明けない夜はない

膣ガンステージ、肝臓に遠隔転移あり。只今経過観察中。そんな私の心の叫びと、乗り越えて来た事、あれこれ。

月イチ外来5月編

2007-05-28 23:06:14 | 月イチ外来

皆様、こんにちは
5月下旬と言うのに、日差しがキツイ今日は28日。
本日、月イチ外来DAY♡天気はとっても嬉しい、晴れ日和☆
今回は、女性診療科に併せて、放射線科の3ヶ月検診もアリ。
9:30の放射線科予約に向けて、車で向かうは、S医大。

とってもお天気が良かったから、なんだかそれだけで、気分が良かった。
病院までは高速乗って、40分ちょい。
「このまんま、高速降りずに、ドライブしたいなー」
なんて思いが頭を過ぎったけど、もちろん、下車して外来行ったわけです。( ´Д⊂

着く事予約時間、9:30ギリギリ。^_^;
女性診療科は10:00の予約。
再来受付を済ませ、1Fの端っこ、放射線科へ。
少し待ったら、すぐに呼ばれて、3ヶ月ブリに放射線の先生とご対面。
ま、何も特別な事も無く、触診をし診てもらって、終了。

いつも、放射線検診で聞かれる事なんだけど、放射線を下腹部へ照射した事で、
「排尿」「排便」の障害が、晩期からも出るかも知れないとの事・・・。
だから、いつも念入りなチェックが入る。私は、今のところ、大丈夫。(^_^)v
次回定期健診は、3ヶ月後の8月末。忘れそう・・・^_^;

そして次は、3F女性診療科へ。
受付を済ませ、血液検査の為、2Fへ下がり、採血。
今回は、月曜日なのに、患者様が少なくて、すんなりやってもらえた。
看護師さんは、いつものメガネのお姐さんは居なくて、
とーっても若い看護師さんだったけど、上手だった。(^_^)v
採血を済ませ、3Fへ上がり、女性診療科へ。予約時間の、ちょっと前に着いた。

しかし・・・。待てども、待てども呼ばれず・・・( ´Д⊂
時計はとっくに11時を回っていて、「もしかして、私呼び忘れられてる?」
とか、考えヤキモキしてたトコに、看護師さんが、遠くから「待たせてごめんね~」
と、手で謝るポーズをし、私を呼んだ。よかったー、忘れられて無くて。(笑)
呼ばれた時、時間は11:30をとっくに回っていた。
とっても今日は、ごった返していて患者さんが多かった。
待ち疲れる患者の立場も、しんどいが、もっともっと先生達は大変なはず。
診てもらえる事に、感謝しなくちゃ。ありがとうございます。

主治医Nと会うのは、あの日以来なので、少し照れくさかったけど、
出来るだけ明るく、『こんにちは、よろしくお願いします!』と言って腰掛けた。
そして、
「あの日は、突然先生に会いに行ってしまって、ごめんなさい」

と、言うと、

「いやいや、エエよ(^_^)v」

とぶっきらぼうなに(失礼!)笑ってくれた。ちょっと緊張がとけた。(笑)

そして、少し面持ちを変えて、主治医Nは、静かに彼女の話をした。

「とても不本意な結果に終ってしまった・・・
 全ての人を救う事が出来ないと言う事が、とても辛い」

と。
主治医Nは、とってもぶっきらぼうな先生だけど、とても心が温かい。
そう気付いたのは、ちょっと前のこと・・・。
最初会った頃は、その持ち味の「ぶっきらぼう」がとても冷たく感じたけど、
実は、そうでは無い。とても心は温かい。多くを語らない、ぶっきらぼうなだけ。
(先生、ゴメンナサイ・ま、見てないと思うけどさ)

思い出話をするかのように、主治医Nは続けて、

「クランベリーさんが、最初ここへ運ばれて来た時、(2005/11)
 正直どうなるのか???って、先行きが見えずとても心配だったよ。
 でも、薬がよく効いてくれて(抗がん剤)奇跡的とも言えるくらい、
 よくなってくれてー、!!!」

と言った。奇跡的?ははは。
今ここに私が居ると言う事も、奇跡だと言う事なのか。(笑)

その後、N先生が、

「クランベリーさん、今度はどこへ旅行しに行くの?

って聞いてこられまして、少々びっくり。(@_@)
私が旅好きな事を、よーく知っていて、ヒトリゴトのように言ってた事を、
どうも、覚えていた模様・・・^_^;でも、ちょっと嬉しかったり(ルン
どんな秘境へも行ってOK、ご自由にどーぞとの事で、
感染などは健康な人と同じくらいのリスクだと知り、益々旅行熱が~~~~!

そして、血液検査の結果をモニターで見ながら、腫瘍マーカー値も安定して居る事、
コレステロールは、ホルモン剤を飲んでから、下降している事、
取り立てて今、問題が何も無い事を言われ、少し嬉しかった。
しかし、女性ホルモン剤を飲んでいるけど、治療中にダメージを受けてしまった
子宮は、働いてくれず、今回も出血が来なかった。
でも、出血が無くても女性ホルモンを入れてる事で、
見えない部分で、キチンと女性らしく(?)働いてくれているとの事。
心配しなくてOKとの事だった。
ま、出血したとしても排卵しないワケだから、複雑な心境だけど。

今回は、内診と細胞診関係の検査、やるんだって心で思っていたけど、
どうも、内診室へ促されず、結局主治医Nと沢山お話して、
ちょびっと私的な質問して、お薬処方してもらって、お終い。(´д`)
あー、1時間半待ったのに・・・。(´д`)
(でも、内心内診無くて、ホッっとしたりして^_^;シャレちゃうで!)
とは言え、30分近くも診察室に居て、話をし、聞いて貰っていた。
どうも、ありがとうございました<(_ _)>

