明けない夜はない

膣ガンステージ、肝臓に遠隔転移あり。只今経過観察中。そんな私の心の叫びと、乗り越えて来た事、あれこれ。

インドの時間総集編

2008-10-10 20:30:37 | 

皆様、こんにちは

インドの旅から戻ってもう1年ちょっと・・・。
好い加減、レポートを整理しなければ、中途半端なまんま終るのは嫌だったので、
ちょっとまとめてみました。

最後に、写真を見て、現地を感じて下されば、嬉しいです
私の、ウンチクなどは一切のカットで、写真集総集編をお楽しみ下されば、
嬉しく思います。
極少の僅かの方々ですが、インド旅の写真を楽しみにして下さっている方が、
居て下さる事をホント、嬉しく思っています

一気に、4日目のアグラ~6日目最終地デリーまでの写真集、
をどうぞ、お楽しみ下さいませ。

インドの時間4
http://www.imagegateway.net/a?i=29IDgJe1qr

インドの時間5
http://www.imagegateway.net/a?i=I1Jgcbz2r4

インドの時間6
http://www.imagegateway.net/a?i=4mJgcbz2r4



です。
見て、楽しんでもらえれば、嬉しく思います。
いつも皆様、見に来て下さってどうもありがとう

インドで出会った、イケメン2人です。
右は、ジャイプールからずっとドライバーで運転してくれたイケメン、
左は1週間ずっと一緒だった、ガイドのゴーさんです。


「インドのイケメン写真撮って来て~!」と、彼女とした約束。
遅くなってごめんね
今、彼女は旅立ってここには居ないけど、
空から見てくれてるかな?


インドの時間③

2007-10-19 15:03:11 | 

皆様、こんにちは
ちょっとブリの更新ですが、よろしくお願い致します。

一雨毎にどんどん秋めいてきた、京都です。
忘れないうちに、インドレポートを書いておこうかと。
と言ってももう、既に帰国して2ヶ月余りが経つワケですがね。^_^;
どうぞ、お付き合い下さいませ。

さて。
今回は、バラナシ~アグラ編

<ガンジス河の夜明け>
==================================
<8/14日>天気は、霧雨。

バラナシでのガンジス河を見ると言うのは、この旅のハイライトの一つ
朝陽を拝むタメに、早起き。
5時過ぎに、ガイドとドライバーがホテルまで迎えに来てくれて、
30分弱でガンジス河に到着。

最初は、雨降ってなかったんだけど、日が昇るにつれ、段々と霧雨が。
天候が悪い場合は、河が増水する事が考えられ、
ボートからガートを見る事が出来ない。
(※ガートとは岸辺から階段になって河水に没している堤の事)
うーん、お天気持って欲しいなーと思うところ。

ガンジス河には、バラナシの南端から弧を描くように、岸辺に84余りの、
ガートが連なっている。
その各々のガートから、巡礼者は朝早くから沐浴をしたり、拝んだり、
時には、洗濯をしたり、瞑想したり、聖水(ガンジスの水は聖水とされている)を、
汲んで持ち帰る人、様々な時間を過ごしている。
水辺には、大きなかさを立てた台に座った、バラモンが(最上階級)
沐浴しに来た人達に、説法を説いていたりする。

私達観光客は、沐浴することは当然止められていたけど、
この風景を見てるだけと言うのも、来た甲斐が無いと言うモノ。
聖なる、ガンジスに抱かれてみたい、そう思えるような幅広い、とても穏やかな、
ゆったり流れる河。なんだか、見た目だけで不思議な気持ちになる。
TVや雑誌なんかで、何度も見たあのガンジス河が、私の目の前に今、流れている。

ヒトリ旅の女性が、裸足になって、足を浸していた。
あ、ソレ私もやってみたいなーなんて思いながら、実行出来ず・・・^_^;
でもやっぱり、神聖なガンジスに触れてみたい、その想いを諦め切れず、
「手」だけを、浸す事に。
ゴーさん曰く、ガンジスの水に触れたら、全ての悪行を洗い流してくれると言う、
慣わしがあるらしい。これで、一皮剥けて、バージョンUPしたかしらん?

ガンジス河は、バナラシの命であり、インドの母なる河と称されている。
その名前にピッタリ、なんだか全ての時間が、ゆったり流れるような、
日本で過ごしていれば、体験出来ないような、不思議な時間。
イソイソとした瞬間は、ソコには無い。全てがスローモーションのように。

日が昇って、雨が又強く降って来たけど、観光客向けにボートを出してくれる事に。
ボートは、20数人程の定員で、その定員満員にならなければ、出発しないと言う。
私達は、ガイドを含めて3人・・・。うーん、人数集めに時間が掛かりそうだな。
定員いっぱいにならないと、船を出せないと言う理由の一つに、
河が増水しているから、転覆防止の為、「重さ」が居るとの事。
そんな説明を受けている時、向こうから花売りの男性が来た。
カタコトの英語を時間掛けて理解してみると、どうやらこの花(ろうそくも付いてた)を
ガンジスに流す事で、願いが叶う?らしき事を言っている。
値段は、10ルピー。
もちろん、高くは無いけど、さっき別の人には5ルピーで、売ってた。(笑)
値段など、あって無いようなモノなのか。
でも、しかし、私達は10ルピーでその花を買い、想いを込めてガンジスに流した。

私達が最初に乗り込んだボートは、少し古くガタ?が来ていたとの事で、
乗り換え無くてはならないハメに・・・(ノД`)
ベストポジション取って待っていたのに、席替えです。(笑)
その船の乗り換えの際、河上なのでかなり揺れる。
なので、船頭さんのアシスタント(若者)が、そっと手を差し出して私に貸してくれた。
それなのに、その優しい厚意を、私は断ってしまった。
それは、ただ単にちょっと恥ずかしいな・・・って気持ちなだけ。
でも彼らは、差別される事を知っている。断った後の若者の顔は、
「やっぱりね」
みたいな、ちょっと淋しい顔をした。今更ながら、とても後悔している。
決して差別したわけじゃないけど、彼らにはきっとそう写っただろう。

