであった。

特に 奥の細道の出発に先立って 

芭蕉が 越した 杉風の別墅、 

現 江東区、 採荼庵 (跡)が ある。

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五代将軍綱吉による生類憐の令によって

鮮魚商に不況がおとずれるが、総じて温和で豊かな一生を送った。

人格的にも 温厚篤実な 人物と言われていたが、 師の死後、

蕉門の高弟 嵐雪一派とは 主導権をかけた 対立をした。

享保17年(1732年)死去。 享年86歳。

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杉風の父は 仙風。 享年は不詳。

芭蕉は 追悼句を 詠んでいる。

手向けけり 芋は蓮(はちす)に 似たるとて

霊前に手向ける 蓮の花が いま ないから

とりあえず 芋の葉を供えておこう、の意 らしい。

xxxx 仙風さん

お目出度いといわれる年齢で 亡くなった、

または 軽妙洒脱な人であったのだろう。

芭蕉にとって、その子息 杉風 同様

気の置けない関係だったことが 伺われる。

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同じ「杉」を 使っている 俳号は 

芭蕉さんが 付けたのだろう か

芭蕉さんとの良好な関係がしれる ような……。


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旅は自由がきく方が よいのだが

2014年03月24日 00時06分25秒 | 2014・11奥の細道 金沢~福井

今冬は 鼻水が たらたらの 風邪、2度くらいひいた。 

柔らかい ティッシュを脇に置いて、ベットにもたれて 読書。

ギックリ腰は 5回ぐらい 起った が これも 

たいしたことが なかった。

2月中旬から 3月上旬は 「かぐや姫」調べ。

同時進行で 「一揆」にも のめりこんだ。

動かないから 腰痛おきるんだな。

「奥の細道」完歩の ためにも 運動しなくては。 

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いつもの旅行社の 「奥の細道」 14回ツアー

は のこっている 石川県 小松周辺だが 

すでに 訪ねている 金沢と 永平寺も 入っている。

しかも 早朝に 羽田飛行場を たち 

3日後 遅くに また 飛行機を 使う。

空を飛ぶのは 苦手 なので 予約を しぶらっている。

しかし 「実盛の 兜」  個人で見せてもらうには 

手続きが 必要なようだ。 ツアーは 心配ない。


 

個人的には 

朝一番で ここをたつと 1時半には 金沢駅に 着くことができる。

芭蕉の道 以外の 金沢城、は 行きたいところ。

小松では 平家物語の 仏御前の生地を 訪ねる、など

個人旅行は 自由が きく。 

でも 色々 調べるのが おっくう。 宿も 取らねば。 

迷っている。 


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