そんなこんなで、3Fを後にし、会計へ向かうと、
何やらロビーのTVの前に、人だかり。
ニュースは、有名アーティストの訃報だった。
直接の原因では無いとは言え、同じ、婦人科系ガン。
私はこのアーティストにとっても、勇気や元気をもらっていた。
もちろん、アルバムも何枚も今でもあるし、淋しい。
そして、このニュースを知り、又とても切なくなった。

でも、病院の外は、こんなに青かった。空は繋がっているもんね。
次回、女性診療科外来は、6/25の予定です。

そして、お待ちかね!のランチ。今回も、ワキワキで。(笑)
インディアンレストラン「ムガール」です。



5種類ある日替わりカレーの中から、3種類選べるセットを注文@私
こちらは、添え付けはサフランバターライスです
カレー3種、美味い、美味い~~~~~
左から、チキンカリー、ミックスベジタブルカリー、ダル豆のカリー
この中で1番スパイシーだったのは、やっぱチキンカリーだった。



こちらは、サフランバターライスがナンに変わっただけっす。@相方
画像では、わかりにくいけど、とっても分厚いモッチリふっかふかナンでした。
ライスより、ナンの方が、美味しかった。
半分こよね?と言って、相方より、ナンをぶんだくりました。
こちらカレーは、ダル豆の代わりに、マトンのカレーを頼んでみましたよん。
(画像真ん中)ちょっと独特なクサさが、あったけど、美味しいよ

んまぁー、お腹パンパンで、(当たり前やけど)背中にチャックがあるならば、
開けないといけないくらいに、満腹っす~(もしくは、閉まらないくらい)
ふー、北インド料理店だったので、ベジーでは無く少々脂っぽかったけど、
味が濃くて、旨味がギュって感じで、美味しかった。
ナンも、もっちもちのフカフカだったしね
又、行きたいな~(ワキワキの会)


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先日、患者と家族の為のサイトエノク」さんより、相互リンクのお話しを、
メールで頂きました。とっても嬉しかった。(^_^)v
どうもありがとうございました。

そして、私の病名「膣ガン」は非常に稀で、若年層に罹っている患者が見当たらず、
情報が無いに等しい、婦人科系ガンの中でも数%の割合でしか、患者が居ません。
でも、エノクを見て下さってる膣ガン患者様が、同じ病名の方の情報が欲しい、
膣癌でブログやってる人って居るの?って、調べてくれたとしたら、
それって、私にとってもとても嬉しい事。

ですから、エノクさんに提案して、リンク集の欄に、新たに「膣癌・外陰癌」
か、「婦人科系疾患」のカテゴリーを、追加してもらえませんか?と、
言って見ました。(現在私のブログは、「卵巣・子宮」のカテゴリーに載せて頂いてます)
すると、丁寧にお返事を頂き、早速対応して下さるとのお話し。
なんだか、嬉しい。極少数に向けての、情報かも知れないのに、
対応して下さると言うその姿勢が、とても嬉しかったです。
どうも、ありがとうございます。

これは、ちょっと前の記事ですが、エノクさんが「膣癌・外陰癌」として、
ニュースのソースを、挙げて下さいました。
http://news.henok.jp/kiji/2007/05/hpvreuters_7.shtml

http://www.kwn-rmn.jp/cgi-bin/taiho/news.cgi?mode=jpview&num=2904

丁度タイムリー的に、今回の外来で、主治医Nからもこの、
HPVワクチンの有効性に付いての話が出ました。
まだまだ、日本では使える状況ではありませんが、近い将来使えるように、
なると良いな。
ちょっとづつでも、動いてる気がして、とても嬉しい気持ちになりました。


記念日カレーとスィーツ

2007-05-22 11:14:21 | お出掛け

皆様、こんにちは

先週は、ちょっと辛くて淋しい事があったけど、少し嬉しい事も、ありました。
いっぱい心配して下さった皆様、どうもありがとう!
もう私の気分は、元気モリモリです。(^_^)v

さて。
5/16は、私達の結婚記念日@9回目でした。
おぉー、夫よ、よくぞ耐えて連れ添ってくれたねー。( ´Д⊂
感謝で、ござります。(笑)

去年は、治療で入院中だったので、お祝い出来なかったけど、
今年は、久々にお祝いと銘打って、インド料理を週末に食べて参りました。
(って、私が食べたかっただけって話しも・・・^_^;)

二度目の訪問です。
菜食南インド料理レストランサベラです。

最初、予約の電話を入れた時、「お名前お願い致します!」との問いに
相方が、
「○○です」
と苗字を告げると、電話の向こうでオーナーさんが、
「実は、私の苗字も、○○なんですっ!きゃー偶然~」
と、テンション上がり気味。(笑)一気に親近感ワキワキに、なりました。
ま、私達の苗字なんて、有り触れた苗字なので、特別珍しくも無いんだけど。

メニューは、南インド料理特有の、「ミールス」と言われるモノと(1人前)、
カレー単品を2種類、ガーリックナンを注文。
まずは、ビールで乾杯

左は、インド料理には欠かせない、インドビールの「マハラジャ」
ちょっと雑味があって、苦い感じのビール。でも、飲みやすいかも。
マハラジャと聞くと、私世代は、
ディスコ=お立ち台=バブルと言う図式が頭で成り立ちます。(笑)
右は、お馴染み「プレミアムモルツ」
文句なしに美味しい。タイプです。まさに私のど真ん中ビールです。

