旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

宗教2

2007年04月14日 | 宗教
宗教0を読んだ方の中には私が宗教的環境に恵まれた環境に育ったと勘違いした方もいるかもしれません。ところが実際にはその逆なのです。

母方の親類縁者に仏教関係者が多い事は、普通の人が普段は目にする事のない、裏側を日常的に目にする機会が増えてしまうわけです。たとえば、皆さんにとっては法事の際にお経をあげに来てくれるお坊さんであっても、私にとっては酔っぱらって大騒ぎする困った叔父であったりという事になるわけです。そして、親類を批判する事になるのですが、残念な事にこの人々のほとんどがに仏教に関る事を経文を唱える"職業"として考えているだけの人であました。仏教の思想というものについての知識をもっている人、あるいは興味をもっている人は皆無であったと思います。

ですから、多分、皆さんよりも私は宗教に対して懐疑的であるかもしれません。そして、そんな事から"ご都合主義"な宗教解釈を繰り返しているとも言えます。

高校生の頃、"とりあえず聞いておくか"と宗教の授業をマジメに聞き始めた頃にも、そういった印象は抜けませんでした。ただ、せっかく聞くなら本質のみを聞いて、余計な情報を除外しようと考えたのでした。

そこで、いくつかの論理的な前提を考えていました。

その中で考えた事の一つに"宗教思想は簡単なはず"というのがあります。なぜならば、例えば仏教は紀元前500年頃の思想と言われていますが、その時代に多くの人に理解されたからこそ受け入れられて広まったはず。という事は複雑で何年も考えなければ理解できないものであるはずがありませんね。

おそらく、その頃の識字率はそれほど高くないでしょうから、たいていの思想は言葉を語る事で伝えられたはずです。テレビやラジオやインターネットはありませんから、人から人へ口コミで伝わって評判を呼んだ思想と考えるのが論理的。ちょっと伝え話を聞いて感銘を受けるほどのシンプルな思想であったはずです。

それを複雑にしている要因は、後の時代にその宗教に関った人々が"ありがたく"見せるために付け加えたものであると見做す事にしました。

仏教伝来の歴史などを見ると、玄奘三蔵の話や、日本人留学生、を始めとして何年もの苦労の末に思想を習得したという事を表している話がありますが、これは少し事情が違います。旅人なら理解できる苦労ですね。

言葉の違う国。ガイドブックも辞書もその時代にはありませんし、コピー機もありません。また、文字を読み書きできる人だってそんなに多くないでしょう。そこへ出向いていって、思想という抽象的な概念を記された書物(経典)を手に入れるというのは、まずその国の言語を抽象的な概念の表現を理解できるまでに習得し、そして書物に書かれた内容を自分たちの言語に翻訳しながら手で書き写して持ち帰るとなれば、それは何十年もの歳月を要する作業である事は容易に想像できるではありませんか。

さて、そんな風にして信仰心の薄い私がとにかく自分なりにシンプル化を目指しながら眺めた結果、私に見えたのは宗教や信仰というよりも仏教思想の中にある現代風に言うとライフハックとか心理ハックと呼ばれるようなテクニックだったのです。もちろんこれは仏教思想の中の一部であると思いますが、根本はこのあたりから発生しているのではないかと思うのです。

前々回のこのコーナーで、現代的な心配事のあまり無い少数民族の社会を少し紹介しました。今、いろいろ悩み事を抱えている人には少し羨しい社会ではありませんか?しかし一方で、あのようなシンプルな社会を現代のより大規模化した社会の中に実現する事は不可能である事も理解できると思います。

おそらく仏教思想が生まれてきた背景にはインダス文明(紀元前2600年頃でしたっけ?)を始めとする都市文明によって人間の生活が大きく変化した事があると思います。貧富の差が発生し、そして固定し、社会が複雑化する中で"自然"に任せて生きていく事ができなくなった人間は大くの苦悩を抱えるようになります。その苦悩を取り除き、人を幸福にする方法として、人はどうして悩み苦しむのかの原因を分析、分類して、それを解決する方法論を解説したものが仏教なのではないかと考えたのでした。


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