明けない夜はない

膣ガンステージ、肝臓に遠隔転移あり。只今経過観察中。そんな私の心の叫びと、乗り越えて来た事、あれこれ。

2006年5月(入院中)③

2006-09-19 14:58:15 | 病気の経緯と治療とか
90歳の、おばあちゃまが退院して、すぐにそこへ、違う患者さんが運ばれた。
同じ部屋なのに、あまり見えなかったけど、チラッって見るに、
とても、若そうな予感。お友達になれるかな?
でも、とっても、体、辛そうだった。

彼女は、毎日検査三昧で、点滴をし、輸血も行っていたので、
自由が利かなかった。そして、病名も病状も、私には解らなかった。

そんなある日、消灯過ぎの、私達の病室で、しくしく泣き声が、聞こえた。
最初は、何の音か解らなかったんだけど、耳を澄ますと、それは、やっぱり、
人のすすり泣くような、泣き声。
他の患者に、聞こえないように、声を押し殺して、泣いてる。
発信元は、彼女だって、すぐに解った。
カーテンの向こう側で、声をかけたいのに、掛けられない私。

「きっと、さっきのムンテラで、辛い事、言われたんだね。
 私でよければ、話聞くよ!」

心で、叫ぶも、声にならず・・・。

翌日。
いつものように、朝イチで放射線に通う。
すると、放射線の待合室に、彼女が居た。
放射線を当てるって事は、同じ病気かな?

今日まで、知らなかった。いつも、すれ違ってたんだね。
私を見て、彼女、すぐに話掛けてくれた。

「同室のクランベリーさんですよね?私実は、ずっとお話したかったの。
 だって年代が近い患者さんって、周りに居ないでしょ?
 やっぱ、年が近い方が、気持ちも解ってもらえるかな?って思ってね。
 担当看護師Tちゃんから、クランベリーさんの事、お話聞いてたんです。」

え?私の事、聞いてた?しかも、看護師Tちゃんから?
(担当看護師Tちゃんは、彼女の担当看護師)
それって、プライバシーに、反するやーん!とか、細かい事は、抜きにして、
とっても、嬉しかった

放射線治療を前に、待合室で、盛り上がる2人
彼女Iさんは、話してみると、5つ年上で、高校生の息子さんが1人居るらしい。
主治医も一緒。(担当医は違うけど)部屋も一緒。治療も一緒。
又私は、1つ殻を破る事が出来て、入院生活が、ある意味楽しくなった

そんな明るくなれたよな、ある日、私にも、異変が。
順調に進んでた、放射線治療。どんどん、副作用が出て来る。
まずは、下痢。
私の場合は、そんなにキツくは無かったんだけど、明らかにユルい。
元々、他の薬の影響で、私は難便になっていた。(便秘?)
だから、おトイレとお友達ってくらい、辛くは無かったけど、
何度も、何度も、トイレに行き、肛門が切れるかと、思ったほど。

放射線を照射した部分は、徐々に火傷に変わっていき、
(骨盤・大腿骨)
排泄、排尿に、かなり支障をきたしていた。
でも、まだ後半分は、照射が残ってる。
やっと、5合目か。山のてっぺんまで、ふんばらなきゃ

私は今回の入院で、放射線照射の他に、しなければいけない、治療が幾つかあった。
それは、麻薬(劇薬)痛み止め

「オキシコンチン」

の数を減らし、無くならす事。
1日で最大200mg飲んでいたオキシコンチン。
服用は、徐々に減っていき、この時30mgまで、減らせた。
退院までに、0を目標に、もっていきたいらしい。

それと、もう1つ。最大の、治療。
放射線照射と併用して、抗がん剤投与
主治医の予定では、入院中(放射線照射中)に、2クールの投与を、
予定していた。

癌告知された11月から(この病院では)ずっとこの治療を、主治医は、
私に、したいと、思っていた。
でも、当初は腫瘤がかなり大きかった為、抗がん剤で小さくし、やっと今、
当初の目的だった、放射線+抗がん剤治療に、こぎつけた。

この治療方法は、手術と同じくらいの効果があるらしく、
私にとっては、半年経ったこの頃、初めて大きな治療を受けてる事になる。

抗がん剤の投与方法は、今までと同じく、TJ weekly chemotherapy。
(タキソール+カルボプラチンのブレンド)

この時、6クール目を投与する事となった。
6クール①回目、採血の結果、問題無く抗がん剤投与。
この頃の目に見えての副作用は、吐気、倦怠感、爪の色の変色、くらいだろうか。

放射線照射を行っているとの事で、投与量は、いつもの3/4の量に、抑えられた。
だから、脱毛は、あまりなかった。
放射線の副作用の下痢は、ピークを脱し、代わりに火傷が、日に日に酷く、
なっていった。

私の副作用も、辛くなっていったけど、そんな中、Iさんと話す時間は、
とっても、楽しく、お互いの励みになり、元気がモリモリ沸いてきた


次へ続く