続いて、おつまみ。パパドと呼ばれる、インドの薄焼き煎餅?みたいなの。
香ばしくて、少しピリリとして、美味しかった~
アテにもピッタリね

こちらは、「フルミールス」の一部
「フル」ですので、いろいろ付いてきます。
手前から、スープカレー2種、真ん中の白いのは、ココナッツのチャツネ、
右側の白いのは、ヨーグルトで味付けした、塩味の冷たいサラダみたいなモノ。
そしてそのお隣、小さな器の赤いモノは、インドのピクルスみたいなモノ。
とっても、辛いです。ま、私は辛党ですし、難なくクリアですがね。
ライムと、マンゴーを唐辛子と、特製のスパイスで漬けてあります。
クセになる味と辛さ。美味いです。
その隣りは、ペースト状になったインドカレー。中身は野菜。
濃厚で、甘くて美味しかったそして、左は生野菜のサラダ。
スープカレーは、見た目2種とも同じように見えるけど、味付けが全く違っていて、
とっても辛く、スパイシーで後引く美味さだった
中に入ってるお野菜も、それぞれ違った。

こちら、フルミールスに付いてる「ナン」と、バスマティ米
どちらも2回だけ、お代わり出来ます。(笑)
ナンは、見た目にも解るように、薄っぺらいタイプ。
もちもちと言うよりは、パリパリと言う感じ。
お米は、インドのモノで、パラッパラで、カレーと良く合う

こちらも、フルミールスに付いてる揚げ物、「ワダ」です。
人の名前みたいで、笑えた。
中味はネッチリで、さつま揚げみたいなすり身が入ったような食感。
画像では、大きく写ってるけど、実際は市販のドーナツよりも、チビサイズ。
フルミールスは、これで全部。後は食後の飲み物と、デザートが付いてます。
これで、大体3000円弱。(飲み物別)明朗会計っすね。
一人前だったけど、結構ボリュームアリ

こちら、単品で注文した、「ほうれん草入り野菜ペーストのカレー」です。
(名前失念)中には、パニールと呼ばれる、カッテージチーズの塊が、
ゴロンゴロン入ってますよ見た目通り、濃厚で野菜の甘みが美味しかった

こちらは、「ひよこ豆のカレー」です。(名前失念又か?^_^;)
私、豆大好き~ひよこ豆が、ペースト状では無くて、原型のまま、
ごろごろ入ってますこれも、濃厚で美味さ爆裂でしたね
見た目に反して、甘目のカレーでした

こちらは、「ガーリックナン」さっきのフルミールスに付いてたナンよりも、
幾分、分厚めで大きいモチモチ度は、ありました
ガーリックのみじん切りの粒々を、埋め込んで焼いてあります
上の2種類のカレーを、コレに付けて食べるデスよ。美味いです。

相方が予約時に、「結婚記念日のお祝いで、食事をしに行きます」
と、言ってくれたので、オーナーさんが、(同じ苗字の・笑)気を利かせて、
ホール4号サイズのケーキを、用意してくれていました。
やーん、嬉しいわ~こう言う演出って、女子は好きよね~(笑)
画像を少し消してあるけど、プレートには、私達の名前と、
「ハッピーウエディングアニバーサリー」(全部カタカナ表記だしwww)
と書かれていましたどうも、ありがとう~

これは、断面図暗くて見え難いですね・・・
中には丸ごと苺が、沢山入ってて、クリームをスポンジで挟んでありました。
トップはクレープでおめかしされていて、カラメルの焦がし具合のほろ苦さと、
クリームの甘さが、美味しかった~当然、2人で1/2カットを、完食しました

ここのお店は、全てベジタリアン向けのメニューで、(一部北インドのメニューもアリ)
肉魚無し、お野菜だけでここまでボリュームあるなんて、嬉しい限り
その上ゆったり時間を過ごす事が出来、大好きなカレーを食べられて、
満腹、満足です又、来ま~す

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ちょっと前に、食べたモノ達

5/12、晴れの良いお天気の日、とっても遠くからお友達が遊びに来てくれました。
この日、少ししか時間を取れないと言う私に合わせてくれて、
京都駅構内にあるスィーツ専門店で、しばしお茶そして、スィーツを
京都ではモンブランで超有名な、「マールブランシュ」です。

(お顔が写っているので、少し加工してあります)
わーい素晴らしいタワー状の特盛りパフェですね。
私が注文したのは、「モンブランパフェ」(そんな名前だったと思う
文句無しのボリュームで、下の黄色い層は、マンゴー層。
茶色いのは、チョコ。白いのは、生クリーム。
そしてグルグル巻きに乗ってる、モンブラン層、リーフパイ、マロングラッセ。
甘い物を一週間分くらい、補給した気分見た目よりも濃厚で、甘いです。

上から見ると、こんな感じモンブランがもっさり、乗っています。(笑)

遠くから来てくれたお友達、この日いそいそとせわしなくて、ごめんなさい
この後、たっぷり、関西を満喫してくれたかしら?