そして船の乗り換えが済み、やっとボートが動き出した。
さっきの若者は、必死で漕いでいる。今時、手漕ぎである。
30余名乗せたボートを2人で手漕ぎ。その熱意が嬉しかったり。

少し河を下っていくと、あるガートの前で下ろされた。
そこには、煙が上がっていて、ゴーさんより撮影禁止!との注意が。
そこは、火葬する場所であり、ヒンズー教の人々にすれば、ここで火葬してもらい、
その後、灰をガンジスに流してもらえると言うのは、最高の最期。
でも、その最高の最期を迎えられるのは、人生を全うしたと言われる者だけ。
自殺者や、惜しくも人生早くにピリオドを付けた人々は、火葬してもらえず、
まんま河へ遺体を沈めるらしい。(重しなんかを付けて)
人の命に長さで重さは量れないのに、なんだかちょっと困惑。

バラナシと言う地域は、都会から離れている事もあって、田舎。
そしてあらゆる方面から、信者もそして観光客も出入りするから、
値段設定が、あって無い様なモノ。現地人は、相手を見て判断する。
ま、インドと言う国柄、ボラれる事は当たり前の日常なのだけど。

このバラナシと言う地域で有名なのが、「シルク」。
ガンジス河での感動を胸に、次に移動したのが、「シルク工場」。
どうやら、見学+購入の為に、そちらへ連れられる事に・・・。^_^;
しかし、このシルクを観光客が買うと、バラナシの方達の暮らしが潤う。
ゴーさん曰く、そんなバラナシで暮らす人達を助ける為にも、
是非とも、シルクを購入してくれ・・・との事だった。
工場内を案内され、恰幅の良いボスみたいな人が、
私達を流暢な日本語で、説明する。
あー、こうやって日本語覚えて、商売してるんだなーって思った。

工場を少し見学した後、店内へ。
中には、さっきのボスの下で働く若者が2名いた。
早速私達に、ピッタリくっついてサービスが始まった。
少し、ボスの機嫌を伺いながら、ヒンズー語と英語、カタコトの日本語を交えて、
私達にセールスしてくる。2人っきりの客に対して、2名の店員・・・。
欲しく無くても、何か買って帰らなきゃならない状況に。
ここでも、「日本人」を発揮。NO!とはっきり、断れないのだ。
さっき、ゴーさんに「バラナシの暮らしを助ける為に、シルクを・・・」を、
思い出してしまったりして。
でも、きっとモノは良いモノなのかな?私はシルクに詳しくは無いけど。

母親のお土産に、シルクのスカーフと、シルクで継ぎ接ぎしてある小物入れを、
買う事にした。そのシルクのスカーフも、小物入れも、どっちも私は一つしか買うつもりは無いのに、それに対して、何枚も何枚も奥から出して来てくれて、
なんだか、ちょっと一枚だけじゃ悪いな・・・みたいな雰囲気になるも、
やっぱ、要らない物は欲しく無いので、その中から一枚を購入。
小物入れに至っては、2つ購入したら、一つおまけしてあげると言われたけど、
3つも要らないし、2つ分買うつもりもなかったので、断った。
もうこれで、買い物お終い!って言っても、あれこれ勧めて来て、
挙句の果てには、「シルクのサリーを着せてあげましょうか?」みたいな事まで、
言われ、購入させられそうになった。
女性にとって、サリーって魅力的だし、私も興味があった。
でもまだこれから旅は続く。ここでお金を使ってしまうワケにはいかない。
会計をしてと促し、お金を支払った。
私達に終始くっついて、商品を出し入れしたり、あれこれしてくれた店員2名は、
その売り上げを、全てボスに渡していた。
この売り上げの中から、彼らに幾ら支払われるのだろうか。

商品を包んでもらっている時、言葉が少々通じなかったので、
相方がメモで筆談しながら、会話していた。
その時に使っていた、ボールペン(100円程度のもらいもの)を見て、
「ギブミー、ギブミー、ギブミー」
と、恥ずかしげも無く、ひったくろうとした。
人のモン、欲しいってどう言う事やねんとか、少しびっくりしたけど、
相方は、すぐにそのボールペンを彼に渡した。
するともうヒトリの店員までが、今度は私に「ギブミー」攻撃。
私は、その時ペンを持っていなかったので、渡さなかった。
たった100円のペンだけど、彼らにとっては珍しいと言う事以外に、
「日本製」
と言う事にも、意味があるらしい。実際は、「メードインチャイナ」のモノだったけど。
工場を後にし、次は移動をする為に、駅へ向う。

バラナシ到着時から、ずっと私達を乗せて運転してくれるタクシーのおじいさん。
真っ白な車が、自慢なのに、この2日で、道なき道を走ってくれ、
泥だらけ。そして雨にも降られて。インド人って時間にルーズ。
でもこのおじいさんは、いつもガイドのゴーさんよりも先に来て居て待っていてくれて、
結構誠実な方だった。

バラナシから電車の駅まで、約1時間。天気が荒れて来て、土砂降りになって来た。
行程が少し押したので、移動時間が削られた。列車の時刻に間に合うかな?
道なき道を、どんどん走る。牛も馬も豚も寝そべってる、道なき道。
横断歩道なんて無いし、信号なんて、もちろん無い。
中央線だって走って無いし、道は舗装されていない。
ジャリ道、ガタガタ道、土砂降り。
なんだか、人生を走ってるみたいだ。
私達を間に合わせようと必死で、おじいさんは、どんどんスピードUP!
事故するんとちゃうか?って心配だったけど、どうやらインドはこれが日常。
トラックを抜きつ抜かれつ、無事駅に到着。
おじいさんも、ホッとしていた。(笑)
おじいさんは、どうやら私達が無事列車に乗ったのを確認し、見送るまでが、
ドライバーの仕事みたい。一緒に駅まで見送りに来てくれた。

駅に着くと、例の如く荷物を持った私達めがけて、ポーターが寄って来る。
「荷物持ってあげるよ~、どこまで行くの~」
みたいな事をきっと私達に言っているんだろう。
最初は、こんな事にビクビクしてた私達だけど、「NO!」と言えるようになった。
ゴーさんが切符を買いに行ってる間、そのたかって来る人達を振り払って、
待つ事数十分、ゴーさんが戻って来た。
列車NOと、ホームが記された切符(正式には、紙切れ)通りに、
2階の陸橋を渡ってホームへ向った。

