![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/3b/2ec412ef64ac8616d8bfa46d8d3f441b.jpg)
1994年8月6日、東京ベイNKホール。
ロジャー・テイラーのソロ来日公演のことをあまり覚えていないのは、1994年5月にアイルトン・セナが事故死したからかもしれません。
1988年10月から、私の中では セナ>ロジャー だったので...。
セナがいなくなってもF1グランプリは続くわけで、TV放送を毎回見てはいたものの、見れば見るほど喪失感に襲われていました。
このコンサートの事はよく覚えています。
私の席からは、舞台中央の台の上に掛けられたブラジル国旗と、その上に置かれたヘルメットがとてもよく見えて、まるでお葬式に参列しているような気分で、涙をこらえるのに必死でした。
会場にエグゾーストノートが響き渡り、日本ニューフィルハーモニー管弦楽団の演奏が始まると同時にその台は舞台の下へと消えてゆきました。
セナと親交のあった面々がそれぞれの思いを語り、日本ニューフィルハーモニー管弦楽団とT―SQUAREの演奏とともにスクリーンではセナの生涯を振り返るVTRが流され、初めて見る映像も多かったので、涙で見えないのではあまりにもったいないと思ったので...。
最後の最後、日本のファンに向けたセナからのメッセージが流された時にはさすがに涙をこらえきれず、その後はもうボロボロでした...![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
蛇足ですが...
セナが亡くなって数日後、モナコ・グランプリの直前に、私は不思議な夢を見ました。
モナコのポール・ポジションに、真っ黒いマシンに乗ったセナがいました。
夢の中で私は「そうか、モナコだもんね...走りたいよね...」と、セナがもういないことを分かっていながら、でもそこにいるのはセナだと分かっていたのです。
明け方に見た夢なので、起きてからも頭から離れず、なんとなく縁起が悪い気がして私は友人のcazちゃんに電話をして、この夢の話をしました。
その日の夜、衝撃のニュースが...
モナコグランプリの練習走行中、ザウバーのカール・ベンドリンガーがタイヤバリアに激突して、重症を負ったとのこと。
当時のザウバーのマシンカラーは黒でした。
翌日cazちゃんから電話がかかってきました。
彼女も相当驚いたようでした。
カール・ベンドリンガーは頭部に強いダメージを受け、一時は復帰どころか生命さえ危ぶまれるほどの重症だったようですが、幸い回復し復帰することができました。
F1引退後はツーリングカーレース等で活躍していたようです。
F1グランプリでもう誰も事故死しないように、今もセナが見守ってくれている事でしょう。
ロジャー・テイラーのソロ来日公演のことをあまり覚えていないのは、1994年5月にアイルトン・セナが事故死したからかもしれません。
1988年10月から、私の中では セナ>ロジャー だったので...。
セナがいなくなってもF1グランプリは続くわけで、TV放送を毎回見てはいたものの、見れば見るほど喪失感に襲われていました。
このコンサートの事はよく覚えています。
私の席からは、舞台中央の台の上に掛けられたブラジル国旗と、その上に置かれたヘルメットがとてもよく見えて、まるでお葬式に参列しているような気分で、涙をこらえるのに必死でした。
会場にエグゾーストノートが響き渡り、日本ニューフィルハーモニー管弦楽団の演奏が始まると同時にその台は舞台の下へと消えてゆきました。
セナと親交のあった面々がそれぞれの思いを語り、日本ニューフィルハーモニー管弦楽団とT―SQUAREの演奏とともにスクリーンではセナの生涯を振り返るVTRが流され、初めて見る映像も多かったので、涙で見えないのではあまりにもったいないと思ったので...。
最後の最後、日本のファンに向けたセナからのメッセージが流された時にはさすがに涙をこらえきれず、その後はもうボロボロでした...
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蛇足ですが...
セナが亡くなって数日後、モナコ・グランプリの直前に、私は不思議な夢を見ました。
モナコのポール・ポジションに、真っ黒いマシンに乗ったセナがいました。
夢の中で私は「そうか、モナコだもんね...走りたいよね...」と、セナがもういないことを分かっていながら、でもそこにいるのはセナだと分かっていたのです。
明け方に見た夢なので、起きてからも頭から離れず、なんとなく縁起が悪い気がして私は友人のcazちゃんに電話をして、この夢の話をしました。
その日の夜、衝撃のニュースが...
モナコグランプリの練習走行中、ザウバーのカール・ベンドリンガーがタイヤバリアに激突して、重症を負ったとのこと。
当時のザウバーのマシンカラーは黒でした。
翌日cazちゃんから電話がかかってきました。
彼女も相当驚いたようでした。
カール・ベンドリンガーは頭部に強いダメージを受け、一時は復帰どころか生命さえ危ぶまれるほどの重症だったようですが、幸い回復し復帰することができました。
F1引退後はツーリングカーレース等で活躍していたようです。
F1グランプリでもう誰も事故死しないように、今もセナが見守ってくれている事でしょう。
私が、新聞でキース・ムーンの死亡記事見てすぐに電話したことや、フレディが亡くなった時、電話くれたことや昨日のことのように刻み込まれております。
これを載せるつもりはなかったんだけど、何故ロジャソロライヴの印象が薄いのかと記憶をたどったら、セナ・ショックの時期と重なっていた事を思い出したので。
昨夜これを書きながらまた思い出し泣きしちゃって、NKホールで演奏された曲が収録されているCD聞きながら寝ました。
最近QUEENのV観て涙ぐむことも多くなっちゃって...歳とると涙もろくなるのかなぁ、って
私はセナといえば、ホイヤーを思い出します。タグになる前のホイヤー、買っておけばよかったなー。
ホントに最近のF1は...って言いたくなりますよね~。
私もHonda Marlboro Mclaren時代が一番好きです。
で、タグ・ホイヤー6000セナ追悼モデル持ってます♪
セナの死後最初に出たモデルで、世界限定3000本でした。
私はたまたま入手できたのですが、実際には殆どが関係者に配られて、店頭には並ばなかったそうです。
でも、タグになる前のホイヤーを知りません
彼女に再会できて、このblogをやってて本当によかったと思います。
フーガさんもblog始めませんか?
大切な人との出会いや再会があるかもしれませんよ