渡せなかったスピッツ

2007-05-17 16:27:06 | 現在日記や、つぶやきとか

昨夜から降り続いた雨が、今朝もずっと降っている。

5月15日、20時42分、彼女は40年の生涯の幕を閉じた。

私は、12日に彼女に会いに行って、沢山は話せなかったけど、
彼女の「又今度ね!」の言葉を胸に、私にしか出来ない事、それを少し考えていた。
考えても、中々答えが見つからない。
じゃ、悩んでるくらいなら、行ってみるだけ、行ってみよう!そう、決めた。

自分の中で決めた日、それは16日の水曜日。
この日の午後を目指し、行こうと決めた。スピッツ持ってね。
彼女自身の連絡先は知っていても、ご家族や、ご両親の連絡先を、
聞くのを忘れていたので、道理に反しているとは思ったが、彼女の入院している、
私も世話になっている、病院の病棟へ主治医宛に、15日の夜、電話を掛けた。
彼女の病状、容態を聞きたくて。

電話に出た看護師曰く、主治医Nは、処置中との事。
そしたら、又掛けますと言って、40分後くらいに又掛けた。
でもまだ、主治医は診察+処置中との話しで、結局申し訳無いとは思ったが、
電話を我が家に掛け直してもらう事にした。

私が治療中の時も、幾らしょうもない事であっても、いつも主治医Nは電話を、
掛け直して、対応してくれていた。
でも、この日は、何分待っても、何時間待っても電話は鳴らなかった。
私は胸騒ぎがした。

後から知ったが、そう、丁度この時、彼女のお見送りをしていたから。


翌朝、私は1時間も早く目が覚めた。
いつもなら、2度寝をするが、この日はなんとなく起きよう、そう思い、体を起こし、
ベッドを降りようとしたら、携帯が鳴った。
朝の6時半前の出来事。

送信者は、彼女のメアドだった。私の胸騒ぎは、当たっていた。
旦那様が、彼女の携帯から、私宛に
『最後のお別れをしに、よろしければ、おいでください』とのメールだった。
私は、落胆した。今日これから、準備して会いに行こう、スピッツ持って、
行こうって思っていたのに。もう会えないなんて。

お別れの儀式は18時からとの事だったけど、私はぽっかりと開いた胸の中を、
どうやって埋めようか、18時までどうやって過ごせば良いの?
そうやってぼーっと考え、家に居るのが嫌になり、ふらふら彷徨った。
彷徨いながら、いっぱい泣けてきた。
下を向きながら歩いたら、涙がいっぱい落ちるから、上を向きながら、歩いた。
周りの人達に、ヘンテコに思われてたけど、良いもん。
だって、悲しいんだもん。淋しいんだもん。悔しいんだもん。

相方が、半休をとってくれて、午後から戻って来てくれた。
こう言う時、側に居てくれて、ありがたい。ありがとう。

お別れの儀式の場所まで、ここからはかなり距離がある。
車で高速使って、40分くらいか。
いつも通う外来の道と同じ道。でも、この日はちょっと違う気持ち。
お別れの儀式は、病院近くで、行われた。18時に始まる。

ちょっと早めに着いたけど、係りの人に促され、中へ入った。
すると、ふっくら可愛い彼女のベストショットが3つ、こちらを向いて微笑んでる。
それを見た瞬間、涙が溢れ出て、どうしようも無くなった。
だって、最後の最後は、とっても彼女は痩せてしまっていたから。
そして、本当に、居なくなっちゃったんだなと、実感した。

私は泣き顔でぐしゃぐしゃなまま、相方に支えられ、彼女の旦那様と息子さんに挨拶をし、席に座った。
残された息子さんは、今年高3だけど、とても真面目な感じの、可愛い、坊ちゃん。
まだ、「母親の死」と言う現実を直視出来ていないようだった。

儀式が始まっても、私は上の空で、終始彼女のベストショットを見ながら、
最後の苦しかった姿を思い出し、リンクさせ、たまらなくなった。

最後のお別れの時、旦那様が私達に

「是非、顔を見てやって下さい」

そう言って下さったから、棺に入っている彼女に会った。
お化粧をした彼女が、眠っていた。ほんとに、「ねえねえ、起きてよ!」って言えば、
「あ、ごめーん」なんて、いつものように、起きてくれそうな、
そんな風に、静かに眠っていた。とてもキレイだった。

棺の近くに、ご両親と弟さんが居られて、話しをした。
お母さまは、私を見るなり、泣かれて、

「辛いところを、見せてごめんね、でもあなたには、娘の分まで、
 これからも、ずっと生きて欲しいの」

そう言って、私を軽く抱きしめた。私はたまらず、

「・・・私、結局何も、してあげられなかった」

声にならないような、涙声でそう伝えると、ご両親が、

「とてもあなたとの事、喜んでいたわ。ありがとう!」

そう何度も、言って下さり、私はとても嬉しかった。
そして、

「最後の見送りは、先生方皆さんで、送り出してくれたんだよ、
 沢山の先生達が見守る中、静かに眠りにつきました。
 そして、その後は、看護師さん達が、お風呂に入れてくれて、
 きれいに髪も洗ってくれてね、
 娘は、本当に喜んで旅立っていったって、思ってます。」

そう、教えて下さった。彼女は、主治医Nを最後とても信頼していたから、
最後まで、主治医Nに診てもらえた事、とても嬉しかったって思う。

一際目立って私は、しゃくりあげて泣いていたけど、
他の参列者の方々は、きっと彼女の闘病で辛かった日々を知らない。
日に日に、衰弱していく彼女を支えていた、ご家族。
計り知れない、悲しみがそこにあった。

私は、恥かしながら、終始泣きっぱなしだったけど、
最後の最後、お別れする時に、
旦那様に、彼女へ渡すつもりだった、「スピッツ」のCD2枚組みと、
最後に会った日、彼女が涙をぬぐった私のハンカチを、
「一緒にもたせてあげて下さい」と言い、預かってもらい、そこを後にした。
時間は、19時前だった。


