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西洋美術関連ブログ 思索の断片
―Thoughts, Chiefly Vague

『フェルメールになれなかった男―20世紀最大の贋作事件』

2014-04-10 20:07:54 | 書籍(美術書)

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フェルメールになれなかった男―20世紀最大の贋作事件
(原題:I Was Vermeer―The Rise and Fall of the Twentieth Century's Greatest Forger
フランク・ウイン (著)
小林頼子、池田みゆき (翻訳)
筑摩書房
2014

以前にもブログで触れたフェルメールの贋作者ハン・ファン・メーヘレンの物語。
数年前にハードカバーで出版されたものが、今年の3月に文庫化された。

芸術作品の真贋をめぐる議論は、美術という世界に存在する根本的な問題点を照らし出している。
ミステリー小説のような興奮と、ジャーナリストの著者による確かな筆致を味わうことのできる一冊だ。

良書といっていいだろう。

本書における最大の教訓は、これ。

市場の価格は、いかに大枚が動こうが、真作の証明ではない」(389頁)

では、メーヘレンの手による〈フェルメール作品〉のうち、最高傑作といわれるものを載せておこう。


《エマオの食事》 (1937、ボイマンス美術館[オランダ])

いまとなってはなぜ並み居る専門家たちがすっかり騙されてしまったのか不思議なくらい、この〈傑作〉には、フェルメールの、あのなんともいいようのない〈クオリア〉が欠けている。

しかしもしメーヘレンの自白がなかったならば、我々がまだ〈騙されて〉いる可能性だってある。
必ずしも、我々の審美眼が当時の専門家のそれを上回っているわけではないのだ。

実際、現在多くの美術館に展示されている〈巨匠〉の絵画のいったい何点が真作なのか、また何点〈真作〉だと思って鑑賞者が崇めていることか、わかったものではない。

では最後に、〈贋作〉関連でこの絵画を。
先日会期が終了した「ラファエル前派展」にも展示されていたヘンリー・ウォリスの代表作である。


チャタトンの死》 (1856、テート)

ちなみに、この絵画自体は、〈贋作〉ではない

おそらく)。

ポップアートの奇才 ウォーホルを"読む"

2014-04-06 10:05:17 | 番組(日曜美術館)

ウォーホル 《マリリン・モンロー》 (1967年、アンディ・ウォーホル美術館)

2014年4月6日放送 日曜美術館(NHK Eテレ)
ポップアートの奇才 ウォーホルを"読む"
[出演] 秋元康氏(作詞家・放送作家)
[VTR出演] 佐藤可士和氏(アートディレクター)、布施英利氏(美術批評家)、エリック・シャイナー氏(アンディ・ウォーホル美術館館長)

アンディ・ウォーホルについてすべてを知りたいなら、ぼくの絵と映画、そしてぼくの表面を見るだけでいい。
そこにぼくがいる。
裏には何もない

ウォーホルの作品は、概して、表面的にはわかりやすい主題を扱っている。
しかし一歩踏み込むと、鑑賞者の多くは一瞬思考停止に陥る。

それから作品について思考をめぐらせようとした時点で、ウォーホルの〈勝ち〉である。
結局は、〈表面〉に戻ってくるのだから。

オスカー・ワイルドは小説『ドリアン・グレイの肖像』の序文で次のように書いている。

「すべての芸術は、すなわち表層と象徴でなりたっている。
危険を冒さなければ表層の下に踏み込むことはできない。
危険を冒さなければ象徴を読み取ることはできない」
(仁木めぐみ訳[光文社古典新訳文庫]、9頁)

ウォーホルの作品を観るにあたっても、「表層の下に踏み込むこと」は「危険」なのである。

20世紀初頭にデュシャンが発表した《》は、19世紀以前の美術界における「オリジナリティー」の概念を根本から覆すものであった。


デュシャン 《泉》 (1917年、オリジナル作品は現存せず)

ある種デュシャンが方向づけた20世紀の美術界において、ポップ・アートの巨匠と謳われるウォーホルもまた次のような言葉をのこしている。

「なぜオリジナルである必要があるのだろうか?」

〈オリジナルでない〉という点で〈オリジナル〉であった、稀有のアーティストである。

フィンセント・ファン・ゴッホ 「オーヴェールの教会」

2014-04-05 22:54:43 | 番組(美の巨人たち)

('The Church at Auvers' [1890, Musée d'Orsay, Paris])

2014年4月5日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
フィンセント・ファン・ゴッホオーヴェールの教会

濃いブルーをバックに映える歪んだ教会。

この絵は長らく画家の悲観的な心理のあらわれと解釈されてきた。

無理もない。
題名にも含められているオーヴェールとは、画家の絶命の地なのだから。

しかし本当にそうなのか。

終の住み処となったパリ北部の農村で、ゴッホはかつてないほど精力的に作品を仕上げていった。
そのペース、70日間で70作品以上。

今回の一作は、ゴッホの画業における新たな方向性のあらわれともいわれる。

この作品が彼の集大成となってしまったことは皮肉かもしれない。
しかし見方によっては、画家の望みが遂げられた、その達成感も少なからずあったのではないか。

画面上部は夜の青。
その視線は俯瞰的。

対して下部は昼の黄。
こちらは見上げるような視点から描かれている。

撞着融合的なコントラストのなかで浮かび上がる教会の姿。

異郷にあって、教会牧師だった父のことが思い起こされる。
自らの内面においての父との和解が、臨終のときを安らかに導いた。

依然謎多きゴッホの死だが、こうした解釈も十分可能だろう。

最後に・・・

ドラマ「シャーロック」で一躍有名になった俳優ベネディクト・カンバーバッチは、BBCのドキュメンタリードラマVincent Van Gogh: Painted with Wordsでゴッホを演じている。
YouTubeでも観られるので、興味のある方はどうぞ。



『名画に見る男のファッション』

2014-04-03 13:44:28 | 書籍(美術書)

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名画に見る男のファッション
中野京子
角川書店
2014

今月最初の投稿は中野京子氏の新刊について。

お洒落で凝った装丁。
扱われているのは男性ファッションの歴史。

女性ファッションはともかく、男性のそれをこれほど集めた美術書は他に例がないのではないか。
選び抜かれた30の作品に描かれている男性像は、どれも個性が際立っている。

各話のタイトルもエスプリが効いている。
(「悪趣味のきわみ」、「着ぐるみファッション」等々)

一作品だけ紹介しておこう。
「ダンディ、かくあるべし」と題されたエッセイで扱われている作品である。


中野氏がこの章の26頁で引用しているカーライルの言葉も秀逸だ。

曰く、「ダンディとはただの〈服を着た男〉にすぎない」。

美術書としては異色だが、少なからず興味深い一冊である。