松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

火、神聖なもの

2007-07-10 22:49:29 | 復活奮闘日記
毎日雨です。
櫨ろうそくについて調べているうちに、
もっとその前の「火」について
改めて考えてみることにしました。

人類の歴史の中で、一番大きく人間を進歩させたのが
火の発明だと言われています。
よく創世記の映画やドラマで、
落雷や山火事の時に、原人が火を見つけるシーンがありますね。

火を使用することによって、
照明や暖を取ったり、食べ物に火を通したりと、
人間は、火から多大な利益を得るばかりでなく、
宗教的に大きな意味を込めるようになります。

古くは拝火教(ゾロアスター教)という火を崇める宗教から、
キリスト教や仏教まで、多くの宗教行事の演出で
火は重要な役目を持っています。
松明を使って神聖な火を運ぶ神事や火祭りは、
世界各国にあり、人間の生死や自由の象徴でもあります。

Wikiから引用しますと---------
たいまつ(トーチ)は、「闇を照らす」「世を照らす」ことを象徴する一般的なエンブレムである。たとえば右手にたいまつを持つ自由の女神像の正式名称は「世界を照らす自由(Liberty Enlightening the World)」である。下向きにして交差させたたいまつは古代ギリシアや古代ローマによく見られる喪のしるしであった。下を向いたたいまつは死を象徴し、一方、上を向いたたいまつは再生する炎の力を表し生の象徴であった。
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火は文明の最大の利器である反面、
火災の原因にもなります。
現在では私たちが火を直接使う機会は少なくなり、
より安全に生活ができるようになりました。
電気を使えば調理もできますから、
全く火を使わないで生活することもできます。

とはいえ、信仰や神聖な行事までも、
火は電気にとって変わられるでしょうか。

例えば、オリンピックの聖火が電気の炎もどきだったり
五山の送り火がみんな電気だったり
カトリック教会の聖体拝領の儀式やミサが
すべて電灯になるってのは、ありうるでしょうか。
いくら安全だからといっても、どうも考えにくいですね。
なんていうか、電気の光は、あまりに身近すぎて
原始の神聖さを感じないというか…。

ということは、将来を考えると、
燃料としての「火」や、
明かりとしての「火」の用途はなくなっても、
思考文化の中で、信仰や行事の中の
聖なるものの象徴としてのみ、
「火」の存在の意味があるのではないかと思うわけです。

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