もちろん、日本のように、エレベーターや、エスカレーターがあるわけでは無い。
階段のみ。私達はスーツケースを持っていたので、
ポーター無しで持って上がるには、少しキツかった。
ゴーさんは、バラモン階級だから、こんな事普段しないはず。
自分で荷物を持つ!と言う私達に、少し困惑気味。(笑)
今考えると、彼らポーターは、荷物を持つのが仕事。それでお金をもらっている。
私達が彼らの仕事を取った事にもなる。

暫くして、降りたタクシー内にお弁当を忘れて来た事を思い出した。
慌ててその旨をゴーさんに話すと、おじいさんが車内まで取りに戻ってくれる事に。
この時、初めて知ったんだけど、おじいさんは左足が、悪かった。
少し、足を引きずっていたから。
それなのに、クラッチを踏みながら、スピードあげて車を走らせてくれて、
階段の上り下りしながら、私達のポカで忘れたお弁当を取りに戻ってくれた。
ちょっとジーンとした。インドに来て初めて、人の優しさに触れた瞬間だった。
この時初めて、心からチップを払えた。ありがとう、おじいさん。

到着予定の列車は、ジャイプール行き、特急。
私達は、その途中にある都市、大理石で有名な世界遺産のタージマハールのある、
「アグラ」まで乗る予定。所要時間は10時間半。
列車が入るホームには、牛が居てびっくり。牛も乗り降りするのかな?(笑)
予定時刻になっても、列車が来ない。こんなのはインドの日常らしいが。
ゴーさん曰く、20分遅れまでは「ジャスト」の勘定。(笑)
私達日本人にすれば、00分発と、20分発は大きく違うが。
考え方を変えれば、そのくらい時間をゆったり使って日常を過ごしているとも言える。

暫く駅のベンチで座って待っていると、隣にインド人(だと思う)の子供が、
座って来た。暫し、私をジロジロ凝視。(笑)
やっぱ、日本人って珍しいのかなぁ。((´∀`))

列車到着、まだかなまだかなー・・・^_^;
列車案内のボードには、「on time」の文字。ホンマかいな!
ようやく20分余遅れで、列車到着。ま、インド文化では、20分はon timeだもんな。

こちら、列車の窓に柵がしてありますね?
これは、窓から乗り込むのを防止するためだそう。
ここの車両だけ、乗車率が200%くらい。(笑)
インドは、面積が広いからみんな、列車でゆっくり旅。

列車は、細かくランク付けされていて、もちろんそれに伴い値段が違う。
私達は、エアコン付きでインドでは、一番良いとされた寝台車両に乗った。
さっき、エアコン付きと書いたけど、こんなに暑い国なのに、
レギュラーシートは、エアコン無し。
一番良いとされた車両と言っても、薄暗く湿気ていて、ちょっと気持ち悪い。(笑)
ソノ上、この日は大雨だったので、ジメーって感じ。
ここでも、過剰サービス。エアコンは、ギンギン。めちゃんこ寒い。(笑)
毛布を貸してくれたけど、これもほんのり、湿っていて、チョット・・・^_^;

私達は、スーツケースを持っていたので、この荷物を終始、見ていなければならない。
いつ盗られるか、イタズラされるか、わからないって思っていたから。
その旨を、不安だとゴーさんに告げると、カレは、

「この車両に乗っているインド人は、お金持ちばかりです。
 お金持ちはそんな事しません、心配なしです。」

と・・・。そうか。周りを見回しても、お坊さんや(きっとバラモン階級)、
肥った方が多かった。
この肥った方って言うのは、階級が上になればなるほどに、インド人って言うのは、
肥った人が多い。そのワケは、沢山食べると言う以外に、
自分で動かなくなるからだそうだ。メイド(召使い)に全て仕事をあげるタメに、
用事を頼むから。自分の足で、中々動かない。

ちょっと安心したトコロに、列車が駅で停車。
一応、「エクスプレス」って名前だけど、時速にすれば100キロも出てない気がする。
凄くゆっくりな時間。列車の中はヒマだから、早く着かないかなーなんて思っていると、
駅で停車したトコロに、貧しい子供が入って来た。
停車中は、切符を持たなくても、車両に入れる。
この停車中に、お金をもらいに、回るのだ。私達の車両を最初から狙って。
その子は、物乞いのように、足を曲げ「お金を恵んで」と、
私達のシートにすがりつき、夫の足元まで寄り、足を触って来た。
震えるようなカタコトで話すんだけど、その目を合わすと最後。
ずっとずっとその場を離れず、お金をせびるから。
私達は、視線を合わせずに、ただ通り過ぎてくれるのを待った。
でも、その子の目は力強く、お金を貰い慣れているようにも思えた。

10分くらいの停車時間で、又列車が動き出した。
なんせ10時間半の旅。時間はたっぷりある。
列車内を、「チャーイ、チャーイ」と言いながら、チャイを売る人が行きかう。
後は、インドのおやつ「サモサ」や、軽いおやつなど(スナック菓子)
いろんな物を売る人達が、何往復も車両内を行きかう。
私達は、一度も買わなかったけど。

次の駅で停車した時、又貧しい子供が車両に入って来た。
その子は、竹ホウキを持って、掃除しに来たみたいだった。
ずっと膝を折り、膝まづきながらはき掃除をし、私達よりも目線が常に下になるように、
していた。そう言う風に、教えられているんだろうか。ちょっと複雑だ。
その子は、さっきの子よりも、とても淋しい目をしていて、
自分から「お金恵んで」とは、言えないようだった。
自分の仕事として、それに見合うお金を良ければくれませんか?
と、目が訴えていたようだった。切なかった。

そして又列車が走り出し、辺りは段々暗くなって来た。
ホントは、のんびり車窓から見る景色なんか、最高なんだけど、
何せ、外は豪雨それに加え、列車の窓が曇っていて、なんにも外が見えない。(笑)
高級車両の窓は、開かない事になっているので、
新幹線や飛行機の窓みたく構造がなっている。

