明けない夜はない

膣ガンステージ、肝臓に遠隔転移あり。只今経過観察中。そんな私の心の叫びと、乗り越えて来た事、あれこれ。

2006年5月の出来事①

2006-09-10 23:19:25 | 病気の経緯と治療とか
自問自答しながら、重い気持ちの中でも、時は平等に流れる。

放射線治療を、始めるにあたり、入院が必要と、なった。
放射線は、毎日1回、週5日照射する。土日は、照射が休みなので、
外泊も、許可を取れば、自由に出来る


入院の話しは、少し前から、主治医N先生から、説明があったし、
覚悟は、出来ていた。

でも、やっぱり家族と離れて、一人病床ってのは、悲しいね
先生に無理を言って、限界ギリギリまで、家に居る事を、許可してもらった。
私にとって、このギリギリの限界の時間は、自分の心を精算する為の時間でもあり、
入院生活開始の、踏ん切りの時間でもあった。

そんな世間は、ゴールデンウィーク。私も、ゴールデンに、過ごしたい。
入院前に、家族と一緒に、美味しい物食べたり、ちょっと外出したり、
楽しく、時間を過ごす事が出来た。

そんな、楽しい時間は、あっと言う間に過ぎて、入院当日

朝イチで、病院へ向かい、入院手続きを済ませ、病棟へ。
担当看護師Yちゃんの先輩Nさんが、待っていてくれた。

「又、しばらくお世話になります。」と私。

「今回は、ちょっと長い入院やね。2ヶ月くらいかな?」とNさん。

そう言って、部屋に案内された。又もや、4人部屋。606号室。
1番、端っこの隅の部屋。なんだか、ちょっと、寒かった。
他の3人は、皆おばさま&おばあさま。私33歳。
そして、病棟内を見回しても、同年代の患者は、居ない。
同じ患者でも、同年代は、みな妊婦
一気に孤独の淵に。個室に入りたい。でも、又空いてない。

私は髪が無く、ハゲていたから、周りの人にすれば、

「あー、若いのにこの子、癌なんだね」

と、一目瞭然。
私はこの頃、自分の殻にこもって、バリアを大きく広げていたから、
ぺらぺら、話し掛けて来る人は、居なかった。
いつも、1人でご飯を食べて、1人で時間を過ごし、1人で行動していた。

入院当日は、内診が義務づけられていた。
私の、入院した日は、教授回診の曜日でもあり、私は主治医N先生では無く、
N教授に、内診をしてもらう事になった。
『えー、主治医以外に、診られるの嫌だなぁ・・・』
教授の診察と言う事もあり、カーテンの向こうのギャラリーは、
いつもの、倍に。

N教授、

「ちょっと痛いかも、知れ無いけど、僕はベテランだから、心配無いからね」

見た目は厳しいが、とても心が優しい、教授。
心をリラックスさせてくれて、無事内診終了。

それから、別の日。
いよいよ放射線照射位置を、決める為の相談の日。
初めて、案内されたその場所は、

「高エネルギー室」

と言う名前の治療棟で、1Fの奥の奥、そして又その奥に、建て増しされた場所に、
そこは、あった。まるで、隔離されてるみたいに。

照射位置を決める為、別室に呼ばれ、固いベットのような物に寝て、
照射場所(骨盤・大腿骨辺り)に、技師さん達が、2人係りで、
マジックで、印を描いていた。
だいの大人が、2人、私の照射場所に、落書きしてるようで、その様は、
とても笑えた。
でも、笑えない、私のこれからの治療

明日の治療から毎日、これを提出してねと、渡されたファイル。
そこには、私の名前と、放射線の機械?についての、注意書きが書いてあった。

「放射線の機械は、決してあなたを、襲ったり、傷つけたり、しません。
 ですから、照射中は、絶対に動かないで下さい」

みたいな、意味合いの事が、書かれてあった。

そして、その文章を見て、不安になってる私を察して、看護師さん、

「放射線を照射する機械は、とっても大きいから、明日の治療の前に、今、ちょっと
 見ておこうか?そしたら、不安も除けるね」

そう言って、わざわざ、明日治療すれば、解る機械の大きさを、
見せて、説明してくれた。

「リニアック①室」と書かれた、紫の扉の部屋。

むっちゃ大きい機械そして、厳重な重い扉。
どうりで、隔離した大きな棟が要るわけだ

その大きな放射線の機械が、この棟には3機もあり、その横に、
「腔内照射室」と言う、直接患部に放射線を照射する、部屋もあった。

いよいよ、明日から、本格的な次のステップの治療、放射線照射が始まる

次へ続く