そこから私の通う病院まで、すぐ近く。
私は友達を失ったショックと、病気への恐怖、昨日の悪いタイミングで
電話をした粗相、諸々を直接会って、主治医Nと話したくなった。

予め相方が、病棟へ連絡を入れてくれ、

「こちらのワガママで、何か用事があると言う訳では無いのですが、
 妻がN先生と、お話ししたいと申しております、少し会えませんか?」

そう、電話に出た看護師に、言ってくれた。
その看護師は、運良く私の担当看護師だったYちゃんだった。
もちろん、主治医Nは、他にも沢山の患者さんを持っていて、いつも、忙しい。
でも、今少し手隙きだから(実際ホントかどうかは、わからないけど)
気を付けておいで、と言ってくれた。
ありがとう。

10分くらいして病棟に着き、喪服姿の私達が恐縮しながら、
ナースステーションの前でもじもじしてると、看護師Yちゃんがすぐ気付いてくれて、
後にすぐ主治医Nが、私達に気付いてくれた。
主治医Nは、そこから、私達の方へやってくる際、
何か自分に言い聞かせてるようだった。
先生だって、辛かったんだ。
そしてちょっと間を取りながら、私達の方へ来てくれた。

しばし、私はN先生を直視し、涙が出ないよう、踏ん張った。
N先生も、こちらを直視し、言葉の無いまま、

「悲しいね、淋しいね」

を、目で話した。いつもクールな主治医Nだけど、
N先生の目には、こみ上げそうな涙が浮かんでいた。
私は最初に、

「昨日悪いタイミングで電話をしてすみません。
 その後先生から連絡が無かったので、辛い結果になったんだな、と察知しました。    
 今朝、旦那様から連絡があって、さっきお別れを言って来ました。」

と、言ったら、
N先生は、

「電話があった頃、彼女の処置中でね・・・、最後の数日間は、
 意思の疎通がはかれなくて・・・。・・・。・・・。」

と言った。
どうやら私が訪れた12日くらいを最後に、話せなくなったようだった。

そして、私はN先生に、

「彼女は、最後までN先生に診てもらえた事、とても嬉しく思っていたと思います。
 とても先生の事を、信頼していました。私もいつか逝く時が来るでしょう。
 その時は最後までN先生に診て頂きたいと思いました。
 因みに私、80歳まで生きるつもりですからね。」

と、皮肉を交えて主治医Nへ言うと、

「クランベリーさんが80歳と言う事は、僕も80歳まで生きなければ、
 ならないって事だね。ひぇー」

と、笑いながら言った。
そして、私は、

「先生、絶対に、辞めないでね」

そう告げると、

「うん、辞めない。辞めへんって(^_^)v」

と強く言ってくれた。
これから先、人事はどうなるにせよ、嬉しい言葉だった。
そして、主治医Nは、付け加えるように、

「クランベリーさんは、治療が上手くいったんだから!!!ね」

と、今までに見た事の無い、優しい表情で、私に言った。

「これからも、よろしくお願い致します」

と言って、一礼し、向き直して、エレベーターの方へ歩いて行った。
その間、私達の背中をずっと見送ってくれた。
何度も途中振り返ると、主治医Nが、こちらを向いて、笑っていた。

.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆..。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・

Iさん私、これからも、どんと来いだからね!
笑って、毎日を過ごすよ。1日1日を大切に。
きっと、私がムダにしたその1日は、あなたは迎えたかった1日かも知れないから。

泣いてしょげた私を、空から叱ってね。
そして、最後に渡したスピッツ聞いて、私を思い出してね。
涙が出て来た時には、最後に渡したハンカチで、涙を拭いてね。

3月に再会したあの日の数日前に、彼女はいつもの抗がん剤投与のつもりで、
入院して来た。
何もかもを、やり残した、置いた状態で。

3月の外来の日、私がCT検査だけだと思って訪れたあの日、
急遽入ったMRI検査のおかげで、又会えたね。
そして、最後の日を迎えるまで、いっぱい文字を通して話せた事、
嬉しかったわ。そして、直にも沢山話せた。
あの日、私にこう言ったね。

「私の命は、どうやら夏までらしいよ」

こう、笑いながら言ってたけど、心の底では信じられなかったし、
信じたくなかったし、受け入れたくなかったはず。
でも、いつも気丈だった。

「私がクランベリーさんと、同じ頃に病気が発症していたら、
 あなたは、孤独にならずに済んだのにね、ごめんね」

こんな事も、言ってくれた。当初私は、ずっと一人ぼっちだった。
やっと治療も山を越えるか?と思えた放射線治療の入院で、
Iさんと初めて会ったから。

そして、3月に出会ったその後、腎臓に管を入れる手術があった。
腎臓は背中にあるから、手術の時、めっちゃ痛いって、涙が止まらなかったって、
麻酔が効き難かったって、私にメールで泣いてたよね。
それを乗り越えたのに。

そして、毎日食欲が無い、でもオムライスが食べたいわ~☆
なんて、言って病食を止めて、車椅子の誘導がヘタクソな私だったけど二人で病院内にある喫茶店に、オムライスと、抹茶パフェ(私)食べに行ったよね?
その時の、食欲、とっても私嬉しかったよ。
全部は食べられなかったけど、8割は食べる事が出来、それがパワーになったもんね。

でも、もう一つの腎臓も、悪くなって、結局腎臓2つから、
管を通さねばならない選択に。
悔しくて、辛くて、いっぱい泣いたよね。
でも、主治医Nを信じて、やってみよう!そう私が言ったら、
翌日、嫌だけどやってみるって、そう言って、手術受けたよね。