最後の駅から乗ってきた、インド人ファミリーは、凄く若目のファミリーだった。
ママは、体系がカナリのふっくらさんで、その連れのお友達も、皆さんふっくら。
車両に入って、シートを確認するや否や、宴会が始まった。(笑)
丁度、私達のシートの真向かいで、私は軽くキレそうになった。
大声出すのも、お構いなし。若いから、仕方無いのか?
そこで、ココの車両に見合わないような、身なりの男性(ガリガリ)2名が居たので、
物売りかなんかなのかな?って思っていると、どうやらお向かいのファミリーが、
雇っているメイドらしかった。
はっきり、顔付きで解る。メイドなのか、乗客なのかって事が。

1家族に付き、メイドの数が増えれば増える程、お金を持っている証。
ぱっと見、20代だろうなと思われるその若家族は、かなりハブリが良さそうだった。
身に付けてるサリーだって、高級品っぽかったし、おシャレにも抜かりがなかった。
ここでも、貧富の差を見せ付けられた感があった。
あれこれ指図されたメイドは、嫌な顔一つせず、主人に仕えていた。
一度、奥さんがチャイをこぼした。
そのチャイを、膝まづきながらメイド達が、床をぬぐっている姿は見るに耐えなかった。

そして、ようやく10時間半ほど掛けて、目的地アグラに着いた。
辺りは真っ暗。アグラの駅は、タージマハールに似せた造りになっている。
夜だと、ピンクに光ってる。(笑)
さて、今日は疲れたなー。早朝のバラナシから、アグラまでの移動。
沢山の人々を、今日も見た。この後、ホテルにて就寝。おやすみなさい。

写真は、こちらからどうぞ。右上の、スライドショーよりどうぞ☆

次回、インドの時間④は、アグラ~ジャイプール編です。
長文、読んで下さり、どうもありがとうお疲れ様でした。


インドの時間②

2007-09-07 10:25:38 | 

皆様、こんにちは
もう9月を過ぎたと言うのに、まだまだ蒸し暑い京都です。(ノД`)

さて。
引き続き、インド旅にお付き合い下さいませ。
今回は、デリー~バラナシ編です。

<ムールガンダ・クティー寺院>

=================================
<8/13日>天気は曇り
雨期との事だったので、湿気ムンムン。日本の梅雨よりジメーって感じか。

今日は、デリーよりバラナシへ飛行機にて移動。
まずは、空港まで車で揺られる事1時間弱。
昨日と同じ風景。通りを物売りの子供達が行きかう。
ちょっと切ない。しかし、買えない。買うつもりも無いんだが。

空港に着き、到着時と同様、スーツケースを持ってあげると言い、
沢山人が寄ってくる。それを振り切り、ガイドと一緒にカウンターにチェックイン。
ちょっと焦ってる様子のゴーさん。あ、ゴーさんと言うのは、ガイドの名前。
名前が長いから、短縮して「ゴー、トヨンデネ」との事だった。以下ゴーさんで。
なんで、焦ってるの?って聞くと、どうやら飛行機が時間通りに飛ばないらしい。
さすがは、インド。逆に定刻通りに出発出来る方が、少ないかも。(@_@)
彼は、インド人。英語は堪能だけど、日本語はカタコト。
あ、もちろんヒンズー語も、ペラペラ。
ガイドの説明は出来るけど、こちらの意思を伝え、理解してもらうのには苦労する。

インドは、国内線でもセキュリティーチェックが厳しい。
手荷物も、中身までチェックされ、女性男性分かれて、ボディーチェックを受ける。
女性のチェックは、女性の係員がしてくれる。
外から見えないように、布で覆われた箱?みたいのに入って
頭から足の先までソフトタッチされチェック。もちろん、問題無し。

暫く空港内の待合室で待った。席が隣りのインド人が、暇つぶしに、「数読」の
ゲームをやっていた。日本の数読がこっちで流行っているのか。
表記は「sudoku」だったけど。インド式計算と、関係あるのかな。
私は暇だったので、キョロキョロ人間ウォッチングしていたら、
帽子を被った品の良さそうな、日本人を発見。子供連れ。
よーく見てみると、俳優の榎木孝之だった。連れてた坊ちゃんも、品が良かった。
さすがは、芸能人。バラナシへ行く様子。

そろそろ時間・・・って事で、飛行機に乗る。
ナント滑走路をバスで移動・・・(@_@)タラップを上って飛行機へ。
タラップの上り降りの際、下へ向かって手を振りたくなるのは、私だけか?^_^;
この飛行機、国内線の割りにとてもキレイで、広い。ヽ(´ー`)ノ
デカ夫婦の私達も、ちょっと安心な造り。
国際線で乗った10時間半の飛行機とは、エライ違い。サービスも、CAも。
バラナシまでは、1時間チョイとの事だったけど、ちゃんと機内食も出た。
例の如く、ベジ仕様とノンベジ仕様を頼んでみた。
違いが、あまり解らなかったけど。
無事バラナシへ着いたら、外は雨。
湿気が倍増で、軽くミストサウナへ入ってるような感じ。
常時、湿ってるみたいなね。お肌には、良さそうかな。
バラナシの空港はかなり寂れた感じ。
あちこちに御用聞きがたむろしてる。デリーの空港の雰囲気と全く違う。
地域柄なのか。とても切羽詰まった感じで寄ってくる。
真っ黒に日焼けした、なんとも言えない痩せた人達。

のろのろしてる私達を置いて、ゴーさんはさっさと先へ。^_^;
そして、今日お世話になるドライバーさんと合流。
真っ白に手入れされ、磨いてあると思われる自慢の車。ソレに私達は乗った。
これから、四大仏跡の一つで、ブッダ(釈尊)が最初に説法を説いたとされる、
「サルナート」と、「ムールガンダ・クティー寺院」を見学。
その間、車窓より風景を撮ってみた。殺風景。
デリーに比べ、バラナシはとても田舎なんだなと、しみじみ思った。

