円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

気付きの春

2007年04月09日 | 日記
午前中法務、午後より前日の連研会議での資料を修正しその後継職法要の書類作り.
そして夜の今、明日の午後の法座の法話を考え中。昨日の花まつりにちなみ釈尊誕生を中心に話を組み立てようと思っていますが、春は釈尊のご誕生だけでなく、親鸞聖人がお生まれになり、また出家得度された季節でもあります。新たないのち生まれる新緑のころ、私どもも如来の大悲に気付くご縁に出遭わせていただきましょう。

今日は何の日?

2007年04月08日 | 日記
日中はご法事でご門徒のお宅にお参りし、夜は鞍手組連研の会議でN市R照寺に出かけて夜10時帰宅。
テレビのスイッチを入れると選挙の開票情報が流れています。私も夕刻に投票に行きました。結果はもちろん気になりますが、仏教徒として今日は大切な日でしょう?
今日4月8日はお釈迦さまのご誕生日、「花まつり」です。
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」(正信念仏偈)
と親鸞聖人もおっしゃるように、阿弥陀如来のお慈悲を私たちに伝えんがために現れてくださったのがお釈迦さまなのです。
ナモアミダブツ 感謝しましょうね!


Hello! My name is 〝mistakes〝.

2007年04月07日 | 日記
土曜日にもかかわらず法事が無かったため、日中は明日の夜に行われる鞍手組連研部の会議資料作りに没頭していました。しかし何故かタイプミスが多い、多すぎる!データ入力の単純作業でボーッとしてくるからなのか、日差しが暖かいからなのかはわかりませんが、とにかく間違いまくりでした。ひどいときは一つの単語を3回くらい入力し直したり、全然作業が進まなかったとです。
で、なんとか作成して一旦プリントアウトしてチェックしてみると、さらに入力ミスを発見、自分の不注意さに嫌気がさします。

そういえば以前、あるご門徒さん宅での法事で、そこのご主人といろいろと話をしました。その方はSOHO、いわゆるスモールオフィス・ホームオフィスを実践されていて、自宅でCADを使って図面を引き、そのデータをネットでやりとりしていらっしゃる方です。そしてそのお仕事において現在はもう作った図面を紙にプリントすることはなく、モニターの画面だけで出来をチェックし、そのままネットでデータを送信するそうです。そこで私が「そのやり方で間違いは起こりませんか?」と尋ねたところ、「やっぱりどこかミスしていることがありますね」とおっしゃいました。情報はモニター上からイメージし、また確認するしかないからです。だから、ネットをとおしてデータを送る場合、そのやりとりの中間に5人ほどさらにチェックが入るそうです。そうしないと完全な物にならないということでした。また、さらに自分でやり遂げた!という満足感や自惚れが冷静な判断を鈍らせるのです。
そう、自分自身では見えない点が必ずあるんですよ、と教えていただいたのでした。



ほっ

2007年04月06日 | 日記
いやァよかった、ほっとしました。なにが?ってMATSUZAKAですよ、マツザカ!
松坂大輔がデビューウィン!オメデトウゴザイマス。
10奪三振です。dice-Kと英語表記されるだけあってさすがでした。
しかし今日の朝起きてニュースを見るまでは不安でしたね。前評判があれだけ高いので、もし負けたらどうなるのだろう?と考えてしまいました。
日本のメディアは優しいので「負けたけどよく頑張った!次に期待しましょう」などとフォローしてくれますが、アメリカのメディアは勝てばとてもよい評価をしてくれる反面、ダメならば徹底的に叩きますからね。とにかく結果がわかるまでは安心できません。

さて、浄土真宗の本意は後生の一大事の解決にあります。たとえ自力の善行を積んだとしても、今生の命つきるときまで自らの行く末がはっきりとしない不安をかかえたまま生きる(聖道自力門)のと、罪業深重のこの私を必ずお浄土に往生させると誓ってくださった南無阿弥陀仏のお名号をよりどころとして感謝の日暮らしを歩む(他力浄土門)のとは雲泥の差があると思います。
浄土真宗は後者であります。開祖親鸞聖人は「船」というたとえをよく用いていらっしゃいます。
「しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。」(教行信証 行文類)
阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)の大悲という船にひとたび乗せられれば、たとえどんな苦悩の荒波がおそってこようとも決して飲み込まれることのなく、あとはやがて到着するお浄土という陸地に思いをはせ安心してその航海に身をゆだねていられるのだと。
私たちが自ら励んで確実なものになるのではなく、間違いないものに出遭わせていただくのです。それが南無阿弥陀仏ということです。