背中から管が2つも出ているから、横向きにしか寝れないって、
ツラカッタよね。寝返りしたいって、気を遣ってナースに言えず、
我慢しながら、耐えたよね。

ちょっと弱気になった彼女は、私に、

「死ぬのって痛いのかな?」

そんな事を、何度も聞いたよね。
私は、何でそんな事聞くの?って言ったら、

「冗談で、私の誕生日は、5月12日なんだけど、先生私、それまで生きられますかね~あはは~って言ったら、主治医N先生固まって、
 正直それは、微妙だねって、言うねん。N先生、私に元気になるような事、
 ひとつも言ってくれへんねん。もー意地悪やわー」

って笑い飛ばしてたけど、実際怖かったんだよね。
自身の変化に気付いていって、体も辛くなって来て。

最後に会えた、あなたの誕生日の日には、意識も混濁していて、
少しつらそうだったけど、お誕生日おめでとう~☆の言葉に、

「私、どうせ死ぬなら、なんで40歳に神様はしたのかな。
 39歳で死にたかったわ」

って。私、何も言えなかった。

彼女が最後に私に言った、「今度ね!」は、果たせなかったけど、
あなたの気持ちは、受け取ったよ。ありがとう。

私は、彼女の40年のうち、
たった1年しか知らないけど、そんな1年間でも、辛かった事、
嬉しかった事、楽しかった事、泣いた事、いっぱい一緒にしたよね。

ここを訪れ、私の記事を読んで下さった方々が、
直接彼女を知らなかったとしても、その一瞬でも想ってもらえれば、
思い出してもらえればと思います。
私なら、そうやって、思い出話をずっとしてもらいたいって思ったから。

ねえ、Iさん、お別れ言いに行ったあの晩は、雨が降って来たよ。
神様も、涙を流していたんだね。

出会えて嬉しかった、どうもありがとう。
私は、一生あなたと言う女性を、絶対に忘れないわ。


彼女のバースデー

2007-05-14 17:02:12 | 現在日記や、つぶやきとか

皆様、こんにちは
爽やかを通り越し、寒い日が続く、そんな今年の5月。
いつになったら、灯油のストーブ、しまえるのかしら?(@_@)
まだ我が家は、朝・晩と、少し働いてもらってます。@ストーブ

いつも、お気楽天国的に過ごしているようで、
私だって、こんな私だって、深く考える事もあるし、不安になる事もある。
病気の事も、日々の事も、これからの自分の事も、友達の事も。
そんな今日は、ちょっと陰な私の記事。
ま、そんな感じです。(笑)

5年生存率。
この事に付いて、1番最初の入院の翌日だったかな?(05、11月)

「クランベリーさんに付いての、5年生存率などの情報を、
 聞きたいですか?」

と、確か担当看護師Yちゃんが私に問うた。
その時私はガンと言われたショックと、痛みと、惨めさで、
自暴自棄だったし、なんせ私は、遠隔転移アリ+尿閉状態だったから、
ステージⅣ-b。
素人の私にだって、どんな確率か目に見えてなんとなくわかったから。
私は、
「いいえ、聞きたく無いです。と言うか、言わないで!聞きたく無いの!

そう強く、担当看護師Yちゃんに、すがりつくようにして、言った。
聞いてしまえば、それが全部本当の事になって、そうなるような、
そんな感じがあの頃はしていた。

でも、それから後、自分達の独断的な情報で、(ネットや文献)
知ってしまった、生存率。
それで解った事、わずか、数%だった。
私がこれから先、生きていける確率は、わずか数%???
そんな、冗談じゃ無い。私はやりたい事山盛りのてんこ盛りで、ここで死ねるか!そんな意地?みたいな気持ちで、突っ走って来た。

でも、私に完治(治癒)は無い。「上手く共存していこうね♪」なのだけど。

あの頃、私に何の選択権もなかったし、ただ、主治医を初めとする、
医療チームを信頼し、乗り越える事しか出来なかった。
薬の量だって、もちろん薬の種類だって、治療法だって。
きっと主治医達は、私を思って考えて、チョイスしてくれたって思ってる。
だからこそ、今ココに元気な私が居る訳で。
でも、それには、ラッキーが重なった事も多々あった。

まず私には、
アレルギー反応が見られなかった事。
ガンに侵されてる以外の器官が、上手く働いてくれていた事。
抗がん剤の副作用に対して、副作用を軽減する薬が有効だった事。
そして1番大切な事、
私の良からぬ部分に、劇的に効いてくれた事
だ。

前フリがかなり長くなったけど。
5/12は、彼女の40歳のバースデー。

そう、彼女とはIさんの事で、入院中に知り合った、たった一人の、
心許せる仲間で、友達。年も近いし、よく話した。
あの日を境に、(MRIとCT同日検査日)メアドを交換し、
彼女との、メールのやり取りを、毎日何度もやりあった。(^_^)v
まるで私達は恋人同士のように、何度も何度も、沢山メールをし合った。
そして、いろんな話しを文字を通して、知ったし話した。
文字からは、元気そうな言葉、楽しそうな主治医との話し。
研修医の針刺しの実験台になってあげたのなんて、余裕な会話。
でも私は、2週間に一度は、顔を見に出掛けて行き、彼女と直に話した。
その度に彼女は痩せていった。
私が二度目の入院をした頃丁度去年の今頃、彼女と出会った
あの頃の私は、超低迷中で一番気分的にも落ち込んでいて、
髪はマルハゲ、全脱、目付きにも派気が無く、希望も薄れ、
「いつまで、この治療が続くの?」と、どよーんとした状態。
その頃2人で話した、【5年生存率】出口の見えない会話。
あの頃、彼女は主治医N(私と同じ主治医)の事を中々信頼し切れず、
悶々としてた。
でも、