サルナートへ着くと、凄い厳戒体勢。
警官は、ライフル銃なんか持ってるし、観光客にも厳しい。
ゴーさん曰く、8/15日が独立記念日で、人が多いからと言う事と、
月曜日は、お祭りの日らしい。だから、普段より外に出る人々が多いようだった。
寺院とサルナートへ続く道には、観光客が来る事を知ってか、
施しを要求する人や、物乞いの人達が沢山居た。(子供達も沢山)
「Hello、give me money」カタコトの英語。
なんで、英語を知ってるんだろうか。しかも、「恵んで下さい」って言葉を。
彼ら、末端の階級の人々は、教育を受けていない人々が多いらしい。

まずは、ムールガンダ・クティー寺院へ。
花壇に囲まれた、キレイな寺院。
中に入るには、靴、靴下を脱がなければならない。
その際、靴を靴箱へ預けるんだけど、そこに係りの男性が立っている。
どうやら、寺院の中に入ってる間、靴を取られないように見ててやるから、
お金置いていけって事らしい。靴を見張っておくのが彼の仕事。
ゴーさんが靴を預けるから、私達も預けた。10ルピー。(約30円くらい)
中に入ると、壁一面にブッダの生涯を書いた壁画がある。
撮影OKらしいので、撮ってみた。

その後、外に出て周りを撮ってみた。菩提樹の木が、なんだか「仏教」を思わせる。
私達日本人にとっては、仏教は馴染みがあるけど、
インドと言う国自体、ほぼ「ヒンズー教」信仰者で成り立っている。
仏教は、ちょっと寂れた?衰退した?って感じ。

その後、大急ぎで隣にある、考古学博物館を見学し、
車に戻った。いっぱい日本人観光客とも出くわした。

今日の泊まる宿は、田舎で侘しい場所に似合わず、
清潔に保ってあるホテルだった。
しかし、通りを1本入れば、田舎暮らしで貧しい人達が住んで居る。
なんだか、その裏で私達がそこそこ贅沢にしていると思うと、
後ろめたい気もする。でも彼らは、贅沢と言う事を、知らない。

外に出ないように、外でモノを買わないよう、ゴーさんより注意される。
なんでも、10倍~吹っかけてモノを売るらしい。
今晩のディナーは、タンドリー料理。(窯焼き料理)
もちろん、カレーも。美味しかった。満腹満足。
デザートにアイスキャンデーが出た。マンゴー味。
そして、インド特有のシメのデザートは3種。甘過ぎ。^_^;
ホテルに戻り、この後就寝。
シャワーからお湯が出る事が、嬉しい。
明日は、いよいよハイライトの「ガンジス河」へ。とても楽しみ。
朝日を拝む予定なので、5時出発。ハヨ寝なアカンな。
ワクワク興奮すると、眠れないので、睡眠薬を飲んでぐっすり寝る事に。

<長い階段を見ると、ポーズとりたくなる、アフォな私です@ホテル内>

=================================

ホテルのように設備が整っている場所以外では、お手洗いに紙が無い。
友達に前もって言われていたので、芯を抜いたトイレットペーパーが役立った。

貧しい暮らしをしている人々が多い一方で、過剰なサービスも目立つ。
過激にききすぎのエアコン。設定温度が10度台だった。
その傍らで、暑い中真っ黒に日焼けしながら外で働く人々。
これは、もちろん階級により仕事内容、住む場所が違う。

ヒンズー教の教えで、人の食べ残した物は不浄であるので、
食べ残しは全て廃棄処分。
飢えた人々が居る中で、私達観光客には、過剰過ぎるくらいに、
食べ物が次から次へと出て来た。
そして、その食べ切れない分は廃棄になるんだな・・・と考えると、
さっき出会った末端の子供達に、手を付けて無い分だけでも、
あげたい気持ちになる。

=================================

次回インドの時間③は、メインイベントの一つ、「ガンジス河」編です。
どうぞ、よろしくお願い致します

インドの時間②の写真はこちらよりどうぞ。
アルバムを開く→右端のタブの「スライドショー」よりご覧頂くと、
画像が大きいです。

最後まで読んで下さり、どうもありがとう


インドの時間①

2007-09-03 14:45:00 | 

皆様、こんにちは

ちょっとブリですが、よろしくお願い致します。
今回は、インド旅の模様を徒然なるままに、書きたいと思います。
病気以外の話で、しかもインドにご興味の無い方にしたら、退屈かも・・・ですが、
お付き合い下さると、嬉しいです
私の、「インドへ行って来た」と言う、シルシを残します。

<インド全図です>

まずは、デリー到着までのお話を。

私はとっても旅が好き。
そしていろんな国へ行って美味しい物を食べたり、感じたり見たり・・・。
英語なんて話せないけど、カタコトでも通じた時の嬉しさ、
その土地でしか、味わえない触れ合いなんかも、大好き。
そんな事をするのが、何よりも贅沢で自分へのご褒美。
この時を、治療中どんなに待ち望んで居た事か。
いよいよ、それが叶う日が来ました。

<8月11日>
関西から国際線に乗ろうと思えば、「関西国際空港」へ。
我が家から、関空まではどんな手段を使っても、おおよそ2時間チョイ。
しかし、お盆初日の土曜日とあって、3時間弱掛かりました。
ま、でも、フライト予定時刻は14時だったし、
集合時間には、余裕で間に合って、一安心・・・も束の間。(@_@)

私はJ社でツアーを頼んでいたので、J社のカウンターへ行ってみると、
カウンターの方が、10時間半遅れの事を客に通達していた。
この時点で、プログラム通りのツアーが出来ないワケで、
一日分削られるとの事。キャンセルするか否か、聞かれた。
もちろん、私は行く気満々だったし、準備して空港に来てるワケだから、
行く事を告げ、その10時間半の暇になった時間を、どう使おうか持て余していた。

すると、航空会社が遅延になった事の補償として、昼食券とそして、
体を休めるようにと、空港から少し離れていたけど、
OBP前のシティホテルを、用意してくれた。
しばし、そちらで空白を埋める事に。
でも、なんだか理由は無いけど、自身の中でモヤモヤとした気分が沸き出て来て、
それがその後を、暗示していた。こう言う時の、直感って当たるよねー。