さてさて、次回の彼の登板はいかに。

雅びな調べ

2007年04月05日 | 日記
今日の夜7時30分から当山にて継職法要に彩りを添えてくれる雅楽の練習がありました。お浄土には微妙音(みみょうおん)と呼ばれる清らかな音が流れていると経に説かれており、雅楽によってその様子をうかがうのです。鞍手組の法中有志で組織される雅遊会のみなさん、ありがとうございます。法要当日はどうぞよろしくお願い申し上げます。

彫る

2007年04月04日 | 日記
本日午後1時よりK町E照寺前住職様の門信徒葬に参列しました。葬儀中、鞍手組副組長弔辞や現住職様のご挨拶の中で、ご往生された前住職様が大変手先が器用な方で旧本堂の宮殿(くうでん:御本尊を安置するところ)などの多くの仏具を自らお作りになっていたというお話を聞きました。仏恩報謝のうえから、またご門徒の方々に迷惑をかけてはならないとの思いから一つ一つ仏具を組み上げていかれたとのことでした。おそらくお念仏お称名の中に少しずつ彫り進めていかれたのでありましょう、その風景を思い浮かべながらお参りさせていただいたのでした。そしてお仏具を眺めながらその一彫り一彫りとともに染みこんでいったであろう南無阿弥陀仏のお念仏と、またご報謝の生活を体現していかれた前住職様のお姿を思うとき、お念仏せずにはおれませんでした。そのように思っていたのは決して私ひとりでは無いはずです。

静けさに驚く

2007年04月03日 | 日記
朝の法務を終えてから今日は夕方までひたすらパソコンの前で5月の法要の書類作りでした。うちのパソコンはいわゆる自作パソコンでありますが、とにかく冷却ファンの音がうるさい!電源やCPU、グラフィックボードやハードディスクのところにいくつものファンが回っているわけです。しかしながら一日中その場にいると不思議と気にならなくなったりして・・・。で、夕食の時間がきたのでパソコンの電源を切ったとき、ふと一瞬の静寂が訪れまして(うちが田舎だから?)、その音のなさに「ああ、こんなにも音の洪水の中にいたのか!」と驚いてしまったのでした。当たり前じゃない状況がいつのまにか当たり前になっていて、気付かない私がおりました。
夕食後、夜7時半よりM市のB厳寺さまで行われる鞍手組法中会に出席のため寺を出て、10時過ぎ帰宅。結局またこうして音の中にうずもれています。電磁波もか・・・。

教学なき・・・

2007年04月02日 | 日記
このたび本願寺派第24代ご門主が「世のなか安穏なれ」(中央公論新社)という本を出版されたので今その本を読んでいます。まだ最初の部分しか読んでいませんが、現代の仏教がかかえる問題点など他人事ではないなと思わずにはいられません。また、なぜ中心公論新社なのか、ということもなんとなくわかるような。
「教学なき現場、現場なき教学」とある方の言葉を引用されていますが、もはや教だけが残るとされた末法の世さえ終わりかけているのでしょうか。そうならないためにも宗教、そして浄土真宗が果たすべき役割とは?
一般の書店に売ってますのでぜひ一読を!(私も地元の郊外型書店にて購入)
ということで本日の夜はさらに研鑽を積むため、N市E徳寺にて浄土真宗教義の中心となる聖典の教行信証の勉強会に行ってきますのでこれにて失礼。

     

最強の桜ソング?

2007年04月01日 | 日記
いつの間にか4月に突入していました。3月9日から始めた日記、まさか毎日書いて次の月を迎えるとは自身考えていませんでしたが、これからもあまり気合いを入れすぎずに綴っていこうと考えています。
さて、今日は日曜日、花見の方も多かったことでしょう。この季節になると、ヒットチャートを桜にまつわる歌〈桜ソング〉が席捲します。桜の花びらがはらはらと散りゆくさまと自らの恋愛を重ね合わせて別れの切なさを歌い上げている曲が多いですね。そこにはいわゆる「無常感」という日本の美意識が流れているのでしょう、悲しさをしみじみと味わう世界があります。しかしそれはあくまで悲しさにひたりつつもどこか客観的な風景です。はかなさにひたりつつも美しい思い出としてそこで終わるのです。しかし花が散るという事実が自身の命の行く末のすがた・問題と重なるとき、それは『無常"観"』として捉えることが出来るようになります。我々はどこまで『観』として考えているでしょうか?その点からもっといい桜に関する歌がないものかと探しておりましたが・・・・・、あるじゃないですか。

「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半(よわ)に 嵐の 吹かぬものかは」

浄土真宗の開祖、親鸞聖人が9歳で得度されたときに詠まれた歌であるといわれます。時期はちょうど今頃、桜が満開の時でした。