明けない夜はない

膣ガンステージ、肝臓に遠隔転移あり。只今経過観察中。そんな私の心の叫びと、乗り越えて来た事、あれこれ。

2006年6月(入院中)④

2006-09-21 13:32:14 | 病気の経緯と治療とか
1つ、書き忘れた事があった。

大学病院と言う場所は、先生が早いローテーションで、変わる。

去年の11月から、この病院へお世話になり、主治医、担当医よりも、
可愛がってくれた、病棟医長I先生が、居た。

いつも、見回っては、声を掛けてくれたり、元気付けてくれたり、笑わせてくれたり、

「調子はどーや?いけてる?」

絶えず会話を、してくれたI先生。告知を家族と、私にしてくれたI先生。
いつも、売店では、缶コーヒーを、買っていた、I先生。よく、出会ったね。
ちょい悪おやじ系な、I先生。
聞く所に寄れば、昔は、カナリな、ヤンキーだったとか。
そんな、大好きだった、I先生が、転院された。
とっても、淋しくなった。

それに加え、私に付いてくれていた、担当医の女医S先生も、4月で転院。
いつも、優しく微笑み掛けてくれて、針刺しは、名人級
指名したくなるほどだった。
でも、さよなら
せっかく、打ち解けたって思えたのに、出て行っちゃうのね。悲しい

5/8に入院した時、新しい担当医と言われる、先生が挨拶にやって来た。
マタマタ、女医さん。今度の先生は、S先生よりも、とーっても、庶民的で、
気さく、隣のお姉ちゃんみたいな、存在の先生だった。
人見知りする私も、すぐに打ち解ける事が出来た。
これから、お世話になりますね。M女医さん。
聞いてみれば、M女医、年は私よりも3つ下。

空いた婦人科病棟医長の、ポストには、主治医N先生が、納まることに。
主治医N先生、又忙しくなったね。

これで、私の側には、主治医N先生、担当医M女医、担当看護師Yちゃんが、
付いてくれる事になった。


いつものように、朝イチで放射線を当てて、帰って来たある日、
事件が発生
何やら、病棟の廊下が、騒がしい。
私の部屋は、1番隅っこだから、歩いて近付いていくと、
段々騒々しさが、ピークに。

病屋の前には、心臓マッサージとかする、SOSセット?みたいな、
赤いワゴンが、置かれていた。こんなの、見たのは、初めて。
恐る恐る、病室へ入ると、カーテン越しに私の隣の患者さん、Yさんの周りに、
先生方が、ずらーーーっと。看護師さんも、数名居てた。

後から、事情を担当医M女医に聞いてみたら、
なんと、抗がん剤で、アレルギー反応発生。少しの間、気を失ってしまったらしい。
でも、薬を投与止めたら、すぐに息を吹き返し、バイタルも正常値に。
Yさんは、57歳のおばさま。手術を行い、その後、
今日が、人生初の抗がん剤だったようだ。
抗がん剤の薬は、なんと、私と全く同じ。
カーテン越しに、とっても怖くなり、震えてしまった。

私は、6クール②回目を、数日後に予定していたので、
もしかして、自分もこうなるのでは、無いか?と、かなり怯えてしまった。

この事件が、きっかけとなり、それ以降、Iさんに加え、Yさんとも、
毎日、話が出来るように、なった。
又、1人仲間が増えたよ
聞くと、Yさんの息子さん、私と同じ年。
なんだか、私を見て、娘みたいに、思ってくれた。

数日後、私は6クール②回目の抗がん剤を、投与する為、採血を行った。
うちの病院、採血は、早朝と決まっていて、(6時)まだ眠い、目をこすりながら、
血をとられた。

結果、放射線照射の影響もあり、骨髄抑制が徐々に出ていて、
すぐには、打てない状態。
白血球を上げる為、「ノイトロジン」を、看護師さんに、打ってもらい、
上昇を待つ事に。

「これで、びしばし、上昇してくれるからね。心配無し!」

この注射、他の注射よりも、チクっと痛い。

今まで、順序よく、計画的に治療が進んでいたのに、
ちょっと、足踏み状態。
焦る気持ちもあったけど、今は自分の体が大事。

来週早々に、次回の投与予定が、組まれた。

次へ続く