インド行きの飛行機には、私達が依頼したJ社以外の旅行会社からも、
かなりの方が行く事を予定していて、
遅延の影響は、200人余りの足を止めた事になる。
その200人余りが同じシティホテルで、時間をを過ごした。
なんだか、修学旅行みたい。(笑)

10時間半の遅れでの、フライト時刻は、0時半。
2時間前には、チェックインしなきゃならないから、
空港に集合は22時。
そのつもりをして、早めにお風呂に入りのんびりしている所に、
携帯が鳴った。あー、嫌な予感的中。J社のスタッフの方からだった。

「又、更に遅延になりました。この便がいつ飛ぶのか今見当が付きません。
 よって、ツアー自体の催行を、中止したいと思います、尚旅行代金においての
 キャンセル料は掛かりませんが、ビザ代、空港までの交通費などは、
 補償し兼ねます。もしそれでも行きたいとおっしゃるならば、手配旅行として、
 注文を受けます、ガイドも付くか解らないし、行き先やスケジュールも、
 自身でお決め下さい。飛行機がいつ飛ぶのか、解りませんが。 」

みたいな、ニュアンスの事を告げられた・・・。
まじー?って感じ。

この日に照準を合わせて、体調も整えたし、
そして脳内イメージも妄想したし、
何より私はインドに行きたくてどうしようも無いのに、
行けないの?なんでよ~(ノД`)とか、頭の中で感情が入り混じって、
悔しくて凄く、悲しくなった。
神様が、私に今行くな!って言ってるのかな・・・とさえも思った。

更にJ社の方に、

「他のお客様達は、皆さんどうされたのですか?」

と聞いたら、

「12組中11組の方が、只今キャンセルされました」

ってね。後の一組って、うちらだけやん!!!
ここで、即答出来ないと思ったから、電話を切り少し待ってもらった。
旅行代金が戻って来るとか、そんな問題じゃ無いし。
幾ら手配旅行になったとしても、
せっかくビザまで取ったのに、行けないのは悔しい。
それよか私には、次行けるチャンスがいつ来るか解らないと言うのに。
諦めきれない私は、得策は無いか?とずっと「無い脳みそ」を働かせて、
アタフタしながら考えた。でも、やっぱし出て来ない。

こんな時、相方はいつも至ってとても冷静+慎重。
この旅行は無かった事、行かへんぞ~オーラを出していた。(ノД`)
ま、考えれば「安全第一」って事、最優先やもんね。
12組中11組までが、キャンセルしたって事が、物語ってるわな。

でも、この相方の冷静さが、過剰に私へ火を点けた。(笑)

「意地でも行ってやる!一人でもガイド無しでも私、行くから!
 向こうへ着けば、何とかなるもん!!!今、行かない方が後悔する。」

そう言うと相方は、私の感情が生半可じゃ無い事を察して、

「解った、解った。行こう!行こうな。」

と、まるで子供をなだめるように、私に言った。
私は、子供ちゃうっちゅーねん。駄々っ子ちゃうで。

2人の意見がまとまった丁度その頃、J社の方から携帯へ電話があり、
私達が乗るはずだった飛行機の、フライト時刻が決定したとの事。
当初の予定を大幅に遅れ、10時間半→16時間半遅れで、
大阪を出発すると言う、最新情報。
それに加え、私達はツアー自体が中止になっても、
たった2人でもインド入りしたいと言う事を告げると、
約一日分を削られたスケジュールで、少し歯抜けだけどツアーを作ってくれ、
ガイドもなんとか手配してくれると言う運びに。
ラッキー(^_^)v行けるんや~わーい☆

最新情報のフライト時刻は、朝の6時半発。
チェックインの2時間前までは、まだまだ時間があったし、
そのままとってもらったホテルで、一夜を過ごした。
このホテルで、インド行きをキャンセルした方々とは、お別れ。
このまま、おうちへ戻られる予定。

ホテルを出る時刻は夜中の3時半。
私達みたいな、強行手段でインド行こうって思う人なんて、
そうそう居らんのやろうな・・・。^_^;
そんな風に考えながら、荷物をまとめ、集合場所へ向かうと、
チェックインカウンターにはナント、行きとほぼ同じくらいの方々が、
集まっていた。(@_@)皆、やっぱし諦めきれないんだよね。
せっかくのお休み、インド行くって決めて計画立てたんだから。

J社の対応は、今思えばとても悪かったんだなと私は思った。
12組中、11組がキャンセルした我が社に比べ、
他社の方々が行く事を決意したと言う事は、それなりの代替案が、
すぐに提案されたんだろうと、予測される。
我が社は、私達がうるさく言って、やっと提案との事だったし。
そして、早朝にも関わらず、他社の旅行会社のスタッフは、
ちゃんと飛行機がこの時間で飛ぶのか、(2度も遅延変更があったので)
チェックしに、お客様を心配しに、顔を出していた。
我が社は、そんなのありません。ま、私達2人だけだったからかしらん?
一応、信頼おける日本最大手と言われるJ社だけど、この対応には、
ちょっと私、淋しかったです。( ´Д⊂

<8/12日>
そんなこんなで、旅の始まり。
6時半に飛ぶ予定だった私達の飛行機は、結局7時過ぎに飛び、
香港を経由して約10時間半で、無事デリーへ到着。
添乗員も何も居ない私達は、ただ日本人の皆が流れる方へ、着いて行き、
入国審査→荷物をピックアップ→税関審査→晴れてインドの地を踏めると言う運び。

到着ゲートの向こう側で、プラカードを持って、お迎えする現地ガイド達。
何度引き返してその方達を見て見ても、私達を迎えてくれるようでは、無い。
もしや・・・私達のガイドさんって、来てないんじゃ。(ノД`)
日本で、口約束だけで、「ガイド付けます(^_^)v」の言葉を信用して、
勢いでインドまで来たけど、ほんとに私達2人っきりじゃ、
これから先、どうしたらエエんやろ・・・。゜(゜´Д`゜)゜。
賑わってたゲートも、次々ガイドと出会い、皆さん出て行かれる・・・。
到着ゲートで、途方に暮れながら待つ事15分くらい。
すると、大阪からずっと一緒だった、他社ツアーのヒトリの女性が、
私達を呼んだ。

