旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

夏休みの想い出

2010年05月24日 | その他
大昔、私が中学生の頃の事。
私の故郷は滋賀県。県庁所在地の大津市と言っても、家のすぐ裏は山であって、その山を越えると京都府になります。当時の私の遊び場は専らこの京都へとつながる山であって、夏休みには友人数人と山の中でキャンプするのが毎年恒例の行事となっていました。それにしても中学生の子供だけで山にキャンプに行かせた、当時の親も勇気がある存在だったと最近になって思うようになりました。

そんなとある夏休み。いつものように友人たちと、いつもの場所でキャンプをしていた我々は、キャンプ地にある池で泳いでおりました。この池、水はどこからも流れ込んでおらず、流れ出す川はあったのに夏でも枯れる事がなかった事などを思い出してみると、おそらく池の底から湧き水が湧いていたのかと思います。

池はちょうど楽器のオカリナのような形をしていて、オカリナの吹き口の部分は(なんと呼ぶのでしょう?)遠浅で距離も狭く、その先は深くなっています。といっても最も長い距離でも中学生なら充分泳ぎ渡れる程度の大きさの池であって、それほど危険な場所ではありません。

池の周囲は森林なので、そこから適当に大きな倒木などを運んできて池に浮かべ、それに掴まって泳ぎながら池を渡ったりするのは妙に冒険心を掻き立てられる遊びで、プールなどではできない遊びでもありました。友人たちもそれぞれに自分用の倒木を浮かべ、ある時はそれに掴まって泳いだり、ある時は岸まで泳いだ後、自分の倒木を目標に泳ぎ戻ったり、あるいは一つの倒木に皆で集合したり。体力は大人に近づいていて、なおかつ子供の発想もまだ残している中学生時代というのはもしかすると遊びの能力が最大の時代なのかもしれません。

皆と同じように水の中で散々過ごしていた私は、倒木に掴まって、岸へ向かって泳いでいきました。足がつくところまで泳いだ後、ちょうど池の中心部分で倒木に掴まって浮かんでいる友人に向けて、また倒木に掴まって泳ぎ始めました。最初しばらくは足が着くので水中を歩いて行きます。足がつかなくなって倒木に身を任せた時、一瞬、自分の脳裏に今まで思わなかった事実がひらめきました。

”ここは深くて足が着かないな。”

こんな事は最初から判っている当たり前の事実ですし、倒木を浮き輪替わりに掴んでいるので恐怖を覚える理由がないのですが、何故か、この事実に思い当たった瞬間、背筋がゾッとして、私に向かって笑いながら呼びかける友人の方へそれ以上進むことができなくなりました。いや、本当の所、少しパニックになって、必死に岸へ泳ぎ帰ったのでありました。

冷静に、常識的に考えてみると、足が着かない池で、なおかつ湧き水なのでそれなりに水も冷たいばしょですから、子どもだけしかいない環境で泳ぐのは少し危ない事です。ある瞬間、冷静になってその事に気がついたとも言えますし、浮き輪替わりの倒木まで持って入っているのに”臆病風に吹かれた”と言う事もできます。

この時の事を最近、時々思い出します。何となく雰囲気やノリで遊んでいた瞬間と、冷静に、常識的に自分の行動を判断した瞬間の境界線上の出来事のように思えるからです。常識的な判断で行動を自ら規制しすぎることは、結局行動力を失ってしまう事につながっていくと思います。浮き輪替わりの倒木を用意した時点で”充分な安全対策を施した上での行動”と考えられるようにしたいものです。


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