遠藤雷太のうろうろブログ

何かを観たら、とにかく400字または1000字以内で感想を書きつづるブログ。

札幌短編演劇祭 サッポロ・ショーケース nargiless(ナルギレス)

2011-02-06 23:29:03 | 演劇を見てきた
2011/2/6

面白い作品はたくさんあったけど、全部書くのは大変なので、ナルギレスの感想を書く。
白くて細長い大量の和紙(トイレットペーパーかと思ったら違った)で、まるい演技スペースを作っている。
登場人物は女性三人。
二人はまるいスペースの中で会話のような独り言のような言葉を激しく吐き出しながら、ひたすら体を動かし続ける。奔放。
もう一人はお面(鬼?)を頭に載せて、和紙でできた境界線にとらわれることなくウロウロする、踊る、いろいろな楽器をならす。無言。お面の彼女は、和紙を使って少しずつ二人の演技スペースを狭めていく。
やがて二人は活動スペースがなくなり、動かなくなる。
シュールな芝居。一見、パフォーマンスと呼んだほうがよさそうに感じる。
自分は、作者の頭の中の話と仮定して見る。そういう構想の芝居って結構あるよね。
そう見ると、この演劇が描いていたのは、作者の自意識ということになる。それは、過剰に周りの目を気にする若者特有の自意識のこと(ブログを拝見すると24歳ですってよ)。
若い自意識は、自分の活動をどんどん狭めていく。言い換えれば引きこもっていく。
お面の彼女はそんな自分自身を縛る自意識の象徴である。だから自らの活動を制約する。
この自意識から逃れるためには、過剰に周りの目を気にしないようにすること。
最後に二人が衣服を脱ぎ去って全裸になったのは、そんな自意識を克服する瞬間を表現している(ビールも自意識を解放するツールのひとつ)。
全裸になった二人には、「仮面」がプレゼントされる。仮面は「誰かになること」、つまり「演技」の象徴。
自意識を克服しても物語は終わらない。今度は世界と向き合う必要がある。
この仮面こそ、自意識を克服して世界と向き合った彼女がこれから生きていくためのツールなのである。
結論として、この作品は「なぜ人は演技をするのか」という意味で演劇の本質をついている。…ということにしてみた。
ただ、最後彼女たちは仮面を上に放り投げていた。じゃあ、演技しないのでまたひきこもっちゃうのかもしれない。
結局どうすんだよ、という余韻を残しているあたりが自分にとっての魅力でした。

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