「J社のガイドの方が、ゲートの扉の外で、ずっと探して居られましたよ、
 あなた達を、迎えてくれてるんじゃ無いかな?」

ってね。えー?ゲートの扉の外で、待ってたのかな。
この女性の一声が無ければ、永遠ガイドと出会えてなかったかも・・・^_^;
一度、ゲートを出れば二度と中へ入る事が出来ないし、
とても助かった。ありがとう!!!
この女性は、たったヒトリで、山登り用の自分より大きなリュックを提げ、
ガイドと共に、去っていった・・・。

私達のガイドは、又アヤシイ感じの男性だった。(笑)
民族衣装着てるし。
大きなプラカードには、「ようこそ、クランベリー家」みたいな事が、
書かれていて、ずっと扉の外で待っていたらしくて、

「クランベリーサン、ワタシ、ソトデズットマッテイマシタヨー」

と、カタコトで、迎えてくれた。ごめんね、ガイドさん。
インドの空港は、飛行機のチケットを持ってるモノ、もしくは、
専門のパスを持ってるモノで無いと、空港内に入れないらしくて、
外で待っていたらしい。心配してくれてたんだね、ありがとう☆
上にも書いたけど、J社では今回私達だけしかインド行きのツアーに、
強行で来ていないので、ガイドさんと私達の3人での7日間が、
始まった。ほぼ、マンツーマン状態。^_^;

トイレへ入ると、そこには人が立っていて、「お金くれ」と言う。
私は、まだ着いたばかりで両替をしていなかったし、
強行無視を決めて、トイレへ入った。すると出た後もくっついて来て、
手を洗う水道の蛇口をひねってくれたり、手を拭くペーパーを渡してくれたり。
この方は、このチップ?(バクシーシ)でしか、収入が無いのだろうか。
後ろ髪を引かれる思いだったけど、お金を持って居なかったので、
振り切って、トイレを出た。

御存知の通り、インドと言う国は、階級社会。
全ての仕事が、階級で分かれて居る。
私達のガイドは、最高階級の「バラモン」出身者で、
普段は、宗教の仕事をしているらしい。
どうりで、民族衣装だったわけだわ。

ガイドの歓迎を受け、レイみたいのを首に掛けられ、
私達は自身で荷物を持ちながら、待つ車へと移動した。
旅行人、丸出し。(笑)ま、それ以前にスーツケースで解るけど。

荷物を持つ、私達をめがけて、インド人がお金をせがむ。
どうやら、「荷物を運んでやるから、お金くれ」って事らしい。
こちらが頼んでもいないのに、彼らはぴったりとくっついて来て、
断っても、断っても、付いてくる。「NO、サンキュー」は、通用しない。
きっぱり、「NO!!!」と言わないと。
正直、とっても怖い気持ちになった。
でも、彼らはこうやって報酬をもらう事が労働で、頼む側は、ラクが出来る。
こんな風にこの国では、成り立っているのだろうか。
自分で出来る事は自分でする・・・って思想は、通用しないのかも。

車に戻って、今晩宿泊するホテルまで1時間弱。
車窓より、街を見てみた。
初めて降り立ったインドと言う地・・・。
とても複雑な思い。とってもきれいに整備されているかと思えば、
その脇には、貧しい人達が暮らしているし、
道路には、牛や犬、あらゆる動物が歩いている。
なんだか、カルチャーショック気味。(笑)

信号で止まる車めがけて、小さな子供達が、物売りに来る。

「ヘロー!」

カタコトの英語で。
窓を開けてはいけない。乗り込んでくるから。
閉まった窓を、止まってる間、ずっと叩きながら、
これ買ってよー、お金恵んでー、と悲壮な顔で言ってくる。
無邪気な子供。これが仕事なのだろうか。親に言われてやらされているのか。
直視も出来ないし、私はずっとウツムキながら、その場をやり過ごした。
なんか、とってもびくついている自分が、この旅を楽しめるのかどうか、
不安になっていた。

ホテルに到着し、ガイドがチェックインをしてくれて、
ポーターが部屋へと案内してくれた。
まだ、昼過ぎだったけど、ちょっと疲れたので、
部屋でゆっくりさせてもらう事にし、次の予定はディナー。
約束の18時までは、ちょっと時間がある。仮眠でもしよっかなー。
ガイドがポーターにチップを払ってくれたので、
ポーターはすぐに、部屋から去っていった。
やっと息が抜けるなー・・・ヽ(・∀・)ノ゜+.゜☆

と思ったのも束の間・・・。
その後にすぐメイドがやって来て、あれこれし始めた。
もう、キチンと清掃済みの部屋なのに。お金が欲しいらしい。
いつまでもお金を払わない私達に、メイドは、これしましょうか、
あれ、しましょうか?なんて言って来る。
とりあえず、休ませてー(ノД`)この空気、伝わらないかな。
でも、暫くして出て行った。空気が読めたらしい。

やっと、脱力出来る~ヽ(´ー`)ノ
ジーンズで締めてた体を解放してやり、ゴムのズボンに履き替え、
だっらーんとしながら、窓の外を見てみると、とってもきれいな夕焼け空。
ピンクと紫が混じった感じの色。
この空は、ずっと続いていて私達はこの空を飛んでやって来た。
そんな事を考えると、ちょっとセンチになってしまった。

部屋でくつろいで1時間くらい経った頃、部屋のチャイムが鳴った。
誰やろ?ガイドさんかな・・・?不用意に開けてはならないのに、
相方は、ドアを開けた。と同時に、さっきのメイドが入ってきた。(@_@)
さっき、チップを渡さなかったから?なのか、
再度、催促しに、来た模様・・・。
この時思った。こちらが頼んでやってもらうサービスにおいてのチップは、
払うべきだけど、頼んでもいないのにやってくれる事に対しては、
お金は払わなくても良いんじゃないか?って。