「私の病状って、0になる事は無いんでしょ?」

とのIさんの問いに、当時Iさんに付いていた研修医Tが、

「はい。0になる事は、ありません」

なんて、冷酷な言い回しで凹ませ、メゲた事もあったけど、
その後、主治医NがIさんのその同じ問いに対して、

「僕達は、0に近付ける為に、治療をやっているんだ。その為に僕達は居る」

こう主治医Nが言ってくれたって、喜んだよね。
そして又、希望を持ちながら、治療してこって言ったもん。


あれから、約1年。
彼女は、治療を拒んだ事は一度も無いし、むしろ治療を受けたいと思っている。
それなのに、それなのに、アレルギー反応のせいで、体が拒否をし、
薬の組み合わせ、薬の種類が狭められ、抗がん剤の選択肢が無い。
病気に有効な抗がん剤はあっても、彼女の体内へは流せない。
受けたい意思があっても、前に進めない。
治療が出来ないこの間に、時だけが過ぎていく。

「12日のお誕生日、一緒にお祝いしよう!ケーキ持って顔見に行くね(^_^)v」

と私はメールをし、

「ありがとう!楽しみに待ってるね!

その短い一言のメール。それをもらったのは、7日の月曜日だった。
あれだけ、毎日何度も返って来たメールが、少なくなり、
隔日になり、文章が短くなり、そして無くなった。
それ以降、返信は戻って来ない。

私は、予定通り12日の午後を目指し(面会は、午後からなので)病院に向かった。
6Fに付き、2週間前と同じ病室へ向かおうとすると、
彼女の名札は、ナースの詰め所から、1番近い部屋で個室の、
「特別室」
に、掛かっていた。
この前までは、4人部屋だったのに。

その特別室から、彼女のご両親が丁度出て来られた時で、
私は、挨拶をし、部屋を変えて、ご両親と初めて話しをした。
いっぱいいっぱい、話しを聞いた。
お父様に、

「あなたは、たとえどん底までいった経験があったとしても、
 今こうやって、元気になっていらっしゃる。そんな姿は、
 うちの娘を始め、沢山の同じ病を持つ人達の、励みになる。
 是非、これからも、同じ病の方々に体験を話し、励まして希望を、
 持たせて欲しい」

と。なんだか、ご両親の前で、少しよくなっている自分が、
後ろめたく思っていたけど、こんな風に言われて、嬉しかった。


特別室は、とても広くて、窓も大きく、明るい部屋だった。
その部屋に、彼女のベッドが置かれ、サイドテーブルには、
CDラジカセが必死で鳴っていた。コブクロ。
私に何かを訴え掛けるように、途切れなく、ずっと鳴っていた。

私は、彼女の顔を見て、

「おーっす(^_^)v顔見に来たよ、お誕生日おめでとう☆

と、思い切りの笑顔で、彼女に言った。
ケーキの代わりに口当たりの良さそうな、果肉ゼリーを持って行ったけど、
どうも、クチからモノが食べられない様子。
私が会えなかった間に、事態は変化していた。

彼女は必死に、振り絞るような声で私に向かって、いろいろ話してくれるけど、
コブクロが邪魔をして、聞き取れない。
私は、彼女のクチに耳を近づけ、話しを聞いた。
でも、話すとすぐに目を閉じ、そして又すぐ目を開けて、
話す・・・。の繰り返し。
点滴の痛み止めが、睡眠を促していた。

この流れるコブクロが、彼女の必死の声のように思えた。
ずっとずっと、強気で居たい。
ずっと話し続けて居たい。
でも、痛くて辛くて疲れちゃったよ。
そして、目を閉じて眠る・・・。

彼女は、私に、

「又、今度ゆっくり話そう!今度ね!」

そう何度も、今度ねと、言った。
私は部屋を出る時、彼女の手を強くぎゅっと握って、

「又来るね!」

そう言うと、彼女は、強く握り返してくれて、ニヤリと笑った。
今度会いに行く時は、私のお気に入り「スピッツ」を持って、行くからね。
又、すぐ顔見に会いに行くから。

とても私は悔しい。そして無力で、辛い。
私が悔しいと感情をむき出しても、何も変わらないんけど。
前向きに治療を受けたい。こう思う彼女に、選択肢が無いなんて。
でもまだ、ご両親とも彼女も、希望を捨てた訳では無い。

こんな辛く悔しい気持ちのこの日は、思いっ切り晴れのお天気だった。
なんだかちょっと、救われた。


カレー熱ワキワキ

2007-05-09 09:30:18 | お出掛け

皆様、こんにちは
忘れた頃の更新で、ちょっとブリですが、よろしくお願い致します

さて。
東京旅以来、依然私のハートを鷲づかみにしてるのは、御存知の通り、
「インド料理」な、わけで・・・。カレー熱ワキワキ中です
そんな中、昨日はお友達の、花ハナさんを私の独断と偏見でインド料理、
「カレー熱ワキワキの会」(そんなん、あるんか?^_^;)
に、お誘いしました
天気は、晴れめちゃんこ、暑かったです
京都某所で待ち合わせをし、地下鉄乗って、少し歩く事10数分・・・。
本日目指すお店、インド料理ケララがあります。


