円覚寺日記 四季綴り

このお寺が建っている環境のごとく、ゆったりとした気分で書いていきたい。
浄土真宗本願寺派 円覚寺の日記帳です。

ほっ

2007年04月06日 | 日記
いやァよかった、ほっとしました。なにが?ってMATSUZAKAですよ、マツザカ!
松坂大輔がデビューウィン!オメデトウゴザイマス。
10奪三振です。dice-Kと英語表記されるだけあってさすがでした。
しかし今日の朝起きてニュースを見るまでは不安でしたね。前評判があれだけ高いので、もし負けたらどうなるのだろう?と考えてしまいました。
日本のメディアは優しいので「負けたけどよく頑張った!次に期待しましょう」などとフォローしてくれますが、アメリカのメディアは勝てばとてもよい評価をしてくれる反面、ダメならば徹底的に叩きますからね。とにかく結果がわかるまでは安心できません。

さて、浄土真宗の本意は後生の一大事の解決にあります。たとえ自力の善行を積んだとしても、今生の命つきるときまで自らの行く末がはっきりとしない不安をかかえたまま生きる(聖道自力門)のと、罪業深重のこの私を必ずお浄土に往生させると誓ってくださった南無阿弥陀仏のお名号をよりどころとして感謝の日暮らしを歩む(他力浄土門)のとは雲泥の差があると思います。
浄土真宗は後者であります。開祖親鸞聖人は「船」というたとえをよく用いていらっしゃいます。
「しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。」(教行信証 行文類)
阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)の大悲という船にひとたび乗せられれば、たとえどんな苦悩の荒波がおそってこようとも決して飲み込まれることのなく、あとはやがて到着するお浄土という陸地に思いをはせ安心してその航海に身をゆだねていられるのだと。
私たちが自ら励んで確実なものになるのではなく、間違いないものに出遭わせていただくのです。それが南無阿弥陀仏ということです。

さてさて、次回の彼の登板はいかに。