日本人の観光客ってだけで、「お金を持っている」と固定観念があるのか、
どうかは知らないが、私達は貧乏だよ~。見当違いでごめんって感じ。
何も、あげなかった。

夕飯は、インドでの初カレーヽ(・∀・)ノ゜+.゜☆
日本人好みに、調理してあるのか、そんなに辛くも無く、
美味しかった。お店もキレイだったし。
でも、脂たっぷりのカレーに、炒めたご飯を添えるのは、
ちょっとつらかった・・・^_^;プラスして、ナンも付くしね。
手で食べるのかな・・・と思っていたけど、
ちゃんと、ナイフ、フォーク、スプーンが、添えられていた。

ガイドさんは、ヒンズー教の方だから、ベジタリアン。
私達とは別のメニューを、注文していた。
インドのお肉と言えば、マトン、チキン、ラム、の事。
この国では、牛は神様と言われているので、牛肉は食べない。
でも、牛乳は飲むし、チーズも食べる。(笑)
この辺が、ユルくてインド人らしくも、思えたり。
無事、インドへ到着した事を祝して、ビールで乾杯。

このビール、凄く高い。そして税金も。
2本頼んで、飲み物代が420ルピーだから、
ざっと概算で、1本210ルピー=650円程度。
この国の人の、平均的な日収と同じくらい。
とっても贅沢な飲み物なんだな・・・。
宗教上、お酒はあまり飲まない民族らしい。

インド人は、20時くらいに夕飯を家族みんなでとるのが、
主流らしくて、19時に予約して入った時には、
お客さんが誰一人居なかった。でも私達の食事が終る頃には、
席が、埋まって来ていた。
美味しかった☆初インドでの、インド料理♪
この後、ホテルに戻り、就寝。

インドは、面積が凄く広い。
ここを渡り歩くだけでも、移動だけでも時間がとても掛かる。
明日は、バラナシへ行く予定。
デリー~バラナシへは、飛行機の国内線で。

インドの物価は安い!と、私の中で先入観があったけど、
そうじゃ無いって事が、後々に解ってくる・・・。

インドってほんと広い!ココを7日間で周る予定。
ほんの一部・・・。


写真は、こちらからどうぞ。
アルバムを開くをクリック→右端のスライドショーよりご覧になると、
より、大きく画像が写ります。

次回「インドの時間②」を、よろしくお願い致します。


台湾旅

2007-01-16 10:53:32 | 
皆様、マタマタご無沙汰しておりました
コメント下さった皆様、返信が遅れまして、ごめんなさい

実家に、父と夫の男性陣を残し、少々心が傷んだけど、
一昨日、無事台湾より、帰国致しましたヽ(´ー`)ノ
発つ前に、メッセージ下さった皆様、コメントを下さった皆様、
心配して下さった皆様、ホントに、どうもありがとう<(_ _)>


  
(九イ分、阿妹茶酒館の前で2ショット


今回は、海外初の母と、台湾初体験の私達なので、
ツアーに入り、あちこち連れて行ってもらう事に。
この日の飛行機は、ガラ空きで、気の毒になるほど。^_^;
やっぱ、オフシーズンだからなのかな?

それに加え、ツアーに入ったのに、ツアー客は私達のみ。(笑)
ほぼ、マンツーマンでガイドと、観光。(ノ´∀`*)アハッ
ツアーは、時間の制約がデメリットだけど、今回は母と私だけの、
観光旅だったから、あまり時間は気にならなかった。(*´ー`*)

台湾の気候は、真冬に当たる1月でも、温かい。18℃くらいかな。
そして、治安が思ったよりも良かったので、夜も女2人で出歩いても、
問題なかった。ヽ(´ー`)ノ(誰も、襲わないか。笑)

MRTと呼ばれる地下鉄は、とってもキレイで、路線も乗り換えも、
解りやすい。大阪の地下鉄のような感じ。

台湾の若者が集うようなお店には、「浜崎あゆみ」のBGM。
台湾っ子は、日本のファッションがお手本。
若い男の子、ズボンをずらして、履いてた。(笑)

台北市内は、とても都会で開けていて、
へたすると、私の実家近辺よりも、都会かも。^_^;

今回とても苦労したのが、言語。
漢字表記だから、なんとなくは、意味が解るし読めるんだけど、
それを発音出来ない。^_^;
年齢が上がるに連れて、英語が解らない方が多いので、
物1つ注文するにも、あくせく・・・^_^;
でも、カタコトの日本語を、話せる人は、多かった。

あの有名な「ディンタイフォン」での昼食で、店員の若い女の子が、
日本語のカタコトを話せる事に、ちょっとびっくり。(@_@)
でも、何故か命令口調になるのが、笑えた。(。→ˇ艸←)プッ

「オキャクサマ、スミマセン、ヤサイギョウザ、タベタカ?」

と言われた時は、2人で吹き出しそうになった。^_^;

それと、ホテルのフロントで、

「お客様、行ってらっしゃいませ」

と多分、言いたかったんだろう。それを、

「オキャクサマ、イラッシャイマセ」

と。(。→ˇ艸←)プッ
今から、出て行くんですけど・・・^_^;って感じ。


   
(翡翠湾にて天灯上げ・願い事を書いて、熱の力で空に上げる)


私の人生は、始まって34年ちょい。
母と2人っきりの旅行は、これが始めて。
現地で喧嘩なんてしないだろうか?と、私は内心ヒヤヒヤしたけど、
母が、私を気遣ってくれて、そして何より、
心から旅行を楽しんでくれた事に、とっても、嬉しく思えた。(*´ー`*)

こんな、はしゃぐ物怖じしない母と、
又一緒に海外へ、旅行出来ると良いな♡
今度は、ハワイだね。(笑)
(ハワイに母は、行きたいらしい)

いーーーっぱい、写真があり過ぎて、別枠に写真集を、作りました。
良ければ、こちらにて、台湾旅を、満喫してみて下さいね。

台湾旅写真集こちらをクリック

そして、アルバムを開くをクリック
更に、拡大画像を見るには、右上にある「スライドショー」からご覧になると、
楽しめると、思います
どうぞ、いらっしゃいませ