旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

ハングリアン民族2=ダカールラリーとの不思議な因縁

2017年01月01日 | その他
 前回暴露したように、実際のところテレビCMに影響されたちょっと幼稚な私のバイク人生。その後いろいろあって、なにかちょっとした事をひょんなきっかけで思い詰めてしまう異常な性格も相まって、大学進学後の人生は登山とバイクの2色、2年生になる頃にはバイクと旅の2色に変化。4年生は1年休学してパキスタンからイギリスへバイクで彷徨うような人生を歩み始めました。

 それでもやっぱり自分に大いなる影響を与えたカップヌードル(のCM)。もともと読書癖のある私は大学の周囲に多くの書店があることを良いことに、バイク雑誌を始めとして、俳優の夏木陽介氏がパリダカールラリーに参戦した時のことをつづった本などをよみふけっていたのでした。だから、ダカールに関係した人たちの事、みんな実名で知っている位の状態。
 
 両親はアルバイトをして少しお金を作っては海外にぶらりと出かけてしまう一人息子を”この子は就職などする気が無いんだな”とあきらめていました。私も大学4年生の頃はこのまま当面、海外で自分を試しながら進むべき道を探ろうと考えていた節も実際あります。ところがある日、イスタンブールのガラタ橋の飲み屋で他の旅行者とビールを飲んでいるときに突然、”就職して、猛烈サラリーマンになる”という自分にとって最も非日常的な”旅”が頭に降って来たのです。

 それから数か月後に帰国した私はひそかに就職活動を始めます。リクルートスーツを親が買ってくれるわけでもないし、自分が買えるお金もない私は、背格好が大体同じであることを良いことに父親のスーツとワイシャツを借用して面接を受けます。

 自分の今までの経歴を生かすのであれば旅行会社がうってつけと考えて面接を受けてみたところ、最終面接で”雑談”した社長は、私がバイクで巡ったルートをヒッチハイクで巡ったとの事でやたら話が合って、それだけで合格。バブルと言えばバブルですが、ある意味、今よりずっと実力主義の時代。履歴書に書く”資格”など、誰も相手にしない時代。
 
 ところが、人付き合いのあまり得意でない私(”嘘でしょ。”と言うお客さんがたくさんいますが、今の私は50すぎ。その頃の私は20代前半。)にとって、旅行会社のカウンター勤務は思いのほか重荷となりました。今の会社と違って、研修も何もなく、”仕事は盗んで覚えろ””落ちこぼれは辞めてしまえ”という世界。完全に落ちこぼれた私にとっては日々、苦難。上手くやっている同僚の真似をしてもやっぱりうまくいかないし、自分のダメぶりを毎日実感するばかりで、気が滅入る日々。

 唯一のストレスのはけ口は、毎月出場しているサーキットエンデューロレース(この事は今のバイク仲間もほとんど知らないでしょう。)とはいえ、ここでも毎回、自分はあまり速くない事を思い知らされて、ダメっぷりを確認するばかりでしたが...。

 そんなある日、私の同期のスタッフがカウンターで接客している姿をふと目にした私は我が目を疑いました。バイクに乗り始めて以来、完全にかぶれていたパリ-ダカールラリーに出場&完走した人が来店中なのです!!!。

 本当に接客が苦手だった私も、何も考えずに行動開始です。同僚の接客に割り込んで、ダカール完走に”おめでとうございます。”と声をかけずには居られませんでした。"どうしてそんな事知ってるんですか?”と交わした会話から始まった関係は私のその後の人生に、多大な影響を与えていくことになりました。

 数年後、アメリカの砂漠でその人とその友人たちと一緒に過ごし、その縁でオーストラリアのラリーを2度も愛すべき友人達と戦い、そして生まれた勘違いから場違いなUAEの砂漠で多くの人達に迷惑をかけて自分の弱さを思い知らされ、その間、多くのダカールラリー出場者の手配を任されました。その一人一人の事が毎回気がかりで深夜のとても短いTV中継をチェックして興奮したり、心配したり、そんな年末年始がとても懐かしく思えます。

 そして、明日、舞台を変えたダカールラリーは南米でスタートを切ります。出場する皆さんが素敵な旅を、苦しみ、楽しんで2週間の間、放蕩の限りを尽くせる事を祈ります。そして、そんな日々が人生の1幕に持てるあなた方をとても羨んでもいます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