ベジタリアンプレート名前の通り、野菜のみのカレー

特大ナンの下には、カレー2種と、白ご飯、デザートのヨーグルトのフルーツ和え、

ほんのわずかの、野菜サラダ、サモサが隠れていて、ボリューム満点

このランチには、トマトスープか、食後のチャイが選べて、私達はアイスチャイを、
セレクトとっても、お上品な量ね?(笑)
なみなみと、注いで頂いてもOKだったのに

確か、お昼前に入ったと思うんだけど、ランチタイムの、ラストオーダーの時刻まで、
延々話しをしてました。(笑)
肝心のカレーは、美味かったっす~甘いんだけどスパイシーで、辛いんだけど、
甘いみたいな。(意味不明?^_^;)
ナンは、煎餅みたいに薄いタイプだったけど、ところどころモチモチしてて、
美味しかった。白ご飯よりも、ナン2枚でも良かったなー。(笑)

既にもうこの時、時間が15時前と言う事もあり、花ちゃんの帰りの電車の時間が、
迫っておりましたー
しかし、まだ話し足りないね?との判断で、帰宅時刻を遅らせてもらいましたよー
京都駅へ戻って切符の変更をしようとしたら・・・?
エライ、人だかり。なんやろ?これはー殺人事件か?
事実を確認すべく、側で見守っていた女性警官に、花ちゃんが聞いてくれましたよー。
皇太子殿下が、もうすぐ到着との事。さぁ、見て見ましょ!
偶然にも、皇太子殿下を見る事が出来ましたよー

見ず知らずの私達に、満面の笑みをふりまいてくれました。
なんだか、幸せ気分ですあっ、ピンボケ載せちゃった(笑)

殿下をお見送りした後、(見終わった)目指すは、都路里
平日だったけど、丁度お茶時な時間だったからか、並んでましたー
きっと、本店だと、もっと並ぶかも・・・
しばし待つ事10分くらい・・・。呼ばれて、通された席は、合い席
気合を入れて話し込めませんでした。

特選抹茶パフェ都路里の自慢の抹茶菓子が、全部入ってます
抹茶の苦味も利いてて、美味しいです。
しかし、周りを見渡しても、このデカい特選抹茶パフェ食べてる人、私達くらいでした。(笑)
待ち時間よりも、食べる速度の方が早かったと思われ・・・(笑)
早々と、お店を後にして落ち着いた場所へ移動(野外)
時間配分を考えながら、又話し込む事2時間弱・・・。

いっぱい話しをしたし、意見交換出来て、聞いてもらえた1日
今日は、どうもありがとう元気、パンパンでーす
又、お付き合いお願い致しまーす

.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*

別の日
GW中に、カレー熱ワキワキ中な私は、いろいろ出歩いてみましたよー
キーワードは「南インド料理
まず候補に挙がったのは、南インド料理ティラガと言うお店
スタッフ、オールインド人です。(と思う)

ランチプレート見え難いけど、ワンプレートに、サモサなどの揚げ物系と、
わずかな野菜サラダ、日替わりのカレー1種盛り。
ナン1/2+白米、食前にトマトスープが付いてます。
思ったより、美味しかったちょっと荒っぽい味付けなんだけど、それがマタ良い

コレは、マサラドーサと言う、お米の粉と豆の粉をクレープ状にして焼いたモノ。
中には、スパイシーなポテトが入ってます東京の友人達に教えてもらってから、
ずっと食べたかった一品。関西でもお目に掛かれるとは~
個人的には、もうちと、焼き目を付けて欲しかった。(笑)
でも、もちもちで、美味しかった~
添え付けには、チャツネとスープカレーが白いのは、多分ココナッツ。

マサラドーサの中味スパイシーなポテトサラダ?みたいのが、
いっぱい入ってまーす美味いよ~

コレマタ別の日
今回行ってみたお店は、菜食南インド料理レストランサベラです。
お店の名前にあるように、オール菜食メニューです(肉、魚、不使用)

日替わりランチプレートです
こちらのお店、店内は少し薄暗いですが、席がとってもゆったり取ってあって、
優雅に食事する事が出来ます
そして、味付けも上品~美味しかったです
ワンプレートに、日替わりカレー(この日は、大根と筍のカレー)、揚げ物、
サラダ、サブジ(野菜のスパイシー炒めみたいなの)が付いて、
白米は、バスマティ米と言う本場のお米で、パラパラしてました。本格的
ティラガの荒っぽい味付けも好きだけど、この上品さも、捨て難い

今回も、マサラドーサを注文してみました
ここのは、ホント折りたたんだクレープみたいな形です
店員さんに聞いてみると、シェフによって、ドーサの形が違うそう
薄っぺらいけど、ちゃんと中にスパイシーポテト入ってマス
添え付けには、ココナッツチャツネと、スープカレー
ここのは、透明度の高い、スープカレーでした。お野菜いっぱい

食後は、チャイ
ここのお店は、全体的に洗礼された感じで美味しいし、特別な日にも使えそう
でも、BGMがインドっぽくなかったのが、残念(笑)

食後には、アイスを

ハゲのハッピーファイブ?5種盛りです。5の付く日だけ食べられるそう
この日は5日だったので、偶然食べる事が出来やした
上から、マンゴー、黒ゴマ、ベルジアンチョコ、抹茶、ストロベリーです。
(ストロベリーは、いっちゃん下なので、見えませんねー

食べ物画像ばっかで、ごめんなさい
相変わらず、不定期更新で食い意地張ってる私ですが、
皆様どうぞよろしくお願い致します