江戸時代。
久留米藩御井郡国分村に笠九郎兵衛(りゅう・くろべえ)という農民がいました。
いつもアレコレと独創的な事を思いつく九郎兵衛は19歳。農作業でもいろんな工夫をこらしながら作物を育てている、一風変わった青年でした。
夏の間、九郎兵衛が考えていたのは畑にはびこる草のことです。もっと効率よく草取りできたらいいのに…。
夕方、農作業を終えて家に着いた九郎兵衛、ふわ~~んと蟹味噌の香りが漂っています。
「おっ。今日は山太郎蟹か。秋やなぁ。」と笑みがこぼれます。

山太郎蟹とは、近くの筑後川で獲れるモクズガニのこと。
山太郎蟹を使った風味豊かな蟹汁と蟹飯は筑後地域では秋の訪れを告げる郷土料理です。
「うまい、うまい。」と言って九郎兵衛は蟹汁をすすりました。
そして山太郎蟹の蟹の足を食べようと手に取った時、頭に閃くものがありました。
「これやん!」
山太郎蟹の蟹の爪のようなもので土を掘ったら、硬い土でも掘りおこしもできるし、草の根も深く取れるんじゃないか。
蟹の爪が一本、いや三本か四本ぐらいあれば…。
宝永6年(1709)、九郎兵衛は山太郎蟹からヒントを得て(※)、「蟹爪」→「雁爪」という鍬を発明しました。
雁爪は、千歯こき、千石とおしと並ぶ近世の日本の代表的農具です。
笠九郎兵衛とは、自分が発明した雁爪を使って、高良川沿岸の浦河原の数町歩を自力で開墾したり、長や四国まで出かけていって甘藷(さつまいも)や製糖法を学んで筑後にもたらした篤農家だったのです。
その2に続く
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上記の話は史実をもとにした創作です。念のため。
※文献では九郎兵衛がヒントとしたのは山太郎蟹ではなく、サワガニだった可能性も。
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久留米藩御井郡国分村に笠九郎兵衛(りゅう・くろべえ)という農民がいました。
いつもアレコレと独創的な事を思いつく九郎兵衛は19歳。農作業でもいろんな工夫をこらしながら作物を育てている、一風変わった青年でした。
夏の間、九郎兵衛が考えていたのは畑にはびこる草のことです。もっと効率よく草取りできたらいいのに…。
夕方、農作業を終えて家に着いた九郎兵衛、ふわ~~んと蟹味噌の香りが漂っています。
「おっ。今日は山太郎蟹か。秋やなぁ。」と笑みがこぼれます。

山太郎蟹とは、近くの筑後川で獲れるモクズガニのこと。
山太郎蟹を使った風味豊かな蟹汁と蟹飯は筑後地域では秋の訪れを告げる郷土料理です。
「うまい、うまい。」と言って九郎兵衛は蟹汁をすすりました。
そして山太郎蟹の蟹の足を食べようと手に取った時、頭に閃くものがありました。
「これやん!」
山太郎蟹の蟹の爪のようなもので土を掘ったら、硬い土でも掘りおこしもできるし、草の根も深く取れるんじゃないか。
蟹の爪が一本、いや三本か四本ぐらいあれば…。
宝永6年(1709)、九郎兵衛は山太郎蟹からヒントを得て(※)、「蟹爪」→「雁爪」という鍬を発明しました。
雁爪は、千歯こき、千石とおしと並ぶ近世の日本の代表的農具です。
笠九郎兵衛とは、自分が発明した雁爪を使って、高良川沿岸の浦河原の数町歩を自力で開墾したり、長や四国まで出かけていって甘藷(さつまいも)や製糖法を学んで筑後にもたらした篤農家だったのです。
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